役に立たない piece of courage
登場人物
茅野…患者の一人。
ドクトル…精神病院の医院長。
看護師…精神病院の看護婦。
メイ…患者の一人。
軍曹…患者の一人。
委員長…患者の一人。
カグヤ…軍曹の子供。
ゲド…軍曹の子供。
青鳥…病院に避難してきた者。
花札…カーニバル(サーカス団)のリーダー。
カス…サーカス団の一人。
ヒカリ
場所
埼玉県日高市巾着田の北部に位置する高台にある架空の精神病院(洪水や地震のときに避難所になる)
一場『心の闘争病の蔓延』
病院の中、一階のコミュニティースペース
患者三人とカグヤ、ゲド
背後には運動会で使われるような大きな旗がある
模様はピンクとレモンの蛍光色(又は黒と白)を重ねた市松模様
看護師が現れる
看護師「軍曹さん!軍曹さん!退院についてちょっとお話が」
軍曹「はいはい。カグヤ。代わりに行っててくれるか?」
カグヤ「お父さん、自分で行かなきゃ」
ゲド「いいよいいよ、俺がやっとく」
軍曹「そうか、じゃあゲドがいくから」
看護師「分かりました。ではゲドさん、こちらへ」
看護師、ゲドを連れて別の部屋に
委員⾧「軍曹君。君はあと一か月で退院だそうだな。なあ、はなむけ代わりに本名を教えてくれよ」
軍曹「俺の名前は俺の形をそのまま表しているのさ、委員⾧。俺は軍曹で君は委員⾧。ここならそれで十分だ。委員⾧の方が不思議だ。君は委員⾧か?はなむけ代わりに教えてくれよ」
メイ「あたしは特になかったからなあ。自分の名前で、そのまま『メイ』でここにきたね」
軍曹「入所したときからお前は変わらんな、メイ」
カグヤ「入所のころの話もいいけど、お父さんは出ていくんだから」
メイ「あとひと月っていうと、軍曹は、カーニバルは見るの?」
カグヤ「確か、カーニバルが開催されるのは四月十日だから、観ていくんじゃないの?」
軍曹「もちろんそのつもりだ。それこそ俺への餞別だな。」
委員⾧「カーニバルなんて、ほんのひと時の熱気じゃないか。熱が冷めて冷たくなってもチューリップ一つ咲きやしない」
軍曹「チューリップがなくとも蝶はやってくるさ。泡沫の夢のような時間かもしれないが」
委員⾧「胡蝶の夢ともいえるかな。藪にらみなら世界はもっと変わって見える」
ドクトル登場(手にはバインダー)
ドクトル「ならば一度目ん玉を取り出して洗えばいい」
メイ「冗談じゃないよ、ドクトル。医者の言うことじゃないよ」
ドクトル「目玉の話をしていたのならちょうどいい。今日からの新入りも目の病気だ」
ドクトルの手招きで茅野登場
茅野「茅野、といいます」
軍曹「俺は軍曹だ。そろそろ退院するから短い間になるがよろしく。こっちは俺の娘だ」
カグヤ「カグヤです。今は席を外していますが、ゲドという弟がいます」
メイ「ああ、あたしはメイです。覚えやすいでしょ?」
茅野「よろしくです」
メイ「この服、制服?」
茅野「えっ、あ、はい」
メイ「じゃあ、この髪の毛は流行り?」
茅野「えっ、いや、別に……」
メイ「ストラップは?」
茅野「それは、最近流行っていて……」
メイ「ふぅん。じゃあみんなつけてるんだ」
委員⾧「メイ、買いに行くのは後にしておけよ。俺は委員⾧だ。まずは茅野、お前の病気だな」
医者「よくぞ聞いたぞ、委員⾧。茅野は手を叩くと世の中のすべてがスローモーションに見えるんだ。その間、私たちは茅野のみ、いなくなったように感じ、行動も言動も至って普通に過ごしているように思いこむらしい」
カグヤ「じゃあ、茅野さんはやりたい放題?」
茅野「いや、俺も誰かに無理やり何かをさせることはできないみたいで」
委員⾧「とりあえずやって見せてくれないか?」
茅野「わかりました」
茅野、手を叩く
途端に、茅野以外の五人の動きが鈍くなる
茅野「やっぱりそうだ。俺だけが取り残されている。どっちがおかしいんだ?世の中か?それとも俺か?…… 世の中の関節は外れてしまった!俺は何一つ変わっていない。こうして見えている世界の方が間違っているんだ」
茅野が再び手を叩くと、皆の行動が元に戻る
医者「最近この手の現象が多いと聞くんだ。病気なのかすらわからない……」
茅野「あの!…… 今、スローモーションになってたんですけど……」
メイはまねをしてみるが何度たたいてもスローモーションにはならない
委員⾧「本当か?」
カグヤ「ネズミみたいな……」
軍曹「スローモーションに見えることが?」
カグヤ「小動物は人間の動きがゆっくりに見えると聞いたことがありますよ」
医者「どんくさいみたいな言い方だな」
軍曹「ネズミなんてそんなもんだろう。束になって列になってずるずる歩いていくネズミたちは、自分が何でネズミなのかとか考えることもない」
メイ「猫と『仲良くけんか』する暇もないね」
軍曹「お騒がせなネズミなら早いうちに駆除しとかないとな」
委員⾧「大山鳴動して鼠一匹。ネズミ一匹でも大山を鳴動させる力があるのだ。それを駆除!駆除だと!?」 カグヤ「委員⾧さんは小動物を労わるんですか」
医者「現に駆除されたんだよ。何十年も前に」
軍曹「猫とネズミなら仲良く喧嘩できるかもしれないが、牛相手では太刀打ちできんだろう。なあ、委員⾧」
カグヤ「お父さん、あおらないで」
委員⾧「軍曹にはわからんのさ。お前の方が欲張りで早死にだからな。今は牛に勝てずとも干支の話を思い出せ。最後にネズミが先を越すじゃないか」
軍曹「そんな夢物語を信じてるやつぁ、それこそ病院行きだろうな」
委員⾧「ふん。軍曹なんざにわかるわけがない」
委員⾧二階の自室へ
茅野「メイさん。なんか、喧嘩みたいになっちゃったけど、大丈夫ですか?」
メイ「まあ、いつも通りというか。とりあえず、大丈夫だよ」
医者「この病院の連中は何かにつけてぶつかり合うんだ。自分が正義と思い込み、相手をすっかりコケにする。相手も相手でその喧嘩を買っちまうからっちまうから終わらない」
軍曹「ドクトルがそういう風にならんように喧嘩を買わなければいいだろう」
医者「別に私が君らに介入することは……」
メイ「売り言葉に買い言葉…… 売ったり買ったり…… あ!」
医者「どうした、メイ」
メイ「茅野の!その、ストラップ!勝ってない!」
茅野「そういえばそんなことを言っていたような……」
メイ「ごめん。これ、借りてくよ!」
ストラップをもぎ取ってメイは購買へ
軍曹「メイのあれは治らないようだな」
医者「メイ本人に治す気がないからな。軍曹だって同じだろう?」
カグヤ「だったらどうして父は退院できるんですか?」
医者「その方がいい時もあるんだよ、カグヤさん」
茅野「あのー。退院できることはいいことじゃないんですか?」
カグヤ「いやいや、まだまだここに入れておきたいんですけどね。茅野さんも完治してから退院した方がいいですよ」
医者「茅野のことなら、手を叩かなければそれで済む。『幸せなら手をたたこう』ができないくらいだろ」
茅野「ではこの病気が治るまで俺は幸せじゃないということですか」
ヒカリがコミュニティースペースから庭に続く窓を透過して入ってくる
医者らは気が付かない、いや見えていない
あたりを見まわすヒカリに茅野だけが驚く
医者「まあ、そう卑屈になるな、茅野。とりあえずこのアンケートに答えてくれ」
バインダーを茅野に手渡す
軍曹「茅野は入院するのは初めてかい?」
茅野「えっ?あ、はい……」
ヒカリ「生まれてこの方、ただの一度も退院したことはないはずだぜ」
カグヤ「精神病院ともなれば、一癖もふた癖もある人ばっかで」
ヒカリ「ごもっともだな、みんな揃って顔面蒼白、魚の目。こいつぁ重症だ。医者ですら自分が患者と気づいてない」
医者「それと定期的にテストがある。一種の経過観察みたいなもんだ。一応、学力を測る意味も……」
茅野「えっと、誰ですか、この人?」
カグヤ「え?誰のこと?」
茅野「この人」
医者「…………幻覚が見えているようだな」
茅野「え、いや、見えているでしょう!」
軍曹「やっぱり目がおかしくなったんじゃないのか?」
カグヤ「スローに見えるのは目の錯覚?みたいなことだったってこと?」
茅野「いやいやいや、変なおっさんが!今、前を通ったでしょう!」
軍曹「茅野、まずは落ち着け」
医者「検査の準備をしよう。軍曹、とりあえずここは下がってくれ。茅野が落ち着くまではそっとしてやるんだ。カグヤさん、よろしく頼む」
軍曹は心配そうにうなづいて部屋に戻る
カグヤも続く
ドクトルはそれを見て駆け足で診察室へ
ヒカリ「なあ、茅野さんよ、あんたこのまま病院に入るつもりかい?」
茅野「そりゃあ、まあ……」
ヒカリ「おお、よしたほうがいいぜ。医者も匙を投げただろう。なあ茅野さんよ、そいつぁお前を世界から切り離す魔法の力なのさ」
茅野「この病気の名前ならすでに幻聴と幻覚という名前がついている。そうだ、こいつには病気っていうレッテルが貼られているんだ。だけど、お前はどうやら幻じゃないみたいだな」
