5 そして、食堂
宿り舎は、他の建物に比べて少し有機的な外観だった。
他の建物同様に直方体ではあるけれど、窓の前に装飾的な手すりがあったり、入り口の周囲に草花が植えられていたりするからだろう。
無機質な印象の建物ばかりの青の三角の中で、唯一他の都市にもありそうな建物だ。
その一階に食堂があった。
机と椅子が各所に並べられて、その間を給仕が忙しく働いていたる。
室内の片側は厨房になっていて、何人もの料理人が料理を作り、出来上がったものをカウンターに乗せる。それはすぐに給仕が受け取り、注文した人間に運ばれていく。
部屋の掃除を終え、ジャールと共にここに来たのは食事時でずいぶん賑わっていた。
「お、あそこ空いてるぞ」
空席を探していると、ジャールが隅の方を指差した。
見てみると、確かに一席だけ空いていたのでそこに歩く。
椅子に手をかけたところで、反対の椅子にも誰かの手がかけられた。
顔を上げると、向こうも同じように顔を上げて、驚いた顔をしていた。
その顔にこちらも驚く。
ミーティクル・ウィン・キャンディナ。
昨日出会った、小柄な少女だった。
「あ、その、どうも」
とっさのことによく分からない挨拶をしてしまう。
それから、キャンディナの後ろにもうひとり少女がいることに気づいた。
平均的な身長で、キャンディナの頭部の高さに肩がある。その肩に届かない高さで切り揃えられた髪は綺麗な金色だった。
「いえ。どうぞ」
キャンディナは軽く会釈をして背を向けた。
「ほら、行きましょう」
そう声をかけて、キャンディナは後ろにいた金髪の少女の背中に手をやって去っていく。
こっちが他の場所を探すと言う暇もなかった。
「何だ、知り合いか?」
遠慮無く譲られた席に座りながらジャールが言った。
僕も座りながら答える。
「少しだけね」
「金髪の方は、確か、シュバイツェル家の娘だな。青の三角に受かってたのか」
「すごい美人だったね」
「それで有名だからな。シュバイツェル家も有力な貴族だが、フィユ・ウィン・シュバイツェルは美貌でもっと有名だ。男が寄り過ぎるから、髪を短くしているとも聞く」
「へえ、詳しいね」
「王都の貴族ならな。商売相手だったから」
やがて、給仕がやってきた。
すこし南東の方言を残した口調だった。
注文を聞かれたので、魚料理の定食を頼む。ジャールは羊肉のものを選んでいた。
戻ろうとする給仕に声をかける。
「はあ、何でしょうか」
変わった抑揚はやはり南東の気配。
「あなた、出身はどこですか?」
「出身ですか? ファルピニってとこですが」
「ファルピニ……シルバジ遺跡のあるところですね」
「そうですそうです! よく知ってますね」
給仕が嬉しそうに笑顔になった。
この辺りの人間が知るには、遠い南東の辺境だ。
「ずいぶん遠くから来たんですね」
「来たというか、その、私達は奴隷でして。売られて売られて、ここに拾われたというところですね。
いやあ、ありがたい職場ですよ。鎖の類はありませんし、寝床も食事も与えられますので」
「そうだったんですか」
「あの、ですので、敬語を使われなくても大丈夫です」
「いえ、僕があなたの主人というわけではないですから」
給仕は居心地が悪そうな顔をすると、深々と頭を下げてから去っていった。
顔を戻すと、ジャールが興味深そうな目でこちらを見ていた。
「何?」
「奴隷に敬語を使うやつは初めて見た」
「理由を聞いてなかった?」
「主人でなくても、敬語を使わなければいけないわけじゃないだろ?」
それはそれで正論だ。
奴隷というのは、身分としては最下層。特殊な例でければ敬語を使われる存在ではない。
何故敬語を使うのかと聞かれるとはっきりした答えが出てくるわけでもない。
「あの子が敬語を使ってきたから、かな」
「……なるほど、面白い意見だ。俺は使わないがな」
「僕が使いたいだけで、思想も文句もないよ」
周囲を見ると、僕らと同じように二人組が多かった。多分、どれも相部屋同士なのだろう。
中には四人組や六人組の卓もあったが、奇数の卓は少なかった。
キャンディナと、シュヴァイツェル家の人も相部屋同士だったのだろうか。
「ジャールって貴族に詳しいんだよね」
「最近の事情だけどな。親父は俺が一二になるまでそういうことを教えてくれなかったし」
「キャンディナ家って分かる?」
「キャンディナ?」
「そう、さっきの栗色の髪の方の人なんだけど」
「キャンディナねえ……」
ジャールは眉をひそめて唸った。
少なくとも、すぐに思い出せるような家ではないらしい。
参考になればと、少し声を潜めて情報を追加する。
「横領公爵、とか言われてたけど」
ジャールは、ああ、と声を出して頷いた。
それから再び厳しい顔をする。
「噂には聞いたことがあるな。昔は名家だったらしいが」
「公爵だもんね」
王国貴族でも上から数えた方が早い高貴な家柄だったのだろう。
「それで、だった?」
「蔑称の通りに、国の金を大量に横領したらしくてな。まあ、多かれ少なかれ貴族は誰もやっているが、表沙汰になったのは珍しいな。
爵位の剥奪こそなかったが、要職を解かれ、私財や領地を没収され、名ばかり貴族となったらしいが」
「なるほど」
横領公爵。
そんな父を持ち、彼女は青の三角に入学した。
その胸中はどうなっているのだろうか。不躾な興味があった。
「他に、何か覚えておいた方がいいような人はいる?」
