第1事件ー2
「何度もお伝えしておりますが、フェリスも私も。あの場所にいたのは偶然であり、男子生徒をあのようにはしていません。」
あくまでも冷静に声を荒げず否定するルナに対し、怒りで顔を赤くしながら早口で捲し立ててくる。
「そんな証拠もないこと!でまかせだ!」
「私たちが行ったという証拠もございませんのでは?駆け付けて頂いた際も言いましたが、私は彼に触れていません、それに面識自体が無いからこそ怨恨も持つはず御座いません。」
「…メラン嬢との私的な怨恨が招いたと、否定できるのか?」
嫌な視線を向けてくるのは、指導教諭のカーマツ先生。
年齢で言えば60間際のお爺さんであり、女性は奥ゆかしいこそ全てという古風な考えに縛られた人物。常々、女子生徒へ小言を言うような人物だ。
だからといい、彼が言ったことを聞き流すことが出来なかった。先程の台詞は、フェリスの人格を嘲笑するに等しい。
美しく、人気の高い彼女ゆえに熱をあげた男子生徒を弄んだ結果、疎ましくなったフェリスがルナと共同で彼を手にかけたというもの。
浅はかすぎる考えに思わずルナがため息をついた。
「思わせ振りな態度でもしたのだろう?認識は相手が決めることだが、意図を持っていればそれは作為だ。」
「あり得ません。」
「な、何故言い切れる?!あのような淫らな女は、自分の価値を勘違いしている!」
(ここで激昂しては逆効果、なら事実だけを口にして)
何とか上部だけでも平常心を取り繕うために爪が食い込むほど拳を握りしめ、後方で震えているフェリスを庇うようにルナは一歩踏み出した。
冷徹にも見える冷え切った青い瞳がカーマツを捕らえる。
「勘違いなさっているのは、カーマツ先生です。ご自身の主観と感情論でお話しなさるのはお控えください。」
「なっ…お、女が!ただの生徒が生意気を!」
「私は事実に基づいて話すのみ。思ったままを口に出すことならば赤子でも可能です、思慮を欠いているのはどちらか。教師として導く立場である先生ならばお分かりでは?」
相手の腰が引けていると気付いたところで、射抜くほどの鋭い視線を反らすことはしない。
そのままルナが言葉を続けていく。
「フェリスと男子生徒は接点が御座いません。おっしゃる通り、フェリスに声を掛けようとなさる方は多くいます。ただ、フェリスは貴族子息、ひいては自分より下位身分の男性を相手することはありません。」
亡くなった男子生徒は、一般生徒と呼ばれる貴族ではない生徒でありBクラス。接点も関わりもなければ、ルナが言ったようにフェリスが言葉に応じるのは異性に於いては伯爵以上の爵位ある方にのみなのだ。
「自分より下位には、だと?ハッ、それこそ高飛車で高慢な女の典型的な図だ。だからこそ今回の男子生徒が邪魔になったのだろう?」
「邪魔も何も、まず存在自体をフェリスが認識していません。彼女は夫人の教えから、他貴族と関わることは滅多にしませんし、下位身分の男性に関わらないのは最終的に結ばれることがないからです。」
「美談もいいところだ、醜聞を変化するとはいい気なものだな。」
「醜聞でも、美談でもなく、事実です。貴族の婚姻は家柄が伴います。彼女は見目麗しく、言い方は適しませんがメラン家のカードになる。下位身分に嫁がせるなど子爵が許すわけもなく、悲しい別れになるならば関わらない、これは夫人が経験し伝えたことであり、これを守ると彼女が決めたことです。」
いつか、フェリスの家へお茶に招かれたとき、ルナも同じ話を聞いたため覚えている。
自分には何もなくとも家が付きまとう人生で、望むもの全てが手に入るわけではないと。なるべく、悲しみを知らずに人生を楽しんで欲しいと言った子爵夫人のことを、醜聞とも美談とも表現することはできなかった。
そして、17の小娘とは思えないほどの低い声がカーマツに降りかかる。
「自身が絶対だと、その考えこそ高飛車で高慢な考えでは御座いませんか。」
「何を!」
「事実も知らない中、一生徒を糾弾する権利など貴方に有るわけがない。彼女、ひいては令嬢の尊厳を侮辱する発言は貴族に対する不敬と捉えて損失御座いませんね?」
カーマツはどれだけ言っても一般市民だ。
あまり言葉にしたいものではないが、貴族特有の不敬罪の対象にもなる身分の男性である。
ルナの言い方はフェリスとルナ個人の訴えとしてではなく、貴族令嬢と貴族界に対する不敬としてカーマツを咎めるもの。
「そ、そこまでは…そんなことは言っていない!」
「先程、先生がおっしゃったではございませんか。認識は相手が決めることだと。意図を持っていればそれは作為だとも。先程の言動は私たちを加害者としようとしていた、その為に要因が必要だった。」
「そこまで、は…こ、言葉のあやが…」
