思い出①-2
しかし、フォンクの請願は実らない。ガーゴイルが襲来するとあるその日は、ブラックメイル隊が帰還する日と重なっていた。権威を何より重んじるラシュテの感覚はもはや異常で、少なくとも民の生活や生命が、彼にとって媚びるべき権威よりはるかに優先順位の低いものであることは疑いようがない。
ラシュテはフォンクの報告を聞き流し、誰かから届いた書状を見てヘラヘラしていたが、
「何ぐずぐずしてる。さっさと当日の準備をしろ」と手で払い、フォンクを部屋から追い払おうとした。
準備とは、言うまでもなくブラックメイルが帰還する日の段取りだ。交通整理や城内でのパーティー、各上官への連絡等々。……
フォンクは「わかりました」とだけ告げて部屋を出た。退室時に礼はせず、書状の原文を握りしめていた。だがラシュテは気づかない。ラシュテの秘書が部屋を出たフォンクに「あの」と声をかけようとしたが、無視された。
以後ピュイサン城にフォンクが姿を見せることはなかった。
翌日、魔族対策室の同僚は、人事部にフォンクの退官届が提出されていることを知る。フォンクのデスクは綺麗に片づけられ、すぐに代わりの者が働けるようになっていた。私物はすべて持ち帰られていた。保有していた2週間の有給届が副室長の机に置かれていた。
規則上、1か月の期間を置かない退官は職務規定違反であり、罰則の対象となる。しかしこの件はうやむやになった。責任を問われるのを嫌ったラシュテがもみ消した。下級役人が一人いなくなったからといって、汗水たらしてその行方を見つけ出す必要はない。最終的にはそれがピュイサン軍部の総意となった。
〇〇〇
書状で指定されていた当日、スブニャの北の境界に面する家から、火の手が上がっていた。
遠く北の森の方面からガーゴイルが降り立ち、人々は街の中心部へ逃げ惑う。パニックに陥った市民たちが、南方へ運行する馬車に列を作った。
そんな混乱のなか男が一人、人の流れに逆らって歩いていく。
「おい、そっちは危ないぞ!」
老人が警告するが、男は無視して歩き続ける。右手には市販の鋼の剣。どこか覚束ない足取りは、立ち上る黒煙に吸い寄せられるようだ。
住民が逃げ終わったカラの街並みには、所々で負傷者が倒れ、うずくまっている。男は無言で回復魔法や回復薬を渡しながら歩いた。礼を言われても何か問われても、男は聞き入れる素振りを見せない、聞こえていない。
煙の多く上がっている場所に近づくにつれ、倒れている者に交じって、住民の必死の抵抗に遭ったガーゴイルの死骸があった。
女が二人、ガーゴイルに追われながら男のほうへ逃げてくる。母娘のようだ。
黒い翼をはためかせ、鋭いかぎ爪を持つガーゴイルが魔族語で母娘に話しかけている。
<あれはどこだ? お前たちが関わっているのは知っている。言わないなら、始末するぞ>
言い終わるや否や、男はタガが外れたように走り出した。念じるように左手をかざすと、まさに女を切り裂こうとするガーゴイルの顔面で人の頭ほどの大きさの爆発が起きた。目がつぶれたガーゴイルが地面に体をこすりながら叫ぶ。男は一目散に駆け寄ったかと思うと、ガーゴイルの体に鋼の剣を何度も突き立てた。
飛び散った魔物の体液が、クリーム色のピュイサン国の制服をまだらに染める。
「あの人、ピュイサンの、ほら、お母さん――来てくれたんだね!」
喜ぶ娘に、母親と思しき女性が首を横に振る。
「あれは、兵士の服じゃない。文官のよ。戦える人じゃないわ。それに、一人だけ……?」
「あんなに手紙を出したのに……なんで、誰も来ないのよ」
男は前を向いたまま、血走った目を肩口からのぞかせて娘を見ると、何も言わずすぐにまた歩き出した。
街の北口に近づくと、金属がぶつかり合う音や、人・魔物を問わず叫ぶ声や雄たけびが聞こえてくる。その中心となるーーー最も大きな黒煙が昇る民家の前で、激しい戦闘が行われていた。
