3:家庭訪問(1/2)
目を開けると、そこは小学校の保健室だった。
俺は慌てて息を吸った。俺は全身にじっとりと汗をかいている。死の危険を察知したからだろうか。
腕の中で、凛が穏やかな寝息を立てている。角がなくなった小さな頭を、そっと撫でた。
「ほんとに元通りになるんだな、安心したよ」
俺の一言に言葉を返すものはいない。
「倉科……?」
あたりを見回すが、彼女はもういなかった。カーテンが風に煽られ、大きく翻る。
時計は、転移の直前に見たのと同じ、一時過ぎを指していた。
*
「先輩、ユグドラシルって知ってますか?」
「ユグドラシル? うーんと、どこかの神話に出てくる、大きな樹じゃなかったっけ……? ごめんね、詳しくないの」
「じゃあ、セパル・ドールって知ってますか?」
「何? カフェの名前?」
「俺も知らないんですけど」
「ふふ、何それ、変なの」
同じファミレスでバイトする小日向南は、笑うと眼鏡を触る癖がある。部活に所属していない俺にとって、彼女は唯一の「先輩」だ。
今春、大学進学を機にバイトを辞めてしまうとばかり思っていたが、寧ろ出勤頻度は上がっている。
……卒業式当日、先輩の背中を見送りながらこっそり流した涙を返してほしい。
「じゃあ、異世界って信じますか?」
「異世界? 天国とか、地獄とかそういうこと?」
「まあ、そんな感じですかね……そういうとこに、行き来できるとしたら、行きたいですか?」
「うーん、ちょっと見学するだけなら、行ってみたいかも?」
「天国へ行ったら、天使の羽が生えちゃうかもしれませんよ」
「空飛べちゃう? ふふ、天使の羽、似合うかなー?」
先輩が笑うと、元から垂れている目が余計に垂れる。パンダ顔負けのタレ目だ。きっと天使の羽がよく似合う。
「どうしたの陽波くん。らしくないね? いつもは凛ちゃん蘭ちゃんの話ばっかりしてるのに、今日は髄分ファンタジーだね」
「すみません、答えにくい質問して」
「んーん、全然! なんか嬉しいな、意外な一面知っちゃった感じ」
「いや! そのイメージはちょっと待ってください!」
「ふふ、恥ずかしいの?」
ピンポーン、と高らかな呼出音が響く。
「行ってくるね」
夕飯時を過ぎた客席は空いているが、その分ホールも手薄で案外忙しい。先輩はくるりと方向転換し、表示された席番を確認する。
ふわりとピーチの香りがした。
「天使の羽、な……」
我ながら髄分ファンシーな一言が出たものだ。しかし想像せざるを得ないだろう、凛の頭に生えた角を思い出すと。
凛と蘭が純白のワンピースに見を包み、真白の翼を広げる姿を想像する。思わず手を組んで天を仰いだ。似合うのも当然だ、なんせ彼女らの本職は天使だから。
異世界転移をした日から数日。
凛はすっかり元気になったが、倉科とはまともに会話ができないままでいる。彼女の周囲には未だに人垣が出来ているのだ。
俺はキッチンへ戻り、調理を始めた。家で料理し、バイト先で料理し。同じことを繰り返す日々に飽き飽きもするが、妹達が俺の精神を支えてくれる。
おかあさんが、いい
ふと、凛の言葉が頭をよぎる。
俺はかぶりを振り、忘却に務める。
大丈夫大丈夫。何も心配することはない。俺はうまくやっている。
大丈夫だ。
*
総合公園に三十組のテントを張る日雇いバイト、日給につられて応募したことを後悔した。夜の街灯と懐中電灯だけを頼りに、たった六人での作業。言わずもがなの地獄である。夜の屋外作業は二度とやりたくない。
鉛のように思い足を引きずり、自宅の玄関まで辿り着いたところで、ドアノブにかけられた大きな包みに気がついた。
メロンないし小玉スイカが包まれた風呂敷のようだ。しかし、持ち上げると存外軽い。
風呂敷にはクリップでメッセージカードが付けられていた。
いつも帰りが遅いのですね。
今日もお会いできず残念です。
お時間が出来ましたら、
いつでも私の家へ遊びに来てください。
琥珀
「なぜ俺の家を知っている……」
今日も、という言い回しから、俺の家へ足繁く通う倉科琥珀が想像される。そして玄関に贈り物を残していく……友人でなければ完全にストーカーの所業だ。
彼女との交流はあれきりで、友人と呼ぶにはいささか抵抗があった。
自称「お人形」の私生活に、少しも興味がないといえば嘘になるが。遊びに来てくださいと言われても、俺はあいつの家を知らない。
家どころか、俺はあいつのことを何も知らない。
「関係ないな! うん! 俺には妹がいるしな! それ以外は何もいらねえな!」
