1:気さくな案内人(2/2)
*
「暑い……」
「さっきも聞きました」
「お前もしかして暑くねぇの……」
「当然暑いですね」
歩くこと三十分。俺たちは遠方に光を見つけた。その光源めがけて歩き続けたが、光源に近づけば近づくほど気温が高くなる。それだけでなく、歩けば歩くほど道は細くなり、遂には途切れていた。
「ほら……私の直感は正しかったではありませんか」
「確かに、明かりはあったな。それについては謝ろう。でもおかしいと思わないか、林の向こうが明るすぎて焦点が合わない程だぞ。確実に街明かりではない」
「はい……何でしょうね。未確認飛行物体でも落ちてるのでしょうか」
「UFO信じてんの?」
「信じるか信じないかはあなた次第、と言われましたので」
誰にだ。安いバラエティ番組の悪影響を感じた。
渋々引き返そうとしたとき、俺はある変化に気がついた。
「お前、その耳どうした?」
倉科の耳は、細く長く、先が尖った形に変形している。
「そういう陽波さんも、耳がおかしいですよ」
「俺も!?」
携帯のインカメラで確認すると、確かに彼女同様耳が変形していた。俗に言う「エルフ耳」というやつだ。
「俺たちは長命種に転生したのか……?」
「相当種変換を受けているからでしょうね」
「そーとーしゅ変換?」
倉科は、私も詳しくはありませんが、と一言添えてから話し始める。
「異世界ですから、基本的に同じ種というものは存在しないそうです。おそらくは大気の組成も異なりますし、元通りの体では、来た瞬間お陀仏ということもありえます」
「なるほど?」
「ですから、エナ容量の一番近い種の体に、自動的な変換が働く、という話だった気がします」
つまり、俺たちの体は今、もとの体とは作りからして違う可能性がある、ということか。そう考えてみると、俺達の耳の変形も納得がいった。よくよく考えると、以前別の世界で俺や凛に生えた耳や尾も、相当種変換によるものだったのだろう。
「とにかく引き返しましょう、この光、本当に暑いです」
「ああ」
半ばうなだれるように頷き、携帯を仕舞った。
来た道を引き返しながら、周囲を見渡す。大した距離は見えないものの、茂みの揺れる音から生き物の存在を認知することはできる。
獰猛な野生動物が飛び出してこようものなら、全滅だ。
「不思議ですね、ここの土、暖かいと思いませんか?」
「ああ、それ、目を冷ましたとき最初に思ったよ。床暖房みたいだよな」
「床暖房、話には聞いたことがありますが、このような感覚なのですね」
なんだか嬉しそうに地面を見つめる倉科。まるで床暖房が遠い存在であるかのように話す。本物の床暖房を踏んだことが無いのだろう。体感させてあげたい気もするが、我が家で踏ませることはできない。当然、オンボロアパートに床暖房などというリッチな設備は存在しない。そういえば、錦の家は一階すべてが床暖房だったはずだ。彼がいなければ、俺も床暖房を体感する機会を得なかったかもしれない。
帰ったら、彼女を錦の家へ連れて行くのも面白いかもしれない。
そもそも、帰ることはできるのだろうか――凛と蘭が心配だ。転移の紋章があっても、転移先のグラムガーデンがなければ転移はできない。
「帰りてぇ……」
つい、本音が溢れる。
「目的を果たさずに帰るおつもりですか」
「目的ってなんだよ……」
「鍵の宿主を見つけ、殺害し鍵を持って帰ること――と、サイムス様は仰っていましたね。さっさと殺してしまいましょう」
「さっさと、って――お前には人の心がないのか!?」
「必要なのでしょう? あなたは家族との幸せを得る、私はサイムス様からの信頼を得る、サイムス様は――」
倉科は言葉を濁した。
「……お前、サイムス様大好きなんだな」
「陽波さんが妹を大切に思うのと同じですよ。私には、サイムス様しかいませんから」
彼女はじっとこちらを――俺の瞳の奥を覗き込む。
「サイムス様が殺せというなら、殺すのです。陽波さんも、自分の願いのために人命くらい差し出してください。他人の死で自分が、妹が、幸せにありつくなら、問題ないではありませんか?」
真顔で言い放つ彼女に、声す言葉が見つからない。背筋に嫌な汗が伝う。この感覚は、恐怖に似ている。
「……どのみち、今の私達には帰る術はないのです。今そんなことを考えていても、仕様がありませんよ。他の世界と同じ法則で転移しているとすれば、このXの刻印が消えるとき、自然に元の世界へ戻されるはずです」
彼女の声は、少し遠くに聞こえた。
俺が、他人を――?
