5:天秤はどちらへ傾くか
ぞっとした。
「お疲れ様でございました。お着替えをお手伝いさせていただきます」
脱衣室――この場合着衣室だろうか――にも、メイドが立っていたのだ。平然とした表情で。平生より中で何が行われているのか、知らないのか――? 一部のメイドだけが秘密裏に捧げられているのだとしても、すべてのメイドが知っていて平然としているのだとしても。どちらにしろ気味が悪いことこの上ない。
しかしここで俺が感情を露わにしては、約束が守れなくなってしまう。
「……ありがとうございます、お願いします」
ルーナ・オルビス。誰だか知らないが、とんだ鬼畜だ。
俺が寄せた眉根を戻せずにいても、メイドは気にする様子も見せずてきぱきと仕事をこなした。気づくと俺は、光沢のあるゆったりとした衣装を身にまとっていた。鏡を見ると、あまりに見慣れない姿に落ち着かない。安心したのは、映し出された顔がほとんど腫れていなかったことだ。視野も完全に回復している。青い変色は残っているが直に引くだろう。体も同じような状態だろうと予想できた。
「お部屋にご案内いたします」
既にメイドが扉を開けて待っている。仕事はできるが愛想は良くない人間の典型を見ているようだ……
メイドの後についていくと、屋敷の様子が嫌でも目に入ってくる。廊下には毛足の長い絨毯、壁を彩る絢爛な絵画。本当にここは、ノートスの街と同じ領地内なのか? 随分と雰囲気が違う。
「こちらです。一晩ごゆっくりおくつろぎください」
メイドは足早に立ち去った。案内された部屋のベッドは、天蓋付きのキングサイズだ。枕が六つ置いてある。
「やっほーい!」
靴を脱ぎ捨てベッドに飛び込み、手足を投げ出した。しかし気分は晴れない。メイドの泣き顔がちらついた。
がちゃり。
ノックも無しに扉が開き、一瞬身構える。
「……な、なんだ、琥珀か」
「なんだとはなんですか、失礼な」
しばらくぶりの再開だ。琥珀は、いつも耳の後ろで束ねている髪を、左右それぞれ緩い三つ編みにしている。琥珀の服装も見慣れないものだが、人形のように顔立ちの整った彼女にはやたらと似合い、様になっていた。
琥珀がベッドに腰掛ける。
「顔、治ってよかったですね」
「ああ、そだな。体もだいぶ調子いいんだ」
起き上がり、袖をまくって腕を見せる。
「確かに、もう数日すれば完治でしょうか。複雑な骨折がなかったのは幸いだと、メイドたちも言っていました」
俺がメイドを一人泣かせている間に、こいつはメイドと噂話をしていたのか……女子のコミュニケーション能力、恐るべし。
「どうされたのですか、その腕輪」
琥珀が指差したのは、俺の右腕にはまった金属の輪だ。
「ああ、これ、牢屋にいた男に着けられたんだ。引っ張っても取れなくてさ」
軽く引っ張ってみせるが、微動だにしない。痛みを感じない程度に腕を締め付け、肌に密着している。
「ロマンの欠片もないエピソードで安心しました。てっきり、ステラさんから頂いたのかと思いましたが」
「残念ながら、嬉しくない贈り物だよ……」
この腕輪をはめた途端、刻印の炎がかき消されたことを思い出す。エナを送ろうと試みると、ピリッとした弱い痺れが走った。
「やっぱりだ。この腕輪があると、エナが込められない」
「呪具かもしれませんね……無理やり外したら腕が飛ぶでしょうか」
「お願いだから試さないでくれよ?」
琥珀は、腕輪を触ったり、眺めたりして調べ始める。ひとしきり触ってから、
「さっぱり分かりませんね」
と言い放った。
転移の刻印と並ぶようにして刻まれている七つのX字だけが、相変わらず淡い光を放っている。
「ところで、鍵の主は見つかりましたか?」
「いや、まったく」
「殺す覚悟は、できましたか」
「……」
そして、殺せ。
サイムスと呼ばれた老人の顔が思い出される。彼の言う「強い好意」がいかなるものかわからないが、仮に、相手が妹達だとして。俺の跡をついて回る、愛らしい二人だとして。
「いや、無理だろ……」
あっという間に怖気づいた。
「今、妹さんのことを想像しましたね」
「なぜわかった……」
「あなたの行動原理も、想定の範囲も、全てが妹だからですよ」
核心を突かれた――否定できない。
「せめて、殺したいほど憎い相手だといいですね」
「琥珀は、憎い相手なら、殺せるのか」
「心の底から欲しいものを手に入れる為なら、当然です」
ガラス玉の瞳が、俺をまっすぐに捉える。
部屋を照らすランプの灯りが、彼女の瞳の中で揺らめいている。その奥には、俺の姿があった。
彼女と俺との間で浮き彫りになった、意志の強さのコントラストを誤魔化すための一言を、必死に探している情けない俺の姿が。
なんのためにこんなことをしているのか、見失いそうになる。思い出せ、自分の目的を。想像するんだ、微笑む両親、はしゃぐ凛と蘭を。
「……俺だって、やれるさ」
この時俺は、どんな顔をしていただろう。琥珀が浮かべた驚愕の表情だけが、俺の鏡だった。
妹のためなら何でもする。
そう決めたのだから。
「あ」
ぱちん、と琥珀が両手を合わせた。
「そういえば、時計の読み方を教えてもらいました」
「ほう」
琥珀が、枕元の置物を指差す。装飾だと思っていたが、時計だったのか。
「この半円の頂点までが昼、ここをすぎると夜だそうです」
「つまり、もう夜だな」
「そういうことになりますね」
そろそろ夕飯時だろうか、空の胃が切ない鳴き声を上げる。
「夕飯もごちそうしていただけると聞きました。メイドが部屋に声をかけに来るでしょうから、一度部屋に帰ってはいかがですか?」
「いや、俺の部屋ここだけど?」
「? ここは私の部屋ですが」
言われたことが飲み込めず、数秒考える。
「俺たち同室ってこと?」
「……そのようですね」
琥珀は既に状況を理解したらしい。よくよく考えれば、いくら客人とはいえ、一人に対しこのサイズのベッドは普通ではない。枕も六つ――要は二組置いてある。
先程まで何も気にしていなかったが、今俺は女子と二人きり、そしてここはベッドの上だ。途端に緊張が押し寄せる。
うちは、妹とすら寝床を分けているのだ。添い寝をした記憶など、最早遥か彼方。
……これは今晩、眠れそうもない。




