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グラムガーデン  作者: 潮騒 鴎
1章 永遠に明けない夜の世界
20/28

8:星満ちる朝

 

  *


 寝不足だ。

 覚えがある限り、女子との添い寝は初めてだったが、決して良いものではなかった。琥珀がものすごく動くのだ――抱き枕にされるところまでは可愛いものだったが、腕が首にかかって絞め技が決まりかけること数度。さらには狙いすましているとしか思えない蹴りが腰にヒットし、最終的にはベッドの端にまで追いやられた。

 当の本人はスッキリした朝を迎え、澄まし顔しているのだからやりきれない。「良いベッドでしたね、よく眠れました」の一言には呆れてものも言えなかった。

朝、と言っても空に太陽はなく、俺の感覚から言えばやはり夜である。しかし、陽源(ソルフォンス)が明るくなっているからか、外から僅かな眩しさを感じた。

「まだ練習していらしたのですね」

 洗面器に張った水と向かい合う俺に、声をかける琥珀。着替えに手間取っていたようだが、ようやく終わったのか。

「まあな。コントロールもなかなかできるようになって来たんだ。ちょっと見ててくれよ」

 俺は深く息を吸い込む。


「静水羽ばたきて氷鱗と化せ

風花瞬きて凛として咲け」


 詠唱に呼応し水面が細かく震えると、放射状に霧が吹き出す。僅かな風を伴いながら、霧が螺旋状に立ち上る。


氷星の輪舞(スターダスト・ロンド)!」


 霧は一瞬にして凝固し、氷の粒となってゆったりと舞い落ちる。化粧灯の明かりを受けて、星屑のようにきらきらと輝いた。

「おおー、すごい決め台詞ですね」

「俺は魔法の方を褒めてほしかったんだけど?」

「スターダスト・ロンド! ……必要なんですか?」

「もしかして馬鹿にしてる?」

「スターダスト・ロンド! ふふ……馬鹿にしてませんよ。いいと思います。ふふ」

「間違いなく馬鹿にしてるな!」

 十七歳男子でも泣いちゃうからな!

 仕方がないのだ、何故か決め台詞……というか、技名がないと魔法が発現しないのだから。俺自身が潜在的に、魔法には技名があるものだと強く認識しているのかもしれない。間違いなく昔遊んだ数々のゲームの影響だ。

「それで、この魔法は何に使うんですか?」

「綺麗だろ?」

「ええ、綺麗ですね」

「それだけだよ」

「それだけ……?」

 キョトンとした顔つきでこちらを見る。それだけでいいんだ。きっとそれだけで、ステラは笑ってくれるだろう。昨日のように元気がない時、俺の魔法が役に立てばいい。

琥珀は納得がいかない様子で首をひねったが、すぐに「そういえば」と手を叩いた。

「昨晩はどちらにいらしたのですか? 遅くまで帰っていらっしゃいませんでしたが」

「ちょっとその辺を散歩してたんだ」

「へぇ……」

「なんだその目は……」

「何でもありませんが?」

 ジトッとした視線が俺の顔面をちくちくと刺す。隠すようなことは何もしていないが、なんとなく昨日あった出来事は秘密にしておきたい気がしていた。

「……あまりにも帰りが遅いものですから、部屋にメイドを連れ込んでしまいました」

「連れ込むなよ!」

 話し相手が欲しくてナースコールを押す長期入院者のような所業だ。迷惑極まりない。

「その結果、泣かせてしまいました」

「一体メイドに何を話して聞かせればそうなるんだ? 怪談か? お前は稲川淳三なのか?」

「最後まで黙って話を聞いてください。まず、メイドが突然キスをしてきたのです」

「それで?」

「そのまま恭しく服を脱がされますね」

「ほお?」

「指先がスカートの中に」

「ちょっと待て! 最後まで黙って聞くの無理だわ!!」

「せっかちですね……とにかく、唐突に始まった不適切な行いに動揺したのです」

「そりゃ動揺するわ」

 まさか女性を招き入れた結果襲われるとは誰も思わない。

「動揺のあまり腹パンしたのも致し方ないことですね」

「お前すぐ腹パンするね……」

「そして泣かせてしまったと言うわけです」

 それは俺でも泣く。

「悔い改めよと説いたところ、興味深い話が聞けました。この屋敷のメイド、緑のリボンを付けているものは性接待係を兼ねているそうです。私が部屋に呼んだのが、性接待を望んでのことだと思ったようですね。誰に強要されているのか、決して口を割りませんでしたが……この屋敷、異常です」

