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彼女を拒むことは、


罪を償わせる。

そうして微笑む男に、 セレネは思わず固まった。

マリーが何か仄暗いことを隠しているのは、セレネも薄々と気づいていた。

時折見せる途方に暮れた顔も、昨晩見せた、自分を嫌いにならないで欲しいだなんていつもの強気な彼女とはかけ離れた懇願からも、そうではないかとは思っていた。



「アレ程汚らしくて、醜くて狡猾な生き物はいませんよ。だから、」


「私は――彼女のことをよく知らないのかもしれません」



青年の言葉を遮って口を開く。

今思えば、暴かれることを恐れていたような気もする。

目を逸らしていたわけではない。興味がなかったわけでもない。ただ、彼女を傷付けることを恐れて知ろうとしなかったのも事実だ。



「だけど……だからといって、彼女の身に危険が及ぶことを見過ごすことはできません。だって私、彼女のことが大好きなんです」


だから、ごめんなさい。




そう言えば、目の前の青年は驚いたように目を見開き、そして次の瞬間には酷く冷たい目で自分を睨みつけた。



「どうやっても口を割らない、と?」


「彼女に乱暴しないと約束して頂けるならば、彼女の元へとご案内いたします」


ハッキリとした口調で伝えると、返ってきたのは舌打ちだった。ぎり、と手首を拘束する力が強くなり、思わず顔を歪める。

何となく痛みの声を出すのを躊躇って口をきつく結ぶと、上から降ってくるのは嘲りの声だった。


「貴女はあの女とは比べ物にならない女性のようですね。誠実で、気高く真っ直ぐで義理堅く、聡明な方だ。……しかし、このような辺鄙な場所に住まうだけのことはある。世間知らずで無謀な所は欠点とみた」



片手が離されたかと思えば、頬に冷たいものが当たる。ぎらりと銀色に輝くそれはナイフの刃だと理解するのに、そう時間はかからなかった。



「ほら、さっさと居場所を吐いてください。先程も言いましたが、貴女みたいなか弱い美人をいたぶるのは趣味じゃないんです」



ささやかな痛みを感じつつ男の顔を見つめる。


涼しげな美貌と冷静な口調とは裏腹に、瞳の色は狂気と使命感に染まっている。

――きっと、彼は本気だ。このままでは自分の顔の皮を剥がされてしまう。



「―――痛くはない、はずです。ごめんなさい」




そう呟き、ポケットの中の石に意識を集中させた。ぱしり、と小さな破裂音と共に、自分を拘束していた手から開放される。

はあ、とため息を吐いてポケットをひっくり返せば、中のそれはさらさらと砂となって風に攫われていく。

目の前の青年は――今は、どこにもいない。



(使っちゃった……お父さんには慎重に、と言われていたけれど……)



石は父に譲り受けたものだ。アディラの杖と同じ程貴重なものだ。

――フェオールの石。セレーネ、アディラの弟と言われている水を司る神。

一体どういう伝承があってそう呼ばれるのかは定かではないが、この小さな石は持ち主の身を守る強力な品で、武力でセレネを黙らせようとする密猟者から助けてくれたこともある。それを身につけて意識を集中するだけで、所持者から弾き飛ばされて二度と近付くことを許されない。実際、見えない壁に阻まれて入口で右往左往し、挙句の果てに自分を目視できる距離に入れば反発する磁石のように弾かれる密猟者を見たこともある。

難点といえば1回限りの消耗品であるということ。

父から譲り受けた時に12個あったそれは、今は10に減っている。

それを反省しつつ、そっと目を閉じた。




(とはいえ、全てが解決したわけじゃない)