ヒカリ「あんたに見えてる景色が幻じゃねえとよく信じられるな。ほかのやつらにゃ見えなかったんだけど。褒美代わりに教えてやろう、俺の名前はヒカリだ」
茅野「じゃあ、ヒカリ。お前の存在は幻じゃないみたいだけど、言ってることは幻みたいなもんだな」
茅野、ドクトルの向かった方に行く
ヒカリ「なんでぇ、俺の言うことは信じねえってのかい。そいつぁ損だぜ、茅野さん。それでも入院するんなら止めないけどな。でも茅野、病んでいるのはお前じゃない。これから過ごすこの病院、自由な奴はおらんさね」
二場『一つの凱旋十二の道』
二〇二〇年三月二十二日
茅野コミュニティースペースの席に着く
メイが頭を掻きながら登場
メイ「お、茅野!おっす」
茅野「メイ」
メイ「どう?精神病院は。さすがに一週間以上経ったし、もう慣れたでしょ?」
茅野「テストがあるのがめんどくさいな。たしか、今日だっけ」
メイ「でしょ。学校行ってるのと変わんないよね」
茅野「あと、メイのモノマネっぷりにも慣れてきたかな」
メイ「それはしょうがないよ。あたしがここにいる理由はそれだから」
茅野「自分で分かっているの」
メイ「まあね。治す気もないよ。こうしないと生きていけない。そういう環境にいるから」
茅野「この病院のこと?」
メイ「カッコウの巣の上みたいなもんだよ。もがこうとしたらカッコウにつつかれる。『鉛筆、消しゴム、髪型、トイレ、みんなと一緒のものにする学校学校、学校学校学校』」
茅野「お揃いにしたら違和感を覚えないってことね」
遠くで話を聞いていた委員⾧が割り込む
委員⾧「羊飼いはおらず、畜群が一つ。違和感を覚えたものはすすんで精神病院に入る」
メイ「その言い草じゃ、あたしはさっさと退院しないとね」
茅野「さっき出ていくつもりはない、みたいなことを……」
委員⾧「違和感を覚えないんだろうな。そもそも違和感に気づいていないから病院に入っても治せないんだよ」
茅野「逆に言えば、軍曹は違和感を解消できたから退院できるってことですか?」
委員⾧「さあ、どうだろうな。すべてはドクトルの判断だから」
メイ「確かに、確かに。ドクトルって案外内緒にしがちだよねぇ」
茅野「ドクトルの方からも俺たちに教えてくれりゃあいいのに」
委員⾧「茅野もそう思うかい?」
茅野「どういうことですか?委員⾧」
委員⾧「後ろに掲げてあるのが何かわかるか?」
委員長は部屋に掲げてる市松模様の旗を指さす
茅野「いや、ずっと気になってましたけど。何ですか?あれ」
メイ「ドクトルに反抗するときの錦の御旗的な」
委員⾧「反抗するっていう言い方は言い過ぎだな。『自由は与えられるものではなくて、選択すべきものであり、」
メイ「しかもその選択は必ずしも容易なものではない。』」
委員⾧「いいか、茅野。俺達には選択の余地がある。ドクトルの治療方針は疑問だらけだ。だからこそ、ドクトル以外の人が必要なんだ。ドクトルにつくか、そうでないのにつくか。まあ、『愛しいしと』とでも言うべきか」
茅野「市松模様ってことは心中でもするんですか?」
委員⾧「てやんでぇ、ばぁろー。なんで江戸時代までさかのぼるんだい」
メイ「それがわからないから何も始まっていないんだよ。要は旗振り役がいないってこと」
軍曹登場
片手には新聞
茅野「あ、軍曹」
軍曹「テレビ、見たか? 」
メイ「いや? 軍曹じゃあ、これも見てないな?」
言いながら、机の上に新聞を広げる
軍曹「三月二十二日、今日の朝刊」
茅野「『新宿駅で乱射』」
メイ「『都心でテロ』?」
委員⾧「『犯人の足取りつかめず。』」
メイ「……待って待って。犯人捕まってないのとかおかしいでしょ。そう簡単に逃げられるところでもないしさあ」
茅野「うん、帰宅ラッシュの時間だし、監視カメラとかもあるでしょ。割とあっさりどこに行ったかとかわかるも んじゃないの?」
軍曹「そうかそうか、茅野はそう思うか」
茅野「どういうことですか?軍曹」
委員⾧「なるほど…… そうかそうか。まさに錦の御旗が上がった瞬間のようじゃないか。廃墟から立ち上る煙に愛しさを感じるように、新宿駅からたなびく煙にも、いや、この新聞によると桜が舞い散っていたようだが、そののろしにどうしてシンパシーを感じないでいられようか」
軍曹「全く委員⾧に同感だ。統率者さんが出てきたら、旗振り役になってほしい。国を大事に思うから、こんな大事のときだから、ぜひとも旗を振ってほしい。治安部隊は敵のせん滅へ!物資は最前線へ!子供は訓練を!隣人は協力を!」
茅野「なるほど、軍曹と委員⾧はそう思うのか」
茅野は新聞を読みながら、三人から離れていく
委員⾧「これは革命か反乱か。これまで一度も平らかにされたことない日本がやっと革命を生み出すか!のどをからした怒りの声がついにようやく実を結ぶか!全て共に闘おうじゃないか!」
メイ「一体なんなの、この事態は。全然知らなかった。全然気づけなかった。外の世界はどうなっているの?二人はどうして喜んでるの?この記事の何が面白いの?こんな新聞見ちゃったら不安でしょうがないでしょ。細菌みたいでウイルスみたい、正体不明のこれは何なの!?」
看護師登場
メイ「看護師さん!これどうなってんの!?」
看護師「落ち着いてください。新宿で起きたことですから、この病院には影響ありません。ドクトルも既にご存知です。皆様に事実は真実の敵である、注意せよと」
メイ「どういう意味?」
看護師「存じ上げません」
メイ「またそれ」
委員⾧「俺たちはその新聞に載っている勇気ある者どもを歓迎しているだけなんだ」
看護師「真の勇気とは臆病と無鉄砲の間にあるんですよ、委員⾧さん。皆さんは何か大きな敵がいると思っておいでです。しかし実際はワインの袋をつついているか、風車に剣をからめとられているかといったところです」
軍曹「我々はドン・キホーテの覆轍は踏まないよ、看護師さん」
看護師「さようでございますか」
看護師が新聞とリモコンを奪う
看護師「そしてこれもドクトルからの通達です。以後、事態が把握できるまで、新聞とテレビは禁止すると」
委員⾧「待て待て待て、それはないだろう!」
看護師「できません。これは『全員』への忠告でもあります。この新聞の内容は一切この病院には関係ないということです」
メイ「宇宙人の仕業とかって思えない?」
看護師「宇宙人がいるとして、こんなところまで来るでしょうか。きっと彼らの母星にも環境問題があるはずです。こんなとこまで来る船を作る人などいるでしょうか」
軍曹「メイのことは置いといて、この状況には納得できない。なんで教えてくれないんだ」
看護師「ですから、ドクトルの判断です」
軍曹「ドクトルのどんな判断だ?」
看護師「存じ上げておりません」
委員⾧「じゃあドクトルに聞いてこい」
軍曹「いや。それじゃ、伝わらんだろう」
委員⾧「じゃあドクトルを連れてこい」
看護師「お伝えしておきます」
委員⾧「絶対だぞ、耳に入れておいたでは足りないからな」
看護師「かしこまりまして」
メイ「なんか、期待できなさそうだねぇ」
軍曹「看護師はどう思うんだ」
看護師「…………」
委員⾧「だめだよ軍曹、看護師さんにゃ心がないから」
看護師「決められた仕事をこなしているだけですが。そしてこれも仕事の一環としての連絡ですが、今日はこれからテストですので、机の配置を変えておいてください」
看護師退場
三人は文句を言いつつも机を動かし、横一列に
軍曹「旗を上げる日は近そうだなぁ」
メイ「確かに、確かに。さすがにこんな一大事を隠すなんて、ドクトルどうかしてるよ」
委員⾧「問題は旗振り役がだれか。案外近くにいるかもな」
軍曹「コンビニみたいだな」
メイ「コンビニって……旗振り役は神様みたいなもんでしょ?それをコンビニと同列にしちゃったら……」軍曹「昔の人にとって神様なんてありふれた存在だったろ。コンビニみたいなもんさ」
委員⾧「コンビニだって、多すぎれば邪魔になる」
三場『試験の反乱 私見の氾濫』
筆箱をもった茅野が登場
軍曹「おお、茅野。気が利くなぁ」
茅野「そこで看護師さんに渡されたから。そろそろドクトルも来るそうです」
間髪入れずにドクトルがプリントを持ってくる
右から順に、軍曹、メイ、茅野、委員⾧と席に着く
ドクトル「さて、定期テストの時間だ。終わったやつから提出してくれ」
各々、テストに取り掛かる
ドクトル「まずは一問目。『安土城を建築した人物は誰だ?』」
委員⾧「安土城!城を作るのは誰なのか。『大工たち』大工たちこそ建築者。彼らがふんどし一丁で精いっぱいに鑿をふるい、杭を打ち、身を削り、汗水たらして作り上げた結晶こそ、あの権力の象徴なのだ!織田信⾧?ふん!そやつがどんな努力をした!やつは天守閣に座っているだけ。城の土台は勝手に組み立っていき、やつは勝手に上にあがっているのだ!汗と涙と血を流した奴隷たちこそ、安土城を作り上げた勇者たちだ!」