「どうだろうな。貴族が多いと言っても、本当に大陸中から集まっているわけだから、俺が知っているやつなんて一握りだ。
まあ、嫌でも知るだろうが、あの女くらいか」
ジャールが顎で示したのは、食堂の中でも賑わう一角。
二十人くらいは集まっている中心で、無邪気に笑っている黒髪の少女。
傍から見るだけでも人を惹きつける雰囲気があるのが分かる。実際に人が集まっている。
「お前と同じ黒髪の女な」
「あの楽しそうな子だよね」
「そう。俺よりひとつ年下のはずなんだが、ずっと幼くみえる顔つきのあいつな。立つと意外に背が高いが。
あれがエルノイ・ウィン・ディアリルム。噂くらい聞いてないか」
「あー、なんか、天才だとか」
「紛れも無くな。何せ、五年前に一度青の三角に受かっている。辞退したらしいが」
「へえ、それはそれは……」
年齢制限は上にしかないと聞いていたが、五年前とは。
見た目には僕とも同い年くらいだろう。
「ジャールは何歳なの?」
「十六」
「ああ、じゃあ僕と一緒だね」
五年前ということは僕は十一歳。
下限級の冒険者として、雑用のような仕事をしていた頃だ。
「宮廷魔術士としても、王国軍の魔術隊としても勧誘ばかりだそうだ」
「へえ、同じ年に合格して、運がいいのか悪いのか」
「七つの席が六つになるわけだから、悪いんだろうな、多分」
やがて、料理が運ばれてきた。
海魚の油煮が食欲をそそる匂いを立ち上らせる。
嗅いだことのない香辛料の香り。
「さあ、飯だ飯だ」
羊肉にナイフを突き刺しながらジャールが言った。
お祈りをする習慣は、僕にも彼にも無いようだった。
料理は期待以上に美味しかった。
* *
「あの、すみません」
南東風の方言を匂わせる声は、先ほどの給仕だった。
褐色の肌の顔を申し訳なさそうに歪めている。
すでに食卓の上の料理は僕もジャールも食べ終えていて、食器を持っていくために来たのかと思ったけれど、違ったようだ。
「何でしょうか」
「その、ちょっとお話というか、お願いがあってですね」
「はあ」
「食堂の手伝いと言いますか。その、詳しい話をしたいので、着いてきてもらえますか。あの、お話だけでもいいですので」
「別にいいですよ」
立ち上がると、同じようにジャールも立ち上がった。
「俺も行っていいのかな?」
「あ、ええ、その、大丈夫だと思います」
その給仕に着いて行った先は、厨房の中だった。
忙しそうな声が飛び交う中、さらに奥へと案内される。
出迎えたのは壮年の男性だった。
立ったまま太い腕を組んで机の上の資料を睨んでいた男が、足音に気づいて顔をこちらに向ける。
「アンリ、彼らが?」
「はい、そうです」
給仕の名前はアンリというらしい。
アンリに頷いてみせた男は、今度はこちらを見る。厳しそうな顔つきだ。
その顔に劣らない、低く野太い声で男が名乗る。
「給仕長のイヨゴと申します。実は、貴方がたに頼みがありまして」
「どんなです?」
「この厨房にはですね、賢者や学生から提供されたたくさんの魔術用品があります。
コンロや冷蔵庫もそうですし、他にも換気口や浄水設備もですね。
しかし、私らは魔術なんて使えないですし、定期的に手入れや魔力石に補充してくれる人が必要なのです」
「ああ、それをやれと」
「実は例年、貴方がた一年目の、赤の学年の学生さんにお願いしているんです。
刻紋の勉強にもなりますし、それにささやかですが給金も出すことができます」
「何故僕らに?」
気になって聞いてみると、イヨゴは肩をすくめた。
「まず、給金が出ると入っても限られていますので、貴族の方は引き受けないでしょう。
加えて、聞き及んだと思いますが、私どもは奴隷の身分ですので。できるだけ、問題の起こらない人選をしたいわけです」
「起こらないですかね、問題」
「さあ、それはアンリの人を見る目次第ですが……」
イヨゴはアンリの方を見る。
僕達を連れてきた褐色の肌の給仕は自信なさげに目を逸らす。
先程の会話だけで連れてきたのだから、当然だろう。
「仕事内容は週に一度、それほど時間もかかりませんので、引き受けてもらえませんかな」
イヨゴはいかつい顔に似合わず丁寧な口調だった。
ジャールの方を見ると、肩をすくめられた。
「俺は興味ないな。金に困ってるわけでもなしに」
「そっか」
僕はどうしようか。
金には困っているが、ここで稼がねばならない理由もない。
しかし、興味はある。
せっかくの機会なのだから、やってみるに越したこともないだろう。
「とりあえず試しに、でよければ」
「ええ、それは当然です。ありがとうございます。では、名前を教えてもらえますか」
「カスタット・ポゥです」
「カスタット・ポゥ様ですね。明後日の夕食後に部屋までお呼びしますので、時間だけ空けておいてもらえますか」
「明後日ですね。分かりました」
部屋番号を伝えて厨房を去った。
先導してくれたアンリとは、食堂の入り口で別れた。深々と頭を下げられたので恐縮してしまった。
三階の部屋に向かいながら階段を上っていく途中で、ジャールが口を開いた。
「あのアンリとかいう奴隷が好みか?」
「え?」
「やけにあっさり引き受けるからさ。ここの生活にも慣れているわけでもないのに」
「んー、可愛いとは思うけどね。何事も経験かなって理由だね」
「そうか。まあ、どっちでもいいんだけどな」
「聞いといてそれ?」
会って一日だが、軽口くらいなら言えるようになれた。
どちらかと言えば、ジャールの気安さによる進展だろう。