消えた勇者
「消えた勇者」は、人族共通のミステリーで、最も有名な失踪事件だ。
60年前、魔族の増加で存亡の危機に陥った人族は、ピュイサン国を中心に魔王軍へ根強い抵抗を続けていた。しかし戦況は芳しくなく、魔王率いる魔族の圧倒的な勢力に、人族の文明は呑み込まれようとしていた。
そこに突如として現れたのが勇者だった。
ピュイサンを襲う魔物の群れを蹴散らし、謁見した王に魔王討伐を宣言。当時のピュイサン王に他の選択肢はなく、勇者を全面的にバックアップすることを約束し、将軍候補筆頭の魔法戦士メイゲイルを同行させた。
勇者の強さは人間離れしており、「魔法も剣も彼の足元に及ばない」と語ったメイゲイルの言葉は、謙遜ではない事実だった。
のちに魔法国家ソルセで賢者サージュが合流、勇者たち3人は破竹の快進撃で魔族の本拠へ迫り、ついに魔王を討伐。彼らの活躍で世界に平和が訪れた。よくある冒険譚ならここでハッピーエンドだが、現実はそうもいかなかった。
魔王討伐の報を受け、勇者たちがピュイサン王都に凱旋した次の日、勇者は忽然と姿を消した。最初は勇者のことだから、秘密裏にやることが色々とあるのだろうという意見もあったが、何日経っても何か月経っても、何の音沙汰もない。人々は狐につままれた気分だった。残されたメイゲイル、サージュも、勇者の行き先に皆目見当がつかないという。二人とも、ピュイサン王に詰め寄られるも「そもそも黙って消えるような人ではなかった」と勇者を擁護するような証言をしている。
勇者失踪の噂は世界中に広まった。なかには見つけた者に報奨金を出すという豪商もいた。ピュイサン国を中心に捜索隊を結成して、各地をくまなく探させた。それでも、勇者はおろか、彼の痕跡は何も見つからなかった。どの家の出身で、どこの国の者かもわからない。見た目から際立った特徴もなく、実際会ったことのある者でも、その容貌の表現には苦心した。
人々は夢でも見ていたのだろうか。
しかし、当時の誰もが勇者がいたことを、確かに憶えていた。勇者が消えたとしても、彼らにとっての救世主であったことに疑いはなく、人々は勇者を称えた。勇者は神の使いであったと主張する一派も現れた。いずれにせよ、真実は闇の中だ。
「しかし勇者が本当は魔王を倒していなかったとなると、いやとどめを刺さなかった?……なぜ? メイゲイルは……」
ブツブツ言いながら歩くフォンクにリコルがクギを刺す。彼らはモカシェに向かう途上にあった。
「もっと警戒しましょうよ。探知系のスキル持ちがいたらどうするんですか?」
「ああー、そうそういるもんじゃないさ。もうすぐモカシェとの国境か」
「そうですよ。洞窟は魔物も出るんですよね」
リコルの言うように、モカシェとの国境をつなぐ洞窟には魔族が生き残っていた。一般の商人や旅人の大多数は洞窟を避け、魔物に遭遇しにくい海沿いの迂回路を選択する。しかし、フォンクたちは洞窟ルートを進んでいた。
「この辺の魔物は、まだ話せばわかる連中だから。北の森のと違って」
リコルはフォンクと行動を共にするにつれ、その人物像を計りかねることが増えた。
彼女の疑念をよそに、フォンクは黙々と歩いていく。薄暗い洞窟内は、人工の魔導灯の明かり以外に何もない。フォンクとリコルの足音だけが、遠くまで響く。
この洞窟は、もともとシアンとモカシェの交通の利便を計って、両国が予算を共同負担して作られた連絡通路だった。そこに大戦時に人間に追いやられた魔物が住みつき、人間はわざわざ遠回りの海岸ルートを通っている。
理由はモカシェの政治だ。モカシェは人権に加え、魔族の保護も手厚い。残された魔族の拠り所まで奪う権利は、我々にはないとモカシェ首相が主張した結果、いまに至っている。
通路としては一直線のシンプルな構造だが、魔物の手が加えられ、脇道に入ると迷い込む恐れもある。人間側が手を出さなければ、ほとんどの場合、魔物も手を出さない。トラブルこそ滅多に起きないが、基本的な戦闘能力は人間よりも高く、注意は必要だ。
洞窟の中間地点に差し掛かったとき、2体のファルファデがフォンクを呼び止め、魔族の言葉で話しかけてきた。
ファルファデは人型の悪魔で、地方によっては妖精としても扱われる。体長は人間より一回り以上小さい。
リコルは思わず身構えたが、フォンクは自分の鞄を漁りながら彼らの言語で答える。
<通行料だよな。ちょっと待ってくれ。>
ファルファデの1体がキキッと声を上げる。
<コイツ、しゃべれるのか。知ってたか、アニキ?>
<ああ、前にもここを通っていたな。話が早くて助かるよ>
フォンクはアニキと呼ばれる方に銀貨を6枚渡した。リコルはぽかんと口を開けてその様子を見守る。
<2人分だから、それでいいだろ?>
ファルファデは銀貨をうやうやしく受け取りながら、
<ああ、帰りのぶんも、もらっておこうか?>
<帰りの門番もあんたらとは限らないだろ>
フォンクがそう言うと、2体はキキッ、キキッと嬉しそうに笑って、道を開けた。
「魔族の言葉、話せたんですね……」
「やっぱり、話せばわかる連中だったよ」
リコルが振り向くと、ファルファデの姿は洞窟の闇に消えていた。
※魔族語でのセリフを<>で囲っています。




