疑問の尽きない彼女だが、
「こちらの鹿肉の塩漬けと、それからこちらの鮭の干物をいただけますか?」
ここは教会近くの村。薬の調合や森での仕事を終えて、食事の買い出しに来ている。ここの所は教会にお世話になっているのだが、流石に食事まで甘えるわけにはいかないので三食食べる際は自宅に帰っているのだ。その際はマリーも一緒である。わざわざ往復させるのは申し訳ないが、彼女はその事について何も文句はないようだ。
……というか、最近は以前のような子供のような振る舞いが減ってきた。
周囲はそれに涙ぐましい成長だと言っていたが、例の男性が原因だとすればやはり早期解決を目指さなくてはならない。
「セレネちゃん、今日はおまけだよ!」
「えっ?」
元気な店の女将に渡された袋は、頼んでいたものに加えて煮魚用のタラが入っていた。
「そんな、いただけません」
「何言ってんだい、うちの亭主がこうして元気に動けるのはこの間あんたにもらった薬のおかげなのさ!これぐらい受け取ったって罰は当たらないよ」
ほらほら!と強引に手渡され、結局受け取ってしまう。
たしかに、腰を痛めたこの店の店主に調合した薬を渡しはしたが、お返しをされるほどだとはセレネは思っていなかった。深く頭を下げてお礼を伝える。
「ありがとうございます。お気を遣わせてしまってすみません」
「いいっていいって!最近妹ちゃんが出来たんだし、仲良く食べなっ」
快活な笑顔で見送ってくれる女将にお礼を伝えつつ、マリーのことを指す“ 妹ちゃん”の言葉に苦笑する。
一度、彼女とこの村で買い物をしたことがある。王都で……しかも、相当裕福な暮らしをしていたらしい彼女は、売っているものを見て眉を顰めていたが、「今日のご飯はチキンソテーをメインにしようと思います」と言うと、積極的に選んでくれた。
彼女の良くも悪くも素直でお転婆な彼女に、村の人々は「薬師の妹」と揶揄したのだ。
(……どうしてマリーさんは、狙われているのだろう)
罪を償わせる、と告げた彼。
だからセレネは確かめた。
都会で罪を犯した人間が、このような田舎に逃げ込むのはそう珍しくはない。
よって、王都から指名手配書が役所に配布される事が度々あるのだ。
しかし先日確かめた結果、マリーらしき人物は載っていなかった。
窃盗した40代の男性、婦女暴行罪の30代の男性、詐欺を働いた50代の女性……。どれも彼女には当てはまらない。
つまり、彼女は例の男性以外の誰にも悟られずに罪を犯したのか、それとも彼の言う罪が、個人的な怨恨であるかのどちらかであるとセレネは考えている。
一度自宅に戻って荷物を置いてから教会に向かい、その門を潜ると、「シスターマリー!」との怒声が聞こえて思わずそちらを見る。
「またサボりよ、あの子!」
「もう、最近はミスセレネのおかげで大分成長していたのに……!!」
どくり。と嫌な音を立てて心臓が動いた。
足は自然と走り出し、キラキラと太陽のように輝く金髪の少女を探し出す。
(大丈夫、きっと少し休憩してるだけ。ちょっと前までシスター達を困らせていたもの)
自分の冷静さを保つ為に言い訳を繰り返し、彼女のいそうな場所を駆け回る。
自室、医務室、中庭、談話室……。
途中、「廊下は走らな……ミスセレネ!?」と驚愕により注意する言葉が出てこなかったシスターと何度もすれ違ったが、セレネにはその声自体が届かなかった。
「い、た……」
たどり着いたのは、鐘塔だ。
『 ここ、気持ちよくて結構好きなのよね』と言っていた彼女を思い出して選んだ場所だが、本当にいるとは思わなかった。
狭いそこに、彼女は両膝を折り曲げて座り込んでいた。硬く閉ざされた瞳に息を飲み、彼女に駆け寄って細い首筋に触れる。
「……よか、った」
生暖かい体温と静かに響く脈拍にひとまず身体から力が抜ける。呼吸も繰り返しているし、身体には何ら問題もなさそうだ。
こんなところで眠っているのは疑問だが、ひとまず無事なようなので肩を揺さぶる。
