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認めた彼女が求めたのは、





公爵家の暗殺者……ジャックが自分が生き延びていることに気付き、自分の追跡を始めた。

それを聞いた時に強烈な恐怖が心を占めた。

その理由は2つ。

まず1つ目は、単純に命の危機に晒されることについて。あの男のことだ、次こそは必ず仕留めようとしてくるだろう。

しかし、2つ目の理由。――驚くべきことに、マリーにとってはこちらの方が重要だった。


それは、セレネにどこまで知られたのか。そしてそれによって、彼女が自分から離れて言ってしまう可能性。

王都で……あの女にしたことを全て露呈され、それをきっかけに自分を見限ってしまう。

そう思った瞬間、吐き気と恐怖と、そして何より破壊衝動に駆られた。

それは、悪役令嬢を陥れようと企んでいたものとは違う。


彼女が離れてしまう前に、全てを知られてしまう前に、力尽くで自分の傍に置いてしまいたい。誰の目にも触れられない場所に閉じ込めて、自分だけに微笑んでくれるように仕向けたい。自分だけに依存して、自分だけを見つめて、自分だけを―――。



そんなこと、出来るはずがないのに。あっていいはずがないのに、そうしなければと内側に溢れるヘドロのような感情は彼女に牙を剥く。



「貴女のことを守ります。だからもう泣かないで」


そんな穢らわしい感情は、一瞬で霧散したのだけれど。




(ああ、本当にバカだ)



まるで愛しい我が子を泣き止ませる母のように微笑んで自分を抱きしめる女に、マリーは心底そう思った。


決して甘えたではないけれど、世間知らずなセレネ。だが、そろそろ自分が何かしらの罪を犯したことに気がついている筈だ。

そうでなくとも先程見せた反応からして、自分が残虐で横暴な人間であるのは見抜いているのだろう。


だが、彼女が選んだのは拒絶ではなく許容と親愛の情だった。



冷静になってみると、美しい彼女の頬に出来た一筋の傷。

あれはジャックにつけられたものなのだろう。

先程その傷はどうしたかとシスターに聞かれて居心地悪そうに言葉を濁していた。森の植物に傷つけられたのなら、素直にそう言っていたし、そもそも森に熟知した彼女があんな大きな傷を易々と作るとは思えない。

何よりジャックの性格上、自分と仲の良いセレネを大人しく返すとは思わなかった。……アレは、あの女を盲信している。自分を匿う彼女も自分と同罪とみなしてもおかしくはない。



(私のせいだ)



またじわりと涙が込み上げてきて、彼女の華奢な身体にしがみつくように抱きしめる。



優しくて、穢れたものとは縁のないような美しい人。


そんな彼女に、自分は守ってもらう価値なんてない。


【自分はヒロインなのだから】

【所詮ゲームなのだから】

そうやってずっと認めていなかった自分の罪を、マリーは初めて認め、深く後悔した。



「……あんたの隣って、嫌になるわ」



抱きついたまま呟けば、背中を撫でていた手が止まる。それに気にせず続きの言葉を口にした。



「あんたの隣にいると、自分の汚さが嫌でもわかる。セレネみたいな綺麗なやつ、初めて見たんだもん。私はあんたのそばにいていい人間じゃないし、ましてやあんたみたいになれるわけがないじゃない」



もし、もしも自分が本物のマリーだったら。ゲームで出てきた優しくて純粋なマリーだったなら、堂々と彼女の隣で笑い合えたのだろう。でも、それは所詮妄想でしかない。偶然でマリーの身体と生まれを手に入れ、それを遊びと自尊心を満たすだけのために利用して破滅した愚かな女――それが自分だ。


自分の醜さに気付きたくなくて、必死に否定して誤魔化していたが、この女の隣ではそれも限界だった。


「でも……それでも、傍にいたい」


鼻をすすりながら絞り出すような声で懇願する。


自分の過ちのせいで綺麗な彼女を傷付けてしまった。そして今だって、自分の罪を全て彼女に告白することが出来ない卑怯者。

なのに、彼女の隣から離れたくないだなんて、なんて傲慢で身の程知らずなのだろう。



「―――私は、きっと貴女が思うような人間ではありません」


頬に柔らかくて優しい匂いのするハンカチが当たり、丁寧に涙を拭われる。

顔を上げると、困ったように眉を下げながら微笑む彼女がいた。


「昔、育ての父が寝ていると勘違いして私の枕元でこう言ったんです」



『 もっと、もう少し人間らしくしてくれたら』



その言葉を聞いてマリーは思わず絶句した。

苦笑しながらセレネは言葉を続ける。


「正直、どういう意味なのか今でもわかっていません。人間らしく、ってなんなのでしょう。恐怖は感じます。悲しいという感情だってありますし、それに羞恥も。でも、父はそれ以上を求めてました。だから私も応えようとしたのですが……結局最後まで、それが出来た自信がありません」


マリーは少しだけ、彼女の育ての父が言ったことがわかる気がした。

無機質だというわけじゃない。彼女は優しくて慈愛に満ちている。教会で故人が埋葬される場に遭遇すると、悲しげな顔で追悼の意を示す。


だけど、自分の欲を示すことはほとんどない。

薬を作った際は生活困難にならない程度のお代しか受け取らないし、アレがしたい、これがしたいなどの言葉は聞いたことがない。

あえて言うと肉や魚は食べるが、精々その程度だ。


恐怖とは言ったが、ジャックに襲われてもこうして自分を気遣うことを出来る余裕があるし、正直彼女が怒っているところを想像できない。恐らく幼い頃から見ているとシスター達も彼女の怒った姿を見たことがないと言っていた。


