思い出②
6年前、リコルと彼女の母はスベニャに逗留していた。当時、商業都市に向けた開発の進むスベニャには、まだ自然が残っているエリアも多かった。リコルの母は体調を崩しがちだった。夫であるクニッキは彼女を気遣い、スベニャ行きを進めたのだ。だが、彼女らのスベニャ行きには静養のほかに、もう一つの目的があった。
シアンの諜報部隊が、スベニャの北面に住む老人がオリジナルの一つである魔封杖を保有していると突き止めたのがその少し前だった。けれども、老人は杖をなかなか譲ろうとしない。シアン側も様々なルートから説得を試みていたが、決め手に欠ける状況が続いた。シアン側には私有財産を没収するつもりもその権限もなく、ましてスベニャはピュイサンの友好都市だったために、平和的な取引が求められる。かといって、杖がピュイサン側に渡る前に、どうにかシアンに持ち帰り、魔導具の開発に充てたい。そんなクニッキの思惑を汲んだ母娘は、身分を伏せ、あわよくば老人と親しくなり、その気持ちをシアン側に傾かせられればと考えていた。
クニッキはすでに技術部門のトップだったが、機密情報を保持する日々のなか、身内以外を信用せず、家族のみをレドワ(私兵)として登録するようになった。愛娘のリコルは、すでにクニッキのレドワだった。もっともリコルの仕事は、シアンの施設における技術補佐がほとんどであり、シアンの領外に出た経験はなかった。
妻と娘を心配したクニッキはエギューに、もしもの時の備えを依頼した。ちょうどスベニャでは、プリセドがエギューのレドワとして、別の任に当たっていた。経験豊かなプリセドが付いているなら、家族の身も大丈夫だろうとクニッキは安心していた。
そこへガーゴイルが現れ始めた。シアン側はガーゴイルの目的が老人の魔封杖とは、露ほども予期できていなかった。ガーゴイルが飛来した当初は、何かの威嚇か、あるいはデモンストレーションをしているだけだというのが大方の見解だった。実際、街の上空に現れたかと思えば、翌日からはぱったり来なくなる。1か月ごとに来襲する数が増えていたことは、現地の者ほど重要視していなかった。できたとしても、具体的に打つ手はなかった。スベニャは武力を持たず、名目上の治安維持をピュイサンに頼るが、ピュイサンの王都からも遠い。かといって先述の通り、シアンからも手出ししづらい緩衝地だ。
クニッキは妻と娘を案じ、家族を本国に呼び寄せようと画策するが、魔封杖も惜しい。妻からの手紙にあった「もう少しで魔封杖を譲ってもらえるかもしれない」という一節に、心が揺らいでいたのだ。一方のリコルはピュイサン国宛てにガーゴイルの危険を知らせる書状を送付し続けた。しかし、いくら待てども兵士一人はおろか、何の対策もなされなかった。ピュイサンからの応援がないことは、かえって市民の警戒心を解いてしまった。ピュイサンが何もしないのなら、大丈夫なのだろう。そんなガーゴイルへの慣れが、徐々に蔓延した。なので、ガーゴイルの群れがオリジナルを探すのに手段を選ばず、人を襲いだしたことは、スベニャ・シアン・ピュイサン3勢力にとって、青天の霹靂だったと言っていい。
わずかに事態を予期していた市民は早々にスベニャを発ったが、プリセド、リコルとその母はそれができなかった。リコルの母は迫るガーゴイルを逆手に老人を説得。「私たちはあのような者に対抗するために、技術を用いているのです」という彼女の気魄に負け、老人は杖を譲る。が、街の北面にあるその民家を、すでにガーゴイルが取り囲みつつあった。
老人の家に火の手が上がり、老人が南へ駆けだしていく。続いてリコルと母が逃げ出してくる。杖は家にあるはずだが、割に広く正確な在りかがわからない。プリセドは襲い掛かるガーゴイルたちを食い止めながら、「杖のことは自分にまかせてください」と念を押し、リコル親子を逃がそうとする。プリセドは少しだが魔族語が聞き取れた。ガーゴイルが杖を探している内容の会話が耳に入っていた。
大通りに出たところで、複数のガーゴイルをプリセドが引き付ける。プリセドは「通りを走り抜ければ、大丈夫です」と言い、親子を送り出した。
大斧を振り回して奮戦するプリセドを背に、リコルたちは必死に走った。どうしてこんなことになってしまったのか。魔物はさておき、再三の訴えを無視したピュイサンのせいではないか。恐怖に駆り立てられるリコルの心に、同時に言いようのない怒りが満ちてくる。
プリセドが打ち漏らしたのだろうか、それとも新たな追手か。ガーゴイルが1体、親子に追いつく。
ガーゴイルが魔族の言葉で何か語り掛ける。二人とも何を言っているのか、皆目わからなかった。恐怖が増幅するなか、ガーゴイルの殺意も膨らんでいると、リコルは感じた。
もうだめだと思った瞬間、攻撃態勢に入ったガーゴイルの顔の辺りで爆発魔法が発動した。倒れたガーゴイルを、男が狂気に駆られたように剣で突き刺しまくる。
違うとは思った。けれども、リコルは彼が、ピュイサンの援軍なのではという希望を捨てられなかった。
リコルの母は否定した。その時、振り返って横目でリコルを見た男は、泣いているようだった。