大きな独り言で自身を奮い立たせ、家の中に入る。
「遅い!」
「遅いよおっ」
束ねた髪が、犬のしっぽのようにパタパタ揺れ動く。凛と蘭は俺の周りをくるくる走り回り、最後には俺の足に飛びついた。
「ちゃんとご飯食べたか?」
「食べた!」
「全部食べたよ!」
「おー! 偉いぞ!」
今日のハンバーグに、人参とピーマンが混ぜ込んであったことには気が付かなかったようだ。
「ところでお兄ちゃん」
「それ、なあに?」
俺が靴を脱いで廊下に上がると、二人は目ざとく俺の荷物――琥珀からの贈り物を発見した。
「わかった、スイカでしょ!」
「違うよ、メロンだよ!」
「それは蘭が食べたいものでしょ!」
「凛のスイカだってそうでしょ!」
「違うもん!」
「はいはい、わかったわかった。よーしお風呂に入るぞ!」
「ええっ、せめて答え合わせをしてから!」
「メロンのお姿を見てから!」
二人がやたらと急かすので、仕方なくその場で開封することにした。
「言っておくが、メロンでもスイカでもないからな」
どう考えても果実の重さではない。身に覚えの無い荷物を開けるというのは、どうも緊張するものだ。スイカかもしれない、と思いながら開ける方が、いくらか気分はマシだったかもしれない。
縛り目を解くと、球状のそれはするりとドレスを脱いだ。
「ん?」
「なにそれ」
二人がそれぞれ小首を傾げる。俺の背には、冷や汗が伝った。
「グラムガーデン、か……?」
「きれーだね?」
「おもちゃ?」
「はい解散! フルーツじゃなくて残念だったな! これは超高級な置物だからな、絶対触るなよ」
「超高級!」
「何億円?」
「プライスレス」
見慣れないものにはしゃぐ二人を居間に押し込めて、俺はちらりとグラムガーデンに目をやる。水晶の中に、封じ込められたジオラマは、非常にシンプルだ。砂漠の中心に、ポツンとあばら家が立っている。
「どういうつもりなんだ、あれは……」
俺は妹たちに聞こえない程度の声で、ため息ついでに呟いた。
*
早朝の学校というのは、世界から人という人が消え失せたかのような静けさがある。日直だという蘭に合わせて家を出たが、流石に早すぎたようだ。
席に座り、窓から見える校庭を呆然と眺めていた。
「おはようございます陽波さん」
「うっわ! 気配を消して近づくなって!」
唐突に後ろから話しかけられ、肩が思い切り跳ね上がってしまった。周囲を見回し、誰にも見られていないことを確認する。
改めて振り向くと、背後の座席に倉科琥珀が座っていた。
「……今、本当に音もなかったぞ」
「この座席を出現ポイントとしていますので。まさかこんな朝早くに登校している生徒が居るとは想定外です。出現ポイントの修正が必要かもしれません。不登校の水際さんの席はやめて、女子トイレの個室あたりが良いでしょうか」
「出現ポイント?」
「毎朝異世界から登校していますので」
「ああなるほ……異世界!?」
「私の世界に繋がるグラムガーデンは、お渡ししたはずですが? 一向に訪ねてくださいませんね?」
「あの中に住んでんのか……」
まさか、自宅の入り口を渡されているとは思わなかった。
俺は自分の右手首に目をやった。リストバンドで隠しているが、その下には未だに痣が残っているのだ。異世界へ渡った日以来、風呂に入るたびに確認しているが、いつになっても消える気配はない。
「何なんだ結局、グラムガーデンってのは」
「あ、興味が湧きましたか?」
「いや、そういうわけでは」
「では行きましょう、私の家へ」
「いやまて! 授業があるだろ!」
「大丈夫です、ユグドラシルのたもとには時間の概念がありません」
「何言ってんのか全然わかんねえ!」
彼女は俺の腕をしっかりと掴み、にこりと微笑む。机の上に置かれたリュックサックの蓋を、片手で器用に開けるのを見た。
――嫌な予感がする!
「良くない! こういうの良くないぞ!? ていうか痛ってぇ! お前握力強すぎだろ……!」
「照れますね……」
「褒めてねぇぞ!?」
彼女がリュックサックに手を入れる。俺は知っている、そのリュックサックの中身を。
透き通り、反射で光るその曲面。
「……手土産もないが?」
「お構いなく」
彼女の瞳の奥に、引きつった俺の笑顔が見える。彼女の腕が、みるみるリュックサックに飲まれていく。俺は諦めて目を瞑り、頭を垂れた。
大きく息を吸い、止めて衝撃に備えるも――結局はすべて、吐き出してしまうのだった。




