取り返す事が不可能だった中学の卒業アルバム
このお話は、1988年~1990年(昭和63年~平成2年)の時の事になります。
自分が高校2年生だった頃から、2年先までのお話になります。
その時の軽率な行動が、後になって悔やむ事になったのです。
大分昔の話になりますが、友達の間でよくある貸し借りについての一幕です。
高校2年の時に同じクラスだった、ある同級生に頼まれ事をされました。(その人を脩蔵君とします)
脩蔵君は甘いマスクもあって、同世代の女子からかなりモテていました。
頼まれ事というのは、自分の中学校時代の卒業アルバムを持って来て欲しいという事でした。
その理由は、アルバムの中に脩蔵君が現在付き合っている彼女の写真が載っているからでした。
彼女は女子高に行っていて、背が低くてショートヘアーの方でした。
自分は彼女とは同じクラスになった事はなかったので、写真を見てもピンときませんでした。
アルバムを持って来て欲しいと何度も頼まれたので、翌日の休み時間に見せると、今度は貸して欲しいと言ってきました。
1週間だけという約束でアルバム貸すと、脩蔵君は今までに見せた事がない笑顔で喜んでいました。
それで、翌週に返却を求めると、
「今はどうしても返せないんだ、あと2~3カ月以内には返すから!」
と、言われました。
「まあ、高校生活も1年以上あるし、必ず返ってくるだろう」
と、思って了承したものの、2ヵ月が経過して返却を求めても、何だかんだ理由をつけて一向に返ってこないのです…。
それから、遂に高校3年生になってしまいました。
「このまま返って来ないとマズい…」
と思い、脩蔵君を見かける度に何度も何度も、
「早く中学の卒業アルバム返して!」
と、言いましたが、その度に脩蔵君はヘラヘラと笑いながら逃げ回る始末でした。
時には脩蔵君がいるの教室の前で、待っていた事もありましたが、何を言っても結局は、
「今忙しいんだ、今度にして!」
と、言われ、邪険に突っ放されたのです。
いつからか、しつこく言い掛かりを付けてくる奴という事で、脩蔵君のクラスメイトからもマークされるようになったので、彼のいる教室にもそうそう近付けなくなりました。
この時点で、卒業まであと3ヶ月でした。
「このままでは卒業してしまう!何とかしなくては!」
と、思ったので、今度は下校時刻に友達2人に協力してもらい、校門の近くで脩蔵君を待ち伏せをしました。
友達の1人は正門側に、もう1人は通用門側で見張っていてもらいました。
いつも脩蔵君は正門側から帰るので、自分は正門側に待ち伏せをしていまいた。
正門側に一緒にいた友達は、大柄で強面の人だったので、下級生達はおろか同級生達にも恐れられていまいた。
大柄で強面の友達は、1年の時に最初に座った席の近くにいた人だったので、それからは仲が良かったのです。
彼とは、高校2年の時は違うクラスだったものの、3年の時にまた一緒になりました。
それで、彼に相談しました。
「隣のクラスの脩蔵君が、いつまでも逃げ回って卒業アルバムを返してくれないんだけど、どうすればいいかな?」
と、尋ねたところ、
「おいおい、そんなの待ち伏せして家までついて行けばいいだろ!俺も行ってやるよ!」
と、言ってくれました。
因みに、通用門側を見張ってくれた友達も、高校1年の時に自分と席が近かった人でした。
その人は、大柄で強面の友達と住所が近いので、よくつるんでいました。
待ち伏せして20分位だったか、校舎から出て来る脩蔵君を見付けました。
そして、正門の方に向かって歩いて来ました。
すると、正門側にいた大柄で強面の友達が、通用門側にいた友達に合図を送りました。
それを見て、通用門側にいた友達は、急いでこっちの方に走って来ました。
正門の裏側に隠れていた自分が、正門から脩蔵君が出た瞬間に、
「早く卒業アルバム返してよ!」
と、言って、再度返却を求めると、目を見開いて狼狽しました。
そして、例によってまた逃げようとしました。
そこで正門側で一緒に待ち伏せていた大柄で強面の友達が、
「おっと、今日は逃がさねえぜ!」
と、言って、脩蔵君の右腕を掴みました。