軍曹「城を作るのは誰なのか。『織田信⾧』と『近江の者ども』だ。人を集め、物資を集め、金を集め、権力を集め……戦国武将たちの勇ましさ、それは専制君主たるところからくるのさ。六角形の天守閣、あれではっきりとわかるんだ。織田信⾧が権威なのだと。城下町のすべてが織田信⾧のために。そうだ、この団結した力こそが、安土城を作るために必要だったんだ!」
ドクトル「左端と右端は似ているようで似つかぬ答えを用意しているようだな。そもそも、テストというのはそういう答えは求めていない。君たちの心の中を打ち明けてもらうことが答えであるならば、国語の問題を解かせてみろ、どれもこれもが丸になってしまう。テストというのはただ唯一の回答を求めているのだ。模範解答と一致するように。感情に訴えるより、常識に一致するように。もしもそこから外れたならば、その生徒さんは落第だ」
メイ「あー!問題文⾧すぎだよ!こんなに⾧いの理解できるわけがないじゃん!」
ドクトル「メイのように百四十文字程度しか読めない読解力では無理だろう。黙ってさっさと解きなさい。さて、次は時事問題だ。百四十の文字とか手軽なやり取りしかしない人にはわからないが、普通の奴ならわ かる問題だ。『二〇一五年国連サミットで採択された、持続可能な開発のための、一七の目標のことをアルファベットで何というか』」
ヒカリが登場、バッジをつけている
ヒカリ「宇宙からこの星を見てみたら、この星は燃えているのかと思っちまう!そして同時にこの星は水に飲まれているのかとも思っちまう!」
医者「メイ、カンニングするなよ……茅野は分かるか」
メイ「えー、ヒントヒント!」
委員⾧「テストはゲームじゃないんだぞ?メイ、お前、学校のテストも負けた方が何かをおごるみたいなことしてたんだろう」
メイ「委員⾧、よくわかってるねぇ」
軍曹「それで大した点数でもないのに一喜一憂するからおめでたい奴らだよな。それだったら99点で悔しがる人間の方がよっぽど人間らしい」
医者「ぶつくさ言うのは勝手だが、さっさと問題を解けよ」
委員⾧「『持続可能な開発目標』ね…… 本気で言ってんのか?」
ヒカリ「もちろん、本気さ。生き延びるためにはこれしかもう手がないのさ」
メイ「あ!あのバッジか、ドーナツみたいな」
ヒカリ「穴があってのドーナッツ、穴を抜けるのが賢い生き方。こちら、十七色よりもはるかに価値のあるバッジでございます」
茅野が手を叩く
周りはスローモーションに
茅野「ヒカリ!うるさい!」
ヒカリ「茅野さんもつけるかい?」
茅野「つけない」
ヒカリ「こいつの名前は延命治療さ。こいつに従う人々はそれで十分救われる」
茅野「免罪符かよ」
ヒカリ「コインがチャリンと音を立てれば霊魂が天国へと飛び上がる。同じことだぜ?あれさえつけてれば、罪を逃れられる。この地球をぶっ壊すという罪からなぁ」
茅野「そうすることでしか自分を守れないんだから、しょうがない」
ヒカリ「ほう。もはやほかの手段でもあるってかい?」
茅野「それは、わからない。委員⾧と一緒だ。旗は持たなくてはならない。でも誰が持つのか、というか、この旗でいいのか、俺にはわからない」
ヒカリ「こいつぁ、面白いことになってきやがったなぁ。この『病院』に味方はいない。自分で探すしかないようだ。病気になったといわれてるその目を使って見つけ出せ」
茅野が手を叩く
医者「最後は英語の問題だ。『wantの意味を日本語で書け』」
ヒカリ「wantは『ほしい』、wantは『欠ける』。欠けているなら満たしておくれ。Wantを満たす器はいずこ」
ヒカリは歌いながら庭へ
茅野「終わりました」
軍・委「終わった!」
メイ「え!?……あー!できた!」
解答用紙を受け取ってドクトル退場
茅野「軍曹はこの結果がひどかったら入院期間延びるんですか?」
軍曹「そんなことはないと思うぞ」
メイ「だいたい、ろくな点数取ったことないし」
四場『餞の十万円露頭の人々』
ラジオ「三月二十八日、正午のニュースです。今日午前、東京都、代々木公園の周辺で火の玉の目撃情報が相次ぎました。消防によると、現場に到着したときにはすでに火は消し止められており、死傷者は確認されませんでした。現場には剣や刀のようなものも散乱しており、警察は新宿駅のテロとの関係も視野に入れて調査を進めています」
二〇二〇年三月二十八日
机の上にはラジオが置いてある
椅子に腰かけているドクトル
軍曹が登場
軍曹「またこれだ!マシンガンから火の玉だ」
ドクトル「軍曹、お前だな?ラジオを持ち込んだのは」
軍曹「ドクトルへの些細な反抗だよ」
ドクトル「看護師に言われなかったか?あちらのことは関係ないと」
軍曹「関係ないならなぜまたニュースになった?今度は火の玉だぞ?金と一緒だ。まん丸の完全無欠な形を描いている」
ドクトル「どうせお前らのやろうとしていることは『丸い三角を描く』ようなことだろ?不可能なことを妄想しているだけだ」
軍曹「彼らに加わるのさ。ガソリンを浴びて火だるまになったのかもしれない!そんな抵抗をした人もいたなぁ!火の玉事件たぁこのことさ!」
ゲドが登場
ゲド「父さん、まだそんなこと言ってんの?」
軍曹「そんなことといったか、ゲド。俺の息子らしからぬな。いいな、これはなんだ。勝手な甘えは許さんぞ!」
ドクトル「これぞまさに『自分以外の人の存在を考慮しなくなる』瞬間か」
ゲド「俺以上に甘やかされた子供ですから。この調子じゃ退院しても、自分以外の人を差別するかもしれない」
軍曹「そんなことはしないさ。今の時代、人間は奴隷ではない。俺たちの奴隷はエネルギー資源だろう。」
ゲド「その奴隷も反逆を起こすでしょ。台風、干ばつ、気候変動。クーデターよりよっぽど怖い」
軍曹「話の分からん奴だな、ゲド。火だるまになる覚悟がないのか!?」
ゲド「父さんが古いんだよ。油なんて時代遅れだし、炭にしてみりゃもっと古い。そんな生活は抜け出さないと、いつまでも病院を行ったり来たりだよ」
軍曹「俺も自由を描いている。そのために戦わなくてはならないんだ」
ドクトル「軍曹よ。血で血を洗う戦争を忘れているとは言わせんぞ。お前の望む戦争はその覆轍を踏むことだ」
ゲド「父さんが今感じ始めているのは自由の重さなんだ。その荷物を降ろしたがっている。どんなに重くても自分で持たなくちゃならないのに、それを人に預けちゃいけないよ」
軍曹「ゲド、外にいるからわからんのだ。外がどうなっているのか」
ゲド「父さんもわかっていない。中にいて外を見ようとしていない」
軍曹「なぜそんなにドクトルの肩を持つ!息子に見捨てられた親たぁこのことよ」
軍曹は唾を吐き、部屋に立ち去る
ゲド「本当に退院してもいいんですか?」
ドクトル「仕方がない。軍曹が外になじめたのではなく、外が軍曹になじんで来たんだ」
ゲド「父を受け入れようとしているってことですか?」
医者「まあ、そんなところだ」
ゲド「だったら、そう伝えてきます。多少は気も晴れるでしょう」
ドクトル「ゲドさんは外にいるから気づかないだろう。すでに毒されていることに」
ゲドが軍曹を追いかける
同時に茅野、それを追ったヒカリの声がする
茅野「火の玉?」
ヒカリ「前の事件がαならこれはβで、οまで起きる」
茅野「名前を付けても正体不明なことに変わりはない。目には見えない恐怖なら、ウイルスみたいに調べりゃいい」
二人の声が遠ざかるとともに看護師がドクトルの下へ
医者「委員⾧も来るだろう。今日の火の玉のことについては何も言わないように」
看護師「分かりました」
ドクトルはラジオをもって去る
入れ違うように委員⾧、メイが登場
メイ「看護師さん!またテロが起きたの!?」
看護師「前にも申し上げましたが、それはこちらには関係のないことでございます」
委員⾧「またドクトルにそう言えと言われたか。なぜ隠す必要がある?」
看護師「それは聞いておりません」
メイ「聞いておいてよ!」
看護師「それは私の仕事ではございませんで」
メイ「また仕事にそう言えと言われたか」
委員⾧「まるで脳みそから分離された手足だな」
メイ「ちゃんと心臓が動いているのに、時間を感じ取れない心の人がいる。看護師さんみたいにね」
看護師「むしろ私は時間に忠実ですが。労働時間が厳密に分けられているから、時給何円かわかるんです」
委員⾧「でもな、ちっとばかりいい暮らしをするために、命も魂も売りわたしちまったみたいだぜ」
メイ「っていうか、テロの方を教えてよ」
看護師「ですから、それはお教えできませんと」
委員⾧「火の玉が出たそうだな」
看護師「そのようですね」
メイ「お化けの?」
委員⾧「いや、きれいな球体らしい。中心に向かってあらゆるものが溶けていくようだ。外の世界でそんなことが起こるとは、嫌な話だ」
メイ「?」
看護師「ですので、追求はしないように、というのがドクトルのお達しです」
メイ「それ、ドクトルが言ったの?」
看護師「はい?」
メイ「テロのことは言うな、くらいしか言ってないんじゃないの?」
委員⾧「それはあるな。テロについて調べてはいけない、までは言ってないんじゃないか?」
