7 そして、塔内
僕ら第三班、つまり、八七番から一二九番までの四三人が塔に案内されたのは昼過ぎだった。
それまでの自由時間は、それぞれ会話をしたり、あるいは自習をしたりしていた。会話相手がいない者は後者をとらざるをえない。
僕も。そして、僕が唯一名前を知っている人だったフィユ・ウィン・シュバイツェルも。
僕の方は当然だ。以前からの知り合いがいるわけでもなく、貴族は貴族同士で繋がりたがるために、話し相手がいるわけもなかった。
意外なのがフィユの方で、僕から見ても素晴らしいというか、見たことのないくらいに美人であるのに、誰も話しかけない。
周囲の話し声の中、彼女は居心地が悪そうに体を縮めて本を読んでいた。
人間関係を築くのが下手であるのか、何か、貴族から距離をとられるような事情があるのか。
気にならないといえば嘘になる。
何せ今、彼女が隣にいる。
青の三角の塔の前でカワチャを囲うようにして僕らは並んでいて、たまたまフィユが隣に来た。
向こうは僕のことなど知らないだろう。一度ちらりと僕の顔を見た時に何の反応も無かった。
巨大な塔を後ろにして、カワチャが全員に話しかける。
「さてさて、では皆さん、入りますよ。入り口は北西と北東の二箇所ありますが、今回は全員ここから入ってくださいね。
ちなみに、どちらから入っても得られるものは同じです」
得られるものとはなんだろうか。
そのことに言及せずにカワチャは塔に入り、僕らもそれに続いた。
入り口は扉もない、ただの長方形に空いた穴だった。
そこからすぐに右側に通路が続く。幅に合わせて、二、三人の列になって歩いた。
塔の内部は、外側と同じ陶器のような滑らかな材質でできていた。
歩いているだけで硬い感触が足から伝わる。長時間歩けば足が痛くなってくるだろう。
不思議なのは光源だ。
廊下は、床も壁も天井も同じ材質だったが、すべてがぼんやりと光っている。影は形作らずに、うっすらと霧のような輪郭のなさで床や壁に現れた。
現実味のない、夢の景色のような視界。
そして静かだ。
足音もほとんど響かない。何人も話しているが、その声も建物を反射せずにすぐに消える。
静かすぎで、耳鳴りがしてくる。
「不思議な空間だね」
その耳鳴りに耐え切れずに声を出した。
隣を歩いていたフィユに話しかけたつもりだったけれど、返事はない。
僕から顔を背けて壁の方を見つめた。話したくないようだ。
どうにも好かれない。
好意的な関係を作れたのはジャールだけだ。それだって、同室なのだから仲良くしなければならないという事情もあるのだろう。
あまり人間関係が上手ではないと自覚していたが、認識していた程度よりも酷いのだろうか。
「はいはい、並んでくださいね」
カワチャの声が聞こえた。
すぐに開けた空間に出てので、前の人間に倣って横に並んだ。
「ここが、一階の試練の間です」
カワチャが言った。
そこはずいぶん広い空間だった。四三人の人間がこうして並んでいても、ずいぶんと余裕がある。三倍の人数でも収容できるだろう。
廊下と同じ材質でできていて、部屋全体がぼんやりと青く光っていた。
「各階にも同じように試練の間があります。その試練を越えることで、次の階に進めるわけですね。
さてさて、では、皆さん気になる試練ですが、部屋の中央にですね、色の違う部分があります。これですね」
カワチャが自分の足元を示した。
確かに、正方形に色が変わっている。より黒に近い青色だ。光源が青しかないので本当の色は分からないが。もしかしたら、ただ発光していないだけなのかもしれない。
その正方形は人が丁度一人立てるような大きさだった。
「ここに立つことで試練が始まります。試しにやってみるので、私を囲むように移動してください。
はいはい、そこ、見づらいでしょう? 右に移動して。はいはい、そうですね。まあ、大したものでもないですけど、実態は説明しづらいですからね」
何の気負いもない動作でカワチャは一歩前に進んで、色の違う正方形の上に立った。
途端にどこかで魔力の動く気配がかすかにした。
「試練の内容は様々ですが、一階では魔術式の模倣することが求められます。
精神感応系の魔術で対象となる式の内容が伝えられますので、それを描きます。それほど難しくはないですよ」
そう言うとカワチャは、魔力をうっすらと周囲に纏わせた。
魔術式の構築自体には魔力は必要ではないが、魔術式はそのままでは目に見えるものではないためにわざわざ可視化してくれたのだろう。魔術式は魔力に反応して発光するからだ。
カワチャは単純な構造の魔術式を描く。カワチャの魔力に反応して、淡い橙色の光が空中に幾何学的な紋様を作る。
どれもカワチャの言った通りに複雑なものではない。青の三角に合格するような人間なら簡単に構築できるものだろう。
十六個魔術式が描かれた所で、カワチャの動きが止まった。
同時にかすかな物音がする。背後だ。
後ろを見ると、先ほどまではただの壁だったところに空洞の出口ができている。
「上の階になるほど試練は難しくなりますからね。ああ、それと、内容は大抵出口の上に書いてありますので、始める前に読んでおいた方がいいですね」
先ほどまでは気付かなかったが、新しく開いた扉の上に文字が刻まれている。
