4:甘美な夢で目隠しを
「ハンドクリーム、使ってくれてるんだ。嬉しいなあ」
小日向先輩が、眼鏡に触れながらふにゃりと笑う。
「はい。洗い物で乾燥するんで、重宝してます」
「働き者だね陽波くん」
嬉しそうな先輩を見ていると、俺まで嬉しくなる。俺はハンドクリームを使っているだけなのだが。
「先輩からはいつももらってばかりで……俺も何か先輩にできたらいいんですけど」
「いいんだよ、陽波くんはそのままで。いつも通り、楽しそうに妹ちゃんの話を聞かせてくれれば」
「先輩、凛と蘭のことホント好きですよね。俺も好きです」
「あは、知ってる知ってる! それより、これ。今日渡すんでしょ?」
先輩が差し出したピンクの紙袋を、そっと受け取る。念のため中を確認すると、そこには確かに二つのプレゼントボックスが入っていた。
「ありがとうございます。すみません、プレゼント選び手伝って貰った上に、当日まで預かってもらっちゃって……」
「全然平気だよ。凛ちゃんと蘭ちゃん、喜んでくれるといいね」
「はい、リアクション報告しますね!」
そう、今日は凛と蘭の誕生日だ。
箱を空ける二人を想像すると、口元が緩む。中身は、二人の好きなアニメ「マジカルアイドル☆りるりー・ちゃお!」のコラボネックレスだ。俺の感覚からすれば、小学二年生の女児にアクセサリーは早いような気がするが、先輩曰く「サプライズプレゼントは、背伸びしてるくらいでちょうどいい」らしい。女児向けファンシーショップに一人で足を踏み入れずに済んだのは、本当に助かった。
「それじゃあ先輩、お先です」
「うん、お疲れ様!」
タイムカードを切り、小走りでバックヤードを後にする。自宅までのわずか数分の道のりが、今日はやけに長く感じられた。
*
自宅に戻ると、玄関の戸を開ける前から、凛と蘭のはしゃぐ声が聞こえてきた。
ここまでのはしゃぎ声は、動物園くらいでしか聞いたことがない。
「なんだ……?」
玄関を開けると、いつものお迎えがない。靴を脱ぎながらただいまと呼びかけるも、聞こえていないようだ。居間の戸を開けると、凛と蘭は弾むボールのように飛び跳ねながら近づいてきた。
「お兄ちゃん!」
「おかえりー!」
きゃっきゃと楽しそうな笑い声をあげている。
「どうしたお前たち。何かあったか?」
「うふふー」
「えへへー」
二人は顔を見合わせて、せーのと合図した。
「じゃじゃーん!」
二人が一つの封筒を寄越した。受け取って確認する。
表書きには。「りん、らんへ」の文字。そして裏には。
「なんだ、これ――」
血の気が引き、口元は思わず引きつる。
お母さんより。
確かに、そう書いてある。
「おかあさんからお手紙!」
「すごいすごい! 誕生日プレゼントだ!」
封筒から便箋を引き抜き、中身を確認する。流し読むと、当たり障りのない文章の中に、強烈なメッセージを見止めた。
つぎに、さくらがさいたら、会いにいくね
「お母さんが帰ってくる!」
「桜っていつ咲くの?」
「四月かな?」
「三月かも!」
二人は元気いっぱいに跳ね回っている。両親が死んだとき、二人には火葬も骨上げも見せなかった。二人が最後に見た両親は、死に化粧した姿だろう。当時未就学児だった二人でも、死は理解しているものと思っていたが、そうではなかったのか。
眠りについた両親が、ある日を境に帰宅しなくなった。そして二年後、帰ってこなくなったはずの母親から手紙が届く――。
悪質だ、あまりも。
見せる夢が甘すぎる。胸やけがする。
玄関ポストに投げ入れれば、誰もが出来てしまういたずらであるとはいえ、犯人におおよその見当はついていた。俺の家を知るものはそう多くない。親友の小太郎、小日向先輩、そして――
「ごめん二人とも、兄ちゃんちょっと、出かけてくる」
「えー、またー?」
「今日はお誕生日なのに?」
「ごめんな。すぐ戻るよ」
玄関に戻る。そしてそっと、リストバンドを外した。
右手首の刻印には、まだ今朝灯した赤い光が、仄かに残されていた。しかし、どれだけ光っていればいいのか、正解が分からない。わからない以上、再び「燃え上がらせる」以外になかった。
左手の指先から力が移動するイメージを持ちながら、右手首の刻印を擦る。マッチの先に火がつくように、刻印は炎を上げた。
お望みどおり、遊びに行ってやる。
右手をグラムガーデンにかざすと、ぐにゃりと右手の像が歪む。小さな世界との接触点から吹き出した光が玄関中を満たし、視界はホワイトアウトした。
*
目を開けると、そこには今朝同様、白い砂地が広がっている。天を仰げば太陽があり、すでに二十時を過ぎているとは思えない様子だ。
怒りに沸騰した頭を落ち着かせるため、ゆっくりと息を吸うが、勢いよく吐き出すことしか出来なかった。
「くそ……っ」
犯人の行いに腹を立てているのか、冷静になりきれない己に腹を立てているのか。定かではないが、ともかくノブに手をかけた。ノックは――不要だろう。