看護師「そう、かもしれませんね」
委員⾧「いいのか?ドクトルの指示から反れているのかもしれんぞ?」
看護師「…………私のミスでしょうか」
メイ「重大なミスだったらどうする?」
委員⾧「最悪、クビかもな」
看護師「私は、どうすれば…………」
メイ「ドクトルのところへ行ってごらん!」
看護師は取り乱しながらドクトルを探しに行く
委員⾧「そうだ、俺たちもドクトルに聞きに行こう」
二人も看護師を追う
五場『錦の扇我等の勝利』
二〇二〇年四月十日
軽快な音楽、笛やブブゼラの音
花札とカスが病院内に
軍曹と医院長、メイも戸惑いつつも煌びやかな仮面をつけて二人を見る
花札「ハンニバルランバラルカーニバル!かに道楽カニバリズムカーニバル!意味のないこと言うてますけど、今日はそんなの忘れちゃえ!すべての言葉がメッセージ、そんなの伝わるわけがない!心の赴くそのままに、手を上げ足上げ踊り出せ!たとえバブルがはじけても、はじける笑顔で踊り出せ!ほうまつうたかた誰の事?それが私さ花札さ!こっちは私の相方の『カス』って名前の付き人だ」
カス「さあさ皆さん、仮面をつけて、いつもの自分をやめてみて、思ってること言っちゃいな。忖度せずにはっきりと!安心したまえ、バレはしない。なぜなら仮面をつけていて、誰の言葉かバレぬから。なぜならここはカーニバル、熱気がすべてを洗うから。仮面はしてもマスクはしない、人の口には戸は立てられぬ!馬の頭を巡らして首をそろえて言いましょう。罵倒の言葉を言いましょう!」
委員長が仮面を外して怪訝な顔をする
軍曹とメイもそれに続く
委員⾧「これ、カーニバルか?」
軍曹「まあ、バカ騒ぎという意味では間違っていないかな」
カス「まさにその通り、軍曹さん。『息ができない!』とうめくから、仕事をさぼれば怒られるから、こんな時くらいはめ外し」
花札「面白いこと・『愛しいしと』、それが我らに必要だ。『ええじゃないか』を歌ったら、きっとおかみの圧力からも抜けられる」
カス「ンババベ、望まぬ圧力で」
花札「ンババべ、路頭に迷っちゃう」
カス「ンババべ、自由を振りかざし」
花札「ンババべ、圧力押し返す」
メイ「ンババベ、不敵な笑顔だね」
カス「さすがはメイさん。賢いメイさん。この面白さが伝わるかい」
メイ「もちろんカスさん。当然カスさん。ぜひともみんなにシェアしたい」
カス「メイさん、それならスマホで拡散だ!知らない人にも共有して楽しいことを分かち合おう。テレビばっかり見ていると、ほんとの気持ちはわからない。カメラは人の心を映さない。カメラは後ろのものを映さない。だから私たちの持つカメラで映してやろう」
メイ「確かに確かに、でもドクトルに取り上げられているんだよ!勉強の邪魔になるってのは分かるけどさぁ、そ れでも絶対触っちゃダメってのはやりすぎですよねぇ」
カス「何でもかんでもダメダメダメ、そんなの教育でも治療でもないよ。だって世界はジユーダム!親の言うことだけに従うやつは時代錯誤もこの上ない」
軍曹「花札さんよ、どうやらドクトルがどんな人間だかわかるようだな」
花札「そうだとも。ああいうやつらはエリートだ。エリートってのはだいたい偽善者で、良かれと思って自分のやりたいようにやっているのさ。そういうやつらの欠点は、自分のミスを認めない・敷かれたレールを直せない・頑固で自己中、最悪だ」
カス「歌だって物語だって作り話なんだ。それにエリートの話だって作り話かもしれない」
花札「必要なのは事実を受け止めること。目の前の事実を受け止めること」
軍曹「君とは馬が合いそうだ。ドクトルは真実ばかりに気をとられ、俺らの病気に頓着しない」
カス「世の中は真実ばかりと限らない、むしろ答えのない方が多いはずだし面白い」
花札「もしも答えがあるのでも、それを探して喧嘩しちゃ、世の中平和になりゃしない」
委員⾧「そんな勝手を許しては、自由自由と騒ぎ立てるやつらがかえって喧嘩を起こすだろう。そうやって誰にも止められなくなったジユーダムこそ危険だろう」
花札「委員⾧さん、あわてるな。自由自由は騒ぎじゃない。自由を謳う人々がどうして喧嘩をするもんか。どうして自由をしばるんだ?」
委員⾧「本来人は平等だ。自由気ままを認めたら、自由気ままに金もうけをするだろう。お金をとられた方は、食うに困ってしまいには病の床についてしまう。そういうことにはならんかね」
カス「ならんさね。その病気すら自由が治す」
花札「お金を取られた負け犬も自由自由の風に乗り、いつかは満足できるはず。平等だった時よりもさらに素敵な生活を送れるようになるんだよ。昨日よりもいい今日を。今日よりもいい明日を。自由自由は進歩進歩だ。委員⾧、ドクトルを嫌う君ならわかるだろう?」
委員⾧「……朝は狩りに出かけ」
カス「昼に魚を釣り」
花札「夕方は牛の世話をして」
委員⾧「晩餐の後に議論をする……そんなユートピアが来るだろうか。働きすぎの黒さなく、首を切られる恐れもない、差別も区別もなくなったそんなユートピアが来るだろうか」
花札「ユートピアとは言えずとも、古き良き時に帰るのさ。何でもかんでも独占して、こちらには何も教えてくれないエリートたちを追っ払おう。そういう世界にしてやれば、ユートピアとは言えずとも、そういう理想に近づくぞ。委員⾧、君が目指す世界はそこだろう?」
委員⾧「そうだ、まさにその通りだ、花札さん!君ならできるか、ドクトルよりも私たちを導いてくれるか」
カス「もちろんだとも、委員⾧。当然じゃないか、軍曹さん。間違いないぞ、メイさんよ。すでにカーニバルは幕開けだ!太鼓のリズムで足ならせ!全身全霊手拍子を!飛沫が飛んでも気にするな!主婦の皆さん、学生の皆さん、働く皆さん、さあ、今までためてきた不満を叫びましょう!」
ドクトルが姿を見せる
ドクトル「気候の変化が止まらない。患者たちの奇行も止められない。そんなことをするためにカーニバルを開いたわけではないんだぞ?」
メイ「ドクトル!あたしのスマホ、返してよ!」
ドクトル「メイ、まだ許可できない」
カス「許可しなければならない」
軍曹「ドクトル!なぜ俺は退院できる」
ドクトル「軍曹、そういうときなんだ」
カス「どういうときなんだ?」
委員⾧「ドクトル!俺は事実を受け止めるぞ!」
ドクトル「委員⾧!真実にこそ答えがある」
カス「真実など、いつまでたっても堂々めぐり」
花札「これがこの病院を束ねる男の態度だ。人のことを気にかけないで哲学ばっかりやっている、頭でっかちのエリートだ。議論ばかりのやぶ医者よ、役に立たないドクトルよ!」
ドクトル「頭でっかちはお宅らだ。『二位じゃダメなんですか』『感染者は何人ですか』『300億円超えますか』。数字が図る意味は無視して、その上数字に嘘までつかせてる。どんな魔法か知らんけど、おとぎ話にもなりゃしない」
花札「世界の魔法は解けたのさ。そんな時代を生きている。迷信だらけを乗り越えて正しいことを物語る時代じゃないか。物に語らせる時代からモノを語る時代へと、伝える言葉もかっこよくきれいでステレオわかりやすい」
ドクトル「『愛』と印刷された文字を見つめて、『なるほどここに愛が転がっている。』そんなことを考えるやつはいないだろう。名言こそが迷信だらけ。くさい言葉を言ったって、においとともに消えていく。物の数秒で忘れちまう」
花札「人の心に残らない感動できない物語、そんなのだから打ちきりさ。感動できない価値がない!」
ドクトル「その価値は金で測った価値のはず。金の論理で動いているのか。悲劇だな、もはや取り返しがつかぬとは」
花札「確かにわしらは手を染めた。だけどもすっぱり辞めるときゃ、足を洗うだけだ。仮面はつけるかもしれん。だけども結局取り外す。そういう自由もあるはずだ。そういう自由はドクトルのようなエリートに取られてしまっている!」
ドクトル「そいつらエリートだって君らの思いを弁護するために、君たちの中から選ばれたものじゃないかね」
花札「政治家とかいう生き物は、次の選挙より先のことを考えられない生き物だ。政治家とかいう生き物は、投票されたその瞬間、瞬間だけの生き物だ」
ドクトル「奴らはペテン師ではない」
軍曹「そうだ。ペテン師は一人!ドクトルだけだ」
メイ「確かに確かに!外の出来事を二つとも隠してたのはドクトルの方だ!」
委員⾧「散々聞いたのに何も教えてくれなかったな!」
ドクトル「すべては治療方針だ。」
軍曹「今更もっともらしいことを一つ言われてもなぁ」
メイ「確かに確かに。身もふたもないこと言うなよ」
委員⾧「三人ともカルテを見たことないぞ」
ドクトル「それでも治ればいい」
軍曹「誰もが等しく治療できたのか?」
メイ「誰もが二度と罹患しないか?」
委員⾧「誰もが賛成しているか?」
カス「この病院がこのリーダーのままでは終わってしまう。さあ、起て!そして滅亡に瀕するここを助けてくれ。 患者たちよ立ち上がれ!そして自分たちの生活を守るんだ!」