「何なんだよお前らは!」
と、言われたものの、
「おいおい、お前、人の卒業アルバムいつまでパクってるんだよ!」
と、ドスを効かせて言うと、通用門側にいた友達に脩蔵君のバッグを調べさせました。
しかし、アルバムはありませんでした。
「あのな!お前は彼女の卒業アルバムを見れば事足りるだろ、返さないならこれからお前の家まで行くからな!」
と、言うと、脩蔵君の顔面が蒼白になったものの、頑なに家に行くのを拒絶したのです。
「じゃあてめえはいつ返すんだよ!明日か?明後日か?」
そこで、脩蔵君は渋々答えました。
「卒業式の日に返すよ…」
「本当だな!その日は俺らもいるからな!」
「で、卒業式の後にどこで待ち合わせるんだよ」
「正門近くにある事務局の前に行くよ」
「分かった、アルバム持って必ず来いよ!」
と、言うと、大柄で強面の友達は、やっと脩蔵君の右腕を放しました。
「やれやれ、友達の協力でやっと話が出来た…」
あれだけ言えば、まず返ってくるだろうと思っていました。
しかし、卒業式の日を逃すと、もう2度と卒後アルバムは戻って来ないので、何としても返してもらおうと思っていました。
卒業式の日は、朝から卒業をする事よりも、アルバムを返してもらう事に意識が向いていました。
そのせいか、卒業式が異様に長く感じました。
卒業式が終わって、クラスメイトは最後の時間を写真を撮ったり、しみじみと過ごしていましたが、自分はいち早く事務局の前を目指して走って行きました。
しかし、脩蔵君を探すもどこにもいないのです!
その後も、けっこう粘って待ちましたが、一向に脩蔵君が校舎から出てくる気配が無いのです。
途中、友達2人と事務局の前で合流しましたが、こんな節目の時に長々と待ってもらう訳にはいきませんでした。
仕方がないので、友達2人に事務局の前で待っていてもらって、脩蔵君のクラスに走って行きました。
教室の中に入ると、何人かの生徒が残っていたので、脩蔵君がどこにいるのか聞いてみました。
脩蔵君の席の近くにいた生徒によると、卒業式が終わって先生のお話が終わると、猛ダッシュで帰ったと言っていました。
「しまった!逃げられた…」
気落ちしながら、再び事務局の前まで走っていき、友達2人と合流しました。
そして、脩蔵君に逃げられた事を言うと、
「もう、あいつはダメだな!」
「相手が悪かったと思って諦めた方がいいよ」
と、言ってくれましたが、全く気持ちが晴れませんでした。
その後、数駅移動してから、友達2人とボーリングをすると、その時だけは気持ちが楽になりました。
しかし、卒業式の日にアルバムが返却されなかった事については、このままで済ます気は毛頭ありませんでした
中学の卒業アルバムの、一番後ろのページの余白には、クラスメイト全員からの寄書きが書いてあったので、掠め取られたままなのは到底納得出来ませんでした。
一旦は諦めようかと思いましたが、そう思えば思うほど寄せ書きが見たくて堪らなくなったので、後日脩蔵君の自宅に電話することにしました。
翌日に、勇気を出して脩蔵君の自宅に電話をすると、脩蔵君の母親が出ました。
「脩蔵君いますか?」
「今、いません…」
「分かりました、また掛けます」
それから、このやり取りが何日かおきに繰り返されましたが、何度かけても脩蔵君は電話に出ませんでした。
何度目かの電話で、脩蔵君がわざと居留守を使っている事が分かりました。
母親に、脩蔵君が自宅にいるかどうか尋ねた時に、一旦間があいてから、
「あのー、どこかに出掛けちゃったみたいで居ません」
と、言われましたが、電話口に脩蔵君の声が入っていたのです。
「ふーん、徹底的に無視する気だな…、よし、それならば手段を変えるか!」
次の電話では脩蔵君を呼び出さずに、母親に事情を話してみる事にしました。
数日後に電話をした時に、また脩蔵君が不在だと言われましたが、今度は母親に用件がある事を伝えました。
そして、自己紹介をするとともに、自分の中学時代の卒業アルバムを脩蔵君に長々と貸している事を伝えました。
何度も返却を求めたところ、卒業式の日に返すと言われたのに、約束の場所に来なかった事を伝えました。