勢いよく戸を引くと、そこには倉科琥珀の姿があった。
「……いらっしゃいませ」
鳩が豆鉄砲を食らったような顔で、挨拶をする彼女。メイド服を身にまとい、ほうきを手にしている。
「おい、なんだよこれ……」
俺が封筒を掲げて見せると、倉科は目線を床に落とした。
「存じあげません」
「嘘つくなよ」
ほうきをぐいと掴んで顔を覗き込む。
「俺に、俺達に何の恨みがあって、こんなことすんだよ……!」
「わ、私は……っ」
倉科は、眉根を寄せて顔を背ける。
「私は、本当に存じ上げないのです」
「お前以外に誰が――!」
その時、パタンと強く書籍を閉じる音がした。カウンターの奥に座っている老人が、光のない目でこちらを見る。
「儂じゃよ、その手紙を出したのは。琥珀は投函したに過ぎん。こうでもしなければ、乗り気になってはくれんじゃろうと思うてな」
にやりと吊り上がる口角が、びっしりと並んだ黄色い歯を露出させ、思わず背筋がゾッとした。
「ふざけるな! 俺はともかく、妹たちを巻き込みやがって! アイツらはまだサンタクロース信じてんだぞ!? こんなもん、信じちまうだろうが!」
ぐしゃりと音を立て、手の中で封筒が潰れた。この先に待っているのは、期待を裏切られる絶望と、改めて突きつけられる死の事実だけだ。許されて良い訳がない、こんな所業が――
手の震えを自覚する。
「その手紙を、『本当』にすればいいだけじゃろうが。どんな願いも叶うんじゃからな、ユグドラシルの呼び声に応えれば」
「こんなことまでして、俺を勇者に仕立て上げたいのか……!」
「必要なのじゃよ、お主が。このまますべてを終わらせるわけにはいかんのじゃ。それによく考えても見よ、お主がどれだけ妹を思おうとも、彼女らが真に求めるのは親なのじゃ。代わりにすぎんのじゃよ、お主はな」
「……ッ!」
反論しようと喉元まで上がってきた言葉は、声にならない。
おかあさんが、いい
凛の言葉が脳を揺さぶり、俺の瞼を重くする。
「なあに、人間一人二人の蘇生なぞ容易い。かつてこの方法で、陸から島を切り出した者も、一つの種を消した者もいたのじゃからな」
老人が指を立て、その指先を下へ振り降ろした。その動作に呼応するように、建物の壁、そして天井がたちまち消えた。いや、違う。これは「透けた」のだ。
眼前には、ユグドラシルが鎮座している。どんな奇跡も現実のものにする――それが嘘ではないことを、この存在は全身で伝えていた。
想像する。
静寂のボロ屋に帰ってくる凛と蘭を。二人ぼっちで、冷えた夕食を済ませ、夜の孤独に耐える八歳の小さな体を。
想像する。
凛と蘭が、ただいまを言う相手がいる日々を。ずっと習いたがっていたピアノがある、冬も凍えないぬくもりの家を。
真に二人の幸せを願うなら、答えは明白だ。
「……どうすればいい。俺何をすれば、願いを叶えられる?」
「ほっほ……そう来なくてはなぁ」
琥珀、と老人が空中を指差した。これを聞いた彼女が窓を開けるような仕草をする。
「出で来い、恋ひ愛づる藍の調停者よ」
老人の言葉に呼応するように、ユグドラシルの一部がディープブルーに輝く。その輝きは、リン、と鈴を鳴らすような音と共にユグドラシルを離れ、倉科の手元へ降りてくる。そしてそのまま止まることなく、老人の手元まで吸い寄せられた。
この距離までくればわかる。光っているのは、グラムガーデンだ。
「収束へ向かわんとす終息の調べ、我が身にて断ち、忽ち爪弾かん新たなる早歌」
「顕現せよ、干渉の鍵、暗幕の移し身」
老人が唱え終えた途端、グラムガーデンの表面に、「六」の字が浮かんだ。そしてその字は歪み、光の線となって、俺の右手へ向かって飛び出してきた。
「痛ッ!」
突然のことだ、更に言えば光速である。避けられるわけもない。右手に焼き付くような痛みを覚え、恐る恐る目線をやると、そこにはXの字が刻まれている。それ自体には見覚えがあったがしかし、今回は一つではない。数えてみると、七つあった。
「さあ旅立つがいい坊主。この世界の中から、鍵を宿す人物を探し出すのじゃ」
「人物……?」
「そう。見つけて、殺せ」
右腕が、強い力で、青く光るグラムガーデンに引き寄せられる。力の主は不可視の何かだ。
「何だよ鍵って! どこに連れて行かれるんだ俺は!?」
「鍵の主はすぐに見分けがつくじゃろう。なんせ鍵の主は、出会った途端、お主へ強い好意を抱いてしまうからの」
「はぁ……!?」
地面に足を突っ張るが、綱引きのように引きずられ、グラムガーデンとの距離は狭まっていく。
「鍵は秤量器を動かすパーツの欠片。パーツは強い力との融合を求めて宿主を動かす、それだけのことじゃよ」
理解が追いつかない――まずい、このままでは!
「陽波さん!」
倉科琥珀が手を差し伸べてくる。俺は反射的に、その手を取った。しかし次の瞬間、右手に強い違和感を覚える。違和感の正体は、もう見なくても明らかだった。
吸い込まれる――ディープブルーの閃光に、視界は染まり、奪われた。




