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魔術士は求む者  作者: 土月 十日
ニ章 橙・六感・王の疾患
42/44

12 けれど世界は止まらない


 呼吸が荒い。

 何もかもが信じられない。

 突き出した右手と、突き飛ばされたフィユ。

 彼女が悪魔か、天使のように見えた。共通点は人間ではないことだ。

 魔女は人間ではないのか。

 そもそも人間とは何だ。

 フィユは突き飛ばしていい存在だったのか?

 混乱した思考と感情が騒ぐ。

「そう、ですよね」

 少し離れた位置のフィユが悲しく微笑む。  

 激しい後悔に襲われるが、だといって何ができた?

 抱きしめれば良かったのだろうか。

 きっとそれは限りないほどに幸福だ。

 フィユは美しい。それは僕にも分かる。彼女を好きにできたら、と思わなかったとは言えない。

 どうしてそれを選ばなかったのだろうか。

 幸せになるために人は生きていると誰かが言っていた。それは正しいと思う。

 けれど、それを選ばなかったのも僕だ。

「私は汚れています。でも、それを(そそ)ぐためなら何だってしますから」

 悲痛なまでのフィユの声。ぞくりと背徳感が背をなぞる。

「違う、そうじゃない」

「その、もし、生殖機能の問題を気にしているなら大丈夫ですよ。私、色々教えられましたから。嫌で嫌で仕方がなかったですけど、カスタットさんに与えられるなら、あれに耐えたかいがあったと思うんです」

「ちょっとそれ、誰に聞いたの」

「ルルさんです」

「意外と噂好きなんだね、あの人」

 赤の学年の時に男どもに広まっていたのは知っていたが、そんなところまで広まっていて、ルルティアがそういうことを話すとは思っていなかった。

 少しだけ空気が軽くなる。フィユの過去の重さにはこの際触れない。そんな余裕はない。

「凄い魅力的な提案なんだとは思うよ」

 正直な言葉を告げる。

「でも、何て言うかな、駄目だと思う。それを受けたら、僕はそこで駄目になる」

「駄目になったら駄目だなんて、誰か決めたんですか? いいじゃないですか。人はみんな聖人にはなれないです」

「その理屈を認めたらさ、きっと、フォーシアルを、フィユを傷つけた存在も認めることになる」

 聖人になれないなら何をしてもいいというのは暴論だ。

 けれどフィユは首を振る。

「認められているじゃないですか、あの人は。誰が道徳からあの人を罰したんです? 結局、強い者は何をしてもいいんですよ」

 間違った言葉だ。なのに、反論する言葉を選べない、見つからない。

「そうですよ」

 フィユがおかしそうに笑った。

「何で気がつかなかったのでしょうか。好きなようにすればいいじゃないですか」

 子供みたいに無邪気な表情。

 虫の足をもぐような残酷さを秘めて僕を見ている。

「そうですよね、十年か、二十年もあなたを閉じ込めていれば、きっと振り向いてくれますよね」

「フィユ?」

「大丈夫、私、待つのには慣れてるんですよ。ずっとカスタットさんがいてくれるなら、永遠だって幸せです」

 フィユがゆっくりと立ち上がる。

 シーツは床に落ちて、彼女の身体を隠すものはない。

 心臓が痛む。

 魅入られる。

 魔的なまでの美しさ。

 時間が引き伸ばされる。


 その美しさの。


 その価値を焼き付けるためか。


 永遠のような刹那。


 何もかも投げ出してしまいそうになる。


 僕の中の誰かがフィユを貪れと叫んでいる。

 僕の中の誰かが快楽を求めろと叫んでいる。


 そうしたいならそうすればいいさ。

 まぎれるように誰かが小さく呟いた。


 違う。

 そんなものを求めていない。


 少年が笑う幻想。


 その少年は僕だ。


 頭の熱にようやく気づく。気づけるまで冷静さが帰ってきた。

 そうだ。何もかもが認識される。フィユの意思は間違っていない。

 ただ、僕の意志とは相容れないだけだ。

「ごめんね」

 謝罪の言葉がふさわしいのかは分からない。

「謝ることではないです」

 泣きながら笑うフィユ。

 流れる涙は静か。

「私は待つだけですから」

「出してくれる気はないんだね?」

「私は、独りになりたくありません。あなたと離れたくも」

 フィユの返答に頷く。

 その意思は否定できるものではない。尊重すべきものだとも思う。

 ただ、それが僕のものと違えているだけだ。

 自分の求める道を選ぶのが真っ当な選択だと僕は思う。だから昨年、ミーティクルを説得した。彼女が道を誤っていると思ったし、自分の望む方を歩いてほしいと僕が求めたからだ。

