10:蜜の香りで淀む部屋(1/2)
「ああ、やっぱりステラ様だ。これはなんの騒ぎですか?」
この男とステラは、どういう関係なのだろう? ステラの方に目をやった――つもりだったが、そこにステラの姿はない。
「あれ? ステラ?」
周囲を見回すが見当たらない。
男は依然、微笑みを浮かべていた。
「恥ずかしがり屋さんだなあ、ステラ様は。それで、君は?」
「旅人ですよ」
「旅人さんかあ。ようこそ、フローレンス領へ! おや? もしかして、昨日もどこかでお会いしませんでしたか?」
彼は顎に手を当てると、首を軽くかしげて俺の顔を覗き込む。
「まあ。何度か廊下ですれ違ったくらいですけど」
「やっぱり! 見ない顔だと思ったので、覚えていましたよ。フローレンス領は素晴らしい土地でしょう」
「そうですね。街はごみ一つないですし」
「そうでしょう、そうでしょう。僕もこの領地の整備に携わっていますが、プラーガ様は領主としての役割をしっかりと果たして下さるお方。僕も領主として、頑張らなくちゃなあ」
メイドたちが黄色い声を上げる理由がよくわかる。彼は見目麗しいだけでなく、気さくで人当たりがいいのだ。笑顔を絶やさない。
こちらに来て、まともだと思えた人間は、ステラと彼だけかもしれない。
「この屋敷に住んでいるんですか?」
「いいや、僕もキャンドル領での勤めがあるからね、通っているんですよ。今日は息子の様子を見にね」
「お子さんがここに?」
「ああ、いや、プラーガ様の長男ですよ。プラーガ様の後妻は僕の姉でね。おっといけない、そろそろ時間だ。それでは、楽しんでおかえりください。良い旅を」
「どうも」
彼はにこりと笑って、手を振りながら去っていった。ただ歩く後ろ姿にも存在感がある。
ここで改めて周囲を見回すが、やはりステラの姿はない。
「ステラは、どこへ行ったんですか」
その場に残った年配メイドに聞いてみる。
「さあ……自室に帰られたのではないでしょうか」
「さあ、って……ステラに関心ないんですか?」
「いいえ、そんなことはございません。しかし、ステラ様はああいう方ですから」
ああいう方、ってどういう意味だ――? ステラは確かに奔放だが……突然気分が悪くなった可能性もある。
「俺、ステラの部屋を訪ねてもいいですか」
「なりません。ルーイ様にはこれより、メルの間へ入っていただきます」
「メルの間って、何なんですか?」
「……わたくしの口からは何とも。メルの間にお通しするのは、要人ばかりであることは間違いございませんよ」
気がつくと俺の後ろには護衛官がついていた。
「さあ、こちらへ……」
要人としての扱い、なのかもしれない。しかしステラが気がかりな今は、退路を断たれているようにしか思えなかった。
武装した護衛官を突破出来る力は、今の俺にはない。俺はただ、後ろ髪を引かれる思いでその場を離れた。
*
しばらく五階の廊下を進む。ある壁の前でメイドが立ち止まり、壁に手を当てた。
「満ち満ち足れり隠者の機構
我が前に姿を表わし、その口蓋を開け
解錠」
メイドの手を中心に、巨大な魔法陣が展開される。紫に淡く光る魔法陣はたちまち姿を消し、それを合図とばかりに壁が裂ける。裂け目から、扉が姿を表した。
「中へどうぞ」
メイドが扉を引き、深くお辞儀をする。俺は不審に思いながらも歩みを進めた。護衛官もメイドも、ついてこないのか――?
