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情報屋

 第1刑事施設を出ると、フォンクたちが来たときよりも空を雲が覆っていた。まだ夕暮れには早い時間だった。


「なんでオカダさんに優しくしたんですか」とリコルが訊く。


「あれはモノを知らんだけで、悪人じゃない。奴隷を買おうとしたのも、古くからある勇者伝説をハルバで聞かされて、感化されちゃったんじゃねえの。勇者の仲間は女二人だったってやつ」


「実際の勇者は、ベイゲイルとサージュを連れて……あれ、ベイゲイルは男性ですね。なんでですかね」


「伝説はしょせん伝説ってことだろ」


「そうはいっても」とリコルはまだ納得できない様子だ。


「オカダさんに手を貸すようなことして、あとでどうかなっても、わたし知りませんよ」



 ふとフォンクは足を止めて鼻から短く息を吸い、

「匂うな」とつぶやく。


「えっ」と思わず服の袖を顔に近づけるリコルを、


「すぐにオカダの話を中央に報告してきてくれ。今日はそれで上がりだ。明朝まで自由時間、以上」


 そう言って背中を押し、追い払うように連絡所に向かわせた。


 間髪入れずに「ちょっといいかしら」と女がフォンクに近づく。胸元の開いたシルクのローブを身にまとい、長身から流れる艶やかな髪から甘い香りが漂う。刑事施設の周囲をうろつく格好ではない。


「なぜここにいる、エフェッサさん」と顔を引きつらせるフォンクを無視して、


「あの子……」と言って女は小走りで去るリコルの背中を見つめる。


「なぜここにいる」


「それはこっちのセリフでしょ。あとアタシの名前、アンフォミだから。アナタ、ピュイサンにいたんじゃないの。それが今ごろになって偽勇者。匂うのはそっちよ」


「そっちが匂うのは物理的にだ。と、言っても仕方がない。立ち話もなんだし、どこか話せる場所に行きましょうか」



 アンフォミとフォンクは8年前、同じ職場で働いていた。ピュイサン城だ。


 城内の1階にある魔族資料室に、フォンクのデスクがあった。当時エフェッサを名乗っていたアンフォミは、フォンクの2年先輩で城内の人事部門に属していたが、人員不足で魔族対策部門のヘルプに入ることがあった。


 フォンクが配属されたことでアンフォミは元の部署へ戻ったが、その際の引継ぎで世話になっていた。


 程なくしてアンフォミは仕事を辞め、ピュイサン城から出ることになった。理由は明かされなかったが、結婚や転職の噂が渦巻く中、とくに男性陣の失望が目立った。仕事ができて気が利き、そのうえ容姿端麗のアンフォミは、陽のあたらない城での内勤者の癒しともいえる存在だったからだ。


 男たちに後ろ髪をひかれるなか、彼女はスッパリとピュイサン城から去っていった。


 彼女がフリーの情報屋をしているとフォンクが知ったのは、アンフォミが去ってから2年後、フォンクもまたピュイサン城での職を辞し、シアンに入国して、エギューの下で働き始めてからだった。


 フォンクは、アンフォミに会うとどこかバツが悪く、正面から逆らえず、やりづらさを感じる。自分の新人時代を知っていて、一度でも上下関係があった仲だからだろうか。

 しかしエギューやほかの目上の人物と接するときとも訳が違う。昔は仄かにあった下心も情報屋としての彼女を知るにつれ消えてゆき、今ではむしろできれば顔を合わせたくないのだけれども、会ったら会ったで有益な情報を一つ二つは提供してもらえる。だとすれば、単に諜報に携わる者としてのやりづらさもあるのだろう。



 フォンクとアンフォミは街の中心から離れた閑静なエリアの、小さな喫茶店に入った。


 年老いた店主の男は、白い眉下の細い目で二人を見た。フォンクに気づいたようだったが、無言でカップを磨いていた。フォンクはモカシェに滞在すると、決まってこの店に寄る。他の喫茶店のように常連が群れていないし、静かで考えごとをするのにも良い。おまけに、店主がしゃべっているところを聞いたことがない。