 あの時と同じだ。

 結局、僕はミーティクルと戦った。

 求めるものが折り合わないなら、力ずくで勝ち取るしかない。

 人間の本質だと思う。

 それから逃れられないから、人だ。

「僕はまだ、青の三角で勉強していたい」

 フィユは無言で僕を見ている。

 すでに道は別れている。

 僕の方は絶望的だ。

 どうすればいいのかも分からない。

「私を殺せば魔法は解けますよ」

 導くようにフィユが告げた。

 美しい顔が微笑んでいる。

 殺せるだろうかと考えて、今更だと気がつく。

 フィユはもう覚悟を決めている。

 殺されてもいいから、自分の望みを通したいのだ。

 一呼吸をして、魔術式を瞬間展開する。

 雷撃の魔術式は、展開と同時に発動。

 何かが遠く去っていく気配。

 最速の魔術の向かう先にフィユはいない。

 右後ろにいることは何故か分かる。

 振り返るとシーツを羽織ったフィユが薄く笑っている。

「気の済むまでやってください。諦めれば、私のことを受け入れてくれるかもしれません」

 止める魔法。

 フィユが魔女になったことの証明。

 僕を止めて動いたのだろう。

 魔女の数が王国と帝国の戦争を左右しているという言葉を思い出す。サイファールとフィユの会談で聞いたことか。

 殺す気ならとっくに僕は死んでいる。フォーシアルが惨殺されたように。

 とっさに魔術式を周囲に展開。さらに伸ばしていく。

 フィユは興味深そうにそれを眺めてくれている。油断とはいえないだろう。余裕と言うべきだ。

 床を覆う魔術式は通常の火炎魔術をいくつも繋げたものだ。フィユの周囲の魔術式に同時に魔力を流入させて、炎を噴出させる。

「流石ですね」

 感心した声でフィユが言う。

 包囲攻撃なら時間を止めたところで逃げ出せない。

 フィユがのんびりと感想を言えたのは、炎がフィユを囲う寸前で動きを止めていたからだ。

 幻想的な光景。絵の具をぶちまけたように不安定な形で炎が固まっている。

 魔術式の途中で魔力も止まっていた。せき止められた魔力が逆流し、経絡が痛む。

 遊ばれている。けれど、炎は下に意識を向けるため。

「それ、何を止めているの?」

 素直な疑問を口にしながら意識はフィユの頭上。

 炎の明かりにまぎれて細い魔術式が伸びていくその先で、雷撃魔術が展開されている。

 雷が落ちるように電流が真下へと射出される。

 嫌な感覚。幻だったかのようにフィユが消えた。

 そっと左手が握られている。

 近くにいるのに何かが遠い。左を向けばフィユが楽しそうに笑っていた。

「今の、怖かったですよ」

「避けられるとは思わなかった」

「私、カスタットさんのことを尊敬してるんですよ? ちゃんと、こまめに辺りを確認してるんです」

「あー、いらない尊敬をしてくれてるんだね」

 せめて油断くらいしてくれないと相手にもならない。

 捕まれた左手を手繰ってフィユの華奢な手首を掴む。

「急に積極的ですね」

 嬉しそうにフィユが微笑むので、微笑み返す。

 掴んでしまえば、いくら時間を止めても逃れられない。

 展開した雷撃魔術の先にフィユはすでにおらず、いつのまにか広げられた左手に気がつく。

 少し考えれば苦い結論にいきつく。

「意識を止めたんだね」

「やっぱり、理解が早いですよね、カスタットさん」

 少しだけつまらなそうにフィユが答える。先日まで眠っていたベッドに腰かけていた。

