滝ふたば 2
パワースーツの光学迷彩が、威力を発揮して、コーヒーパーラー「ライフ」のマスターには、滝ふたばの姿は見えてはいない。
滝ふたばは、自分の来店をマスターに知らせるため、パワースーツの光学迷彩のスイッチを切るのが筋である。
しかし、滝ふたばは、パワースーツの光学迷彩のスイッチを切らないで、マスターに話しかけた。
「もしもし、お忙しいところすみません。コーヒーパーラー『ライフ』というお店を探しています。こちらのお店でいいのでしょうか」
滝ふたばが、パワースーツの光学迷彩のスイッチを切らなかったのは、マスター、つまり、ジョー・スミス・竹下という男が、自分の声でマスターが自分の存在に気づくのか試してみたかったのだ。
実は、すでに、滝ふたばは自分で看板を見つけて、この店がコーヒーパーラー「ライフ」であると確認をすませていた。
コーヒーパーラー「ライフ」のマスターのジョー・スミス・竹下の反応はいまいちであった。
マスターは、熱心に何か読み物でもしているようで、カウンターに視線を落としたままである。
「わたしの声、聞こえてなかったのか?」
滝ふたばは、思った。
マスターは、面を上げる事はない。
だから、マスターは、自分の前方の声の主が実は不在、あるいは透明である事に気づいて驚くようなこともない。
お陰で、滝ふたばは、つまらない芝居を続ける羽目に陥った。
「こちらがコーヒーパーラー『ライフ』というのですね。道を間違えてしまったかと思いました。もっと、裏通りにある店かと思っていたもので、本当に古風なお店ですね」
滝ふたばは、怪訝な気持ちになっていた。
「わたしに気づかないなんて、この人馬鹿じゃないわよね? 」
滝ふたばは、ひどく腹立たしい気持ちになっていた。
しかし、コーヒーパーラー「ライフ」のマスターの方にも同情の余地がないわけではない。
滝ふたばのコーヒーパーラー『ライフ』への来訪は、マスターのまったく予期しない事であった。
さらに、マスターには人間音痴の気があった。
マスターは、後になって考えると、「あんな風なのは滝ふたば以外にはいない」と、思える。
しかし、そのときには、その女性が、滝ふたばであることは夢にも思わなかった。
マスターの前にいるだろう声の主の女性は、傲慢で、凶暴なパワーを発散しはじめた。
これも、滝ふたばに至る有力なヒントでもあったのだ。
一方で、マスターは不安な気持ちになりつつあった。
「一刻も早く、この女の言いたいことを理解して、この女の用件をきちんとしたレールに載せてやらないと、この女は、大爆発を起こしてしまうぞ!」
さすがに、鈍感なマスターであっても、それくらいは、感じ取っていた。
マスターは何か良い方策はないか考えた。
しかし、マスターは、面を上げて、自分の前方の女性の主を見てみようとはしなかった。
マスターは、頑なであった。
マスターは、ひたすらカウンターの上面に視線を落としているだけだった。
自分の前方にいる女性が誰であるのか確認さえすれば、マスターは、声の主の不在にいったん驚いたとしても、膠着状態から抜け出して、新たな次の展開に入っていけるのに。