まるで自分のことに無頓着な彼女。老いた賢者のような、それとも本当に、慈愛の女神のような。


(女神……冗談じゃない)


何故かそんな言葉が頭を過ぎるのを無理矢理かき消した。



「でも、マリーさんを見ているとそれがわかった気がします」


「…………そりゃあ、こんな欲深い女滅多にいないもんね」


「そうではなく」



自嘲の言葉は、いつになく間髪入れずに遮られた。

困ったような笑みを浮かべ、彼女はそれまでを思い出すように目を閉ざす。


「貴女は、とても素直です。無邪気に笑って、怒って泣いて……照れて不安がって。父が求めていた人間らしい人物とは、貴女のような方なんですね。眩しくて、可愛らしくて真っ直ぐな方。

貴女が過去に何をしたのか、私にはわかりません。でも、私が知りうる限りのマリーさんという人は、そばにいて欲しい方。何があっても守りたい方。……ね?私も大概自分勝手な人間でしょう?」


「……全然だっつーの」


何故か少し誇らしげな顔のセレネに、思わず笑ってしまった。

それに安心したように、彼女は微笑んだ。







そんなやりとりが三日前の出来事。

「絶対に守ります」と告げた彼女は、教会で暮らすことになった。


何でも、ジャックから逃げることができたのは彼女の持つ便利な魔法アイテムのおかげらしく、二度とジャックは彼女に近寄れない……矢が射ることのできる距離に近寄ろうとすれば磁石のように吹き飛ばされるのだと言う。だからセレネの隣にいる限り自分の身は安全。

しかし、彼女にも森での仕事がある。そんな時のために、彼女は自分に予備の石を差し出してきた。



今はポーチの中に入った何の変哲もない小石。だが、彼女の話を聞く限り、その威力は驚異的なものだ。彼女は父から譲り受けた、と言っていたが……。


(なんで田舎に暮らすモブが、こんな凄いもん持ってんだろ)


『王都にはもっと凄いもので溢れているんでしょうね』と期待の籠った微笑を浮かべるセレネには何も言えなかった。

そんなのがあったらゲームのイベントがいくつか成立しないものが出てくるだろう。


(めちゃくちゃ貴重なもんだろうに……本当にお人好しなんだから)


有言実行として、彼女の今の生活は自分を守る為に成り立っていると言っても過言ではない。

幸いにも痕は残らなかった彼女の傷を思い出して顔を上げる。


「私も、強くなりたい」


最低でも彼女に火の粉が降り注ぐような真似は二度としたくない。

けれど相手は凄腕の暗殺者……下手したら公爵家とそれに付き従う有力な貴族の勢力だ。どうしたらいいだろうと目を閉ざす。



「そこのお嬢さん、それは本当かい?」


声をかけられ、慌てて目を見開く。目の前には、見たことのない男がいた。


「おっと、そんなに警戒しないで」


「無茶言わないで。あんたここの修道士じゃないでしょ。それどころか村人や旅人でもない 」



黒髪とくすんだ青色の瞳を持つ男。体格は中肉中背。自分が美形を見慣れていたというのもあるかもしれないが、なんの特徴もなく、特別醜くも美しくもない容姿だ。

だが、身に纏うものは修道士の身にまとう服ではない。

ワイシャツに黒のベスト、濃いブラウンのスラックスはこの付近の村人に見える。だが、その腰に差しているのは王都で騎士が使用していたものによく似ている。そんな上等なものを村人が所有できるわけがない。お忍びの貴族……にしては着ている服はあまりにも質素だ。旅人としても荷物が少なすぎる。



「ほう……なるほど、意外と頭の回転も早いと見た。見た目によらんな」


「大声で変質者がいるって叫んでやりましょうか!?」



感心した顔でいけしゃあしゃあと述べる男を怒鳴れば、彼は全く気にした様子もなく呑気に笑った。



「そんなことより、お嬢さん。強くなりたいというのは本当かい?」



見定めるように細められた瞳に身体が硬くなる。先程の言葉を聞かれていたのか。




「とは言っても、強さの種類は様々だ。君はどうなりたいんだい?王都を攻め入るほどの武力が欲しいのか、それとも人を意のままに操る魔力が欲しいのか、はたまた全ての者に膝をつかせる権力が欲しいのか」



まるで役者のようにすらすらと台詞を述べる男。こんな、見ず知らずの男に言う義理はない。そのはずなのに、口は意志とは反して恥も外聞もなく質問に答えていた。



「そんなの、もう要らない。私が欲しいのは、綺麗なあの子の隣に居座り続けることができるだけの力だもの」



権力も数多の賞賛や愛情も、もう沢山だ。

今自分が欲しいのは、彼女の幸せと笑顔を隣で見る資格なのだから。


告げた瞬間、男の口角が上がる。

そういえば、この時間は奉仕と称して掃除に駆け回るシスターや修道士がいるはずなのに、どうしてこんなにも静かなのだろう。



「なるほど、合格だ。では君に力を貸そう」



しかしそんな疑問は愉快そうなその言葉を聞いた瞬間、意識ごと掻き消されてしまった。




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