 二人は入口から一番遠いテーブル席に座った。窓の外に、小さな雨がぱらつき始めた。


「ピュイサンでの任務は終了したのね。で、偽勇者から何か聞き出せた?」


「偽勇者は誰が来ても同じようなことを喋ってるみたいだな。だとしたら、アンタはもう知ってることばかりだろう。どうしてまだここに、……ソルサに行かないんですか」


「ちょうど行こうとしてたのよ。そしたら若い女の子と一緒にモカシェに来たアナタを見つけたってワケ。アナタが女子と意味なくここに来るとはとても思えないから、それで待ってたの。ていうかアナタやっぱり偽勇者の件で来たんじゃない。エギューさんは勇者探しを諦めてないのね」


「無駄骨ですよ」


「それはアタシが決めることね。アナタ鋭いもの。スキル持ちでもない癖に。ペティフィスがメイゲイルの子孫だなんて、考えるほうがおかしいわ。……そもそも、偽勇者の言うことを信じるの?」


「あれが嘘をついているようには思えない。話にも一応の筋は通っていたし、あんな嘘を吐く意味もない。精神鑑定を受けるには人格がまともすぎる。頭も悪くない」


「そうね。ドゥーブルとペティフィスが来たことは?」


「聞きましたよ。二人とも消えた勇者との関連をすでに探ってる。でも、素直にソルサには行かない、行っていない。行ったら問題ですよ。ドゥーブルはピュイサンの将軍で、ペティフィスはいくら気取っても山賊ですから。オカダの妄言かもしれないし、現時点じゃソルサに行ったからなんだというレベルでしょ。進展があるまで表立っては動かないでしょうね」


 アンフォミは人差し指で下唇に触れながら、


「わからないのは、ドゥーブルはどうして直接ここに来たのか。ペティフィスはある意味暇人だからわかるけど、将軍ともあろう者が、わざわざ他国の罪人に、どうしてオカダくんにだけ会いに来たのかしら。過去には何件も勇者を騙る詐欺があったのに」


 フォンクは腕を組んだまま窓の外を見ていた。



 フォンクは寡黙な店主にお代を支払い、店を出た。雨は止み、濡れた地面が夕日をキラキラと反射している。


 空に薄っすら虹がかかっていた。


「アンフォミ、虹は何種類の色で出来てる?」


 アンフォミは怪訝そうな顔をして振り返る。


「は? ……5色?」


「オカダは7色って言ってたぜ」


「なにそれ。つまらない話のお礼に教えたげる。アナタのお付きの女の子、エギューのレドワなの?」


「そうだな」


「たぶん違うわよ」


「えっ、マジで?」


「チラッと見た感じ、技術系の――クニッキ宰相のレドワね。あれ、クニッキの娘さんだもの」


 唖然とするフォンクを見てアンフォミはくすくす笑った。


「アナタ、どっか抜けてるわ。あの子がいたら面倒事だったわねえ、修羅場よ。急いで逃がしたのはラッキーだったかもね。それじゃ、アタシはこの辺で失礼するから。またどこかで会いましょう」


「ああ、そうね」


 アンフォミは後ろ手をひらひら振って歩いていく。フォンクは力ない足取りで連絡所へ向かった。



 夕暮れ時の連絡所は閑散としていた。客は窓口で送付手続きをしている老人夫婦だけだ。気の早い職員は営業終了の準備をしている。当然、リコルの姿はない。


 技術側が、情報部門を監視するための――


「監視役か」と、思わず口をつく。


 フォンクはシアンのエギュー宛に手紙を出した。


『オカダの弁護人の手配をお願いします。あと、オカダの警備を強化してください。いまは本物の勇者ではないですが、勇者になり得る人材です』


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