08 生き別れの弟は尽くし系でした
今日の昼、いつものように〝中央棟〟の食堂から戸外に出ると、青空を見上げながらヴァラクが宣言した。
「俺、〝大佐〟になるから」
クロケルは我が耳を疑った。
なぜなら、ヴァラクは常日頃〝大佐〟にはなりたくないと言っていたからだ。いわく『〝大佐〟はミスったら〝栄転〟される。いくら給料よくても割り悪すぎ』。
確かにそのとおりなので、クロケルたちも納得していた。それなのに、なぜいきなり方針転換したのか。しかも、〝なりたい〟ではなく〝なる〟。能力的には充分〝大佐〟クラスだと思うが(あくまで能力的には)、なると言ってなれるものではないだろう。
「だから、今からドレイク大佐の執務室に行くぞ。あ、もうアポは取ってあるから、おまえは車の運転だ。移動時間は多めに見積もったが、早いに越したことはない。安全運転で突っ走れ」
だから、なぜドレイクの執務室に行かなければならないのか。いつのまにどうやってアポイントメントを取ったのか。すでに移動車の中にあった手土産――ヴァラクによるとチョコレートの詰め合わせ――はいつ誰がどこで買ったのか。まさか、ヴァラクが自分で?
突っこみどころが多すぎる上に急かされて、結局クロケルは何も問えないまま、安全運転で移動車を飛ばすことになったのだった。
他の大佐たちとは違い、ドレイクの執務室が軍港ではなく基地の中央部、総司令部にほど近い棟の中にあるというのは、すでにクロケルも知っていた。
おかげで他隊のクロケルたちも行きやすいが、セキュリティはザルすぎるのではないのかと他人事ながら心配になった。もっとも、中央部は衛兵が頻繁に巡回しているので、他隊の〝大佐棟〟ほど厳しくする必要はないのかもしれない。
その執務室でクロケルは初めてドレイクと会ったが、噂以上に〝大佐〟らしくない中年の男だった。
身体的にはかなり恵まれている。クロケルより多少低いが充分長身で(ただし猫背気味)、均整のとれた筋肉質な体をしていた。
しかし、軍服の上着は全開。黒い頭髪はボサボサで、顎には無精髭。左目の下にはナイフで切られたような古傷があったが、前髪が鬱陶しいほど長いため、わかりにくくなっていた。
外見だけなら昔のマクスウェル大佐隊にもいたゴロツキと大差ないが、愛想は驚くほどよかった。ダーナのような高圧的な雰囲気もまったくなく、正直、クロケルは好感を持った。
だが、いざ話をする段になると、ヴァラクはクロケルに手土産を持たせたまま、外に出て廊下で待っていろと命じた。
それまでヴァラクがクロケルにそのような命令をしたことはなかった。もちろん困惑したが、ヴァラクの命令は絶対である。普通は会ったらすぐに手土産を渡すんじゃないかと思いつつも、きっと自分が聞いてはまずい話をするのだろうと素直に執務室の外に出た。
クロケルが再び中に入れたのは、それから二十分くらい経った後だった。
そのときになって、ようやくヴァラクはドレイクに手土産を渡し、クロケルは二人が何を話したか、おぼろげながら察したのだった。
(班長……〝大佐〟になるために、ドレイク大佐に口利きを頼んだのか……!)