俺が中に入ると、扉は閉じ、鍵がかかる音がした。
閉じ込められた、と思ったが、こちら側からも開けられるようだ。部屋正面の壁には窓もある。レースのカーテンが引かれているが、その向こうには星空が透けている。室内は間接照明ばかりであるためか薄暗く、外の様子がここからでも分かった。
「誰も、いないのか――?」
部屋の中央には、巨大な円形のベッドが置かれている。ベッドの周囲には多数の水盆が置かれ、どれも花が浮かべられていた。中には、俺の唯一知っている花――キューロも混ざっている。
部屋の両脇には幾重にもカーテンが重なっており、壁が見えない。花の甘い香りが充満している。
……嫌な予感しかしない。
「どうぞ、横になってくださいませ」
どこからともなく声がする。声の主は、壁のように重なったカーテンの向こうにいるようだ。
風もないのにカーテンが揺れ、そこにいくつかの人影が映し出される。そして、影はじわじわと濃くなっていく。
あと数枚、と言う距離まで人影が迫ったところで、相手のシルエットがはっきりとわかった。長身の女性だ。髪は足元まで降りている。
最後の一枚が開かれると、見覚えのある切れ長の目が現れた。
「あら、貴方でしたか」
「……昨日の」
トルク・インドレスと歓談していた女性だ。彼女はカーテンに溶け込んでいるように見える。それは、彼女のまとっている服が、カーテンと同じく総レースであるからに他ならない。……もっと近くに寄れば、レースの中が全て見えてしまうことだろう。
昨日見かけたときも、どこかで見たような顔だと思ったが、正面から見るとよくわかる。鼻から首元にかけてが、ステラにそっくりなのだ。瞳の色や髪の色の一致も、ステラの面影を感じるのに一役買っている。
「……オルビス家の人間だな」
「はい。名をルーナと申します」
ルーナ・オルビス――!
彼女がゆっくりとこちらへ歩いてくる。彼女の身に纏う衣服はロングトレーンドレスのように尾を引き、その裾を誰かが持ち上げている。
二歩、三歩と近づくと、裾を持っているのが二人のメイドであることがわかる。二人のメイドの胸元に、嫌でも目が引きつけられた。
緑のリボンだ。
「今日は一日、私がじっくりお相手いたします」
ルーナが近づくたび、思わず後ずさりをしてしまう。何歩か下がったところで脚はベッドの一端にぶつかり、勢い余ってベッドに倒れ込む。
間もなく、俺の視界にはルーナの顔が入ってきた。水盆下の照明から光が差し込んで、表情はよく見える。その微笑みは、まるで愛するものを見つめるかのようであり――気味が悪い。
「こういうことは、好きな相手とするものだろ」
「大丈夫です、すぐに私のこと、好きになりますから」
彼女は表情を変えることなく、俺のベルトに手をかけた。カチンと小さく音を立てて、ベルトが簡単に外れる。こちらの世界のバックルは、つけにくく外れやすいポンコツ仕様だ。
「や、やめろ……!」
「あら、もしかして初めてですか? ふふ、お可愛らしい」
「そういう話じゃない!」
甘ったるい語調が耳に張り付く。よく聞くと、声までステラそっくりだ。だからこそ身の毛がよだつ。
手荒な真似はしたくないと思いながらも、その手を強く掴んで拒む。
「……酷いではありませんか」
「酷いのはどっちだよ」
俺は腕を掴んだまま、上体を起こす。
「そこのメイド達にも、こういうことさせてるんだろ? 彼女たちがどれだけ傷ついているか、わかってんのか!? こんな行為を強要するなんて、許されることじゃない……!」
つい大きな声を出してしまう。背後に立っていた二人のメイドは唇をきつく結び、誰とも目を合わせないよう視線を泳がせている。
「強要なんてしていませんわ。彼女たちは私と同じ心を持つ者……私の意志は、彼女たちの意志。その繋がりを示すのがグリーンリボンですもの」
「そういう圧力を、強要って言うんじゃないのか……!」
「彼女たちはエナ容量の生まれつき小さい者たち……いわば欠陥品なのです。私が彼女たちを見いださなければ、本来領主邸で働くことなどありえない者たちです。それが、私の下についたことで領下一の高給取り……幸せではありませんか」
「……それで泣いてるメイドがいたとしても、幸せだって言えるのか?」
本意ではない、と。忠誠心が蓋をして、隠されていた涙だ。琥珀が偶然部屋へ招き入れたメイドも同じだ。金で買った忠誠に、何の意味がある?
「ふふ。知ったことではありません。そして客人であるあなたにも関係のないことです」
「可哀想だと思わないのかよ」
「彼女たちは進んで手伝ってくれているのです。彼女たちが捧げているのは単なる〝戯れの時間〟です……さあ、いい加減手を離してくださいな」
本当に、ステラの姉なのだろうか? 同じ家に生まれ育った二人が、こんなにも違うなんて、あり得るだろうか。
ステラなら――
「ステラなら、こんなことはしない」
俺の一言に、彼女の眉はピクリと動いた。
「ステラは」
「黙れ」
先程までの猫なで声からは想像できない、暗く思い声だった。馬乗りになったまま、彼女はこうべを垂れる。
「黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ…………ッ! その名前を出すな!」
声は裏返り、態度は翻る。