軍曹が旗のもとに駆け寄り持ち上げる
カス「エリートさんにおさらばだ!革張りの椅子に腰かけて、全く事実を見もしない哲学ヲタクは追放だ!」
花札「さあ!審判の時だ!ドクトルよ!患者の声が聞こえるか、怒りの声が聞こえるか!忘れ去られた人々の、無念の旗をしかと見よ!反旗を翻すたぁこのことよ!患者のための医療のために、お前はここから立ち去りな!」
軍曹「これからは俺たちの場所だ!ドクトル!」
メイ「信じられるものが見つかったんだ!」
委員⾧「これが『愛しいしと』だ。これが錦の御旗だ!」
カス「さあさ、これこそ民主主義!全ての人が望んでる。お前の退場を望んでる。」
全員「出ていけ!」
ドクトル「……………………誰一人取り残さないのがお前たちの目標であるのなら、私を残して先へ行け!私にはまだやるべきことがある!そのためなら、この場を譲ろう」
ドクトル、踵を返して病院内に消える
患者たちが快哉を叫ぶ
その中に茅野が現れる
茅野「これ…… カーニバル?」
メイ「茅野!見てた!?今、まさにドクトルを追い出したんだよ!」
茅野「ドクトルを追い出す?」
メイ「これであたしたちももっと自由になれる!」
茅野「……カスあんたのことも知ってるよ、茅野さん?手をたたくだけで世界がゆっくりになるんだろう?そんな役に立たない超能力はきっと治してあげますよ。なんてったってもうすでに、役に立たない医者はいない」
花札「ご覧いただいたカーニバル、これが一つのフィナーレだ。病院の中からドクトルの縛りがなくなった!さあ、自由を謳歌しよう!」
六場『白の花桃の園』
四月十日深夜、院内に月光がはいる
ヒカリ「『雨に歌えば』言うてますけど、雨に降られりゃ風邪ひくだけだ。『happy again』どこ吹く風よ。桶屋がもうかりゃ儲けもの。目が痛くても、医者でさえ、のけ者扱いされちまう。医療崩壊待ったなし、獣の群れに蹂躙された……」
ドクトル「さっきからうるさいぞ、あんた」
ドクトルが暗がりから出てくる
同時に月光がかげる
ヒカリ「これは、これは、お疲れさん。ドクタードクトルがお立ち寄り。どうでした?追っ払われる気分は?」
ドクトル「…………茅野がみていた幻覚とはお前のことだったのか」
ヒカリ「さすがはドクトル、ご名答!」
ドクトル「目に見えない存在だったが、最近見えるようになっていた気がしたからな。新聞とかのおかげで。茅野が患ったあの役に立たない超能力はお前が与えたもののようだな。茅野を困らせようとしたわけでもなく、重大な世界の危機が迫っているわけでもなく、ただただ興味本位で茅野を呪ったな?」
ヒカリ「『呪った』ってのは結構な言いようで。たしかに興味はありました。茅野さんの頭にはつねに『?』マークが浮かんでいた。学校でも、家でも、ちょっとしたことでも。他の人に比べてぼーっと生きているんじゃなかった」
ドクトル「そう評価するなら、彼を自由にしてやれ。何もかもお前の自由なんだろう。お前がそうと決めれば、隠れることも現れることもできるらしいじゃないか。テレビで言ってたぞ」
ヒカリ「なるほどなるほど。新聞もラジオもテレビも全部マスメディア。俺もドクトルに取材がしたかったのさ。だからあんたの目の前に現れたんでございます」
ドクトル「マスが出てくりゃイワシも泳ぐだろう。イワシに言わしちゃ、取材なんて必要ない。呟けばいいし、写真に一言そえればいい。そうやって、イワシの群れが出来上がれば、イワシの頭は同じ方向に向く」
ヒカリ「もしも右向け右をしているときに、一人だけ左を向いたら?」
ドクトル「そんなイワシはたたかれて燃やされるだろう」
ヒカリ「海の中なのに炎上か!じゃあ、後ろを向くのはドクトルかい?」
ドクトル「それは傲慢というもんだ。そもそもイワシは首がないから振り向けないさ。一人だけ進路を変えても迷惑なだけだろう。たとえ後ろが正しい方角だったとしても、他のイワシは目の前のイワシについていくだけだ」
ヒカリ「まるで『泣いた赤⿁』ってやつだな。 村の人と仲良くなりたいって赤⿁の想いを受けて、青⿁が村を蹴散らし大暴れ。赤⿁はそれを追っ払って、村の奴らと仲良くなれたが、この顛末の真実に村の奴らは気が付かん。青⿁さんが赤⿁さんに見せたやさしさの裏 返しだったのになぁ!青⿁さんよ、つらかろう。青⿁さんのドクトルよ、これからお宅はどうすんで?」
ドクトル「あんたは知らないことだろうが、青⿁よりも麒麟がいい。ジラフじゃないぞ、平和を導く神の使いだ。人々を救済できるような、命を守ってくれろって願いをかなえられるような、そういう人になりたかった」
ヒカリ「麒麟てのは馬と鹿の間の生き物だろう。つまり馬鹿ともいえるんでなくて?」
ドクトル「慈悲の深さは馬鹿がつくくらいがちょうどよかろう。しょせん私は青⿁だ。役に立たないドクトルだ」
外に雨が降り始める
庭に通じる窓にヒカリが駆け寄る
ヒカリ「『雨に歌えば』何か変わるか?雨が地を叩き、雷がとどろき、天変地異が起こっても、変わらない奴らがいる。石油石炭が引火して世界を炎で包みこまないよう気をつけろ。蛇口をひねって出てきた水が世界を洪水で飲み込まないよう気をつけろ」
七場『悪⿁の行進 後の正面』
雷、雨が窓を打ち付ける音
テレビの声「おはようございます。四月十一日、朝のニュースです。まずは大雨の情報です。今朝未明から関東地方では一時間当たりの雨量がすでに80ミリを超え、猛烈な雨となっております。この一時間で降った雨は各地の雨量計によりますと、埼玉県飯能市名栗で110ミリ、飯能で100ミリを観測しており、川の氾濫が予想されます……」
病院内に茅野とカグヤの姿
茅野「カグヤさん。あ、今日で軍曹は退院でしたね」
カグヤ「うん。でもこの雨だからちょっとね……ひょっとしたら避難することになるかも」
茅野「そうはいってもここもキャパがありますよ。周辺住民全員を囲いの中に入れることは無理でしょう」
カグヤ「でも囲い込みをしないと誰かに財産をとられちゃうでしょう。まあ、その外側にも支援の輪ってのがあるけどね。でもそこだって備蓄は無限じゃないから、外側は結局知らんぷりだよね」
茅野「じゃあ、洪水が来たら……」
カグヤ「いやいやいや、洪水は囲いとかそういうの気にしないでしょ。全部まとめて洗い流して、仕切りなおすことになっちゃう」
茅野「最悪な形でのこの支配からの卒業ということに」
カグヤ「そうね。ツケが回ってきたんでしょ。掃除をさぼっていたツケが。よくあるでしょう、窓際にごみを寄せて見た目だけをきれいにして掃除をしたって言うの。そうやって外側に追いやったごみを残したままだと、避難するときに邪魔になる」
茅野「カグヤさんはどうします?月にでも逃げますか?」
カグヤ「月に逃げても意味ないよ。どうせだったら、火星まで。そこから地球を見てみたら、さすがに汚れに気づくはず」
茅野「外側がどうなっているのか、見なきゃならないってことですか?」
カグヤ「まるでかごの中の鳥だね。というよりも昼の十時だってのに、昼だか夜だかわからないほど暗いjん。確か天気予報によると、今晩ごろには夜明けみたいだね」
茅野「雲が抜けるのはそのくらいの時間だった気が」
カグヤ「うん。だったら目の前のこの危機をどうにかしなきゃね」
茅野「そのためには……ドクトルですか」
カグヤ「『後ろの正面』が正しいこともあるからね」
茅野が立ち去り、入れ替わるように軍曹・委員長・花札・カス・メイが登場
メイ「誰だよ、テレビつけっぱなしにしてたの。だれも見てなかったじゃん」
花札「放送ってのは文字通り『送りっぱなし』の垂れ流し。私が求めてないことも、全部べらべらしゃべってる。 誰も見向きもしなくても、べらべらべらべらしゃべってる」
委員⾧「いやしかし、花札さんよ。テレビがなくちゃあ苦労するぜ?」
花札「委員⾧、スマホを持っているじゃないか。そいつが何でもかんでも教えてくれるだろう?テレビよりも早く、テレビよりも的確に、テレビよりも合理的に。そしてほかの人がそれをどう思っているのかもよくわかるだろう?地震雷火事親父、何かが起きたときを考えてごらんよ。マスメディアよりSNSの方がいいに決まってるさ」
軍曹「カグヤ、もう来てたのか。ゲドは?」
カグヤ「家にいるよ」
軍曹「大丈夫か?呼びに帰った方がいいぞ。雨が強くなってる」
カグヤ「洪水になるかもしれない……」
一人の青年が着の身着のままといった様子で駆け込んでくる
青鳥「すいません。ここ、避難所で開いてます?」
軍曹「ん?避難指示か?」
青鳥「いえ、自分の判断で」
メイ「ねえねえ、外の雨、そんなにやばいの?」
青鳥「まあ、かなり。」
委員⾧「メイ、見に行くなよ」
メイ「さすがにその程度の分別はあるよ」
カグヤ「大丈夫かな……ゲドも呼んでこようか?」
軍曹「そうだな。ついでに服とか、非常食とかも持ってきてくれ」
カグヤ「うん。でもお父さんも荷物まとめておいてね。退院ってことは、部屋は使えないでしょ」
