9:玉座の枯れ木
「ルーイ!」
ステラが、手を振りながら駆け寄ってくる。ポニーテールが左右に大きく揺れる。
「おはよっ」
「おはようステラ」
彼女の髪は、シンプルな紐で結上げられている。怪我をしていた耳には、桃色のシールが貼られていた。どうやら、あの後ちゃんと処置したようだ。
「ステラ、目、閉じて。じっとしてろよ」
「?」
よく躾けられた犬のように、言われるがままじっとするステラ。このままいつまでじっとしてるか観察したい気持ちもあったが、いたずら心はポケットに仕舞い、代わりにヘアバンドを取り出した。
紐の上からバンドを巻く。
「もういいぞ」
「え? なになに? なにかなっ?」
何をされたのかわからないステラは狼狽えている。頭のしっぽを振りながら左右を見回し、変化を探すが、なんせ頭の上だ。見つかるはずもなかった。
思わず吹き出してしまう。
「むぅ、からかったのかなっ!」
「後で鏡見とけよ?」
「もーっ!」
顔に落書きでもされたと思ったのか、ごしごし顔を擦るステラ。その動作すら面白く、笑いをこらえていると、隣で年配のメイドが大きく咳払いをした。
「……すみません」
「いいえ、構いません。そろそろよろしいですか?」
年配のメイドには、リボンの代わりにチーフがついている。その色はやはり、赤だ。
メイドに先導されるまま、最上階の最深部へ足を踏み入れる。そこには一際大きな扉があり、両脇には洗濯機が丸ごと入りそうな大きさの壷が並んでいる。
唾を飲むと、ごくりと音が立ってしまった。
「緊張してるのかなっ?」
ステラに声をかけられた瞬間、心臓がぎゅっと握られたように感じた。ここ一番の緊張かもしれない。
「大丈夫だよっ」
ステラが、俺の手をぎゅっと握る。ステラが手袋をしていて良かった……俺の手は今、手汗でびしょ濡れだ。
ステラがするりと手を離すと、メイドがアイコンタクトを送った。俺は小さく頷く。するとメイドは、扉を三回ノックした。
さらにもう一回。
そしてもう一回。
……何回叩くんだ。
六回目のノックの後、部屋の中から
「入りなさい」
と低いが聞こえてきた。
メイドが扉を開く。
開かれた扉の中は、眩しいほどの光にあふれていた。目を細めるが、正面に鎮座する男の顔ははっきりと見える。髪こそロマンスグレーだが、瞳の色はステラと同じ藍色だ。
金ピカの玉座の周囲にはロックグラスのような器が並べられており、立方体に切り出された宝石がゴロゴロ入れられている。悪趣味にも思えるが、とにかく迫力はあった。
「それでなんだいステラ。お前と遊んでいる時間は無いと、いつも言っているだろう」
随分と鼻につく言い方をする男だ。正直ムッとしたが、それを隠せるくらいには大人のつもりだ。
ステラが両膝をつき、手を胸の前で組んで礼をする。俺も慌ててそれに習った。ステラが顔を上げるタイミングに合わせる。
「お父様、新たな噴光泉が見つかりました。こちらの男性は、その発見者です」
いつもと違う話し方のステラ。ちらりと横を見ると、額に汗が浮かんでいる。ステラも俺と同じくらい――あるいはそれ以上に緊張しているのか。
正面に座る領主の様子を見て、俺はむしろ緊張の糸が緩んでいた。もっと威厳ある姿を想像していたが、置いて丸まった背中に覇気は感じられない。逆らおうと思えば、逆らえるのではないかとさえ思ってしまう。
「……! 間違いないのかステラ」
「調査は必要ですが、このお方のいらっしゃった遥か南方の地は未開です。真実であれば、キャンドル領主もインブリス領主も未着手の源泉ということになります」
「ふむ……」
俺は、ただそこにいることしかできない。
領主は髭をなでながら、暫し考え込むと、途端に笑顔を見せた。
「先程の無礼はお許しくだされ」
あからさまに手のひらを返され、返す言葉を失う。
「具体的には、どのあたりですかな?」
張り付いた笑顔の向こうに、下心が透けて見える。いい気はしなかったが、俺は見つけた噴光泉の場所を出来る限り詳細に伝え、発見の経緯も少し脚色して話した。
領主は繰り返し頷き、大げさに相槌を入れた。
ひとしきり聞いたところで、彼はメイドを一人近くに呼んだ。
「今すぐ陽源管理所へ連絡して調査隊を向かわせなさい」
小声ではあったが、この距離では聞き取れてしまった。何かが大きく動いている。そんな感覚がした。
「お父様、これでこのお方も貴族の一員となりますね?」
「そうなるな」
ん? 今なんて?
「都市計画も領地の拡大計画も、大きく変更されるのではないですか? 彼を、オルビス家の一員として迎え入れ、陽源の獲得を確実なものにしてはいかがでしょう」
「それは名案だステラ」
「それでは、私の婚約者は……!」
「彼は、メルの間にお通しする」
「そ、そんな……! 私では、私ではだめですか」
「お前には役割があるだろう。分かるね、ステラ」
何の話だ? 同じ部屋にいるのに、蚊帳の外だ。誰とも目が合わない。
言い聞かせるような語調で話す領主の言葉に、ステラは見る見る委縮し、絞り出すような声で「はい」とだけ答えた。
「それでは二人とも、下がってよろしい」
張り詰めた空気を感じ、顔も挙げられない。
メイドが黙って扉を開ける。外へ出ていくステラの後に続いて、俺も部屋を出た。
「行かないでルーイっ!」
扉が閉まると同時に、ステラは俺にすがりつくようにして言った。
「何のことだよ、さっきから……さっぱりなんだが」
「ルーイまで、姉さまのことを――あのあのっ、ルーイ、メルの間にはっ」
「ステラ様」
釘を刺すように、いや、杭を打つように。メイドの一言がその場を制する。
「ここは五階の廊下でございます。もっと自覚的に振る舞ってくださいませ」
「うぅ……」
元々背丈がある方ではないステラだが、なお一層小さく見えた。ゆっくりと手を俺から離し、向き直る。
その瞳は潤んでいた。
「俺、閉じ込められるわけじゃないんだろ? すぐ戻ってくるよ」
「で、でもでも……っ」
焦るように言葉を詰まらせる彼女が、失礼ながら面白く思えた。ちょっとしたことで笑い、泣き、頬を赤らめる彼女の様々な表情が思い出される。
そして先ほど見た、凛とした横顔が。
「ふっ……はは、大丈夫だって!」
「もう! 何が面白いのかなっ!?」
「いや、つい、楽しくなっちゃってさ。表情が豊かにもほどがあるだろ。初めてまともに会話した時、ステラは妹みたいだって言ったけど、違ったな」
「違った?」
「ステラはステラだな。メルの間とやらから帰ったら、もっとゆっくり話したい」
俺の言葉を聞き、ぽかんとした表情を見せるステラ。
百面相だ。再び吹き出してしまった。
「ステラ様?」
背後から男の声がする。振り返るとそこには、キャンドル領主――トルクが立っていた。