今までと違って、あの青年はそもそも自分を狙ってきたわけではないし、この森の稀少な動物たちでもない。


彼の狙いは、マリーだ。

自然と表情が強ばるのを感じながら、今朝出たばかりの教会へと走り出す。



驚いた顔のシスターたちに騒がしいことを詫びながら、彼女の居場所を聞いて回り、辿り着いたのは物置小屋。

不機嫌そうな表情で物品の整理をしていた美しい金色の髪の、可憐な少女がそこにいた。あまりにもいつもと変わらぬ姿に力が抜ける。


「マリー、さん」


全力疾走でここまで来たせいで息切れを起こしながら名前を呼ぶ。思わず扉に少し寄りかかってしまった。



「あら、セレネ?どうしたのよ、そんなに慌てて…………って、その顔!!」


振り向いて無防備にこちらに近寄ってきた彼女だが、自分の顔を見て目を見開き……まるで、この世の終わりを目撃したような表情をする。


手首を握られ、その花のような愛らしさからは想像つかない力で引っ張られた。



「あ、あの、マリー、さん?どこへ……」


「医務室!!あんた馬鹿なの!?顔にそんな傷作って!!跡が残ったらどーすんのよもっと自分の顔に執着しなさいよ馬鹿!!本当に馬鹿!!!」


「あ……」



短時間に何度も馬鹿と言われたセレネはぽつりと声を漏らし、今更ながらに頬にヒリヒリとした痛みを感じた。

そういえば、先程ナイフを当てられたんだった。マリーの無事を祈るのに必死で、それどころではなかった。


「でも、あまり深いものでは無いですし……」


「あ?」



物凄い眼光で此方を睨みながら振り返り、ドスの効いた声を上げる少女に、思わず口を閉ざす。

それ以上反論する気がないとわかったのか、マリーはふん、と鼻を鳴らして足を進める。



「手当して」


そうぶっきらぼうに告げる彼女に、医務室に勤務するシスターが首を傾げる。



「シスターマリー、どうし……まあ、ミスセレネ。どうされました?お顔にこのような傷を作って……」


「ええと……少し。あの、血は出ていますが、深くはないので簡単にお願いします」


「何を仰るのです、貴女はまだ若い女性なのですよ?傷が残ったら大変です」



そうして自分が作った薬の入ったガラス瓶を棚から取り出すシスター。隣にいるマリーは「ほら見た事か」と言いたげな顔で此方を見てくる。何となく目を向けることが出来ずに顔を背けることにした。

それに対し、傷口に消毒をして薬を塗り込むシスターはくすくすと笑う。



「相変わらず、シスターマリーは貴女にはとても過保護なのですね」


「ちょっと、変な事言ってないで手当に集中しなさいよ」


「失礼。……さ、もう大丈夫ですよ」


「ありがとうございます。お手数お掛け致しました」


そうして頬には小さく切ったガーゼを貼られた。少し大袈裟な気もするが、マリーの前でそれを言うとまた睨まれると思い、お礼を伝えるだけに留めておく。



「――で、あんた、私に用があったんじゃないの?つか、とりあえず汗拭いて。風邪でも引いたらどうすんのよ」


中庭にて。タオルを手渡してくれる彼女に少し戸惑いつつ、お礼を伝えてそれを受け取り、出来るだけ端の方を使って控えめに顔を拭く。


(……どこから話そうかしら)



目を伏せて思考を巡らせていたが、結局全てを話すことにした。



「今日の昼、森でマリーさんを探していると思わしき男性がいらっしゃいました」


「私を?………………っ!!」



最初は怪訝そうな顔をしていた彼女の表情が、次第に愕然としたものに変わり息を飲む音が聞こえる。恐らく、彼女には心当たりがあるのだ。



「誰なの……?」


震えた声で男性の名前を呟く彼女に、そっと目を伏せる。あからさまに怯えた様子は、酷く痛々しく見えた。

そして彼女の問いには答えられないことも合わせて申し訳なく感じながら、セレネは俯きつつも答える。


「名前まではお聞き出来ませんでした。ただ、黒い外套を身にまとった、黒髪と赤い瞳の方です」



特徴的な様子を口にすると、華奢な肩が震えるのがわかった。


(――彼女を怖がらせたくない。けれど、彼女の身に災難が降りかかるのは嫌)



気付かれないように彼女を守りきる自信の無い自分の不甲斐なさを痛感しながら、やんわりと彼女の手を握る。握り返された力はとても強くて、まるで縋りつくようなものだった。



「…………ジャックだわ」



ぽつり、と呟いた彼女の声。その表情はやはり恐怖に染め上げられていた。


「あいつ、私を殺そうとしてた……私を、追ってきたんだわ」



やはり。これは憶測だが……衰弱した状態で森に倒れていた彼女をああして追い詰めたのは、あの青年だ。

そして、確認の為森に再び足を踏み入れたが、彼女の遺体は見つからなかった。

――だとしたら、自分の反応は完全に失敗だった。


後悔の念に支配されていると、彼女に手を引かれた。不安に揺れる瞳だが、それ以上にどろりとした狂気を感じ、思わず身体が固くなる。



「何を聞いたの?」


「マリー、さん?」


「あいつに何を聞いたの?私が……私のしてきたことを、聞いたんでしょ?」


罪を償わせると言った彼は、彼女のことを汚らしくて狡猾で醜いと称した。


たしかに、彼女は我儘で奔放なところもあるが、それでも可愛らしいと思える程度だ。……自分の中では。


拒絶を許さないと言いたげな瞳を見ていると、自分は彼女のことを何も知らないのだなと思い知らされる。きっと彼女には、まだまだ知らない顔があるのだ。



「私を、売り渡したりしないよね?」


ぎり、と掴まれた腕に爪が立てられる。痛みを感じながらも目を閉ざし、




(そんなの、もちろん)




彼女に掴まれていない手を背中に回し、そっと抱きしめる。びくり、と身体は震え、あっさりと拘束から解放された。



「大丈夫ですよ、そんなことしません」



「セレ、ネ」



彼女が何をしたのかはわからない。人に恨まれるような非道なことをしたのかもしれない。


けれど、もう手遅れだ。


たった数ヶ月ではあるが、彼女の自由奔放な振る舞いが、無邪気な笑顔が、不器用な優しさが、自分の中に染み込んでしまった。

縋り付く彼女を引き離すなんて、到底出来そうにない。



「貴女のことを守ります。だからもう泣かないで」



首筋に当たる生暖かい雫を感じながら、彼女の背中を撫で続ける。

「あんたほんと……ばかじゃないの」と震える声が耳元で聞こえ、思わず苦笑してしまった。




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