本当に、目的のためなら手段を選ばない男である。
十中八九、ヴァラクは自分を〝大佐〟にしてくれるよう司令官に言ってくれないかとドレイクに頼んだ。今の護衛艦隊では、それが最短で確実に〝大佐〟になれる手段だからだ。
そして、どんな駆け引きがあったのかはわからないが、ドレイクが承諾してくれたので、持参した手土産を渡した。自分の頼みを聞いてくれない人間には飴玉一つもやりたくない。ヴァラクとはそういう男だった。
(でも、ドレイク大佐にはずいぶん気に入られたみたいだな……〝年の離れた生き別れの弟〟……)
以前からヴァラクとドレイクは性向が似ていると思っていたが、ドレイクが自らそう言うくらいだから、クロケルの気のせいではなかったのだろう。
これにはヴァラクも面食らっていたが、そのヴァラクがドレイクにタメ口をきき、フォルカスのことを言い出したときには、クロケルの心臓が凍りついた。
ドレイクはまったく気にしていなかったし、ヴァラクもまたドレイクがそんな〝大佐〟だから地を出したのだろうが、相手は司令官に露骨に贔屓されている男である。下手に口も挟めず、クロケルはひたすら動揺していた。
そして、近くの駐車場に停めてあった移動車に乗り、運転席に収まったと同時に、安堵の溜め息を吐き出したのだった。
「何だ、緊張したか?」
行きと同様、後部座席に座ったヴァラクが、携帯電話をいじりながら冷やかしてきた。
さすがに、携帯電話の電源は切っていたようだ。クロケルは廊下にいたこともあって、マナーモードのままにしていた。
班員たちには何も言わずに出てきたが、あれから何の連絡もないところをみると、班員の誰かが自分たちを盗み見していて、とりあえずクロケルが一緒なら問題ないと判断したのだろう。ヴァラクの所在把握と安全確保は、第七班班員の基本中の基本である。
「緊張どころか、気絶しそうになりましたよ。班長がドレイク大佐にあんな口きくから」
せめてもの意趣返しでそう答え、クロケルはすばやく移動車を発進させた。
基地の中央部は、統一感のない建築物が林立しており、まるでオフィス街のような様相を呈している。
その中心に建つ、一際高くて巨大なビルが総司令部で、クロケルはまだ一度も入ったことがない。
やはり、中央部は別世界だ。クロケルにはダーナのいる執務室以上に居心地が悪い。
逃げるように車を走らせ、中央部を出る。見慣れた平原が視界に入って、ようやくクロケルは心からほっとした。
「それにしても、何でまた急に〝大佐〟になりたいなんて思ったんですか?」
用件が済んだこともあり、今まで訊きたくても訊けなかった質問をヴァラクに投げかける。
「班長だったら、ドレイク大佐に頼まなくても、いつかは必ず〝大佐〟になれてたと思うんですけど」
「その〝いつか〟を待ってられねえからだよ」
苛立ったというより拗ねたような声でヴァラクは答えた。
「俺がなりたいのは〝今〟! 〝今〟しかなりたくない!」
「はあ……」
ほとんど回答になっていない。今すぐ〝大佐〟になりたい理由は、クロケルには教えたくないようだ。
しかし、そんなことは今に始まった話ではない。わざわざダーナがいるときに執務室に昼寝をしにいく理由も、いまだに訊き出せていないのだから。
クロケルは嘆息すると、それ以上の質問を諦めて、運転に集中しようとした。
と、それを邪魔するように、ヴァラクの携帯電話が鳴り出す。
びくっとクロケルは大きな肩をすくめたが、ヴァラクは驚かなかった。
それどころか、感心したようにこう言ったのである。
「いやー……やっぱ、ドレイク大佐はすげえや。殿下は別枠として、あの人だけは敵に回しちゃいけねえな」
「え……その電話、ドレイク大佐からですか?」
「いや。うちの〝馬鹿大佐〟」
「え」
まったく予想もしていなかった名前を聞いて、クロケルの思考は一瞬停止した。
〝馬鹿大佐〟ことダーナがヴァラクの携帯電話にかけてきたこと自体、驚きだが――クロケルの知るかぎり、おそらく今まで一度もない――それでなぜドレイクはすごいという結論に至ったのか、さっぱりわからなかった。
「わけがわからねえって顔してるな?」
バックミラーの中で、ヴァラクが面白そうに笑っている。
携帯電話は鳴りつづけているが、出なくていいのだろうか。
「そのとおりですよ。本当にわけがわからないですよ。なんでダーナ大佐が電話かけてきて、ドレイク大佐がすごいってことになってしまうんですか?」
「そりゃおまえ、ドレイク大佐が殿下にメールしてくれて、俺を〝大佐〟にしてくれたからだろうが」
当たり前のようにそう言われて、クロケルはつい振り返りそうになった。
「え……だって、ドレイク大佐の執務室出てから、まだ三十分くらいしか経ってませんよ? いくら何でも早すぎでしょ?」
