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無冠の皇帝  作者: 有喜多亜里
【05】始まりの終わり(中)
129/169

13 アルスター大佐の執務室にお邪魔しました

 アルスター大佐隊が使用している軍港の略式名称は、第五軍港である。

 司令官の好きな数字は「5」だが(情報提供ドレイク)、それが理由でアルスター大佐隊にこの軍港を使わせていたのかどうかはイルホンにはわからない。が、今は変えられるものなら変えたいと思っているのではないかと勘繰っている。

 ちなみに、ドレイク大佐隊か使用している軍港には数字は振られていない。本当に、何から何まで謎な軍港である。

 イルホンが〝大佐棟〟の駐車場に移動車を停めたのは、約束した時刻の十五分ほど前だった。あまり早く来られても迷惑だろうと時間調整しながら走ったのだが、すぐにアルスターの副官・コノートが出迎えに来たところを見ると、もっと早くてもよかったのかもしれない。

 二ヶ月ぶりに会ったコノートは、もともと痩身の中年男だったが、一目見て病院行きを勧めたくなるほどやつれ果てていた。それでも、笑顔で対応しようとしてくれるのが実に痛々しい。

 〝大佐棟〟のエントランスに常駐している警備班員たちも、コノートと五十歩百歩だった。おそらく、アルスターの部下たちの大半は、このような状態でいるのだろう。コノートの目を盗んでドレイクを窺えば、ドレイクは困ったように笑い、軽く何度かうなずいた。コノートには申し訳ないが、自分の上官がこの男でよかったと、イルホンはこれまで幾度となく思ったことをまた思ったのだった。


「こんにちは、アルスター大佐。お忙しいところ、お邪魔してしまってすみません」


 執務室の自動ドアが開いたと同時に、ドレイクは愛想よく挨拶した。さすが、あの〝七班長〟の〝生き別れの兄〟。良くも悪くも演技派である。

 アルスターは自分の執務机の前で、腰の後ろに両手を回して立っていた。コノートのようにやつれてはいないが、少しばかり老けこんだようにイルホンには見えた。


「いや、わざわざ訪ねてきてくれてありがとう。君とはちょうど話したいことがあった」


 穏やかだが上から目線でアルスターは応じると、ここまで案内してきたコノートを目配せで下がらせ、自分は執務室の隅にある応接セットに向かって歩き出した。


「お話ですか。次の約束があるので十分ほどしかお付き合いできませんが、それでもかまいませんか?」


 事前の予定どおり、ドレイクが申し訳なさげに断りを入れる。すでに一人掛けの黒いソファに腰を下ろしていたアルスターは、怪訝そうに太い眉をひそめた。


「次の約束?」

「はい。今日一日で〝大佐〟全員の執務室を回る予定になっています。……俺が足を踏み入れた自分以外の〝大佐〟の執務室は、こちらが初めてですよ」


 ――なるほど。この一言を言うために、あえてアルスターを最初にしたのか。

 イルホンは呆れつつも感心した。アルスターの優越感をくすぐりつつ、自分の希望は押し通す。どの順番で回ったかは、調べようと思えばいくらでも調べられる。姑息な嘘はつけない。


「そうか。それでは仕方ないな」


 案の定、アルスターは残念そうな顔はしたが気を悪くした様子もなく、来客用のソファを手で指した。


「長年使っているから、私同様古ぼけているが……まあ、かけたまえ」

「失礼いたします」


 立場的には同格だが、一応年長者を敬う精神は持っているドレイクは礼儀正しく答えると、若干くたびれた革張りのソファに浅く腰かけた。イルホンはその背後に無言で立つ。おそらく、アルスターは副官が上官と同じソファに並んで座るのを快く思わない。


「今、飲み物を用意させよう。コーヒーでいいかね?」

「いえ、時間がありませんので結構です。それとこちら、お口に合うかどうかわかりませんが」


 ドレイクがそう切り出したところで、すかさずイルホンは左手に提げていた褐色の手提げ袋を彼に手渡した。


「何だね?」

「クッキーです。ご挨拶がわりに」


 手提げ袋ごと差し出されたアルスターは、しばらく、あっけにとられたように青い目を見張っていた。

 確かに、アルスターのような〝大佐〟には、絶対出てこない発想だろう。いや、他の大佐たちにも、今日はこんな顔をされるかもしれない。こっそりチョコレートの詰め合わせを持ってきたあの〝大佐〟以外には。


