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彼女の想いは、


「綺麗な満月ですね」


教会に続く帰り道。そう呟いて空を見上げる女につられ、彼女も顔を上げた。

銀色の光を放つ満月。その周りには宝石を散りばめたような星が広がる。足元に目をやれば、まるでその夜空を移したように白い花……たしか、ミランという名の花が輝くように一面に咲いていた。


その視線を少しだけ前に向けてみれば、淡く微笑む女が映る。


――悔しさすら覚えない、まるでこの世の全ての美しいものを詰め込んだような女だ。


月や星、この花によく似た髪は飾りげなくひとつに低く結んでいて、それなのに夜風で遊ばれるその美しさに目が離せない。

優しげに細められる若草色の凛とした瞳は、嘗て男達に貢がれたどの宝石よりも美しい。白い肌が離すことを躊躇うような肌触りをしているのも知っているし、唇は桜色で柔らかそうだ。


……王都にいた頃、全てを手にしていたあの女の美しさが気に食わなかった。きっと自分は、自分より美しい女が許せないのだ。――にも関わらず、目の前の女と張り合おうとは、ましてや蹴落としてやりたいなど微塵も思わない。むしろ、その美しさをずっと見ていたいとさえ思ってしまう。


(ほんと、掃き溜めに鶴っていうか……しかも本人はちっとも自覚してないみたいだし。……だからこそ、毒気抜かれてんのかしらね)



“ヒロイン”すら軽々と凌駕する美しい娘。にも関わらず、こんな人気のない場所に隠れるように暮らしている。


王都にいた頃ならまず考えられなかった質素な暮らしを当たり前のように営み、獣の管理なんていう危ない仕事だって涼しい顔でこなしていく。

…………自分みたいな何の得もない人間に料理を振る舞い、こうして身の安全を考えて住んでいる教会まで送ろうとしている、お人好し。



(ほんと、私とは正反対)



逆ハーレムを築いて、チヤホヤされたくて、人を騙して嫌いな女を蹴落として、最後にはそれが全部バレて殺されそうになった。


王都から追放されたあの馬車でのことを思い出す。


攻略対象の一人だった男。最後の最後まで落とせなかった、公爵家に飼われた暗殺者の男は御者に扮し、自分に毒を仕込んであの森に捨てたのだ。…………恐怖心はあったが、それ以上にふざけるな、と怒鳴りたかった。何が「君を許しておけない」よ、あんたみたいなバグがいるから私がこんな目にあったんだ、と。


自分は悪くない。だって自分はこの世界の、乙女ゲームのヒロイン。

愛されて然るべき存在。だから悪事を働かない悪役の公爵令嬢を本来あるべき形で裁いても問題ないはずだし、あの男達は傅いて当然の存在なのに。

悪いのはシナリオ通りに動かないあいつらだ。



…………森の中で意識を手放すまで、ずっとそう思っていた。そう、女――セレネに出会うまで。


女神のような容姿で差し出してきた、質素だけれど前世で具合が悪い時に母が作ってくれた味によく似た粥を食べて、「元の世界に帰りたい」「お母さんに会いたい」なんて泣き言をこぼしたのがきっかけ。


教会での暮らしは退屈で苦痛だったけれど、セレネとの時間は今まで固執してきたのは何だったのかと思うぐらいに温かくて幸せな時間となった。あんなに綺麗で権力のある青年たちに囲まれていた時ですら感じなかった幸福感に酔いしれ、そして……恐れていた。



(私のしたことが、セレネにバレたらどうしよう)


自分は悪くない。

あんなにそう思っていたはずなのに、今ではそれが彼女に知られてしまったら、と考えるだけで血の気が引く。


表情は薄いし物静かだけれど、いつも優しくて、それこそ慈愛の女神のような微笑みを浮かべるその表情が失望と嫌悪に塗れた……まさに、王都で自分に向けられたあの時の大衆の表情に変わったら。




「マリーさん?」


そこまで考えて、その美しい顔がすぐそこにあることに気が付いた。僅かに眉を下げたその表情は心配の色が見える。


「具合が悪いのですか?それとも寒いとか……」


そうして自分のローブを脱ごうとするのを手で制した。

セレネは優しい。その優しさに出会った時からずっと触れてきて、すっかり依存してしまっている。


「――ねえ、セレネ」



震える唇を動かして彼女の名前を呼ぶ。


「私が、とんでもない悪女だとしたら……セレネはどうする?」


問いかけた言葉に、彼女は眉を寄せた。当たり前だ、こんなことをいきなり聞かれたら、誰だって―――。




「今度は何をしたんです?教会のステンドグラスに傷でもつけちゃいました?」


「なんでよ」


真剣な表情で的外れなことを言うセレネに、思わず突っ込んだ。



「それとも掃除をさぼりましたか?バザーに出すおやつを盗み食いしましたか?でしたら一緒にシスターに謝りますから素直に、」


「あんた、私の事幼児かなんかと思ってる!?」



耐えきれずに声を荒げれば、彼女はちがうのですか?と首を傾げた。



(たしかに、あんたの前で子供っぽく振舞ってはいたけど!!!)