軍曹「そうしておこう」
カグヤ、軍曹それぞれ席を外す
青鳥「で、僕は?」
委員⾧「俺たちにゃわからんさ」
カス「どうするんです、花札さん?」
花札「委員⾧、今までにこのような経験は?」
委員⾧「ない」
花札「つまり、この地域で洪水の経験はない。そして気象庁の発表ではいまだに避難指示などは出ていない。この事態を鑑みるといまだそこまで重大な危機ではない」
青鳥「えっ!じゃあ使えないんですか!?」
花札「簡単に特例を認めるわけにはいかないということだ。あっさりと例外として受け入れてしまっては他の人が特別扱いだと文句を言ってくる」
青鳥「いやいや、この雨の中帰る方が危険だよ!避難所って命を守るための場所でしょ?」
看護師、茅野が別々の方向からコミュニティースペースに
看護師「ご安心ください。雨が強くなりましたので、ここを避難所として開設いたします」
花札「看護師さん、勝手な判断はやめていただきたい」
看護師「ドクトルからのお達しです。未曽有の大洪水になる恐れがある、ゆえに避難者を受け入れる、とのことです」
花札「ドクトルか!奴は時代遅れのために追放されたはずだ!」
看護師「さようでございますか。しかしドクトルの指示はドクトルのものです」
カス「ドクトルさんの指示なんて、支持をうけない政治家のキャンキャンうるさい遠吠えさ」
メイ「茅野、どこ行ってたの?」
茅野「ドクトルを探してた。それで看護師さんと会って」
委員⾧「茅野。どうしてドクトル探し出す」
茅野「別にそれでどうこうするつもりはないよ」
メイ「でも、こんな大雨の非常事態なんだから、それでドクトルにどうにかしてもらおうと思ってんじゃないの?」
茅野「分かってるじゃん。非常事態だって」
メイは絶句し、委員⾧はメイを凝視する
メイ「…………でも、花札さんはそんなこと言ってない。茅野が思っていたであろうことをしゃべっただけで」
委員⾧「メイ。信用していないのか」
メイ「違う!」
委員⾧「今はまだ非常事態ではなかろう」
メイ「分かってるよ!そんなつもりで……」
委員長はカスに駆け寄る
メイ「委員⾧!聞いてよ!」
カス「看護師さんがドクトルの指示を仰いでいたとなると近くにドクトルがいるかもしれない」
委員⾧「茅野もドクトルを探しに行ったようだ。ドクトルが干渉しようとしているのは間違いない」
カス「まったく、未練がましいことこの上ない」
看護師「他に何かございますか」
委員⾧「聞いたところで何も答えんだろ」
看護師「それでは、ないということですね」
看護師が立ち去る
委員⾧「つけてみるか。ドクトルがいるかもしれない」
メイ「たっ確かに、確かに。あたしも行く」
委員⾧とメイは看護師を追いかける
青鳥「あのー、結局俺はどうすれば……」
カス「判断は変わらない」
茅野「いや、ここは避難所でしょう」
カス「なぜ茅野君が判断する?」
茅野「カスさん。さっき秩父に避難勧告が出たから、ここも時間の問題でしょう。もちろん、あなたはこれをフェイクニュースと言い出すかもしれませんが」
カス「大事なのは事実を反映させること。避難するころになったら避難すればいい」
茅野「すでに避難するべき時になっています。もちろん、あなたはこれを避難勧告が遅いと責任転嫁するかもしれませんが」
花札「まあまあ、茅野君。カスの態度は大目に見てやってくれないか」
カス「よろしいんですか?」
花札「今のうちに方針を変えておいた方がいいこともある。(茅野に)それよりも、昨日のカーニバルに来てくれなかった方が気になるな」
茅野「俺がいなくてもいいんじゃないかと」
カス「自分を役に立たない奴呼ばわりするのは良くないぜ?」
花札「別にそういうわけではなかろう」
茅野「あなた方は軍曹とかメイとか委員⾧とかを集めてカーニバルをひらいた。それはあなたたちを信じてくれる人たちの集まりでしょう。それで満足はできただろうから俺はいらないでしょう」
カス「なにも彼らに強制したわけではない」
茅野「そうですね。それでもあの三人はもはやあなた方に首ったけですよ」
花札「まさか。彼らにだって自由に考える自由があるだろう。カチコチに凝り固まった中世みたいな世界じゃないんだ。水蒸気の分子が飛び交うように人々は自由なんだ」
茅野「…………温暖化も進んでいるから、氷が解けるのも一理あるかもしれませんね。 時代が変わった。迷信で生きていた時代より、悪辣な時代になった」
八場『麒麟の失道 匁の花』
雷
同時にゲドが玄関に駆け込む
リュックっくを背負い、両手にはあふれんばかりの古着
茅野「あ、ゲドさん」
ゲド「避難所、開いてますか」
花札「もちろんだ」
ゲド「受付とかは?」
カス「そんなことはしなくても人の命を守るのが、わたくしたちの役目です」
茅野「さっきと言ってることが逆じゃないか」
ゲド「茅野さん。知らない人ばっかで焦ったよ。ほかの人たちは? 茅野みんないろいろ仕事があるようで」
ゲド「そっか……困ったな」
花札「ゲドさん、何かあỵたか?」
ゲド「いえ、まだ夜は冷えるから古着を持ってきたんだけどね。運んでもらう人手が欲しかったんだよ」
カス「それならば私たちが引き受けましょう」
ゲド「あ、ありがとうございます。じゃあちょっと外に……」
花札「いやいや。ゲドさんは疲れておいでだろう。私たちがやっておこう」
ゲド「いや、そういうわけには……」
カス「大丈夫。困ったときはお互い様さ。まずは服を乾かさないと」
ゲド「そうですね。ありがとうございます。向こうにおいてあるので、こっちに持ってきてもらっていいですか」
花札「承知した。私たちの役目は人命救助だからな」
花札とカスが玄関に向かう
ゲド「くどいな」
青年「僕も手伝いますよ」
青年も花札たちを追う
ゲド「いやあ、助かった」
茅野「外の様子はどう?」
ゲド「もう、水浸しだよ。昼前から雨が強くなったでしょ?それで川から水があふれそうで」
茅野「そういえばもうお昼時か……さっきの人もそうだけど、もう避難しないと危ないでしょう」
二人、窓際に立つ
ゲド「ここからさらに強くなるみたいですよ。いい加減川が氾濫する」
茅野「もう病院の中は昨日反乱がおきたからお腹いっぱいなんですけどね」
ゲド「でもまだこれから?」
茅野「みたいです」
ゲド「そうすると、避難も⾧引くかなぁ。非常食持ってきてよかったよ」
茅野「ああ、リュックの中に?」
ゲド「そうそう。防災セットを準備しといて……」
言いながらリュックをあさるも、首をかしげる
リュックをひっくり返すと、マッチ箱、ハサミ、軍手は出てきたものの、食料は出てこない
茅野「軍手とハサミ、あと、マッチ箱ですか」
ゲド「あれ…………また親父かぁ。」
茅野「非常食、ないですね」
ゲド「親父が全部食ったんだ……よくあるんだよなぁ。ストックがくがいつの間にかなくなってて、やめろって言っても気づいたら食っちゃってんの。あーあ、空っぽだよ」
茅野「非常時を他人事だと思っているから」
ゲド「本当に必要なモノだけ、ここにない。本当はいらないモノだけ、ここにある。本当は食べ物が欲しい人はたくさんいるんだ。おせちもチョコもうな重もケーキも米も水ですらあんまりたくさんあるときは大した値段になりゃしない、だからたくさん捨てられる。要と不要がわからない、急と不急がわからない、だからたくさん無駄になる」
茅野「だからマスクも作れない」
ゲド「人間は金勘定で動いてるからね。売れないならば必要ない。必要ないなら作らない。作らないなら……必要なんだと気づくとき、ここにはないと怒り出す。でもこの感情だって人間を動かすね。動いているから集合して、集合するから声になる。声になるから……自分の行動を顧みるのも嫌になる。だから反省するのも忘れちゃう」
茅野「だから非常食もなくなっていると。まあ、ここにも備蓄倉庫があるから」
ゲド「じゃあそこに世話になろうかな」
茅野「モノ余り、一周回ってモノ不足。そういえば、カグヤさんも似たようなことを言っていたような」
ゲド「避難してるといいんだけど」
茅野「さっきまでこっちにいたんですけどね」
委員⾧とメイ登場(すでにハサミやマッチはリュックの中に戻している)
メイ「結局、ドクトルどこにいるかわからなかったねえ」
委員⾧「干渉が続くのは避けたいな。雨も強くなっているし、外にいるならそのまま帰ってこなければいい」
メイ「茅野。花札さんは?」
茅野「向こうから服を持ってきてくれてるよ」
委員⾧「四月の夜はまだ冷えるからな。さすがの判断だ」
ゲド「いや、俺が持ってきたんすよ」
委員⾧「ん?ゲドの私物か」
ゲド「俺の、というか家のなんですけどね」
委員⾧「まあ、何はともあれ、私物を放棄してまで避難のために使うのは正しい」
メイ「確かに、確かに。持ってくるの手伝おうか」
メイ、花札のいる方へ向かう
委員⾧「私も働いてくるか。一円ももらえないが、それも良しとしよう」
メイと同様に委員⾧も玄関へ
