彼との出逢い
普段はポーカーフェイスの人の微笑みは破壊力があると思うのです。
稲穂国にある太陽神殿の経理一課で働く私は、今日も不備のある請求を棄却していた。
「こちらの領収書は受理出来ません。自腹でお支払い下さい」
私は仕事場限定でかけている眼鏡のズレをすちゃっと直し、やたらと偉そうなおっさん・・・いえ、他部署の役職持ちの男性に領収書を返却した。
「なんだと!?わたしを誰だと思っている。西の大領地クレハ領の領主の縁者だぞ!」
こんなところで親戚の威を借りようとするなど、甚だ愚かしい。
名前を出された領主もいい迷惑だろう。
「まぁ。ご立派な出身ですのね。ではこんな端金、ご自身でお支払い出来ますね!」
私の対応は決まっている。何度凄まれようとも無理なものは無理なのだ。だが、理解力の乏しいオッサ・・・目の前の男性はなおも食い下がる。
「っっな!この小娘が!!」
拳を振り上げ私に殴りかかろうとする。・・・が、その手は、別の人物によって捕まれた。
「俺の婚約者殿に何をしている?」
ギリギリと捕まれた腕の痛みよりも、蛮行を止めた人物の顔を見て、驚愕で青ざめる。
顔面蒼白、足もガクガクしている。
それもそうだろう。相手は東の領地の領主様だ。
「なっ!し、知らなかったんだ!貴方の婚約者と判っていれば、こんなことはしていない」
「相手が誰であれ、ダメに決まっているでしょう」
相手が婚約者ではなく、下に見ている私の意見はカチンとくるらしい。
「ふんっ!そう言うキサマだって、相手が権力者ならば、逆らわずに領収書を受け取っただろうさっ!」
ああ・・・コイツは腐り切っている。そして理解していないらしい。
此処は太陽神殿経理一課なのだ。
ありとあらゆる不正を嫌い、相手が誰であろうと適正な判断を持って接する。
この神殿で働いていて、耳にしたことはなかったのだろうか。
潔癖かつ冷静な対応から、もしも借金取りに転職したのなら、鬼も裸足で逃げ出し赦しを乞うのでは無いかと囁かれる程。
「いいえ。私達は例え相手が大領地の領主様でも、大臣でも、この国の武門の頂点にある真武山の師範であろうとも、対応を変えることはありません」
背筋を伸ばし、視線を反らさず真っ直ぐに見据え、キッパリと言い放つ。
―――誰かが感嘆の息を吐き、また誰かが囃すように口笛を吹く。
「流石は俺の婚約者殿だ」
蕩けるような眼差しと甘い声音。
頬を赤らめつつもしっかりと私を見つめる。
いつもは表情を変える事の無い人物の微笑みは、破壊力抜群だ。
周囲では真っ赤になり、鼻を押さえてうずくまる人が多数。・・・とんだ誤爆である。
そうこうしている内に、ようやく神殿の警備兵がやって来た。
「スンマセ~ン。遅くなりました~。で、どういう状況か、取調室に行く前にちょぴっとだけ伺ってもいいっスか~?」
実に軽い。大丈夫かこの警備兵。
とは思ったが、私は口を開き、簡素に説明をする。
「コチラの西の大領地の縁者を名乗る方が、『キャバクラの飲食代』を経費で落とすようにと領収書を持って来たのですが、受理出来ない事を伝えましたら、殴りかかってきました」
「ああ~。それは不味いッスね~」
「なんだと!経費だろうが!取り引き先との打ち合わせだぞ!」
「詳しくは取調室で伺うッス~。でも、傷害未遂と領主様の伝を強調した恐喝は罪が重いッスよ~」
警備兵は暴れる男の後ろ手をつかみ、押さえながら歩かせて連行して行った。
流れるような動作でありながら、去り際には私達に頭を下げる余裕もある。
見た目や言動のチャラさとは裏腹に、仕事は一流のようだ。
私は受付のカウンターから外に出て、婚約者の前に立つ。
「助けていただきまして有難うございます」
背の高い婚約者を少し見上げつつ礼を述べると、
「婚約者殿のためならば当然だ」
そう返答され、右頬に手を添えられる。そして見つめ合うこと暫し。