 魔女の魔法は概念的なものにも効果が出ると誰かが言っていたことを思い出す。

「そしたら、もちろんこんなこともできるんですよ」

 フィユが微笑みながら立ち上がり、近づく。

 身構えようとして体が動かないことに気がついた。今度は意識以外を止めたのか。魔術式は描けても魔力が動かせないので無力だ。

 近寄ったフィユが両手でそっと僕の頬に触れる。息がかかるくらいの距離でじっと僕を見てから、急に離れて首を振った。

「キスしてしまいそうになりました」

 恥ずかしそうに顔を隠すフィユを見て、やはり感情が不安定だと感じた。

 呪を解く手段はない。かかっているのかも分からない。自分の無力さを痛感する。

 力がなければ何もできない。何も成せない。

 どんな分野でも同じことだ。

 フィユに勝つことなんてできない。まずはそれを認めよう。

 現状を把握することが第一歩だ。目を閉じて剣を振っても、戦場では死期を早めるだけ。

 落ち着くとフィユにとっても苦しい戦いだろうとようやく気がついた。彼女は僕の気持ちを変えなければならない。脅すことはできても僕を殺せない。

 フィユを受け入れたふりをすれば彼女は隙を見せてくれる、そんな気はした。けれど、それは選べない道だった。きっとこれは僕の子供の部分なのだと分かっていたけれど、大人になりたいと思ったこともない。

 エルノイの超越した微笑みが脳裏に描かれて苦笑する。

 彼女ならこんなふうにうだうだと悩まないだろう。

 僕はあの人にはなれない。

 自分の力だけで生きていくには何もかもが足りない。

 だから、何かにすがって生きていく。

 フィユの存在が遠く感じる。

 フィユの魔法も遠く感じる。

 きっとそれらは遠いのだ。

 それが僕の六感か。

 劇的な変化もなく、ただずっと感じていた異能感覚をようやく自覚した。

 すがるべき相手も。

 情けなく、みっともない手段も。

「フィユ、これは、僕の賭けだ」

 魔術式を周囲に展開する。




    * *




 意識の断絶に気がつく。

 気がつくということは意識が戻ったことは自明だ。

 堰をきって流れ込むように記憶が意識に追い付く。そうだ、エルノイに気絶させられたのだ。

 それから自分が寝ているの場所がやけに柔らかいことに気がつく。

 体を起こすと高級そうなソファーの上からの視界。窓際の執務机の向こうで、簡素な白いシャツを着たサイファールが書類を手にとって難しい顔をしていた。

「ずいぶん遅い目覚めだな」

 サイファールが視線を紙に向けたまま独り言のように言う。

「王都、じゃないな、ここは」

「セリーヌの私邸だよ」

 セリーヌか、と窓の向こうの青空を睨みながら納得する。時間はそれほど経っていないようだ。

 セリーヌは王隣三都市と呼ばれる王都に近い都市のひとつだ。位置としては王都の南西。王隣三都市であるという以外には取り立てて特色のない街だ。

「あんたは上手く逃げおおせたんだな」

「逃げたなんて人聞きが悪い。この都市の都市長として公務に赴いているだけさ。緊急の査問があってな」

「言い訳まで上手い」

 呆れながらサイファールを睨む。

 一人逃げたとあっては風聞が悪いどころではなく、王族として責任問題にもなりかねない。たまたま仕事で王都を留守にしていなければならないが、どうせいつでもその状況が作れるように工作しているに決まっている。