「マリーさん。こんなところで眠っては風邪を引いてしまいます、マリーさん」
「………………さ、……」
ふわふわとした寝声が聞こえる。なんと言ったのかと彼女の顔に近づいた瞬間。
「うっざいのよあんたあぁあ!!!」
「っ!!?!」
ごちーーん、と鐘の音にも負けない派手な音を立てて、額に頭をぶつけられた。所謂頭突きである。
額を両手で抑えて悶絶すると、寝惚け眼でこちらを見つめるマリーがそこにいた。その姿は大変愛らしいのだが、その容姿に見合わぬ威力である。
「……あれ、セレネ?何してんのよ」
「い、いえ…………あの、マリーさん、どうしてこんなところに?」
「え?……うわ、私なんでこんな……いったあ!」
悲鳴をあげる彼女。最初は遅れて頭突きの反動があったのかと思ったが、どうやら違うらしい。
「マリーさん、その手は……!」
彼女の手は小さくて色白で、とても美しい、はずなのに。今やその手はあちこちにマメが出来ており、爪先もひび割れている。所々傷もついているし、今彼女が押さえている様子から下手すると腱鞘炎になっているかもしれない。
「どこが痛みますか?」
「全身……」
「――全身?」
「全身が痛いの。……多分筋肉痛」
筋肉痛。
自分が彼女と別れてから3時間と少ししか経過していないはず。なのにこの手は一体?それに筋肉痛になど、どうしてなるのだろう?
「……ねえ、セレネ。私があんたと離れてからどれくらい経った?」
「ええと……3時間、半くらいでしょうか」
「………………ゲームになかったファンタジー展開はやめてよねえ」
はあぁぁあ、と深いため息を吐く彼女に思わず首を傾げる。
「マリーさん、一体何をしてたのですか?」
「胡散臭い鬼畜男に剣の弟子入りしてたのよ。一週間くらい」
「………………?、…………??」
痛みを訴える彼女が立つのを手伝い、転ばないように体を支えながら塔を降りるが、その間聞いていたことは到底理解の及ばない話だった。
「私だってよくわかんないけど……見ず知らずの男に強くなりたいかー、とか聞かれてさ、自己防衛ぐらいきちんとしたいって思ってうっかり頷いちゃったのよ。そしたらあの野郎、よくわかんないけど草原に引きずり込んで一週間みっっちりスパルタ指導よ?『 君みたいな甘ったれ、人間の時間に合わせたら百年かかっても育たんよ』とか言って!ていうか風呂ぐらい用意しろっつーのよ、滝って何よ凍え死ぬかと思ったわ!!」
「それは……大変でした、ね」
……本当に、よく理解できない。だが、彼女が寝惚けているだけだと言うには、彼女の身体の異常が説明できない。
そうなると、彼女が弟子入りしたという人物は何者なのだろう。……人間、なのだろうか。
心配になって彼女を見つめると、不意に目が合った。
晴れ渡る空の瞳は自分を捕らえ、そして楽しげに細められる。
「何情けない顔してんのよ」
「マリーさん……ですが、その……」
そっと目を伏せて口篭るセレネだが、全てを知っているように彼女は悪戯っぽく微笑んだ。
「あんたは心配しなくてもいいの。……とりあえず、強くなるってのは本当みたいだし。いくら悪いのはこっちだからって簡単に殺されてやる気はないわ。……それに、」
そっと硬く荒れてしまった手が自分の頬を撫でる。
「あんたを傷つけたんだから、あいつを一発ぐらい殴っとかないとね」
そうして強気に口端を上げる夕日を浴びた彼女に、全身が熱くなる。
(…………何なのかしら)
彼女の身に何かあったのではと酷く焦っていた先程や、森の中で彼と会った時とも違う早まる心臓の音。胸を押さえながら戸惑うも、不思議そうな表情を浮かべる彼女にやんわりと伝えた。
「セレネ?」
「あ、いえ…………ひとまず、温泉に行きましょう。きっと傷によく効きますから」
「やった!」
無邪気に笑う彼女がいつもより眩しく見える。
その感覚を疑問に思いつつ、マリーの外出許可を得るためにシスターハンナを探すのだった。