「っんん!風雅様。部下をお救い下さいまして感謝申し上げます。ですが未だ仕事中ですので、逢い引きは後程にお願い出来ますか?」
上司である経理一課の課長が、咳払いと共に、謝辞と忠告を口にする。
逢い引きと評された私は恥ずかしくなって身悶えしてしまったが、風雅様と呼ばれた婚約者は、焦りもせずそれに頷く。
「婚約者殿。また後でな・・・」
名残惜しそうに離れて行く彼に、私も寂しさを感じた。
だが上司の言う通り、まだ勤務時間である。
気合いを入れ直して、仕事に戻ったのだった。
少し自己紹介をしよう。
私は葵花音。もうすぐ23歳になる。
この稲穂国にある学園を卒業して、この国の中枢機関である太陽神殿に就職して早5年。
超難関の就職先において、更に狭き門と噂の経理一課。財務部門の中でも審査が最も厳しい職場である。
―――勉強が出来るだけでは合格とはならない。
経理の裁可に不満を持つ人物の睨みに耐え、きちんと説明するだけの胆力と、万が一腕力にモノをいわせる者が出た場合に、対処するための護身術を身に付けていなければならないのだ。
実は先程の暴れた男性くらいならば、いとも容易く撃退できただろう。しかし手をあげると、ああいう輩は面倒臭い。
婚約者と警備兵には感謝である。
ここで私の婚約者について触れよう。
彼は風雅璃空。
私の6歳年上で、現在28歳。
東の領地を治めている一族の領主である。
風雅は忍の名門であり、彼はその風雅一族の十七代目【空也】を襲名している。
【リク】と襲名前の名を呼ぶのは、親兄弟などの家族のみ。
私は何故か出会った次の日には、呼ぶことを許されたが・・・。
風雅の領主は、一族を率いて任務をこなす。一線を退いた彼の父親が領地経営をしているとの事。
その領地によって慣習が違うが、風雅一族程戦力の高い領地も珍しい。
普通ならば反乱を疑われる程の戦力を有している。だが、この国の帝に忠誠を誓い、任務を忠実にこなす風雅は信頼も厚い。
この国は帝が治めており、まだ若いながらも魔力の多さから、周辺国にも侮られる事は無い。
人心掌握にも優れ、統治者として仰ぐのに誉れの感情さえ抱くほど。
その国の中において太陽神殿とは、ただ祈りを捧げる宗教の場ではない。
職業を斡旋し報酬を支払う、公共職業安定所なのだ。
―――他国ではギルドと称される機関である。
彼との出会いは5年前、私が太陽神殿に就職して少し経った頃。
実家で飼っている愛犬が子供を4匹産み、その内の1匹を引き受けて、番犬として調教していた時に声をかけられた。
生後半年では戦う技術はまだ教えられないが、この子は仙術との相性が良いらしく、簡単な結界術と治癒術、それに念話で自身の感情を伝える事が出来た。
この子は真っ黒な毛並みに、瞳も黒く輝いている。名前を【黒耀丸】と名付けた。
黒耀丸を外で遊ばせながら、術も教え込んでいる所へ、彼はやって来て唐突に言った。
「その犬が欲しいのだが、譲ってくれないか」
彼が有名人かつ、身分の高い人物である事は分かっていた。
だが、この子は私の家族同然の存在なのだ。おいそれと渡すなどあり得ない。
「偉いからって何でも思い通りになると思うな!この子は私の家族だ!」
―――今考えると、何て無礼で身の程知らずな行為だったのか!
私は彼に正拳突きを繰り出した。
彼は躱すでもなく、胸でそれを受けた。
ビクともせずに受けきった彼は、無表情でありながら、申し訳無さげな雰囲気を漂わせて言葉を紡ぐ。
「すまない。俺はいつも言葉が足りないと親兄弟に言われている。君やその子犬を軽んじている訳では無いと弁明させてほしい」
まさか避けもしないとは思わなかった私は焦った。
「なんで避けないのよ!貴方程の手練れなら、避けるなり反撃するなり容易でしょう!?」
「いや、失礼をして怒らせたのだから、甘んじて受けるべきだと思った・・・」
私はあんぐりと口を開けて絶句した。
(なんて不器用な人なのよ!)
