2:夜空の瞳となびく髪(2/2)
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「おかしい、絶対におかしい」
「なにがでしょう」
倉科がパンを頬張りながら、素っ頓狂な声を出す。俺と倉科の手元には、色とりどりの食べ物が抱えられていた。更に彼女は、どこからか流れてくるメロディーに合わせて体を揺らしている。街には、音楽が満ちていた。
「俺たち、金を払ったわけでもないのに食べ物を恵まれてるんだぞ……? おかしいと思わないか」
「試食でしょう」
「パン三つ、果物四個、ドリンク一杯。しかもご丁寧に人数分。どれもこれも試食の量を超えてるだろ……」
数個ずつ持たされた菓子類も合わせると、相当な量だ。おかしい、ここは夢の国か何かなのか。街路樹を彩る電飾も、光る水を吹き出す噴水も、夢の国感満載ではあるのだが。こうしてベンチに腰掛けているだけで、浮き足立ってしまうほどには。
人の好意を素直に受け取れない俺の感性が、歪んでいるのか……?
「これのおかげかもしれませんね?」
倉科が旅人証を掲げる。先程から歩いているだけで、「ようこそ」「楽しんでいってください」「いつでもおこしください」と声をかけられる。やたらと食べ物を手渡されるのも、この旅人証のおかげなのだとすれば、その効力は凄まじい。
「何て書いてあるのかわからないからこそ、余計に怖いな……それにしても、字は読めないのに話は通じるって、どういうことなんだ? 話してる分には、日本語にしか聞こえないんだけど」
「これも相当種変換のせいかもしれませんね」
「体が適応したからと言って、言葉まで適応するのは違和感があるが」
「それは、私も不思議に思いますね。言葉は、エナの発現媒体――触媒ですから、勝手に適応してくれて助かった、というのが正直なところです」
多言語国家に落ちたら、どうなるのでしょうね、と彼女は笑った。
周囲を見渡すと、どの人間も耳が長く、先が尖っている。
彼らを人間と呼ぶのが適しているのかは疑問だが。やはり、エルフと呼んだほうがしっくりくる。
「倉科、それ、捨ててくるよ」
ドリンクを飲み干した俺は、倉科の手元にある様々なゴミを預かった。
「何度言えば名前で呼んでくださるのです?」
「じゃあ、琥珀さん?」
「琥珀、でよいです」
溜息が出る。十八にもなって、女子を名で呼ぶのが初めてだとか、気恥ずかしくて呼びづらいとか、そんなことは口が裂けても言えない
「こ、こは……く」
「はっ、もしや、女子を名で呼ぶのが初めてで、気恥ずかしさのあまりの呼ぶことすら躊躇われるのですか? 齢十八にもなって?」
「言い当てるな!」
あるいは、心を読まれたか。おかしいな、完璧に隠していたはずだが……
咳払いでお茶を濁す。
「ここから動くなよ? 変な人に声をかけられたら、大きな声で助けを呼ぶんだぞ」
「私を小学生の妹と同一視していませんか?」
じとりとした視線が俺を指す。
「道徳レベルは小学生以下だからな」
「どうとく? 何でしょうかそれは、銅の器ですか?」
「冗談だって言ってくれよ?」
疑問符を浮かべ続ける彼女を見ていられず、俺はひらひらと手を振って、その場を離れた。
街の中に入ってからというもの、夜空を忘れるほど周囲が明るい。街中に光が溢れている。なんなら、その辺を散歩しているペットらしき生き物も、光っている。
何より強く光っているのは、広場の中央にある巨大な水晶だ。どの建物よりも大きいそれは、薄桃色を帯びた光を四方へ拡散してる。広場の中心は高く盛られており、その水晶を祀っているようにも見える。
眩しすぎて、長時間眺めているのは難しいため、それが本当に水晶ないし鉱物であるかは判然としない。もし水晶であるとしたら、どうやって運んだのだろう――見る限り、車のような乗り物も走っていない。
