2:箱庭の入り口に手を添えろ(2/2)
目を開けてすぐ、凛の無事を確認した。凛は俺の腕の中で、肩を上下させ苦悶の表情を浮かべている。
しかし違和感に気がつくまで、そう時間はかからなかった。凛の頭に、一対の角のようなものが付いている。髪をかき分けて根本を確認すると、頭皮が歯茎のように盛り上がり、内側から骨が突き出るかのように「生えている」のだ。
「なんだよこれ! 何が救ってやるだ、騙しやがった……な…………?」
一瞬で頭に血が上り、つい大きな声を出してしまったが、倉科の姿が目に映ると冷静になった。
なぜなら、彼女の頭にも同じ角が生えていたからだ。
それだけではない。彼女の制服のスカートから、長い尾のような物が伸びていてる。彼女はその尾をしならせて見せた。彼女は不満げに眉根を寄せる。
「角と尾なら、あなたにも生えているではありませんか」
「は……?」
自身の頭に触れる。そこには確かに、角が生えていた。しかも、彼女らについているそれとは比べ物にならないほど大きい。引っ張っても痛みは無いが、コツンと叩くと頭の中まで振動が伝わる。
「説明は後です。行きますよ」
倉科琥珀は歩き出す。ここがどこかは分からないが、ここでは彼女を信じることしかできないということは分かる。
乗りかかった船だ――俺は彼女の後に続いた。
歩きながら周囲を見回すと、ここが室内であるのか屋外であるのかすら判然としない情景が広がっている。
四方八方はガラス張りになっており、透明の床の下には人が歩いている。人、といっても、全員に角や尾が生えており、尾は手足のように滑らかに動いている。コスプレパーティー会場ではなさそうだ。
天井を見上げると、ガラス張りの床を歩く女性が目に止まった。スカートの中がバッチリ見えている。臀部の食い込みまではっきりだ――色は白、清純派だ。
「良かった、空いていますね」
声をかけられてはっとし、視線と思考を前方に戻す。
正面には、ガラスの扉がずらっと並んでいた。多数あるガラス扉はどれも赤や緑に光っている。倉科は緑の扉を選んで開けた。
「さあ陽波さん、こちらへ」
慣れた動作で案内される。四方八方がガラスで囲まれた部屋の中に入ると、ガラス面は鏡面に姿を変えた。外の様子は全く伺えない。
普通は逆じゃないか?「普通のマジックミラー」が何たるかを語るのは控えておく。
俺は促されるままに凛をベッドに寝かせる。汗で額に張り付いた前髪を丁寧に除け、ハンカチで首元まで滴る汗を軽く拭いた。状態は先程以上に悪くなっているように思える。
「……このベッド、呪いのベッドじゃねえよな?」
ベッドフレームには、読めない字がびっしりと書き込まれている。御札が貼られていても違和感がない気持ち悪さだ。
「ちゃんと魔法陣が見えているんですね、流石です」
彼女は言いながら、ベッドの縁に手を触れた。すると徐にベッドは赤く光る。正確には、刻まれた文字が光っているのだ。
「ほら、陽波さんも手伝ってください」
ただ呆然と眺めていると、僅かな苛立ちを孕んだ声が飛んできた。
「手伝うったって、どうすれば……」
「ベッドに触れて、イメージしてください。あなたのエナが――いえ、活力が、このベッドに流れ込むイメージを」
「お、おう……」
例えが漠然としていて、到底理解できない。しかし凛の苦しそうな表情を見ていると、試さない訳には行かなかった。
言われるがままにフレームを握り、イメージする。
俺の活力が、両手に集まる。
そして指先からベッドへと流入し、
文字をまばゆく光らせる。
イメージ――!
音もなく、ベッドが強光を吐き出す。そしてベッドは、激しい炎に包まれた。
「な――!?」
「陽波さん、やりすぎです」
一瞬の驚愕が通り過ぎてすぐ、凛の名を呼んだ。凛を抱きあげようと炎の中に飛び込むと、その炎が熱を持っていないことに気がつく。
いや、これは寧ろ――
「動かさないほうがよろしいかと」
「そう、みたいだな……」
凛の汗が引いている。炎は彼女の体を害するどころか、むしろ癒しているようだ。
落ち着いてあたりを見回すと、ベッドの周囲には多数の試薬瓶と見慣れない器具が並んでいる。壁付けの棚にタオルケットを見つけ、凛の体にかけた。
「そろそろ説明してくれないか」
「このベッドですか? このベッドは解熱鎮痛と免疫強化の魔法陣が最初から刻まれている基本の医術魔法具で――」
「そうじゃなくて……! そもそもここ、どこなんだよ」
「……さあ?」
「さあ、って……」
「正確なことは把握していません。私が知っているのは、この世界が、最も高度で開けた医療魔法の浸透している世界だということだけです」
彼女の口ぶりから察するにやはり、ここは俺の知っている世界ではないのだ――異世界、というやつなのだろう。
瓶に刻まれている読めない文字も、自身に生えた巨大な角も、その事実を支持している。
ベッドの炎はかなり弱まり、凛の表情が伺える。
呼吸は驚くほど穏やかになり、皺の寄っていた眉間は脱力している。
「凛は、ちゃんと元の世界に、元の姿に戻れるんだろうな?」
「勿論です。嫌でも元の世界に引き戻され、体も元に戻りますよ。この光が潰えたときに」
彼女は胸元の痣を見せつける。痣の光は失われていたが、その真上に赤く光るバツ印が付いていた。