 防諜対策はしているか、と気になって、そんな心配が無用な相手だと思い直す。

 だから遠慮なく確認した。

「フィユの魔女が、停止かそれに類するものかもしれないと昨日俺は警告したはずだ」

「ああ、覚えてるよ」

 こともなげにサイファールが同意した。

 自分が苛ついていることを、声を聞いて自覚した。

「発現を待たずに殺すべきだと進言したことだけ、器用に忘れたのか?」

「まさか。でも、傲慢だね。君の進言は全て受け入れなければならないのかい?」

「結果、王都は停止した。ああなることは目に見えていただろう」

 第一王子、ひいては王国に恨みのあるフィユがそんな魔法を持てば大きな厄災になる可能性が高い。

 そうでなくても魔女という存在は、歴史の上で登場する際に必ず悲劇を共にしている。管理しえない魔女など竜とさして変わらない驚異だ。

 サイファールが、魔女は戦力になるという浅はか過ぎる考えの持ち主だとは思えない。

 そうだ、ようやく頭が回ってくる。

「あんたがこの事態を予想していなかったはずがない。こうして避難までしているんだ」

「だとしたら?」

「いったい何を狙ったんだ? そもそも、どうしてエルノイとあんたが繋がっている?」

「さて、どうしてだと思います?」

 静かな音と共にエルノイが現れた。

 今さら誰も驚かない。

 エルノイはこちらを微笑んで一瞥すると、サイファールの方へ顔を向けた。

「そちらの目的はかなったみたいですよ」

「そうか。それは良かった」

「私の方は難しそうですね。元から薄い望みでしたが」

 エルノイが大袈裟に困った声で呟いた。

「青の語り部、きっと現れると思ったんですけどねえ」

 聞きなれない単語について尋ねるのを拒否するようにエルノイはため息を吐いた。




    * *




 床一面に描かれるのは切断の力場。

 少し離れた位置のフィユに向けられる。

「この賭けに負けたら僕は、諦めるよ。フィユと一緒に、永遠か、永遠に近い時を過ごそう。もしかしたら、その方が僕は幸せなのかもしれない」

「本当ですか?」

 フィユのあどけない笑顔に頷く。

 本心ではある。けれどこんな言葉は策略のための汚い言葉だ。

 こう言えばフィユはこの魔術の発動を見逃してくれる。

 嫌気ばかりの苦い感情。

 けれどこの魔術に全力を込めるしか道はない。

 魔力石からも搾り取って魔力量を補強する。

 偽装だった魔術式のほとんどを破棄。単純な雷撃魔術だけが残る。

 その矛先は僕だ。

「え、カスタットさん?」

 フィユの呟きに答えずに魔術を発動。

 放たれた雷撃が式を離れてすぐに止まる。角度をつけて折り曲がり続ける白電の軌跡がよく見える。こんなもの、ここでなければ見ることも無かった。

 間に合って安心したフィユの顔。けれど僕が賭けたのはここからだ。

 足元に描いた捕縛魔術が僕の足を地面に縫い付ける。足だけではなく、肩や腕、体全体が固定される。

 不思議そうな表情のフィユの顔が驚きに歪む。

 止まっていた雷撃がゆっくりと動き出したからだ。

 どうして、と叫びながらフィユは何度も止まる魔法を雷撃に重ねる。二種類の何かが遠くなる感覚が何度も六感を刺激するが、雷撃は一瞬遅くなるだけで動きを止めない。

 僕を殺すには充分な一撃が迫る。

 フィユが泣きそうな顔で笑った。

「そういう賭けですか」

「嫌な奴で、ごめんね」

「いえ、私は嬉しいんですよ?」

 フィユが僕に駆け寄る。

 そして抱きついた。

 華奢な体つき。細い指が愛しげに背中を撫でた。

「だって」

 目の前でフィユが笑う。

 綺麗な瞳だ。

「だって、私のことを、信じてくれたんですから」

 綺麗な瞳が瞼に隠されて。

 唇がそっと僕に触れた。

 目を開くと、一歩離れたフィユが照れくさそうに笑う。

「私、悲しいだけじゃなかったですから。幸せも、人より少なかったかもしれなくても、ちゃんとあって、確かに、もらいました」

「ごめんね」

「謝らないでください。私、今、とても幸せなんですから」

 フィユはそう言って背を向ける。

 その先には、僕を殺すはずだった雷撃。

 フィユを殺すために作った、僕の雷撃。

 一度大きく呼吸をしたことがフィユの肩を見れば分かった。


 そして、遠ざかっていた世界が一気に近づく。


 止められてた世界が動き出し、


 雷撃はその速さを思い出す。


 弾けるような音が遅れて響いた。

 目を背けたくなるような光景から、目を逸らしてはいけない。

 僕を守るために立ち塞がったフィユが、倒れる。

 部屋の外で強い風が窓を震わせた。王都を囲っていた魔法が解けて、外部との気圧さから生じたものか。

 僕は、僕を拘束してみせていた魔術をほどいた。

 それからフィユに近づく。

 炭化した肉体の焦げた臭い。でき損ないの人形のように変わり果てていた。

 細かった指が崩れ落ちている。

 誰のせいだ?

 僕の魔術がフィユを殺した。

 人を殺すのは初めてじゃない。

 けれど、自分を好いてくれていた人を殺したのは初めてだ。

 吐きそうになるのを堪える。

 吐いて楽になれば、多分、その方が苦しくなる。

「気に病まない方がいい」

 誰かの声。

 物理的には近くても、遠くから聞こえる声。

 その声に返す。

「ちょっと、それは、難しいですよ」

「何も今すぐにとは言わない」 その人が答える。「けれど、君にとってはもしかしたら残酷な言葉かもしれないが、その子の死を決定させたのは君じゃない。君にそんな力はない」

 だから?