 虫唾が走りますね、と琥珀は眉根を寄せた。

 緑のリボン。

 昨日出会ったメイドの多くは、赤いリボンを身に着けていた。廊下で雑談していたメイドたちですら。しかし、緑のリボンを着けていたメイドに心当たりがある。

『風呂付き』の、彼女だ。

「ルーナ・オルビス……」

 思わずその名が口をつく。

「……昨日も聞いた名ですね」

「ああ。一部のメイドにその手の仕事を頼んでいる、犯人だ」

 琥珀は目を見開き、ルーナ・オルビス、と繰り返した。

「腹パンしなくてはいけませんね」

「……そうだな」

 腹パンで許される行いではない。緑リボンのメイドは、確実に差別されている。それを、赤リボンのメイドは見て見ぬふりをしている。そうしなくてはならない環境がある。

 俺にできることはなんだろう――

 部屋の扉が三回ノックされ、意識が引き戻された。

「おはようございます。朝食をお持ちいたしました」

 部屋の外から声がする。琥珀がどうぞと返事をすると、一人のメイドがワゴンを引いて部屋に入ってきた。

「失礼いたします」

 深いお辞儀。胸元には、赤いリボンがついている。

 席につくと、メイドが手際よくテーブルに朝食を並べ始めた。メイドの手でドームカバーが開かれると、中から甘い香りが立ち上る。

 姿を表したのは、丸く大きなデニッシュのようなもの。メイドが銀のナイフをとりだし、これを突き立てると、中からじゅわりと蜜が溢れ出す。仕上げとばかりに白い粒を振りかけると、蜜はぱちぱちと小さな音を立て、カラメル色に焦げ付いた。カバーを開けた瞬間とはまた違う、香ばしい匂い。

「フルーツを添えてお召し上がりください」

 繊細な装飾が施されたガラスの器には、カットされた果実が上品に盛り付けられている。どれも初めて見る果物で、中には少々グロテスクなゲル状のものもあるが、色鮮やかさとベリーのような甘酸っぱい香りは食欲をそそる。

 焦げ付いた蜜の表面は、フォークを当てるとパリッと割れた。中から再び溢れた蜜と、果物、そして柔らかなデニッシュが、口腔内で絶妙な多重奏を繰り広げる。

 歯を立てるたび、サクサクと蜜が音を立てる。芳醇、と言って差し支えない。口のみならず、目が、耳が、鼻が、喜んでいる。

「ここの飯は本当に旨いな……」

「はい、美味です……」

 二人揃って、語彙が急速に減少していく。本当にいいものを前にすると、そうなるものだ。

昨晩のディナーでも思ったことだが、凛と蘭にも食べさせてやりたい。俺ばかり贅沢しても、面白くないのだ。

 食後の紅茶に、二つのティーポットが用意された。ガラスのポットだ。ポットが温められる工程から見ているとなかなかの手間だが、ポットがガラスだと見飽きない。茶葉が、ポットの中を上下する。

「お食事の後、ご主人様の元へご案内致します」

「そうだったな。お願いします」

「? なんの話です?」

「実は今日、領主と面会することになったんだ。お前も来るだろ?」

「申し訳ございませんが、コハク様にはご遠慮願います」

 琥珀が答える前に、メイドが口を挟んだ。いいじゃないか連れなんだから、という俺の言葉を目線で封じる。

「食後のお茶はごゆっくりお楽しみください」

俺と琥珀に、それぞれ別のポットから紅茶が注がれる。

「うわっ、苦……っ。これ、出し過ぎじゃないすか?」

「いいえ、間違いはございません。そちらはキューロ茶ですから、独特の苦味がございます。治療の一環とお考え下さい」

「こちらは、なんのお茶でしょうか? 香りも味も甘いですが」

「コハク様にはメル茶を淹れてございます。あらかじめ糖蜜を加えさせていただきました」

 ふふん、と自慢げにこちらを見る琥珀。俺が苦いお茶に顔を歪める様がそんなに面白いか……!

「ルーイ様、一杯は飲みきっていただきます」

「はい……」

 良薬口に苦し。俺は琥珀の倍以上の時間をかけて一杯飲み干した。次に鏡を見るときは、痣さえ消えているだろう。そんな気がした。


――そうでなくては困る味だった。


  *


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