ゲド「昔は働きに行く見返りには一匁だったけ。買って嬉しい人もいれば値段を負けて悔しがる人もいる。相談な んてしていない。やっているのは商談だ。すべての利ザヤは金持ちに……いや違うな。こういう時には、口減らしって言葉があったな。口を減らせば、食べる口も文句を言う口もなくなるし」
茅野「ということは、委員⾧も軍曹も同じ口じゃない」
ゲド「確かに。そんな人らの反乱で、自分を、世界さえも変えてしまえるのかね」
軍曹が二階から降りてくる
ゲドが持って着た服はコミュニティースペースに積み上げられている
軍曹「ゲド!」
ゲド「お、親父はまだいたんだ」
軍曹「?……カグヤは?」
ゲド「え?こっちにいるんじゃないの?」
軍曹「いや、防災バッグとお前を拾いに家に帰ったぞ」
ゲド「会ってないけど」
花札「カグヤさんか?」
ゲド「そうです」
花札「一度も見かけなかったぞ」
委員⾧「入れ違いになったのか」
メイ「え、まずくない?今もう、ふもとの方は水位がやばいって」
委員⾧「避難してくる人の数も頭打ちになっている。歩くほうが危険になっているんだろう」
花札「安否がわかればいいんだが……」
ゲド「連絡手段がない」
沈黙
軍曹「家まで行ってくるか」
ゲド「何言ってんの」
軍曹「これ以上水かさが上がる前に対処するべきだ」
ゲド「だからもう無理なんだって」
軍曹「お前は心配じゃないのか!」
ゲド「心配だよ!でもそれとこれとじゃ話が別でしょ。助けに行ỵた人が犠牲になるって話もよくあるでしょ」
軍曹「テレビがそういうのだけを取り上げてるからそう思い込んでいるんだ」
カス「それがテレビの仕事さ」
委員⾧「まずは二人とも落ち着け」
軍曹「委員⾧にはわからんのさ。お前には家族がいないからな」
委員⾧「…………」
軍曹「よく言うだろ。何もなさないより、やって後悔する方がいいと」
ゲド「きれいごとと一緒にするなよ」
軍曹「何と言おうと好きにしろ。カグヤは私にとって大事な娘だからな」
ゲド「ああじゃあ、俺が行くよ。俺にとって大事な姉だからな」
軍曹「はっ、論外だ」
青念「外は大洪水ですよ。そして、ここはノアの箱舟ですよ。軍曹さんもゲドさんも、この箱舟から出るんなら自分が世界から流されることを覚悟しないと」
沈黙
覚悟を決めたようにゲドが走り出し、土砂降りの中に飛び出す
軍曹「待て、ゲド!」
追いかけようとする軍曹を周りが押しとどめる
花札「お前まで行くことはない、軍曹」
軍曹「そういうわけにはいかない」
メイ「軍曹は残っていないと!」
カス「そうだ。ゲドに任せておけ」
軍曹「任せておけるか。ゲド!戻ってこい!」
振りほどこうとするも、再び押しとどめられる
軍曹「離せ!その代わりにゲドを捕まえろ!」
委員⾧「ゲドはもう走り出したんだ。カグヤさんを助ける為なら致し方なかろう」
軍曹「命の選別をしたか。人工呼吸器を若者に譲るように、難民をボートから突き落とすように!」
カス「選別じゃない。ゲド君の意志がそうさせた」
花札「軍曹よ、迎え入れるときに誰かがいないとまずいだろう。誰もかれもがいなくなってはいけない」
軍曹「…………」
委員⾧「なんであんなことを言った」
飄々とした顔で委員⾧を見返す
カス「悪びれる様子もないようだな」
青年「あれ、悪いこと言いました?」
委員⾧「お前なぁ!」
軍曹「いや、いいんだ、委員⾧。二人が無事に帰ってくることを願うよ。流れに負けない杭のような二人だ」
花札「まあ、人生は流れに身を任せるともいうけどな」
カス「杭になって、流れを乱し、杭になって波風立たす、そんな人生危険だぜ」
茅野「流れに身を任せたやつに人間としての尊厳はあるのか?流れに従うために目と耳と鼻と口をはぎ取られなきゃならないのに」
九場『轍の上葦の下』
雷、雨が一段と強まる
軍曹「もう昼の二時か……一体何時間降り続けるんだ」
委員⾧「これでは今ふもとにいる人は助からんかもな。川は氾濫しているし、土砂崩れも起こるかもしれん」
花札「はっはっはっ!我々はすでに反乱を起こしている。あのペテン師ドクトルを追放したことによってな。反乱のあとは我々が治めているじゃないか。これに何の不安がある。きっとこの雨が上がったときには、氾濫の後には、我々のような新しい秩序がつくられる。それはきっと昨日よりも良い秩序で、今日よりも良い秩序だ。さあ、旗を振れ!」
カスが旗を振る
花札「もう一度我々はあの忌まわしいドクトルの独裁時代を思い出そう!あれほどひどい時代はなかった!」
茅野「そしてあれほどいい時代も」
軍曹「カグヤもゲドも帰ってこない。やっぱり俺が行くべきだった」
委員⾧「軍曹、悔いてもしょうがない。今は待つしか無かろう」
軍曹「委員⾧にはわからんのさ。君は鼻から失うものがないからな」
委員⾧「軍曹」
軍曹「ああ、そうだ。君は仕事すら失わない。君には失うものがないから、失うことの恐ろしさがわからないんだ、委員⾧。君の望む世界は偽物のユートピア、さしずめエセトピアだな」
委員⾧「では、その失いたくないものを目の前で突き放したのは誰だ、軍曹。あの青年の言葉を聞いて、自分の命が惜しくなったんだろう!畢竟、ゲドが外に行くことをとどめやしない。わが身惜しさに我が子を失うか」
軍曹と委員⾧が言い争うなか
カス「失ったときに気づくのは同じこと。『安全はタダではない』。命が惜しけりゃ考えろ、命が惜しけりゃ何かを捨てろ、命が惜しけりゃ家にいろ」
花札「川はすでに氾濫さ!我らももはや反乱さ!己が命を守るため、それを無視するドクトルを我らのこの手で葬った。命を守った代償に、我らは自由を手に入れた。誰にも縛られない自由、感情のまま生きる自由、この洪水もおんなじだ。今まで固定化されていた世界の縛りを解き放ち、思いのままに洗い流す。……さあ、これこそ氾濫だ!世界の反乱だ!」
メイ「何が正しいんだろう、何を信じればいいんだろう!洪水のようにあふれているのは情報だ!何がフェイクニュースなんだろう。なにが事実なんだろう。なにが真実なんだろう。私の顔はどこを向いているんだろう!」
喧噪のなか看護師がコミュニティースペースの目立つ頃に立つ
看護師「ドクトルが。ドクトルが避難者に対する陣頭指揮を執ります」
周囲「ドクトルが!」
看護師「これ以後は、ドクトルが安全を保障しますので、ご心配なく」
看護師は立ち去る
軍曹「まて、ドクトルが近くにいるのか!」
花札「早まるな!軍曹!」
その言葉を聞かずに看護師を追う
花札「くっ、このままでは、またドクトルに邪魔される!」
しかし、花札の制御もきかず、委員⾧・メイも
メイ「ドクトルなら打開策がわかるかもしれない!でもどこにいるかわからない」
委員⾧「この際だからやむを得ない。癪に障るがしょうがない。ドクトルはどこだ!」
カス「今のドクトル見えやしない。霞の中から叫んでも、誰も聞くやつぁおらんさね」
花札「避難者の手当てといったって、屁理屈と御託と肩書しか使い物にならんだろう。そんな奴に命は預けられん」
皆が押し合いへし合い、旗を踏みながら三々五々、コミュニティースペースを去る
茅野、青年のみ残る
青年「この病院に入院している人?」
茅野「はい」
青年「一緒に行かないの?あの人たちはドクトルなんて必要ないとか言いながら、ドクトルを必要としているけど」
茅野「今の俺にはドクトルが必要ないですから」
青年「反乱だ、氾濫だ、って叫んでいたけど、あんたは?」
茅野「反乱は理解できます。でも少なくとも花札さんではない」
青年「ドクトル?」
茅野「それも違います」
青年「違う違うばっかり言って、知らんふりか」
茅野「それも違いますね。それではメイと一緒です」
青年「じゃあ、何をもって反乱になる?」
茅野「…………」
青年「反乱とは暴力か?」
茅野…………はい?」
青年「広い宇宙に、たった一つの君の輝きを探し出すのに、物理的な殴り合いは必要か?」
茅野「一度でも殴ってしまえば、滅びるまで戦うしかない」
青年「じゃあ戦わないのか?」
茅野「……そういうわけには、」
青年「戦う男はもういらん。燃えるロマンは必要だ」
茅野「……言ってる意味が分かりかねます」
青年「お、雨やんだなぁ。雲も薄くなってきたし。洪水もひいてくれるか」
茅野「……話を水に流しましたか、この洪水のあとみたいに」
青年「ははは!『人間は考える葦』とか言うけれど、確かに洪水の後に残っているのは葦だけだ。家も車もなにもかも、この身以外は流された。でもこの体だって実際問題悪しき葦だ。だから今回の洪水も、世界をリセットするわけがない。家と道路と建物はスクラップアンドビルドだが、人の心は壊れない」
茅野「悲しんでいる人もいます」
青年「そりゃ悲しむだろうさ。自分たちの準備不足を嘆いて。自分たちの生活が苦しくなったのを嘆いて。それでも心は壊れない。家も道路も建物も服も寝床も食料もどうせ後から手に入るからな。ほしいと思う欲がある限り必ず手に入る。あふれかえった欲望が原動力となってスクラップアンドビルドを歓迎するんだろう」
