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密約

「魔王様もわからぬお方だ。なぜこんな雑魚を連れ帰れとおっしゃるのか……」


 東の空から日が昇り始める頃、ガーゴイルは西へ飛び去って行く。その手には雷鳴剣ではなく、ひん死のフォンクがぶら下げられていた。



 フォンクが意識を取り戻すと、身体の傷がほぼ塞がっていた。紅のカーペットに横たえていた体を右ひじで持ち上げる。


「やっと目を覚ましたか。一通りは、回復しておいた」


 揺らめく燭台の炎にそって視線を走らせると、玉座からフォンクを見下げながら指さす者がいる。その威容、凄まじい魔力。フォンクがその者を魔王と直感するのに、時間はかからなかった。


 あれから何が起きたのか。フォンクは見慣れぬ景色のなかで思い起こす。


 雷鳴剣をピュイサン城から奪取し、北の森にあるペティフィスのアジトへ戻る途中で、黒いガーゴイルに襲撃され――自分はガーゴイルを足止めしようと、いや倒そうと戦ったものの、見事に敗れた。死を覚悟したところで、なぜかとどめを刺されず、そのままこの場所に連れてこられたのだ。遥か西の山へ。すると、ここが魔王の本拠か。


「本来、お前のような雑魚にかまっている暇はない。しかし放っておくと、予想以上にチョロチョロして面倒だ。今すぐ消し炭にすることもできる。だがそうするのも癪だ。余計なトラブルを抱えかねない。このままその身が朽ち果てるまで虜にしておくのも良いが……」


 魔王はフォンクをどう処分するか決めかねていた。もはやまな板の鯉だ。


「まあ、良い。お前は勇者を探していたな。なかなかいいところまで行っていたが……すこし勇者のことを教えてやろう。冥土の土産にでもするがよい」


 魔王がおもむろに話し始める。


「いまから100年以上前……お前も知っての通り、魔族は寿命が人間の数倍長いのだが、ある魔族が一時の過ちで人族の女と交わった。それ自体は、あり得ないケースではない。人型の魔族が姿形の近い人間に親近感を持つことは不思議ではなかった。違うのは、女が死ななかったことだ。普通、魔族と関係を持った女は、子を宿す途中で身体が増長する魔力に耐えられず、死んでしまうのだ。だが、その魔族と交わった女は人族でも一握りの、強力な魔力を持っていた。女は無事子供を産んだ。人間の姿をした男の子、そうだ、それが今、勇者と呼ばれるエキリブルだった」


「エキリブルは人族の子と同じく育てられたが、その異常な力は歳を経るごとに隠し切れなくなっていた。魔法を唱えれば家屋が吹き飛び、喧嘩をして上級生を殺しかけ、重度の障害を負わせた。周囲が恐れるのも無理はない。やがてエキリブルは人族の前から姿を消した。その後、数十年、どこで何をしていたのか。それは彼の母親である女しか知り得ぬことだった」


「そんなエキリブルが突如として歴史の表舞台に現れる。60年前だ。人族からすれば儂らは残虐な悪魔の手先なのだろうが、儂から見れば人族もそう変わらない。いずれ誰かがこの世を治めねば、争いがなくなることはない。そうだろう。……あの時、人族の戦力を着実に削ぎ、奴らの戦意は喪失しかかっていた。もうすぐで魔族の勝利だった。だが、エキリブルがそれを阻止した。滑稽だったよ。一目、人族の青年としか見えない勇者が、魔族と人族の混血だなんて」


「儂がなぜ生きているか気になるだろう。ヤツはメイゲイルとサージュを連れてここに乗り込み、儂と対峙した。だがヤツはその寸前、魔族語で密に儂に伝えていた。<話がしたい>と。小うるさいメイゲイルとサージュに手傷を与えて、意識をなくしたのを確認してから、儂はエキリブルの真意を問いただした。するとヤツは「少しだけ時間をください」という。意味がわからなかった。今さら何を待てというのか。ヤツはただ、魔族と人族の大戦を止めたいのだと言った。こんな大規模な殺し合いをしなくても、あなたが世を治める方法はあるはずです、と。儂も魔族として、肉体的なピークは過ぎている。エキリブルが本当はどれだけやれるのか、正確にはその実力は計り知れなかった。だが、戦えばただでは済まぬと感じた。まともにやれば負けていたかもしれない。メイゲイルとサージュの力を借りれば、もっと容易に儂を倒せただろう。だが、ヤツはそうしなかった。儂を生き永らえさせ、人族にとっての禍根を残したのは、他でもない勇者エキリブルなのだ。ヤツは言った。「この世界に」勇者はいません。そんな者は存在しません、と。確かにエキリブルが唯一勇者と呼ばれる者だとすれば、この世界に勇者などいない。そしてエキリブルは姿を消した。勇者はもういない。あれから60年が経ち、人々はその存在も忘れられつつある。……わかるか。お前たち、いやお前の役目はここで終わった。魔族語を話す小役人よ。この世界に、勇者はいなかったのだ」


 フォンクはカーペットで居直り、胡坐をかいて話を聞いていた。魔王の話から、何かに思いを巡らせている。その様子がなぜか、魔王の脳裏に一抹の不安を去来させた。


<話し過ぎたな。コイツを牢に入れておけ>


 フォンクが2体のファルファデに両脇を抱えられ、力なく連行される。魔王はフォンクから目をそらし、この先のことを考え始めた。


<ドゥーブル、いるか?>


 魔王にその名を呼ばれた黒いガーゴイルは、玉座の前で跪いた。

※魔族語で交わされたセリフは<>で囲っています。

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