しどろもどろになり額に汗を浮かべている様子から、ルナの言い分に反論できるすべはないらしい。
(すぐに覆す持論ならば言わない方が良いのに、全く回転の乏しい方だわ)
「今後、浅い言動は慎んで頂けますね。」
要請ではない。
これは決定事項の確認だ。
ルナの視線に、ガクガクと首を縦に降ったカーマツがすぐさま部屋を飛び出していった。逃げ出した部屋の扉から入れ替わるように、ザグレブと保健医のユアンが入室する。
「メラン嬢、迎えが来るまで少し私と話せそうですか?」
「あの、私…私は本当に何も…」
「もちろん。君たちは無関係だと思っていますよ、大丈夫。悪夢を見ないためにおとぎ話を聞いてほしくてね?どうでしょうか?」
ユアンの顔立ちは垂れ目で眉もハの字をしており穏やかだ。その瞳には丸眼鏡が掛けられており、茶色い鎖骨までの髪をひとつに束ね横に流している。白衣が似合う優しい雰囲気にフェリスも少し落ち着きを取り戻したのか笑みを浮かべ、コクリと頷いた。
「なら、こちらへ。天井に絵を写すため、少しここは明るすぎるので。といってもすぐ隣の部屋でカーテンを閉じただけだけの簡易的な暗幕ですが、ね。」
「分かりました。」
フェリスが立ち上がる動作をしたのでルナも一緒に着いていこうとした。
「フィオレンティーナ嬢は私と話そうか。」
「ミレット先生と、でしょうか?あの、フェリスを一人にしますのはあまり良くないかと…」
動転して色々と不安定な彼女からあまり離れたくない。その意思表示をしたが、ザグレブの代わりにユアンがにこりと微笑んだ。
「フィオレンティーナ嬢は友人想いですね。ならば、扉は開けておきましょう。光遮断の結界は張るけれど中の様子は見えるようにしておきますから。」
そのまま背中を押されていくフェリスの姿に違和感を覚える。
(抵抗はしないにせよ、振り向かない?いや、そもそもフェリスの足は動いていない!)
駆け出した瞬間、光遮断と防護結界が張られ、ガツンと体が見えない壁にぶつかった。
「身体拘束と意識操作したのね?!」
「安心して、彼女から衝撃的な部分を消すだけだよ。悪夢を見ないためにも、覚えていない方が良いこともある。彼女はたまたまあそこに通り掛かった不運な生徒というだけだ。視界に入れる前に、君が彼女を庇った、それでいいだろう?」
睨み付けるルナの視線に、笑みを浮かべたままザグレブの茶色い瞳が対峙した。内容自体は確かにフェリスのためになる、ように感じさせている。
「…意識操作は、一方だけや一部の人間に掛けただけでは効果が出ない。あのとき叫んだのはフェリスよ。私の声じゃない。聞こえた関係者全てに術を描けるつもり?それに、ユアン先生の意識操作は幻覚と自己誘導でしょう。」
「さすが、教員のプロフィールまで覚えているのか。ならばユアンが行うことも君なら検討つくだろ?」
「…見た記憶を夢の中ですり替える、幻覚は現実か夢か分からなくなり、フェリスの自己が戻ったあとユアン先生が事件の内容を確認する。そして、記憶を植え替える。」
「いい回答だ。」
「記憶改変は罪状よ!」
「ならば君はメラン嬢が一人、眠れない日々を過ごしても良いというのかい?」
真面目な顔つきに変わったザグレブにルナも言葉を詰まらせた。女性が覚えておくには刺激が強すぎる赤い映像は、確かに忘れてしまった方が良い。思い出し、悪夢に怯えるのは嫌だ。
「さて、フィオレンティーナ嬢。君も記憶を消そうか?」
(目を瞑れば血の海が広がるし、あのときの男子生徒を思い出せば震えそうになる…でも)
「お断りします、私はどんなことであっても忘れることなんて私自身が許せない。それに、亡くなった彼を弔えないわ。」
覚えてきた、全てを自分の脳に埋め込み、その知識を糧にしてここまで来た。
どんなことであろうとルナから記憶を奪うことは絶対に頷けないことなのだ。
キッとつり上がる瞳と銀眼鏡を掛けたザグレブの視線が交わる。
先に目元を緩めたのはザグレブの方だった。
「やっぱり、君ならそう言うと思った。こうして君たちを分けて正解だったよ。メラン嬢はおそらく内容を伝えたとしても消すことを望むだろうからね。」
「…はじめから、私には記憶を残すように?」
「むしろ、そう言ってくれないと私が困っていたよ。意識操作なんて私は使えないからね。」
笑っているザグレブにルナも安堵の息をついた。
安寧のために先生方が考えてくれたことを拒否してしまったことが申し訳なく、砕けていた口調を今更ながらにルナが謝罪を口にするのだが笑顔で言葉を止められた。
「フィオレンティーナ嬢が気に病むことは何もない。君たちは巻き込まれただけだ。ただ、もし、最後まで巻き込まれてくれるなら。」
「…いかがなさいましたか?」
「フィオレンティーナ嬢、私と本格的に話そうか。」