茅野「心が満足を求めて暴走している……」
青年「雑草すらも洗い流してくれたらありがたいのにな。悪しき葦なら雑草と遜色ないだろう。大地の栄養を吸い取って無限に伸びる雑草と、大地の恵みを取り集めて無限にむさぼる人たちと」
茅野「その心は、どうすればいいんですか?」
青年「地面にいるままじゃだめだ。つまり、葦のままじゃだめだ。地面にへばりついた足跡に手を振って、葦の林を飛び出すんだ。雨が上がった。水も引いた。雲は切れた。もう、虹の向こうまで飛べるだろう」
茅野「雨が上がれば虹がある、夜になったら星が降る」
青年「そうそう、見えないなら見えるところまで飛んでいけ。青い翼が羽ばたいて虹の向こうを図るとき、見たことのない色がある、聞いたことない音がする。……知らない物に巡り合う」
茅野「七つの色と七つの音を超えたところに……」
青年「だから、虹だけじゃなくて、音も然りなんだ。ダンスって言葉には『もがき』、『抗う』って意味がある。」
茅野「これが僕らの最後のあがき」
青鳥「さて、下の様子でも見に行こうかな。やり直すためじゃなく、新しく始めるために。この大洪水のあとで」
青年は玄関を出て山を下っていく
茅野はその後姿を見つめるだけ
十場『海の国陸の国』
山積みの服、置き捨てられた旗
その中に、茅野
ドクトルがやってくる
ドクトル「いやあ、ひどい雨だ」
茅野「ドクトル。いたんですか」
ドクトル「どうした。私と会うのがそんなに珍しいか」
茅野「神出⿁没ですから」
ドクトル「神隠しには会ってないし、滅ぼされてもいないぞ」
茅野「見ればわかります」
ドクトル「私も見ていたぞ。患者たちが慌てふためくさまを」
茅野「助けるのが医者の本分じゃないんですか?」
ドクトル「茅野だったら助けたか?」
ヒカリがひょっこりと顔を出す
ヒカリ「助けるには値しないさ。すべては後の祭り、虚仮の後事案だから」
ドクトル「そうだ。これが本当の終わりだ。城壁の中に閉じこもるように世界が空中分解し、吐き出されるように世界が大洪水に飲まれた」
ヒカリ「ああ、この病院が守ってくれたら、いやそもそも、世界が守ってくれたらよかったのになぁ!」
茅野「そんなもの、とっくに故障していた」
ヒカリ「油を点す暇は?」
茅野「なかった」
ヒカリ「全知全能では?」
茅野「なかった」
ヒカリ「完全無欠では?」
茅野「なかった」
ドクトル「だからこそ、こうやって崩壊した。…………心は病で、体は救済で。(ヒカリに)お前はそういう条理の網の中にはいない人間だ」
茅野「……病院に入るなって言ったのも?」
ヒカリ「テスト勉強も面倒くさいが、採点するもの面倒くさい。だが、せっかくだから小手調べ程度の質問にも答えてやろう」
茅野「前置きはいい」
ヒカリ「あなたたちはすべからく病人だ。外にいる人も、看護師も、医者ですら、病人だ。この『病院』が故障していたことに気が付かなったのが何よりの証」
茅野「その病気の名前は?」
ドクトル「そんなのを聞いてどうする。『病院』でも世界でも構わないが、そちらが歪んでいたのだろう。命を守ってくれろと言われたのに、むしろ病気に追い込んだ」
ヒカリ「どうしてだろうな」
ドクトル「私たちの心の中の欲が、永遠に満足を求め続ける欲望が、私たちの理性を飼いならしたからだ。理性を金勘定の道具にしたからだ。ご飯も服も畑も水もほんとも嘘も、値札をつけて、欲を掻き立てたからだ」
ヒカリ「さすがドクトル、ご名答」
茅野「だとしたら。……忘れられている」
ドクトル「何がだ」
茅野「意地が」
ドクトル「意地?」
茅野「物を買うのは確かに欲だ。その算段をするのは確かに理性だ。安定した生活を得たいのも欲だ。そのために教養を身に着けるのも理性だ。でも、私達には意地がある。子供は意地を張る。大人も意地になる。」
ドクトル「『意地』は持ち続けること、維持することが難しい。意地が過ぎれば人を傷つける。…………これは興味深い。実に面白い。どうすればいいだろうか。この謎が解ければ、平和を導けるだろうか。私にも役に立つ余地があるのか!」
ドクトルはメモを取りながら駆け出す
茅野「花札さんたちが来る前に、ドクトルは逃げおおせるかな」
ヒカリ「ヒトがあふれかえる、モノがあふれかえる、カネがあふれかえる、話があふれかえる。あふれてあぶれてひっくり返る」
ヒカリが山積みにされた服を窓の外の庭に放り投げ始める
茅野「あふれたものが外へ行く。望みもしない災害は、外の方からやってくる。」
ヒカリ「余った服はどうすりゃいい?火にくべてりゃあったまる。余った飯はどうすりゃいい?家畜のえさにすればいい。あふれかえるきれいごとはどうすりゃいい?素敵な言葉を並べてりゃ、みんなはお熱を上げるだろ」
茅野も一緒になって服を投げつける
茅野「熱を上げているのは病気だからじゃない。心が不安だからだ。かわいい子だろうと、ボタン一つだろうと、面白そうだろうと、みんなが集まるから自分も行っちまうんだ」
旗を取り外し、ゲドの持ってきたリュックの中からハサミを取り出す
そして茅野は思いっきり旗を引き裂き始める
茅野「熱を上げているのは病気だからじゃない。気が狂ったからだ。チューリップだろうと、てっちゃんだろうと、胡椒だろうと、みんなが欲しがるから自分も欲しがっちまうんだ。」
やがて、粉々に引き裂き終わる
「…………熱を上げてるのは病気だからじゃない。自分だけ仲間外れはいやだから」
茅野はマッチ箱を渡され、眺める
ヒカリ「仲間外れでなぜ悪い?」
茅野「仲間外れも悪くない。」
ヒカリ「欲求のゆがめられたる事のなきかなたに…………誇りという小さな炎が一つ。その炎を絶やさないために、意地を見せろ。さすれば誇りは悲劇になる。呼吸器につながれたあなたたちの残滓だから。さすれば誇りは喜劇になる。呼吸器に脈打つあなたたちの鼓動だから」
その中の一本を引き抜き、こすりつける
ヒカリの笑い声が遠ざかる
花札がロビーに来ると、庭の炎が目に入る
花札「燃えている」
それに続いて、軍曹、委員長、メイ、カスも出てきて、息をのむ
軍曹「あぁ!旗も!市松模様が。私たちの心の支えが!」
委員⾧「俺たちの生活の支えが!」
メイ「どうしよう、どうするの?どうして?」
花札「探さなくては…………旗を、見つけなければ……」
メイ「茅野!お前がやったのか!?」
軍曹「でももう夕方だ。そろそろ暗くなるし、まだまだ夜は冷える、」
委員⾧「ユートピアに向けてどうすればいい、」
カス「みんな、とにかく探すんだ!」
メイ「日が沈んでいく……」
花札「市松の模様が消えてしまう、」
軍曹「一抹の不安では済まされないぞ、」
委員⾧「一握の光も見えない、」
カス「そうだ、まずは火を消さなくては!」
花札「茅野、何か見たか!?」
軍曹「『愛しいしと』よ!どこに行った!」
委員⾧「錦の御旗よ、我らのもとに!」
メイ「消え去ってくれるな!」
カス「全て消え失せてしまう!」
花札「探すんだ!あれがなくては洪水に飲まれてしまう!あれがなくてはドクトルに跳ね返されてしまう!私たちの中心にはあの旗が必要だ。すぐに何か、応急処置でもいい!中心になるものを探すんだ!!」
茅野、手を叩く
さまよった大勢が旗を、服を、何かを探している
終場『昼の星夜の虹』
茅野「何も、残らなかった。ぜんぶなくなった。洪水に流されて。炎に包まれて。病院という、狭くて、ちっぽけな『ここ』から。病院は『私たち』のことだった。このでっかい病院が、私たちを閉じ込めている。隔離された分、外側を敵だと思ってしまう。自分たちのいる『ここ』だけが安心できる場所だと思ってしまう」
カグヤ、ゲド、青年
カグヤ「出なくてはいけない。ここから、立ち去らなくてはいけない。外側から、ここが襲われるから。外側にはもう、恐怖がはびこっているから」
ゲド「出なくてはいけない。ここから、立ち去らなくてはいけない。内側から、ここが蝕まれるから。自分を信じない人を敵だと思ỵてしまうから」
青年「出なくてはいけない。ここから、立ち去らなくてはいけない。見たくないものから目を背けていては、世界が歪になり、耳が崩壊の音を拾うから」
茅野「見たくないものを見なくてはならない。見えないものを見ようとしなくちゃならない。私の前からは何もかもがなくなった。すべてが無に帰して……………………」
茅野、目を上に向ける
満天の星、そして、虹
茅野「虹だ……夜の、虹。この、暗闇の中に、星空の中に、虹が!」
一人、二人と今までの人々が現れては消え、茅野と触れ合っていく
打ちひしがれたり、支えあったりして人が増えていく
それは一つの動きとなって茅野は、手を伸ばす
やがて、静寂そして茅野は再びひとりになる
茅野「今、世界は私を劣等感から救い出した。誇りはごみ箱に捨てられた。だから意地を通せば窮屈だ。だから意地を通すんだ。虹の星空が遠くても、私はこの手を掲げていよう」