青白く光る文字は短く、「式の模倣」 とだけ書かれていた。
「注意する点としては、試練を受けることができるのは一度に一人ということ。上の階の方になると、色の違う部分がもっと広くなったりしますが、その上に立っているものが一人の時だけ試練が始められます。
それと、出口から出られるのは試練を達成した人だけです。その辺りは魔術でしっかり感知していますからね、ズルはできませんよ。
今回だけは、私の権限で皆さんも通れますが、次は自力でこの試練を達成してくださいね。
ではでは、次の階へ行きますよ」
再びカワチャが先導して進む。
出口からは再びまっすぐな通路。
違和感があったが、すぐに正体は分かった。
緩い坂道になっている。
「階段はありません。気づきにくいでしょうけど、坂道になってますからね。丸いものを落とすと前の階まで転がっていくので注意した方がいいですね」
カワチャが少し大きめの声で言った。声の大きさは、音が響かないためだろう。
しばらく歩くと、また一階と同じように長方形の入口があって、同じような部屋があった。
再びカワチャの前に並ぶ途中で部屋の奇妙な形に目が行った。
先ほどは気がつかなかったが、四隅の角度が直角ではない。部屋全体がひし形になっている。
三角柱の塔の外壁沿いを歩いてきたことを考えると、三角形のそれぞれの頂点に部屋が位置しているのが自然で、そうするとひし形の鋭角は六〇度で、鈍角が一二〇度なのだろうか。
「では次に、試練に失敗した時どうなるかを見せますね。試練の内容は書いてある通り、先ほどと同じです。いくらか難しいですけど。
ああ、全員、心の準備だけはしておいてください」
カワチャはそれだけいうと青黒い床の上に立って、成立していない魔術式を適当に描いた。
その直後に、魔力が部屋全体へ満ちていく気配。
「全員、驚かないように」
その言葉が終わるのとほぼ同時に、至近距離で魔術が発動した。
浮遊感。
あるいは眩暈。
視界が明滅。
涼しさと、透明感のある高低複数の音。
空間跳躍の魔術だ。
「ひっ」
隣でか細い悲鳴。
そして場所が変わっていた。
外だ。風が頬を撫でる。
土の上に立っている。
目の前には青い陶器のような壁。
見上げれば塔は高く点になるまで伸びている。
塔の外に転移したのか。
すごい技術だ。
カワチャの行った魔術ではない。塔にあらかじめ組み込まれた魔術なのだろう。
単純な発火や爆裂の魔術なら、式を刻んであれば魔術符のように魔力を注ぐことで発動する。
しかし、特殊な感覚を必要とし、特別に繊細な空間跳躍の魔術を自動化することができるとは思わなかった。
周囲の人間は、単純に起こった現象に驚いている。それはそうだろう。それくらいに、空間跳躍の魔術は希少だ。
初めてなら自分の身に起きたことが分からずに困惑する。
「このように」
愛想のいい声は、当然カワチャのものだ。
「試練に失敗すれば、塔の外に出されます。今回は特別に室内のものが全員対象となりましたが、実際には当然試練を受けている者だけです。
さて、説明はこれくらいですね。
どのような試練が待っているのか、それぞれに情報を集めるのは自由です。そうした人付き合いの上手さも、個人の能力とみなされますからね。とにかく、どんな方法でも、この階を上った階数が評価となります。
私からアドバイスがあるとすれば、やはり、七選にこだわらないことですかね。一年だけでも、青の三角に所属したことは大きな価値を持ちます。下手に競争心をこじらせるよりも、限られた時間で何を学ぶかが大事でしょう。
まあ、それも人それぞれですが。誰が何をするも自由です。
さて、何か質問は?」
囁くような言葉が学生達の間で交わされ、やがて一人が手をあげた。
どうぞ、とカワチャに促されて問いを発する。
「その、七選に選ばれるには、大体どのくらいの階数が必要ですか?」
「ああ、なるほど、気になりますねえ。しかし、例年まちまちですので、こうとは言えないですね。
昨年の第七位が確か四九階で、過去最低の階数と聞いた覚えがありますので、まあ、少なくとも五〇階は、といったくらいですね」
具体的な数字だが、多分無意味だ。
二〇〇人以上の学生の七番目など、年によって違いすぎるだろう。
今年の基準が一〇〇階であったとしても驚かない。
「ああ!」
カワチャが大きな声を出した。
「そうだそうだ、いやあ、忘れていた。すみません。
塔に上ることができるのは一日に一度だけです。正確には入口をくぐることができるのが、ですね。塔の中で夜を明かした場合は、外に出された直後にもう一度入ることができます。
それで、今日は試しに塔に上ってもらおうと思います。実は先の一班二班も上り終わっています。全員が外に出されてから、君達を呼んだわけです。
ひとり、ずいぶん長くかかる人がいたので遅くなりましたが。
いやあ、凄い人ですよ。初めてで一〇〇階を越えるというのは、滅多には聞かないですねえ」
予想外の階数に驚いた。
少なくとも、去年の七位が四九階であるのに、その倍以上だ。
誰かが手を挙げて質問する。
「あの、それはいったい誰ですか?」
告げられた名前は全員の予想通りだっただろう。
「エルノイ・ウィン・ディアリルムさんです」
黒髪の天才の、無邪気な微笑みが脳裏によぎった。