「よぉ、兄ちゃん、ノートスの街をエンジョイしてるかい?」
ゴミ箱にひとしきりゴミを投げ終えると、背後から何者かに声をかけられた。上体だけで振り返る。
「また街灯か」
「またとはなんだ、失礼だなあ兄ちゃん」
「お前らそこら中にいるよな……」
関所までの道中に並んでいた街灯は、街の中にも点在していた。しかし街に入ると途端に歌が上手い。門より外の街灯は左遷されている説が、俺の中で浮上した。
「旅人はいいねえ、ほんと。ここは旅人にとって最良の街だからねえ!」
「いい街なのは認めるよ。こんな夜中なのに、人通りも多いし、眠らない街って感じだな」
「何言ってんだい兄ちゃん、まだまだ昼間じゃないか! 誰だって、夜は眠るさ」
「は?」
どう見ても、昼間ではない。地上が明るくて見にくいが、空には確かに星が散りばめられている。
「といっても、直に陽源の灯火も消えるだろうね。宿選びはお早めに! たっぷり楽しんでいってくれよ!」
街灯は歌い出した。時間を確認しようと携帯を開くと、同時に自動シャットダウンの画面が表示された。……バイト帰りから充電は一度もしていないのだ、当然である。
琥珀の元へ戻ろうとしたその時、どこからともなく耳を塞ぎたくなる爆音が聞こえてきた。オルガンの鍵盤を、まとめて適当に押したかのような、不快な和音だ。とはいえ、この音は楽器ではない――歌声、か?
「そっちへ行ったぞ!」
「逃がすな!」
ざわめきや叫び声が聞こえる。そしてそれは、次第に俺の方へ近づいてきた。
まずい、何かがこちらに向かってきているーー!
何が向かってきているのかはわからないが、とにかく声のする方とは逆向きに走り出す。俺と同じことを考えた人間は多数いたようで、一気に人の流れが生まれた。
走っていると突然、近くの街灯が大声を上げた。何か一つの音を、長く高らかに歌い上げている。
「なんなんだよこれ!」
金管楽器を耳元で鳴らされているかのようにうるさい。耳を塞ごうと両手を上げると、上げた右手が何者かによって握られた。
「うわっ!?」
ぐいっと強く手を引かれ、仕方なく足並みを合わせて走る。
俺の手を引いているのは、一人の女子だ。短い茶髪のポニーテールが、俺の目の前で揺らいでいる。
「おい、ちょっと……! 誰なんだよ!」
「ごめんねごめんねお兄さんっ、巻き込んじゃって!」
背後から、絶えず「あっちだ!」「追いかけろ!」と声がする。こいつ、追われているのか――?
「あそこだ! 男を連れているぞ!」
「捕まえろ‼」
完全に俺も追跡対象になっている……! 手を引かれるままに走っていると、どんどん細い路地へ入っていく。
「お兄さん、ちゃんと迎えに行くからねっ!」
そう言い放ち、彼女は振り返った。
目と目が合う。
大きく印象的な瞳は、夜空を思わせる深い藍色だ。その目は大きく見開かれ、一瞬前まで上がっていた口角はふっと緩んだ。まるで珍しい動物でも見たかのような顔で、彼女は俺を見た。
なんだ――?
次の瞬間、スタンドライトのつまみをぐっと絞ったかのように、街明かりが暗くなった。同時に、ぱっと手を離され、バランスを崩してその場に倒れ込む。
「いってぇ……」
暗くなった街に、目が慣れてくる。そこは、路地の行き止まりだった。
「ど、どこいった――?」
急いで立ち上がり、路地を抜けようと振り返ると、そこには体格のいい男たちが徒党を組んでいた。厚手のマントをたなびかせ、腰にはランプが光っている。
「あいつだ! 捕まえろ!」
男の一人が叫ぶと、全員が一斉に飛びかかってきた。
「や、やめろっ、俺は」
「動くな!」
「早くしろ!」
俺は、俺は――!
「何もやってねぇーッ!!」
俺の声は、薄暗い路地にこだました。