自分の右手首も確認すると、同様にバツ印が刻まれている。
俺はひとまず安心し、凛の頭を撫でた。まだ熱は引いていないが、小児用の解熱剤よりよっぽど即効性がある。それにしても、幼さの象徴たる柔らかな頬と無骨な角のコントラストは芸術的な愛らしさだ……俺はポケットから取り出したスマホで写真に収めた。
長い沈黙があった。
雑音がここまで制限された空間を、俺は知らない。スマホは電波を受信しない――こんなにも間が持たないとは。
倉科にちらりと目をやると、真顔で椅子に座り虚空を見つめている。
俺はこの場に相応しい一言を慎重に探し、そして発した。
「……ありがとな。凛を助けてくれて」
彼女の言う通り元通り戻れる前提で、お礼を言った。感謝の言葉は鮮度が重要だ。
「いえ、構いません。この世界は、私自身何度か使用していますので、定番の転移先です。朝飯前ですよ」
「そんな頻繁にするのか? その、異世界転移……てやつ?」
「しばしば。訪れたことのある世界は限られています。三つ四つくらいでしょうか。最初にこの世界を訪れたのは、右腕が千切れてしまったときで」
「右腕が千切れてしまった!?」
「はい、転移失敗で。右腕だけが転移してしまった為に、グラムガーデンとの境界面で断ち切れました」
もしかすると、自分はついさっき非常に危険な橋を渡ったのかもしれない。凛の頭が千切れる様を想像し、血の気が引く。
俺の青い顔を見て、彼女ははっと目を見開く。
「心配する必要はありませんよ。その失敗は、エナ不足が原因でした。今回は十分なエナを注入していますから、帰り道もご心配は不要です」
「それはよかった……そういや、その、エナってなんなんだ?」
「それは――」
彼女がいいかけたところで、凜が小さく唸って寝返りを打った。
「凜!? 大丈夫か!?」
凛は少し苦しそうに目頭を絞ってから、ゆっくり細めを開けて呟いた。
「お……ん」
「どうした?」
汗ばむ小さな手を、ぎゅっと握ってやる。
「お…………あん?」
「凛? 大丈夫、お兄ちゃんはここにいるぞ」
薄目を開けた凛と目が合う。
「お……かあさん、は?」
凛の瞳から涙が溢れる。
「お母さん……?」
俺の喉が、掠れた声を発する。
「おかあさんが、いい……」
「お兄ちゃんが、いるぞ、ここに――」
「おかあさんがいい、おかあさ……ん!」
凛は再び目を閉じ、眠りに落ちた。
言葉を失った俺の口から、細く息だけが溢れる。
お兄ちゃんじゃ、だめなのか。
目の前が真っ白になるという感覚を、初めて味わった。俺の手はベッドの上から力なく滑り落ちる。
「……無理にこんなところにつれてきたのは、間違いだったかもしれません。直ぐに良くならなくとも、母親のもとへ届けたほうが賢明でしたね」
「居ないんだよ、もう」
俺の言葉に、彼女は目を剥く。
「どこにも居ないんだ」
自分自身に言い聞かせるように口に出す。俺は妹達の父であり、母であろうと決めた。
いくら志しても、目指しても、俺は「お母さん」にはなれないのだ。いくら稼いでも、お母さんだけは与えてあげられない――紛れもない事実だ。
「すみません、相応しい励ましの言葉を、持ち合わせていません」
「いいって、気にすんなよ……」
俺の声は震えていた。メンタルは人並みの強度を持ち合わせているつもりだが、妹からの直接的なボディーブローは五臓六腑を打ち抜く威力があった。即死級だ。
ここであることに気がつく。俺は学校を飛び出してきたがために、スマホ以外の物は何も持っていない。当然、財布も無い。
「ここの使用料金はどうやって払うんだ? 俺、持ち合わせがないんだけど……」
「陽波さん、私たちは受付を通らずにここまで来ましたね?」
「そうだな」
「そして受付を通らずにこのまま帰ります」
「ああ」
「お会計は不要ですね?」
「無賃使用かよ!」
「医療のセルフサービスという、異世界ならではのシステムを有効利用しているというわけです」
「有効利用じゃなくて悪用ですよね倉科さん?」
「倉科? 誰ですか?」
「お前の名字だろ……?」
「そうでした……昨日サイコロを振って決めた名字なので馴染みがありません。琥珀とお呼びください」
「偽名なのかよ……」
彼女は立ち上がる。
「姓はありません。私、人間ではありませんので」
「は……?」
「私は生ける人形、セパル・ドール。適合者を異世界へ導き、ユグドラシルの確率変化機構を起動させる為、サイムス様に作られました」
セパル・ドール? ユグドラシル? 作られた――?
聴きなれない用語の羅列に、頭がついていかない。
「残念ながら時間のようです」
彼女の胸元に刻まれたエックスの刻印は色を失い、じわじわと端から崩れるようにして消えていく。
それに伴い、体が柔らかな白光に包まれていく。俺の体も同様だ。
「こちらへ来たときと同じように、妹を抱き上げてください。そして決して手を離さないこと。途中でうっかり落とせば四肢分断です」
倉科琥珀は微笑む。
冗談なのか否か――ゆっくりと考える暇もなく、俺は凛を抱き上げた。
俺達を包む光は、目を開けていられないほどに強くなり、瞼は自然と固く閉じられた。俺は、腕に凛の体温だけを感じていた。
次の瞬間、水の中へ飛び込んだ様な圧力と息苦しさを感じ、俺は思わず肺の中身を吐き出した。