湿った両手をぎゅっと握り、地に視線を落とした。
「……とにかく、街に入ってから考えよう」
「そうですね。殺すか否か以前に、他人と出会っていませんからね」
「あ、ああ……」
そこからしばらくは、まともに目を合わせることもできなかった。懸命に妹たちの顔を思い出し、覚悟のようなものを捏ねて丸めてはちぎって投げた。
*
「なあ……」
「何でしょう……」
疲労を隠せない俺を他所に、彼女は顔色も変えない。しかし、声色には確実に疲労が滲んでいる。
「もう五時間は歩いてるぞ」
「だからどうしたというのですか」
一歩踏み出す度、スニーカーの底が湿った地面を感じていた。このあたりは最近雨が降ったらしい。踏みしめた土はその都度水を吐き、ぐしゃりと小さく鳴いた。相変わらず地面は暖かいが、こうも濡れていては座って休むこともできない。
「せめてこっちに来たのが朝だったらなあ、もっと楽だったのになあ!」
「大きい声を出さないでください、こちらまで疲労します」
「もう、何か話していないと気が狂いそうなんだよ……」
かすかに虫の声や獣の足音がする林道を、真夜中に歩く。改めて考えると、慣れていても背筋が寒くなる行いだろう。当然、ナイトハイクに心得のない俺達には負担が大きすぎた。いくら地面から熱が伝わってこようと、シャツ一枚で歩くには流石に気温も低い。
先の見えない絶望。当分休めないという事実が、疲労の蓄積を加速させる。疲れが聴覚を鋭敏にしているのか、遠くの音まで耳が拾ってしまう。自分ではない何かの足が、枝を踏み割る音にもびくつき、余計に体力を消耗する。
俺の腕の鳥肌は、寒さによるものか、あるいは。
「もう歩けません」
ぴた、と足を止める倉科。無表情を貫いていた彼女が、薄ら笑いを浮かべている。もう限界だ。
「正直帰りたいです」
「そんなこと言っても仕様がないって、四時間前のお前は言ってたぞ」
「そんなこと言ってました? はは。殺してください」
「やめろ、お前が言うと冗談に聞こえないんだよ……」
「サイムス様、先立つ不孝をお許しください。最後の時までお仕えすると誓った身でありながら、異界の地にてこのような軟弱者に絞殺されるなど――」
「絞めねえぞ⁉ ん? 今さりげなく悪口言ったな?」
およよ、と泣き真似して見せる倉科に、ため息も出なかった。
そもそも、俺の言った方向に進んでいれば、引き返すようなこともなかったはずだ。そこで一時間はロスしている。あの時、自分の勘を最後まで押し通していれば――それこそ、言っても仕様が無いことだが。
これが、準備万端一日耐久ハイキングコースだったなら、楽しめただろうか。
「五時間歩いたという事実より、ここからあと何時間歩くかわからないという事実が辛いです。世の中のようです。冷酷です、残虐です」
世の中が冷酷で残虐であることは認める。
例え下着まで水が染みても、膝をついて休むべきではないだろうか――そんな提案が喉元まで出かかった、その時だった。
「……倉科! あれ、街灯じゃないか⁉」
「間違いありません! 街灯です!」
俺の指さす先に、はっきりとした白い光の球が浮かんでいる。表情に乏しい倉科も、流石に笑顔の花を咲かせる。
続いて、靴底に乾いた石畳を感じると、俺たちは顔を見合わせ、思わず駆け出した。
明かりが次第に近づき、俺たちの目の前に来たところで、歌声が耳に入る。
「よお、兄ちゃんたち。ようこそフローレンス領へ!」
声は聞こえど姿は見えず。俺と倉科は周囲を見回すが人影は見えたらない。
「おいおい! どこ見てんだ? 上だぜ上!」
声に従い見上げると、そこにはただ街灯があった。しかし間違いなく、声は街灯から発せられている。
「スピーカーとカメラが付いてんのか?」
「あ? スピーカー? 誰だそりゃ! 俺は俺だぜ兄ちゃん」
街灯は口笛を吹く。口がどこかといわれると、見当もつかないが。
「南から人が来るなんてなあ、何年ぶりだろうなあ! このまま進みゃあ、二キロで関所だぜ。どこから来たのか知らねえが、南は暗かったろ? ノートスの街であったまんな! 旅人さんよ!」
街灯は、ひとしきり話し終えると、再び歌い始めた。
「は、はは……ご親切にどうも」
俺はもう、何が起きても驚かない。陽気な歌声を背に、俺は心に決めたのだった。




