1:気さくな案内人(1/2)
*
暖かい。背中に伝わるじんわりとした熱に揺り起こされると、視界の先には満点の星空があった。
星が「瞬く」という言葉の意味を、真に知ったのはこの瞬間であったかもしれない。大小の輝きを放つ星屑は、無数の瞳が瞬きをするかのように、チラチラとその光を揺らめかせている。
「どこだ、ここ……」
数時間ぶりに発語したかのように、俺の声はかすれていた。横になったままかぶりを振るが、四方八方真っ暗闇で、何も見えない。
自分の体さえも。
「お目覚めですか」
「うわっ! いたのか……」
目の前から声がしたため、驚いて体を縮めてしまう。しかし声はすれども姿は見えず……よく考えれば、そもそも全くの暗闇というものも、未体験かもしれない。せめて星ではなく、月明かりがあればよかったのだが。
「近くで寝息を立てていらしたので、自然と目を覚ますまで待っていました」
周囲は静寂に包まれ、琥珀の息遣いまでも感じられる。彼女は、小さな音立てて息を吸い込んだ。
「我、春めく囀りに耳澄ます者
我が指先に陽光の恩寵を」
倉科が言い終えた途端、目の前が真っ白になり、反射的に目を瞑る。恐る恐る目を開けると、鼻先から十数センチの距離に彼女の顔があった。
「うわっ!」
まさかこんな距離にいるとは露にも思わず、飛び上がって距離を取った。
「リアクションにバリエーションの無い人ですね」
「悪かったな!」
ため息をつく倉科の手元が、白く光っている。両手で光の玉を持っているかのようだ。
「それ、何だ?」
「それ、とは?」
「光だよ、何が光ってるんだそれ」
どこを指していいのかも分からず、とりあえず漠然と手元を指してみる。
「魔法ですよ」
彼女は、光を手で掬うようなポーズのまま、上体を持ち上げた。
「魔法って……」
そういわれてもなあ、と参ってしまう。数日前より常軌を逸した現象の数々を目にしている以上、本来荒唐無稽な代物であるはずの「魔法」も、信じざるを得ない。
しかしいくら目の前でそれを見せられても、見ず知らずの場所へ瞬間移動させられても、心のどこかでトリックを探してしまう。
「サイムス様から少しは教わっています」
「俺にもできるんだろ、それ。教えてくれよ」
転移を実行するため、自ら右手首の刻印を赤く光らせた経験を思い出す。あれができたんだ、俺にもきっと素養があるのだろう。
「それでは、詠唱を試してみましょう。私の後に続いてくださいね。我、春めく囀りに耳澄ます者」
「我、春めく囀りに耳澄ます者」
「我が指先に陽光の恩寵を」
「我が指先に陽光の恩寵を」
しかし、何も起こらなかった。
「だめですね」
「諦めるの早くないですか先生……」
光が放たれるイメージを持って、臨んだつもりだったのだが。俺の手元は一向に光らず、右手にぼんやりとXの字が浮かんでいるだけだ。何となく、リストバンドを取り出し、これを隠した。
「詠唱は、あなたの中に巡るエナを、他の形へ変換するための触媒なのです。詠唱だけでなく、魔法具や魔術刻印、魔法陣も同じ機能を持ちます。エナを他の形へ変換する過程を、魔法と読んでいるのです。……全てサイムス様の受け売りですが」
「はあ」
「今試した詠唱に、触媒としての欠陥があるのだと思いますが、具体的なことは分かりかねますね」
ぽんこつめ。口に出すのはやめておいた。教えるのが下手だと罵るのは簡単だが、俺自身の能力が魔法の発現に不十分な可能性もある。後々笑いものになるのは御免だった。
「これも「触媒」ってわけか?」
リストバンドを指す。もちろん真に示すところは、右手首の痣だ。
「そうですね。それが魔術刻印です」
「じゃあ、これを使って光を出せばいいんじゃないのか?」
「それは転移用の刻印ですから。いくらエナを注入しても、転移にしか使えません。魔法陣も詠唱も、多くは一つの事象専用になっています」
「不便すぎる……」