私が黙っていると、居心地が悪くなったのか、訊ねてきた。
「その子犬は人の補助が出来るような術を使えるのだろうか」
「えっ?ええ、そうね。治癒や防御結界などが得意よ。でもね、貴方のところだけではなく、余所へ里子に出すのには問題を抱えているの・・・」
やや言いにくそうに私がしていると、
「それはどんな問題だろうか?」
優しい声音で促される。
「この子は声が出ないの。念話で感情の一部を伝える事は可能だけど、普通よりは意志疎通が難しくなるでしょ?」
「念話が使えるのだろう?それはとても有利だと思う。それに意思は声よりも視線に出やすい。『目は口ほどに物を言う』とね。その子は今、君を心配しているよ」
言われて黒耀丸を見ると、ジッと私を見つめていた。
信頼関係が築けていないのは私の方だったらしい。
そう考えたら、涙が出てきた。
「す、すまない。俺はまた何か無神経な言動をしただろうか?」
無表情な彼が、初めて焦った顔をした。
私はそれを見て、不意に笑いが込み上げてきた。
冷静沈着で何事にも動じることはないと定評のある、忍びの長らしからぬ一面を垣間見て、噂はあてにならないと実感する。
今度は何故笑ったのかが解らないという表情をした彼に、今の考えを教えた。
「ごめんなさい。この子の気持ちを貴方の方が理解していると悔しくなったから涙が出たの。それと笑ったのは、焦った顔の貴方が、噂とは全然違って、人情味溢れているなと思ったら、不意におかしく感じちゃって!」
目元の涙を拭いながら伝えると、何だか微妙そうにしている。
私は益々笑いの衝動が込み上げてきた。
「ふふっ。さっきはごめんなさい。本当に失礼な態度だったと反省してる」
そして勢いよく頭を下げた。
「いや。突然の要求を述べた俺が悪かったんだ。どうか頭をあげてほしい」
私はソロソロと頭をあげると、彼の顔をマジマジと見た。
肩よりも長い黒髪を首の後ろで軽く一本結びにしており、鳶色の瞳は優しさと、今はちょっぴり困惑の色をたたえている。
「赦してくれるの?」
「ああ。こちらこそ赦してほしい」
「じゃあ仲直りの握手ね!」
私は彼の前に右手を差し出した。
「こういうのは・・・仲直りとか、初めてだ」
ちょっとハニカミながら言う彼は、私の人生の中で味わった事の無い感情を引き起こした。
(男の人を可愛いと思ったのは初めてだわ!)
私が心の中で身悶えしているとは気がついていない彼は、握手のために右手を伸ばしてきた。
私はその手をしっかりと握り返す。
あれっ?と、私は気がついてしまった。
「ちょ、ちょっと貴方!熱があるじゃない!」
先程の私の正拳突きを避けなかったのは、熱のせいで判断能力が低下していたせいではないだろうか。
「貴方は身分のある人なのよ?護衛の人はいないの!?」
「俺が1人歩きするのに、誰も心配などしないさ」
普段ならばそうだろう。一族の長というのは、最強の称号と同意義なのだから。
だが彼だって1人の人間だ。体調が悪い時もあるだろう。
「熱がある時は大人しくしていないとダメでしょ!」
「いや・・・具合がよくないというのは今君に言われて気がついた・・・」
(鈍感かっ!!)
これはもう仕方がない。先程のお詫びも兼ねて看病するしかない!
「私の住んでるところがすぐそこだから、一緒に来て」
そう言って彼の手を引き、連れていこうとすると、
「女性の部屋に上がり込むなど・・・!」
なにやら小声で言いつつ抵抗された。
「っもう!襲いやしないわよ!さっさと行くよ!」
やや強引に、ともすれば男らしいと感じられる態度で連行した。
集合住宅の2階の一室。ダイニングキッチンと寝室、物置部屋とバストイレつき。
女性の独り暮らしにはちょうどいいと私は思う。
「シーツと枕カバーは取り換えたばかりだから、そのまま使って?」
案内した私は、強引に病人を寝かし付け、熱を計る。
「38℃!?熱高っ!」
ビックリして声が大きくなってしまった。
「いや、やはり女性の部屋にいるのは迷惑が・・・」
「でもほっとけないよ!いいから寝てて!」
起き上がろうとする彼を押さえると「うっ」と呻き、胸に手を当てた。
「どうしたの?・・・もしかして!?」
私は嫌な予感がして、彼の服を捲り上げ、胸元を確認した。
真っ赤になって腫れている。
もしかしなくても、私が正拳突きをした箇所だろう。
「ご、こめんなさい。私のせいで怪我を・・・っ!」
私は申し訳なさでいっぱいになり、涙が出てきた。
そんな私に彼はどこまでも優しい。
「気に病む必要は無い。俺が不注意だったんだ。・・・それに、いつもなら殴られたところで、身体強化で傷など負わない。自己管理が出来ていない俺が悪いんだ」
私の涙を指で拭い、気遣わしげに言う。
そして続けた言葉は、どこか面白そうだ。
「この俺に怪我を負わせることが出来る人間など滅多にいないぞ。自慢するといい」
明らかに元気づけようとする彼の、ちょっと不器用な言葉選びに、ふっと笑ってしまった。
「君は感情豊かだな。俺の周りにはいないタイプだ」
ジッと見つめられ、涙を拭ってくれていた手が、いつの間にか顎にかかっているのに今さら気がついた。
何となく恥ずかしくなり、離れようとしたが、バランスを崩した。
そんな私を、難なく抱きとめる彼。
ドキドキと心臓の鼓動がうるさい。脈打つビートで手が震えた。
その手を彼は握り、私をヒタと見つめた。
「こんな気持ちになったのは初めてだ。出会ったばかりだというのに、こんな事を言う俺を軽蔑しないでほしい。だが、今までに口にすらしたことも無いというのは、知っておいてほしい」
そこでいったん言葉を区切り、そして続けた。
「・・・俺と付き合ってくれないか?」
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