「これは……こう言ったら何だが、意外なことをするね。いや、どうもありがとう。後でいただくよ」


 気を取り直したアルスターは、鷹揚な笑みを何とか浮かべると、ドレイクから手提げ袋を受け取り、暗褐色のローテーブルの上に置いた。

 袋の中身は見ようともしない。それをしっかり確認してから、ドレイクは涼しい顔で自ら切り出した。


「それで、お話というのは?」


 アルスターは逡巡した。いざとなると言いにくい話題だったようだ。

 だが、十分ほどしか話はできないと先に宣言してある。イルホンがさりげなく、しかし、わざとらしく腕時計を一瞥したとき、アルスターは覚悟を決めたように口を開いた。


「ドレイク大佐。君は以前、自分には三隻までしか指揮できないと言っていたが……四隻以上を指揮したことは一度もなかったのかね?」


 思わず、イルホンはドレイクの横顔を覗きこんだ。

 だが、今度はイルホンの視線に応えることなく、ドレイクは飄々とアルスターの質問に答えた。


「まあ、なかったこともないですが、みな一時的に仕方なくですよ。こちらと違って『連合』の〝大佐〟は、一〇〇隻も二〇〇隻も指揮することはないんです。そうですね……ここの班長クラスが向こうの〝大佐〟に該当しますかね。ここだったら俺は班長にもなれない」

「そうかね。私はそんなことはないと思うが……いずれにしろ、君は自分が〝実現可能〟なことをよくわかっていたというわけだ」

「まあ、そういうことです。チャレンジ精神も大切だと思いますが、この艦隊ではできるかどうかのほうがより重要でしょう。いつだったか、殿下が言っていましたよ。『おまえのつまらぬ見栄と意地のために、我が艦隊は敗北するわけにはいかんのだ』」


 それはアルスターも覚えていたのだろう。いかにも軍人らしい剛健な顔を歪めて苦笑いした。


「耳が痛いな」

「ええ。だから、俺もよく覚えています」

「〝つまらぬ見栄と意地〟か。……そうか。そうだったのかもしれないな。ダーナ大佐は最初から、ヴァラク大佐に元マクスウェル大佐隊を指揮させた」

「そのかわり、周りに迷惑かけまくりましたけどね。まあ、あれでうちは隊員増やせましたけど」

「そうだな。あれでは事実上、元マクスウェル大佐隊を解体したのも同じだ。だが、そうすることによって右翼はあれだけ強くなり、元マクスウェル大佐隊員をいちばん多く抱えこまされたパラディン大佐が、今、左翼で砲撃をしている」


 ここでようやく〝本題〟か。イルホンは表情には出さずそう思ったが、彼の上官は白々しくうなずいた。


「ああ、あそこはすごいですね。全部で十二班もあって、そのうち二班が元マクスウェル大佐隊。しかも、彼らが乗っているのは砲撃艦ではなく護衛艦。一見、チャレンジ精神の塊のようですが、そうしたほうがいいからそうしているんです。〝我が艦隊は敗北するわけにはいか〟ないので」


 アルスターはなぜおまえがそこまで知っているのかと言いたげな目をドレイクに向けた。しかし、ドレイクならば知っていても不思議はないと思い直したのだろう。その点について追及はしなかった。


「殿下はそこまで見越して、パラディン大佐をあの隊の指揮官に任命したのかな」

「もちろんそうでしょう。結局、指揮官しだいです。部下が生かされるのも、殺されるのも」


 ドレイクは静かに毒を吐くと、これ見よがしに自分の腕時計を見た。


「そろそろ時間がなくなってきました。申し訳ないですが、これで失礼させていただきます」

「そうか。もうそんな時間か」


 正直、アルスターはまだ話し足りないようだったが、こちらの目的はあくまで挨拶回りである。最悪、クッキーさえ渡せれば、今回はそれでいいのである。少なくとも、このアルスターに対しては。