男が到着したとき、大柄で髭を生やした戦士らしい男が、大斧でガーゴイルの胴体を真っ二つに捩じ切った。髭の戦士が男に気づいて問う。
「援軍か? ハハッ、お兄さん一人だけか。逃げなくていいのか?」
「知るか」と言い放って手近なガーゴイルに突っかかろうとする男に、
「おい、プレセドだ。ワシの名前――あんたは?」
「フォンク」
そう言うとフォンクはプレセドが脇腹に負っている傷に回復魔法をかけた。
「すまねえ、助かる。なあフォンク、共闘しようじゃないか。奴らの狙いは杖だ。この家の中にある――」
親指で背後の燃える家を指しながら、プレセドが言う。
「ああー」とフォンクは一人で納得する。過去に人型の魔族がオリジナルを狙う事件があったこと、その記録を閲覧したことを思い出していた。ラシュテに報告するために、浴びるほど読み込んだ資料の隅にあったのだ。
「細かい話はあとにするが、杖を盗られるわけにはいかないんだ」
「そうか」
フォンクは関心のない様子だ。
「とりあえずあそこのオッサン、殺されそうだぞ。俺はあっちのをやる」
中年の小柄な男が攻撃を受けている。剣を振り回してはいるが、ガーゴイル2体のかぎづめに、どんどん四肢の肉をえぐられている。
フォンクが左手をかざすと、ガーゴイルそれぞれの腕や足で小さな爆発が起こる。肉や骨が飛び出るが、翼は無傷だ。気づいた2体は空からフォンクに襲い掛かる。
「空から獲物を狙うガーゴイルは互いに協力しない。基本的にはかぎ爪で頭部を狙ってくるーーー」脳裏をよぎるピュイサンの資料の一節が無性に不快だった。しかし剣は正確にガーゴイルの攻撃をさばき、迎撃する。
盾も持たず、文官服を着て、2体のガーゴイルの攻撃をかわしながら斬撃を与えていく。助けられた小柄な男は傷口を抑えながら、「何なんだアイツ」とこぼすほかなかった。
一方のプレセドも、着実に、威力のある一撃でガーゴイルを葬り去っていく。その動きはピュイサンの出ではないが、長年訓練を受けた戦士のそれだった。
ガーゴイル2体を退け、肩で息をするフォンクに、
「フォンク!これを使え」とプレセドが魔導杖を投げてよこす。
「火のⅡ型。俺の国の武器だ! 知っているか?」
「知るかよ」
フォンクは受け取った杖をまじまじと見る。シアン発の武器である魔導杖を、ピュイサン国の人間が知らないのも無理はない。
ガーゴイルの数が残り3体にまで減ったときだった。
北の森の方角から、通常の二回り以上は大きなガーゴイルが飛んでくる。それまでのガーゴイルが成人男性の平均程度なら、その体長は2メートル以上は優にあった。翼も比例して広いぶん、独特の威圧感がある。
<まだ見つからないのか……>
他のガーゴイルに、魔族語でボスと呼ばれるそれは、燃える民家を指さして言う。
<もう少しじゃないか。こんな雑魚に手こずるのは、いただけない>
<おい、なんでそんなにオリジナルが欲しいんだ>
左手に魔導杖、右手に鋼の剣を持ったフォンクが、ツカツカとボスに近づき、魔族語で尋ねる。
<なんだ貴様は>
ボスガーゴイルが問答無用で右の巨腕を振り下ろす。フォンクのガードしようとした左の杖が後方に飛ばされたが、攻撃は左腕をかすった程度だ。その衝撃を利用して体をねじり、ボスの首元を右の剣で切り付ける。が、寸前で防御され、剣先が強靭なガーゴイルの上腕にめり込んで止まった。続けてボスが剣が刺さったままの左腕を振り払う。とっさに魔法による氷の壁を噛まそうとしたが間に合わず、すさまじい力でフォンクの体は吹っ飛び、石壁にたたきつけられた。
フォンクの頭から鮮血が流れ、左腕は力がまったく入らず動かない。呼吸するたびに胸が激しく痛み、意識が遠のいていく。ボスガーゴイルにプリセドが斧を振り上げる姿が、スローモーションに見える。
