滝ふたば 3
マスターは、見えない客にビビっていたわけではない。
実際に、人がいないのに、目の前から声が聞こえてきているのに気づいても、マスターは、動揺しない。
というのも、マスターは、昔、光学迷彩の技術の開発に参加していたからだ。
マスターは、ジョー・スミス・竹下という名前で、ミスターシンメトリックの下で、光学迷彩の研究にも携わっていたのだ。
それでも、マスターは、実際のところ目の前の見えない客のおしゃべりのエネルギーというか、熱気には圧倒されていた。
この困難を破る何か良い方策はないか?
マスターは、この答えを手探りで探している状況であった。
コーヒーパーラー「ライフ」に入って来たときから、見えない滝ふたばは、断片的なことばかりを話して、言いたいことの主旨をマスターに伝えられないでいた。
「区役所に相談しても埒があかない。警察も取り合ってくれないの」
「本当は、自衛隊の問題かも知れない。しかし、滝ふたば一人の意見で、自衛隊が動いてはくれなさそうなのは、何となく分かったわ」
「そうして、最後には、自分で解決するしかないと言う自然な結論にたどり着いたの」
「この相談だというのは……。区庁舎、つまりの本陣に乗り込んで一気に決着を考えたのですけど、その前に! ……」
見えない滝ふたばの発するエネルギーは、迷走し、空回りしていた。
見えない滝ふたばのエネルギーは、彼女自身をも振り回しはじめた。
そうするうちに、見えない滝ふたばは、なにやら謎めいた話しをはじめた。
「えー、その……」
「なにかしら、……」
「いやいや、何から話したら……」
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やっと、マスターは、良いことを思いついた。
マスターは、見えない滝ふたばに、メニューを出した。
「あら、そうだわ。ケーキセットでもいただこうかしら」
見えない滝ふたばは、ふとわれに返って注文を済ませた。
見えない滝ふたばの慌ただしさがやっと落ち着いた。
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見えない滝ふたばは、ケーキをほおばった。
見えない滝ふたばは、コーヒーを啜った。
見えない滝ふたばは、コーヒーパーラー『ライフ』の店内を見渡すと、物憂げな、退屈そうな、まったく物足りないという表情をして見せた。
それは、期待して訪れた敵の秘密基地が、期待に反してあまりにもショボかったので、大いに不満であると言わんばかりの表情であった。
見えない滝ふたばの表情は、コーヒーパーラー「ライフ」のマスターに伝わらないが、滝ふたばの口調で、その雰囲気は伝わった。
見えない滝ふたばは、コーヒーパーラー「ライフ」を断罪した。
「期待していたのに、これじゃ期待はずれ。無駄足だったというわけね」
「でも、シンメトリックさんは、こちらが親切なお方と教えてくれたのですよ」
見えない滝ふたばは、コーヒーパーラー「ライフ」を紹介してくれた人物の名前を出した。
それは、シンメトリックの名前だった。
「そうか、そういうことだったのか。 お久しぶりですね、滝ふたばさん」
マスターは、その時になってやっと見えない客の正体が分かったのだ。
マスターの前の見えない客は、滝ふたばその人であると言うことが。
滝ふたばが、パワースーツの変装機能を切(OFF)にした。
たしかに、マスターの前に見慣れた滝ふたばが現れた。
マスターは、まじまじと滝ふたばのことを見つめた。
「……」
滝ふたばは、気がつくのがあまりに遅すぎたんだよと言わんばかりに、マスターから目をそらした。
「それにしても、光学迷彩は、ずいぶん進歩しましたね」
「それにしても、シンメトリックの名前が出なかったら結局、あなたの正体を見抜けなかったかもしれない」
マスターは感心して見せた。
「ジョー・スミス・竹下さん、相変わらず、あなたは、鈍感な恥知らず」
滝ふたばは、マスターのことを皮肉った。
そこで、マスターも滝ふたばに応戦を試みた。
「しかし、あなたは、相変わらず嘘は下手だ」
「シンメトリックがあなたのために紹介とか、何かするなどということは考えられませんよ。だって、シンメトリックとあなたは、絶縁状態なワケですから」
「和解しましたのよ。知りませんでした」
滝ふたばは、冷たく答えた。
それで、マスターは爆笑して、言った。
「それは、ありえませんね。あなたにそういうことを教えることは、あまり考えられないし、そういう連絡も受けてはいません」
「はっきりしていることは、今日に至るまで、シンメトリックは、あなたたちの強引なやり方での結婚は認めてはいらっしゃらないのですよ」
ここで、滝ふたばのナイーブな問題をあつかうのは、あまりに軽率な行為であった。
マスターの笑いは、滝ふたばの大反撃を呼び込んでしまった。
「しかし、あなたは私を嘘つき呼ばわりしていますが、本当の嘘つきはあなたではありませんか。父の後輩としてうちによくいらしていた頃、あなたは、そんなんじゃありませんでしたよね」
「あの頃、私のことを『ふたば』と呼んで優しい目で見つめてくれたことがありましたよね。それが、いまでは、私が目の前にいても全く気づかない体たらく。あのころのあなたは、本当に大うそつきということだったのでしょうね」
「わ、わかりました。その話はよしにしてください」
マスターは、滝ふたばの攻撃に早々に、白旗を揚げて、敗北を認めた。
「では、うそつきでない証拠に、私の力になってください」
滝ふたばは、要求した。
「しようがないなぁ」
「ということで、あなたを悩ませている問題とはいったい何なんですか」
マスターは、滝ふたばに聞いた。
「うちの庭に、ゾンビの死体が放置したままになっているんですよ。それで、困っているんですよ」