「よかったらまた来てくれ。今度は何もいらないよ」

「そうですね。今度は時間を気にしないで済むように調整して来ます」


 笑顔でそう返しながらも、ドレイクはすでにソファから立ち上がっていた。


「ああ、ドレイク大佐」

「何ですか?」

「……これから、私はどうしたらいい?」


 アルスターは一人掛けのソファに座ったまま、ドレイクではなくクッキー缶の入っている手提げ袋を見ていた。

 少し間を置いて、宥めるような優しい口調でドレイクが答える。


「ご自分ができることを続けられたらどうですか。俺もそうです。自分ができることしかできません」


 それはアルスターが求めていた模範回答だったのだろう。ドレイクを見上げた彼の顔には、ほっとしたような笑みが広がっていた。


「なるほど。もっともだ。とても参考になったよ。ありがとう」

「いえ、こんな回答しかできなくてすみません。それでは失礼いたします」


 ドレイクは最後まで愛想よく微笑むと、自動ドアの横に控えていたコノートに、では帰りも頼みますと声をかけた。


 * * *


「予想はしてましたけど……空気、重たかったですね……」


 コノートに見送られて移動車を発進させたイルホンは、今まで言いたくて言えなかったことをようやく口に出した。


「そうだね。十分でも押しつぶされそうになったね」


 とてもそうは見えなかったが、多少は緊張していたのか、ドレイクはマイボトルのコーヒーをがぶ飲みしていた。


「やっぱり、ダーナ大佐とパラディン大佐のこと、すごく気にしてましたね」

「そりゃ気にするだろ。どっちも元護衛なのに、砲撃の自分ができなかったこと、見事に成しとげちゃったんだから」

「できなかったこと?」

「〝大佐〟がいなくなった砲撃隊の再生」

「ああ……なるほど」

「正直、ダーナはズルしてるが、そのズルのおかげでパラディン大佐は元ウェーバー大佐隊を生き返らせることができた。オールディスから聞けば聞くほどすごいよな、あの隊。出撃する十班は入れ替え制、パラディン大佐の片腕は元マクスウェル大佐隊の四班長で、その四班長は(ヒラ)だっていうんだから。そんな無茶苦茶な大佐隊、護衛艦隊史上初だろ」

「いや、うちも充分無茶苦茶ですけどね。でも、すごいですよね」

「四班長か……オールディスの話じゃ、うちの六班長と張るくらいの男前だそうだが、なぜか六班長もキメイスもそうとは言わないよな」

「でも、それが普通なんじゃないですか? 特にキメイスさんは四班長に見捨てられた恨みがあるそうですし」

「見捨てられたねえ……まあ、そのおかげで、フォルカスは助かったが」

「フォルカスさん?」

「あいつ、キメイスがいなかったら、あんなに早くうちに馴染めなかったぞ?」


 真顔でそう主張されて、〝闇の人事官〟イルホンは納得せざるを得なかった。

 何のかんの言いつつも、フォルカスが今でもいちばん親しくしているのはキメイスだ。見かけによらず性格は苛烈だが、終始一貫、フォルカスの保護者役に徹している。


「それにしても、フォルカスさんがあんなに美形だったなんて……俺、大佐に言われるまで、本当に気づきませんでした……」

「〝フォルカス・マジック〟だよ。それに惑わされなかったのが六班長だ」

「大佐も惑わされなかったじゃないですか……」

「まともな人間は惑わされるんだ」


 イルホンはしばらく考えてから、声をひそめて問い返した。


「六班長……ゲイではないんですよね? それならフォルカスさんとどうなりたいと思ってるんですか?」

「たぶん、六班長本人もわかってないんじゃない? とにかく今は、フォルカスとまともにおしゃべりしたい……」

「あんなに男前でまっとうな人が、どうしてそんな子供みたいな……」

「って、マクスウェル大佐隊内でも思われてたんだろうな、きっと。七班長がいまだにフォルカスに嫉妬してるのもわかる」

「でも、七班長はもう……」

「自分を捨てた男より、自分を好きな男を取ったんだよ」

「……あの偽転属願……本当の目的は、七班長から六班長を引き離すため……?」

「ああ、無意識にそれはあったかもな。あの男、人の心を直感的に読めるんだ。ただ、分析ができない。〝馬鹿〟だから」

「俺……やっぱり人を見る目がなかったです……」

「そんなことないよ。現に今、ダーナはいい仕事してるじゃない。愛の力で!」


 ドレイクはいい笑顔で否定してくれたが、イルホンは青空に向かって嘆いた。


「やっぱり、人を見る目がなかった……!」


 * * *


 コノートが執務室に戻ると、アルスターはまだ一人掛けのソファに座っていた。

 退室前とは違い、放心しているように見える。そう思ったとき、アルスターはいきなり口を開いた。


「私より若くても、あの男の話す言葉には重みがあるな」


 〝あの男〟が誰なのかは問うまでもない。

 しかし、素直にそうと認めるわけにもいかず、コノートは沈黙を守った。


「〝できることを続けろ〟か。そうだな。私にはもうそれしかない。できないことをできるとは、もう二度と言えない」


 ローテーブルの上には、ドレイクから渡された手提げ袋が手つかずのまま置かれていた。

 アルスターは菓子類を好まない。中身が本当にクッキーなら、アルスターが口にすることはないだろう。

 だが、それはドレイクの関知するところではない。気取らない手土産としてはクッキーは無難である。

 それよりも、コノートはあの泥水のようなコーヒーをドレイクに出さずに済んで安堵していた。

 あんなもの。部下を生かすのも殺すのも指揮官しだいだと言ってくれた男に飲ませられるものか。

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