〇〇〇
「おい、おい。大丈夫か」
フォンクは野太い声に呼ばれ、目が覚めた。ソブニャの医療施設のベッドの上だった。
「気づいたか」と、プリセドがフォンクの顔をのぞき込んで言った。
徐々にクリアになる視界に映ったプリセドは松葉杖をつき、左足の膝から下がない。包帯で固めた右腕は肩から吊り下げられている。
「ひどくやられたよ。あのデカいヤツはヤバかったな。ワシ、一撃も入れれんかったもん」
「例の杖は?」と尋ね、フォンクがベッドから上体を起こす。
プリセドはあの後に起こったことを話した。
プリセドは手足に傷を負いながら、とにかく粘り、ボスガーゴイルの攻撃を凌いでいた。するとエギュー率いる総勢100名の精鋭がシアンからの援軍として到着。当時、ピュイサンの準衛星市としてのスベニャに公式に踏み入る手続に時間がかかったという。さすがのボスもシアン本隊に多勢に無勢、エギューの活躍でスベニャにあったオリジナル「魔封杖」は魔族の手に渡らなかった。エギューはすぐさま情報戦を展開、魔封杖の存在を伏せ、本国に持ち帰ることに成功。それまでの時間を稼いだプリセドは勲章級の褒章をもらえるというが、裏稼業のレドワであるプリセドの名が世間に知れることはないという。それに照らせば、得られる名誉に比して死闘の代償は大きく、手足の一部を失ったいま、今までと同じようには働けない。
「それにしても、お前あんときと別人だな。もしかして家族や恋人でもやられたのか?」
プリセドに問われたフォンクは、「いえ」とだけ答えた。それ以上どう説明すればよいかわからなかった。正直、何も考えていなかった。よもや八つ当たりまがいのヤケクソだったともいいづらい。
「彼か」と、長身で髪を綺麗に反り上げたエギューが顔を出し、フォンクのもとに歩み寄る。
プリセドが振り向き、
「はい。そろそろ引退のタイミングを計っていましたが、今回の件で踏ん切りがつきました」
「ほかならぬ君の意見だ。尊重しないわけにはいかない。しかし、本人の意思を確認しておかねばな……」と言い、エギューがフォンクを見定める。
フォンクは自分の寝ている間に何か話がすすんでいるぐらいにしか、事態を把握できなかった。
「俺は何日、寝ていたんですか」
「5日……6日か。ワシは翌日には動けたがな」とプリセド。
「コイツのタフネスは特別だからな」と指さして、エギューはニヤリと笑った。
「まあ、そう急くこともないだろう。プリセド、彼に例の話もしておいてくれ。それでは、失礼する」
そう言うとエギューは身を翻し、颯爽と去っていった。フォンクはその立ち振る舞いを美しく思った。
「というわけだ」
「どういう? まあ、だいたい察しはつきました。あなた俺を後釜に据えようとしてる?」
「その通りだ」
「正気ですか?」
「なかなか骨のあるヤツはおらんしさあ。デキるヤツってほら、正規の軍に行くじゃない。ワシとエギューさんの評価基準は、やるときにやれるヤツかどうかよ。その点、お前さんは合格点だ。あのボスガーゴイルに魔族語で喧嘩売ってぶっとばされてんだもん。大した根性よ」
フォンクは褒められてるのか、揶揄われているのかわからない。さらに心配なことがあった。が、プリセドは先回りして答える。
「お前の経歴もざっとは調べさせてもらったよ。ちょっと前までピュイサンの事務方だったらしいな。問題ない。ワシはエギューさんに仕える前は、盗賊だった。しかしフォンクよ、魔法もなかなかだったじゃないか。ピュイサンも見る目がないと思うぞ。まあワシはシアンの正規軍からやり直したがな」
胸を張るプリセドに、やはりフォンクは反応に窮していた。
結局フォンクは体が全開したのち、プリセドに連れられてシアンに行くことになる。エギューのレドワとして採用されるまで、そう時間はかからなかった。