「だから、ドレイク大佐はすげえって言ってんじゃねえか。でもって、〝馬鹿大佐〟は殿下の通達見て驚いて、いま俺に電話かけてきてる。殿下のことだから、〝元マクスウェル大佐隊〟はそのまま俺の隊として、ダーナ大佐隊から独立させちまったんじゃねえかな。それがいちばん面倒がない」
「それは……ダーナ大佐も驚いて電話かけますね。ところで、そろそろ出てあげてもいいんじゃないですか?」
「これだけ出なかったら、普通はいったん切ってかけ直すけどな。さすが〝馬鹿大佐〟。普通じゃねえな」
いや、班長ほどではないですよ、という本音は言わないでおいた。
携帯電話はしつこく鳴りつづけている。ダーナは驚いているというより、怒っているのではなかろうか。ヴァラクには〝馬鹿大佐〟と言われているが、あの大佐ならヴァラクがドレイクを利用して――無論、ドレイクもただでは利用されていないだろうが――〝大佐〟になったことも見抜いていそうである。
そして、ヴァラクもダーナが電話をかけてくることは予想していたのではないだろうか。彼は胸ポケットから取り出した携帯電話を、今までずっと手に持っていた。
「もしかしたら、今、うちの軍港に向かってるかもしれねえな……」
不穏なことを呟いてから、ヴァラクはようやく携帯電話の通話ボタンを押して出た。
「はい、大変お待たせしました、ヴァラクです。今、ちょうど別の電話に出ておりまして。大佐殿が自分の携帯に直接かけてくるなんて珍しいですね。何かありましたか?」
愛想よく、息するように嘘をつく。
いつものことながら、クロケルは呆れてそれを聞いていたが、やがて電話を切ったヴァラクに、ついでに大佐同士の直接交流も解禁になったそうだぞと笑いながら言われ、反射的にアクセルを踏みこんでしまった。
* * *
今日も今日とて、パラディンの執務室――ウェーバーの元執務室だが、突貫で模様替えをしたので、室内の印象は以前とさほど変わらない――に呼び出されたエリゴールは、ヴァラクが〝大佐〟に昇進したとパラディンから聞かされても、驚いた様子は見せなかった。
「おや。驚かないね。私はかなり驚いたんだが……またコールタン大佐から電話があったのかい?」
またしてもソファへの移動をエリゴールに拒否されたパラディンは、執務机に座ったまま、自分の正面に立っている彼に満面の笑みを向けた。――まだ根に持っているらしい。ちなみにあれ以来、コールタンにメールは一通も送信していない。
「いえ、今回はありませんでした。ですが、アルスター大佐殿が〝栄転〟にならなかったのなら、その可能性もあるだろうとは思っていました」
あくまでも淡々とエリゴールは答える。
エリゴール以外の人間だったら、見栄を張っているのではないかと疑うが、パラディンはもちろん、モルトヴァンも本当にそうなのだろうと思っている。
同僚にも〝悪魔〟と恐れられたこの男は、人を騙すのは得意でも、自分を偽るのは案外苦手なのだ。
「なるほど。減らす前に増やしたか。ただ、それと同時に、大佐同士の直接交流を解禁した、真の理由は何なのかねえ」
これは予想していなかったのか、エリゴールは暗緑色の目を見張った。
「解禁されたんですか? どんな理由で?」
「うーん。殿下のメールには、普段から大佐同士の連携を強化して、先日のような異例の攻撃方法をとられても柔軟に対応できるようにするため、なーんてあったがねえ。こう言ってしまっては何だが、殿下らしくない理由だろう?」
「確かにそうですね」
エリゴールは真顔で同意した。
この主従は、対司令官に関するかぎり、かなり気が合っているようである。
「だからたぶん、直接交流解禁のほうは、ドレイク大佐が殿下に入れ知恵……いや、進言したんじゃないかと思うんだよね。もしかしたら、ヴァラク中佐のほうも」
「……目的は?」
「決まっているだろう? アルスター大佐を〝栄転〟にするためだよ」
パラディンはにこりと笑うと、まだ机上にあるエリゴールたちの転属願を誇らしげに叩いた。
「君たちの転属がありえない速度で完了したのも、その一環じゃないかな。そして、私は次の出撃で、それに見合うだけの成果を上げなければならない」
「それはアルスター大佐殿も同じだと思いますが」
冷ややかにエリゴールは否定する。
「むしろ、アルスター大佐殿のほうが立場的に苦しいでしょう。……この艦隊で、あの大佐殿と連携したいと考える〝大佐〟はもう一人もいません」
――もうそこまで言い切ってしまうのか。
軽く驚きながらも、元ウェーバー大佐隊関連の事務仕事に忙殺されているモルトヴァンは目を伏せる。
アルスターには、こうして忠言してくれる部下も一人もいなかったのだろうか、と。