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グラムガーデン  作者: 潮騒 鴎
1章 永遠に明けない夜の世界
18/28

6:マグカップからキューロの香り(2/2)


  *


 中庭への道は険しかった。渡り廊下と階段の位置が一定していないだけで、自分の位置を把握するのがこんなにも難しくなるなんて。地下迷宮かここは。

 あらゆる難所を乗り越え、ダンジョンの最深部――中庭に辿り着いた俺は、先程上階から見たのと同じ場所にステラを見つけた。

 ステラはベンチに腰掛け、空を見つめている。絹糸の髪は胸元に流れ、行く宛を失ったように散っている。投げ出された足。力なく垂れ下がった手元にはマグカップが置かれている。

「ステラ」

 すぐ傍から声をかけるも、気づかない。隣に座ってもまだ気づかない。

「……ステラ?」

 とんと肩を叩くと、そこでようやく俺と目が合った。

「ん……えぇっ!? ど、どうしてこんなとこに居るのかなっ!?」

 反応が鈍過ぎる。認識に二秒はかかっている。ここか戦場であればもう死んでいるぞ――戦場に出たことはないが。

「寝付けなくてさ、散歩してたんだよ」

 まさか、女子と同衾(どうきん)する緊張感に耐えられないので逃げてきたとは言えない。

「そ、そっかあ……もう寝る時間なんだね」

「顔色悪いぞ? 大丈夫か?」

 顔を覗き込むと、ステラは大慌てで顔を隠してしまった。顔を覆った手の指を少しだけ広げ、隙間からこちらを見る。

「うぅ……あんまりじっと見ないでほしいかな…………」

「ああ、ごめん」

 困らせるつもりは無かったのだが。少し座る位置を離して、距離を取り直す。そこで、彼女の膝の上に有る物に気がついた。

「それ、髪に着けてたやつ?」

 ボタン付きのヘアバンドのような形状だ。しかしそのボタンは外れ、バンドの末端がほつれている。

「うん、お気に入りだったんだけど……急いでつけようとして、失敗しちゃったっ。えへへ……」

 笑っているが力がない。余程お気に入りだったのだろうか。

「これ、預かってもいいかな?」

「へ? うん、構わないよっ」

 実は、料理と裁縫は得意だ。俺の荷物の中には、裁縫セットが入っている。初めて針を持った時は、ボタンをつけるにも手間取っていたが、今では刺繍糸と刺繍枠さえあれば簡単な刺繍が出来る。これくらいのほつれの修正は一瞬だ。

 中庭には大小様々な木々が立ち並び、実った果実が光を帯びている。クリスマスの街中も顔負けの華やかさだ。しかし対照的に、ステラの表情は曇ったままだった。

「……もし良かったら、一緒に散歩しないか?」

「さんぽ?」

「あー、散歩というか。屋敷を案内して貰えると嬉しい」

「……ん、いいよっ。行こっか」

 ステラがすくっと立ち上がる。忘れられたマグカップを彼女の代わりにに持ち上げると、中には飲み物が入ったままになっていた。しっかりした寸胴タイプのマグカップに入っているのだ、中身は暖かい飲み物かと思ったが、冷え切っている。

「ステラ、これ味見してもいいかな」

 ふわりと香った新鮮な甘い匂いが、昼間に嗅いだキューロのそれに似ていた。これがキューロのお茶なのかもしれない。

「だ、だめっ!」

 ステラは、俺の手から強引にカップを奪い取る。中の液体は大きく波打ち、ステラの胸元にほとんど全てが注がれた。彼女の体を覆っている黒いピッタリとした素材が、より胸に張り付き、僅かに素肌が透けたようにも見える。

 圧倒的な肉感。心配の一言が出るより先に、思わず視線を逸らしてしまう。

「ご、ごめんねっ」

「いや、いいんだ、大丈夫」

 まさかここまで明確に間接キスを拒絶されるとは思っていなかったため、少々傷ついたが……

 横目で確認すると、ステラは取り出したハンカチで胸元を拭いていた。

「マグカップ返しちゃうねっ。めーちゃんおいでーっ」

 ステラが声を上げると、ベンチの下から小動物が飛び出してきた。羽をバタつかせている。

「……こいつ、牢屋で俺を助けてくれた――」

「そう、ルクセスティアのめーちゃん!」

 ステラは「めーちゃん」の首輪にマグカップの柄を通した。首にぶら下がったマグカップが重そうだ。

「大丈夫なのかこれ」

「へーき、カップはいつもめーちゃんが運んでくれてるのっ」

「へぇ。賢いんだな」

「そうなのっ、めーちゃんはとっても頭いいんだよっ!」

 ペットを褒められて嬉しそうだ。よかった、先程までの表情とは打って変わって明るい。出会ったときのステラそのままだ。

彼女が口笛を拭くと、めーちゃんは駆け出した。

「飛ばないんだな、めーちゃん」

「ん? 普通は飛ばないよね?」

 失敗した……おかしいな、牢屋で俺を救った後は、数メートル上まで飛んでいたはずだが。

「牢屋で見たとき、飛んでたからさ」

「あれはめーちゃんの隠し芸みたいなものだからねっ。ルクセスティアって、家畜化の過程で羽が退化しちゃってるけど、めーちゃんみたいに飛べる個体もちょっとは残ってるみたい」

「へえ、そうなんだ」

 家畜化といっても、見るからに食用ではないだろう。愛玩動物として飼われているのか、体毛が光る性質を利用するために飼われているのか――どちらにせよ、犬のようなポジションと見た。

「めーちゃんを躾けたのは私じゃなくて、姉様なんだけどねっ、えへへ」

「三女なんだっけ?」

「うん。ルーナ姉様の次がコメット姉様で、私はその次かな。あとあと、下に生まれたばかりの弟がいるのっ!」

 ルーナ・オルビスは、オルビス家の長女というわけか。いかにも力がありそうなポジションだ。

「生まれたばかりって、相当年下じゃないか」

「弟のママは、私達のママとは違うからかな……」

 ステラが何とも言えない微妙な笑顔を浮かべる。

「私達はあったことも無いけど、利発そうなお顔立ちですって、メイド長さんが言ってたよっ」

 ――また話題のチョイスを間違えたか。この手の話は万国共通でナイーブだ。

 球筋を変えよう。

「そういえばこの屋敷、ほんとに迷路みたいだな。広くて複雑で、ステラが案内してくれて助かるよ」

「ほんとっ? 役に立てて嬉しいなっ」

「こんなにたくさん部屋があって、一体何に使うんだ?」

「上階はお客さんのためのお部屋がほとんどで、あまり使われないけど、下の階はどの部屋もちゃんと役割があるんだよっ。一個一個教えて欲しいかなっ?」

 頼りにされているのがよほど嬉しいのか、ステラの瞳は輝いている。ぶんぶん振り回される犬のしっぽが見えるかのようだ。

しかし一つ一つ聞いていくとなると、かなり時間が掛かるだろう。俺は数秒考えてから答えた。

「じゃあ、頼むよ」

「任せて任せてっ!」

 ステラは楽しそうに、俺の前でくるくる回って見せた。


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