 気に病む権利すらないと言いたいのだろうか。

 振り返ってその顔を睨む。

 深いフードの下は先日からの焦げ痕が残ったままで、加速の魔女ユギナは無表情に僕を見返していた。

「本当に、嫌な世界だと私も思うよ。その世界を成しているのが私でもあり、君でもあるということが余計にね」

 ユギナの独白に答える言葉は浮かばない。

 僕はもう一度フィユの方を、その美しさをついに消滅させた亡骸の方を見て、何も言えず、ただ、見つめた。




   * *




 取り調べを受けているのだと途中で気がついた。

 ただ質問されたことに答えていただけ。いつから始まったのかも、どれだけ続いているのかも分からない。

 ぼんやりした意識がはっきりしたのは、聞き覚えのある声がしたからだ。

 カスタット・ポゥと、僕の名前を呼んだアテラは無表情をいっさい崩さずに僕と目が合うことを待っていた。

「アテラ、さん」

「帰るぞ」

 ぶっきらぼうにそう言うと、アテラは部屋を出ていった。

 灰色の石造りの部屋にいたのだと今さら気がつく。

 何日こうしていたのだろうか。なにも考えないことが楽だった。

 立ち上がろうとしてふらつく。それからアテラの後を追って部屋を出た。

 長い階段を上りきると綺麗な青空が見えた。息が切れていたので、少し休んでその空を眺めた。

 振り返ると登ってきた階段を塞ぐ形で、軍人が牢を下ろしていた。なるほど、僕は投獄されていたのか。

 そんなに長い間呆けていたのかと思うと少しおかしい。

 敷地の出口に着くとアテラが門衛とのやり取りをちょうど終えたところだった。

 軍服を着た兵士がこちらに敬礼をしてきた。どうやら、今は罪人と思われていないようだ。

 外には客車付きの馬車が待っていた。乗るようにアテラに促されたので、扉を開けて中に乗り込む。

「カスタットさん」

 心配そうな声を出したのは、ミーティクルだった。

「あれ、変わったところで会うね」

 そう返すが思ったよりも声が掠れて弱々しかった。強がったつもりだったが逆効果だ。

 アテラが遠慮なく後をせっつくので中に入り込んで取り付けられた椅子に座る。

 テーブルを挟んでミーティクルの斜向かいで、ルルティアの正面だった。

 ルルティアは僕の顔を見ると一瞬口を動かして、けれど黙ったまま目を伏せた。

「まあ、各々の事情はあるだろうが」

 最後に乗り込んだアテラが客車から御者台に向かいながら無愛想に言った。

 間もなく馬車が動きだし蹄が石を叩いて乾いた音をたてる。どんよりと重たい雰囲気なのは、僕の頭が鈍っているからだろうか。

 戻ってきたアテラが隣に座る。じろりと全員の顔を眺めてからふっと息を吐いて、告げる。

「終わったんだ、一連の出来事が。話し合うべきこともあるだろ?」

 僕は戸惑いながら全員の顔を見る。ミーティクルは気遣うように僕とルルティアを交互に見て、その隣でルルティアはじっと何もない机を睨んでいた。

「フィユの葬儀は行われなかったが、火葬の場には俺とルルティアが立ち会った」

 それが義務であるかのようにアテラが話を切り出した。

 そうか、火葬だったのかと理解するのが遅い。

「王国としては全てを無かったことにするようだ。分かっていると思うが、一連の出来事は他言無用だ」

「もう国に逆らう元気はありませんよ」

 力なくそう言うと、アテラが鼻を鳴らして笑った。

「俺には初めからそんなものはないがな」

「そうは見えませんけど」

「俺が絶対に逆らわないと分かっているから、サイファールは俺の態度に文句を言わないのさ」

 なるほど、それも道理だなと思った。

 裏切ろうとする時こそ礼儀正しく接するものだ。それができない相手の裏切りなど怖くも無いだろう。

「フィユは、今度こそちゃんと死ねたんですね」

 ぼそりとミーティクルが呟く。

「カスタットさんを殺そうとみせてあの子を追い込んで、自殺を選んだのに、蘇らせて、魔女にさせられて」

 睨むような視線がその場の全員に平等に向けられた。

「ただ、人生を弄ばれて」

「弄ばれない人生なんて、世界で何人が享受できるんだ?」

 アテラが重い息を吐いて答えた。

「国に、家に、強者に、弱者に、何かしらに人生を弄ばれてるのさ。お前だって覚えがあるだろ?」