「そういうんじゃなくて!!……もっと、悪いことしてたら、どうするのってこと」


「もっと……?」



きょとーん、なんて効果音がつきそうな表情を浮かべて首を傾げるセレネに力が抜ける。



「多分、変わらないと思います」


しかし、少し間を置いて返ってきた言葉は、随分とはっきりとしたものだ。



「変わらないって……」


「マリーさんが過去に何をしていようとと、貴女がそのままである限り、きっと私の中での貴女は何も変わりません」


(嘘でしょ。だって、もっと色々あるでしょ?軽蔑する、とか、色々……)



疑わしいと言わんばかりの目で見ていると、彼女は困ったように眉を八の字に寄せて微笑む。まるで駄々をこねる娘を前にした母親のようで、胸の奥が苦しくなった。



「マリーさんは……少し我儘なところがある、とても可愛らしい方ですから」



『マリー……ああ、君は本当に可愛らしいね。ちょっと我儘な所も魅力の一つだよ』



『よくも騙したな!薄汚い女が!!』



脳裏で甘く愛を囁いていた青年が、怒りと絶望で顔を歪めて罵る光景が過ぎる。



見境無くして周囲から失望されたのは自分の責任なのに、全部の責任を自分に押し付けるようなあんな男、こっちから願い下げだ。

だけど。



奥歯を噛み締めながら、彼女のローブを握り締める。



「ねえ、セレネ…………私のこと、嫌いにならないで」


涙が滲みそうになるのを堪えながら、彼女を見つめる。何度も瞬きをして少し慌てたような彼女は、そっと自分の手を取り、壊れ物のように優しく握ってくれた。



「勿論嫌いになんかなりません。私は貴女のことが好きですから」







「まあ、今日もずっとシスターマリーの面倒を見てくださったのですね。ありがとうございます、ミスセレネ」


(私は幼児か)


教会の門の前にて、シスターが満面の笑顔でセレネを感謝する姿にこっそりと舌打ちをした。




「いいえ、おかげさまでとても楽しい一日でした。それでは、おやすみなさい」


「っ……待って」


一礼をして立ち去ろうとする彼女に頷きそうになって引き留める。



「泊まっていけば?もう、暗いし……」


「いえ、そんな…いきなりお邪魔するわけには、」


「まあ!遠慮なさらないでくださいな!こんな夜分遅くに1人であの森の中を歩かれるのは危険ですもの」


意外なことに、自分に同意を示すのはシスターであった。



「教会は旅の人でもご利用できる場所……しかも、シスターマリーの扱いが上手くて常にお世話になっているミスセレネとなれば大歓迎です」


「あんた私のこと猛獣かなんかと思ってる!?」


こんな奴が神に仕えるとか冗談でしょ!?と噛み付くが、何処吹く風といった様子で尚もセレネの説得をしている。


「…………では、お言葉に甘えて」


しばらくは双方の顔を見て落ち着かない様子ではあったが、お人好しの彼女が断りきれるはずもなく、控えめに頷くことで教会への宿泊が決まった。


その間、くすりと笑い声が聞こえて顔を上げる。シスターの微笑ましいと言いたげな表情に、思わず顔が引きつった。



「……さっきから何よ?」


客人用の部屋にセレネを案内して別れてから、笑顔を隠さないシスターをじろりと睨む。それに難色を示すことなく、シスターは言った。



「いいえ。シスターマリーは本当にミスセレネのことが大好きなのですね」


「…………はあ?!べ、つに……どっちでもいいわよそんなの!」


「あら。だって貴女、自分は世界のお姫様ですとでも言いたげな振る舞いをなさるでしょう?」


いけしゃあしゃあと告げるシスターに怒鳴り散らそうとするが、彼女は悪戯を仕掛けるように言葉を続ける。



「でも、ミスセレネの前だけでは違いますわね。あの方が優しくて貴女の我儘にも付き合ってくださるから利用してる……と言うわけではないでしょう。あの方に誉められたくて、一緒にいたくてたまらない。それに、危ないことはしないでほしいし優しくしたい。そんなところでしょうか」


「っー!勝手に、決めつけてんじゃないわよ、ばあか!!!」


怒鳴って部屋に逃げるように入り込み、固いベッドに飛び込み、熱い顔を質素な枕に押し付けた。


廊下で「シスターマリー!夜は静かになさい!!」と怒鳴り声が聞こえたが知るものか!




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