「あの、アルバムには中学3年のクラスメイト全員の寄書きがあって、思い出深い物なので、お手数をおかけしますが何とか探して頂けないでしょうか」
「多少汚れてしまっていても、彼女の写真が切り取られていても構いません」
「着払いでいいので、返してもらえませんでしょうか」
と、必死にお願いしたところ、母親はこう言いました。
「見つかるかどうか分かりませんが、出来る限り探してみます」
そこで、やっと返却への糸口が掴めたような気がしました。
「ただ、脩蔵の部屋に勝手に入ると怒られるから、3日待ってもらえますか?」
とも言われました。
それには、二つ返事で引き受けました。
そして、4日後に再び脩蔵君の自宅に電話をすると、いつものように母親が出ました
ただ、思いもよらない返答だったのです。
暫く沈黙があった後に、ゆっくりとした口調でこう言われたのです。
「あれから私は、脩蔵のいない時にずっとアルバムを探していたんですよ」
「ただね、どうしても見付からないから、息子にアルバムのある場所を聞いたのよ」
「そうしたら、当時付き合っていた彼女とはすぐに別れたので、アルバムを見るとむしゃくしゃするから捨てたって言ってたのよ…」
「えっ、そ、そんなぁ…」
それを聞いてガックリとしました。
「ごめんなさいね、ごめんなさいね…」
と、何度も母親から謝罪されたものの、放心状態でした。
その時自分は、中学時代の大切な思い出が奪われたようで、堪え切れずに涙が込み上げてきました。
最後まで、電話口で脩蔵君と話す事はありませんでしたが、声を振り絞って、
「分かりました」
「アルバムは諦めます…」
「何度も電話してすいませんでした」
と、言って、脩蔵君の自宅への最後の電話を切りました。
「アルバムは、高校の卒業式の時に諦めていれば良かったのかな?」
と、思いましたが、まさか捨てられていたとは…。
それで、返却を先延ばしにしたり逃げ回っていたのか…。
それにしても、いくら彼女と別れたとしても、友達から借りた卒業アルバムを普通捨てるか?
深追いせずに、知らない方が幸せだったかもしれません。
やはり、大切な物は貸さないに限りますね。
あの時、自分が脩蔵君から何を言われても、
「ごめん…、自分だけの思い出だけじゃないから」
そう言って断れば、こんな事にはならなかったのに…。
それと、自分の過去を安易に晒す事が恥ずかしいからでもありますが、アルバムとは同級生達の“肖像”という名の貴重なプライバシーも同時に詰め込まれている物ですから。
ないとは思いたいですが、自宅に捨てたんじゃなくて、まさか駅のトイレとかに置き去りにしたんじゃないだろうな…と、思うと身悶えしてしまいます。
自分の古い友人には、趣味で集めていた大切なコミック全巻を貸して、売り払われてしまった…、なんて辛い裏切りをされた事がありました。
友人同士で金品の貸し借りをして、痛い思いをするのはよくある話です。
特に、大人としての分別が乏しい頃には、あちこちで耳にしました。
ただ、友人から何かを借りるという事は、自分自身の大切な“信用”が絶対の担保となる筈です。
それを失うという事は、人として愚かであり実に哀れな事だと思います。
自分は相手を大切な友達と思ってはいても、相手は自分の事をそれほど大切な友達とは思っていなかったのでしょう。
若気の至りというのはありますが、卒業アルバムを捨てられたのはあまりにも理不尽でした。
怒りを通り越して、失意にうちのめされました。
多分、脩蔵君にとってそのアルバムは、彼女が写っていた事に対してだけ価値のあるアルバムだったのでしょうが、元カノになった瞬間に憎しみの感情が沸き上がったのでしょう。
在学中に脩蔵君が逃げ回っていた事を考えると、かなり早い段階で卒業アルバムが捨てられた可能性が高いでしょう。
もしかすると、最初の1週間以内だったのかも知れません。
まあ、それはないにしても、2ヵ月以内が妥当な線だったのかな?ってところではないでしょうか。
以上で今回のお話は終わりになります。
ご拝読頂きまして誠にありがとうございます。