 アテラの言葉にミーティクルが押し黙る。

 それまでの沈黙を破ってルルティアが口を開いた。

「私は、他人の人生を弄びました。その中に、自分自身も含まれているのでしょうか」

「それも考え方だな。自らの主は自らである、なんて偉そうに言った奴がいたが、それは、自らは自らの奴隷であるということと同義だ」

 誰の言葉だったか。聞き覚えがある。確か、父親もその言葉を使っていた。

 懐かしい親の顔と共に、その偉人の名を思い出した。

 剣翼の巫女、リズミィウだ。

「だが、それも言葉遊びだな。要は、誰もが、自分の都合だけでは生きられないというだけの、当たり前の道理だ」

「この世界はこの世界に生きる誰のものでもない、とレドウッドも言っていましたね」

「そうさ。そして、それを分かっていない者達を、今の時代では王族と呼ぶのさ」

 アテラが投げやりに言葉を吐き捨てる。

「あるいは、世界を自分のものにするということに、限りなく近いことをしているのが、か」

「けれど、結局は、国はフィユの魔女化に失敗しています」

「それだ」

 アテラが無愛想な顔をさらに歪ませて頷く。

「本当に、今回の件は失敗だったのか?」

 問いかけに戸惑う。

 一番最初にそれを理解したのはルルティアだった。

 おぞましいものを見たかのように目を見開いて、体を震わせる。

「始めから、それが目的だったということですか?」

「俺はそう思っている」

「それは、でも、そんなことが」

「その方が自然なように、まあ、俺は思うわけだ」

 分かっていないのは僕とミーティクルか。

 直後、ほとんど同時にアテラの言いたいことに気がつく。

 アテラは目的といった。

 今回のことで、何が起きた。

 今回のことでしか、叶えられなかったことは、ひとつしかない。

 防諜魔術をアテラがずっと張っていたのは、このことを話すためか。しっかりした客車で音が漏れることは無いと思うが、内容が重過ぎる。

 ささやくように確認する。

「フォーシアル殿下の、死去が?」

「本人の口からそれを聞いたわけではないが、十中八九そうだろう。そもそも、この王国内部のことで、それも入念な準備期間があったうえで、サイファールが何かを失敗するなんてこと、俺には信じられない」

 その可能性がうまく消化されず、頭の中でぐるぐると回る。

 同時にひとつ納得することもあった。

「フィユに、第一王子を殺させるために、魔女を発現させたということですか?」

「そうなれば」 ルルティアが眉根を寄せて呟く。「理想的な殺し屋になりますね。それが可能な数少ない人材であり、本人にそれをさせられている自覚もない。そして、証拠もない」

「死人に口無しということ?」

「ついでに言えば、周囲は口々に言うでしょう。ああ、シュヴァイツェル家の娘か、無理もない、と」

 勝手に理由を邪推してくれるのだ。確かに、なんて自然な流れだろう。その理由はまったく正しいのだから。

 ただ、それを望んだものがいて、ひそかに誘導されただけ。

 穏やかなサイファールの顔を思い出してぞくりと背が震える。ルルティアも顔を青ざめさせて

「私との約束が認められたのも、そうだったんでしょうか」

「さてね」 アテラは不機嫌そうに返す。「あれが何を考えているかなんて分からない。ただ、そうだな、役に立つと考えたのか、邪魔にならないと考えたのか、どちらかなんだろうな」

 黒幕の真意が全て明らかになって物事が解決するなんて奇跡は起きず、全ては強者の手の内に隠されている。

 ただやるせない気持ちだけが胸のうちを、何か、かゆいような、柔らかな不快で満ちさせる。

「何だか、お腹がすいたな」

 僕は何となくそう呟いて、その後に自分がしばらく何も食べていないことを思い出した。

「あの、一応、持ってきてるんですけど」

 暗い顔をしたままのミーティクルが、そっと籠を出した。

 露天で売っているような惣菜の挟まったパンだ。

「ありがとう」

「いえ、いつか、あなたもパンを買ってきてくれましたから」

 そんなこともあったな、と思い返しながらそれを食べる。

 濃い味付けだったけれど、味はほとんど感じられなかった。




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