4:緑のリボン(1/2)
「う……あぁ! いって……ぇッ‼」
激痛で眠りに落ちた俺は、激痛で目を覚ました。寝返りを打つだけで、全身が痛い。動かすと痛いが、動かなくても痛い。
目をしっかり開けているのに、視界が狭い。瞼を持ち上げられないのだ、物理的に。どうやら相当腫れている――視力を失っていないのが、不幸中の幸いだ。しかし、今だけは絶対に鏡を見たくない。
相変わらず牢の中は熱く、全身に汗をかいている。寝そべると、天井付近の高い位置に、小さな穴が空いていることに気がついた。空気口だろうか、人ひとり通れるほどの大きさはない。しかし、窓の外を伺うには十分だ。空が見える――この世界に落ちてから、ずっと星空だ。何時間気を失っていたのか、全くわからない。
「お馬鹿さんですね」
隣の牢から、聞き慣れた声がする。
「倉科?」
「琥珀です」
「琥珀……」
「黙っていれば良いものを。事を荒立てる趣味でもあるんですか。損得勘定が出来ないのは愚か者の所業ですよ」
「そういうわけじゃない。ただ」
「ただ?」
痛む体を大の字に投げ出して、目を閉じた。
俺は少年に、妹を見ていたのだろうか。それとも、自分自身を見ていたのだろうか。
「ただの、自己満足かもな」
どちらにせよ、単純に、見ていられなかったのだ。黙って眺めている方が、殴られるより辛かった。彼が脱獄犯として再び捕まったら、より酷い仕打ちを受ける可能性があることも、想像できたはずなのに。
「あーあ、上手く行かねぇな」
毎日のように思っていたことだ。こんなところまで来ても、考えることは同じだ。期待通りの見返りなんて、滅多に得られない。
蒔いた種は芽吹かない。
放った小鳥は帰らない。
餌付けた猫は懐かない。
異世界は、非日常であっても、非現実ではないのだと――体の痛みが教えてくれる。世界が変わっても、種が変わっても、俺はなんにも変わっちゃいない。
「やっぱり貴方はお馬鹿さんです」
「ひっでぇ、少しは慰めてくれよ」
「慰めの余地なし、です。でも」
彼女はひと呼吸置いて、言う。
「少し興味がわきました」
言い終えてから、琥珀はふふと笑った。ポジティブな評価として、受け取っていいのだろうか。言葉通り、面白い観察対象として認められただけかもしれないが。
ここで、ふとあることに気がつく。
「それにしても琥珀、どうしてそこに」
口ぶりからして、琥珀はすべてを見ていたようだ。しかし顔を見せないのは、やはり隣もここと同じく牢だからに他ならないだろう。
「捕まってしまったのです」
「お前もあの騒動に巻き込まれたのか?」
「巻き込まれたような、巻き込まれていないような」
曖昧な回答しか得られない。何を言い渋っているのか――聞き方を変えてみる。
「どうして捕まっちまったんだ?」
「混乱に乗じたナンパ者が現れ」
「うん」
「腹パンしました」
「うん?」
「さらに回し蹴りを追加しました」
「おかしいなあ! 変な人に声をかけられたら、大声上げろって言ったよな!?」
お馬鹿さんは俺だけじゃなかったようだ。
「ここを動くな、という言いつけは守ったではありませんか!」
「全部守れないと大人になれないぞ」
「……」
黙らせてしまった。琥珀がどんな表情をしているか想像し、笑ってしまう。笑っただけで、折れた骨に響いた。
「痛て…………」
ゆっくり目を開け、空気口が視界に入る。
そして俺は、思わず声を上げた。
「うわああっ! だ、誰だ……!」
逆光だ。シルエットしか確認できない。
「わあっ、ごめんごめん、驚かせちゃったかなっ!」
どこかで聞いたことのあるような声だ。どこで聞いただろうか――頭を捻らせ、記憶をたどる。
「ああ、お前――!」
茶髪のポニーテール、そして藍色の瞳が鮮明に思い出された。
「静かに静かにっ、今出してあげるからね! 鉄格子ギリギリまで移動してくれるかな?」
簡単に言うな……こっちは全身打撲してるんだぞ。文句も言ってやりたかったが、言われるがままに移動する。頭を守るのに使った腕より、足の怪我のほうがマシのようだ。足だけの力で体を押し、鉄格子にもたれかかることに成功した。
彼女は空気口に手を添え、何かをブツブツと呟いている。最後に、とんと空気口周辺の壁を叩くと、途端に壁が崩れ、ブロック状の破片が降り注いだ。痛みを感じる間もなく、俺の腕は反射的に頭を守った。小石ほどになった欠片が、俺の腕をこつこつと叩く。通常なら気にならない程度だが、今は激痛の種だった。
「危ねぇだろ……!」
できる限り小さい声で叫んだ。
「てへ、ごめんってば。今度はこの下まで来てね、早くしないと看守さんが来ちゃうよっ」
人遣いの荒いやつだ……なんとかして穴の下まで移動する。半ば匍匐前進だ。しかも床には砕けた石壁が散らばっている。
「めーちゃん、行ってきて」
彼女の声に応じ、その背後から子犬ほどの四足獣が飛び出してくる。
数メートルはあるであろう高さから華麗に降りてくると、体を震わせ、長い尾と耳を広げる。そして、大きく翼を広げた。
広げた翼、尾、そして耳がじわじわと光り始め、あっという間に蛍光灯のような強光となった。
強い光で、瓦礫から濃い影が落ちる。
するとその影は揺らめき、盛り上がり、形を変えていく――見たことのある光景だ。形成される狼のような頭部。捻じれる胴から覗く牙。
影の獣――!
全身打撲の俺に為す術はない。目をぎゅっと閉じ、恐怖に耐える。
しかし、俺の予想は裏切られた。体を強く押し上げられる感覚に目を開けると、長く伸びた影の獣が俺を持ち上げていることに気がつく。またたく間に壁の穴までたどり着くと、穴の外に投げ捨てられた。落下するかと身構えたが、穴の外はすぐ地面だった。どうやらこの牢屋、地面に彫り込まれる形で作られているらしい。
「痛ってぇ!」
大声を上げてしまうのも致し方ない。もう何をやっても痛いのだから。
「ど、どうしたのその顔っ。おかしいな、罰の実行までまだ半日はあるはずなんだけど……ごめんねごめんね、間に合わなくて…………」
外は案外明るかった。ここまでくればはっきり見える。やはり、あのときの女子だった。蒸し暑い牢屋の中とは違い、涼しい風がある。
「いや、ちがうんだ、これは……」
説明しようとしたが、それ以上に急ぎの用を思い出す。
「そうだ、一つ頼みがあるんだ」
「何かな何かな、何でも言ってくれていいよっ」
「隣の牢の女も、出してやってくれないか」
「お友達かな? お安い御用だよっ」
同じ操作で、琥珀が救い出される。
琥珀は地面に降り、開口一番こういった。
「うわ、酷い顔ですね」
尚更、鏡を見るのが怖くなる俺だった。