魔法は万能というわけでもなさそうだ。想像していた「魔法」の数倍、いや数十倍は手間がかかる。
「呪文が使えない貴方でも、刻印は使いこなせるでしょう。一つ差し上げましょう」
彼女はポケットから油性マジックを取り出し、リストバンドを擦り上げた。そして、俺の右手に落書きを始める。
「何してんの!?」
「刻印です」
「油性マジックだけど……? 刻んでないよねコレ」
「皮膚を侵食している完全な紋様であれば、すべて「刻印」です。転移の刻印は焼き付けてありますが、本当は入れ墨でも構いません。はい、完成です。指を鳴らせば発動しますよ、使ってみてください」
子供の落書きにしか見えないその刻印に、エネルギーが注入されるイメージを持つ。油性マジックが、本来の色を失い、赤く光る。
そのまま、指を鳴らした。
鳴らした指の先から、火花が飛び散り、バチバチと音を鳴らす。
「おお!」
「成功ですね!」
「これはなんだ? 雷属性の攻撃魔法!? いや、炎属性か!?」
「花火です」
「花火」
「線香花火です」
「しかも線香花火」
俺の指先から、静かに火玉が落ちた。
「いや、すごいスパークしてたじゃん……てっきり攻撃力があるものかと……」
「それは、ただ単に貴方のコントロールが悪いだけです。転移の刻印についてもそうですが、込めすぎです。少しは加減というものを覚えてください。いつかエナが枯渇しますよ」
「はい……」
何も言い返せなかった。
「さて、冗談はさておき」
「どこからどこまでが冗談だったんだろうか……」
「どこかへ進まなくては。ここにずっといては飢えて死んでしまいます」
「まあ、確かに」
ポケットの中に手を入れると、携帯が入っていた。時計は三時を示している。
「……三時か、だいぶ寝てたみたいだな。近々夜が明けるだろうし、移動はそれからでもいいんじゃないか?」
「いえ、近々夜が明けるとは限りませんよ。寧ろ、今から夜が更けていくかもしれません」
「どういうことだ? 最近かなり日も短くなってきたし、二時間もすれば朝だと思うが」
「ですから、それはここが日本であると仮定した場合では?」
「……なるほど? つまり異世界は、時間の流れも元の世界と違ってるってことか」
「十中八九、いえ九分九厘違うでしょうね」
状況が飲み込めてきた。携帯が圏外なのも、ここが林のど真ん中だからではなく、ここが異世界だからだなのだ。恐らくここは、サイムスによってユグドラシルからもぎ取られた、青いグラムガーデンの中なのだろう。
つまり、俺の鞄に入っている財布もICカードも学生証も、役には立たないというわけだ。
「……歩ける体力があるうちに、出来る限り歩こうか」
「賛成です」
俺達は、案外呼吸が合うのかもしれない。ほぼ同時に立ち上がると、自身に付いた砂を払った。
俺は携帯電話のライトを使うか迷ったが、やめておいた。何時間歩いたか確認するための時計は、携帯の電源が切れると失われてしまう。今は琥珀の魔法で十分だ。
しかしこの明かりでは、数メートル先を見るのが限界だ。林道の向こうに何があるか、全くもってわからない。
「さて、とりあえず右に進むか」
「では、とりあえず左に進みましょう」
……前言撤回だ。
「右にしようぜ? こっちに町がある気がするんだよな」
「いいえ左です。遥か先が光っているのが分かりませんか?」
「いやあ? 俺には見えないな」
「どちらでもよいのであれば、とりあえず左でいかがですか」
「なんでそんなに左がいいんだよ!」
「自分の直感しか信じられないからです!」
「今直感って言ったな!? やっぱり明かりなんて見えないんじゃねえか!」
息が合わないだけでなく、頑固者同士だった。お互い意見に根拠がないからこそ、譲れないこともある。ある意味、似たもの同士ではあるのかもしれない。
このあと、十数分に渡って睨み合いをすることになった。




