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魔術士は求む者  作者: 土月 十日
ニ章 橙・六感・王の疾患
40/44

10 けれど王者の疾患は



 どう言えばいいのだろうか。

 たくさんの感情が同時に、様々な方向に飛び散っている。

 総合して胸の辺りが気持ち悪くうずく。

 豪華な装飾の部屋。雲のように柔らかいソファ。彫細工の見事な机の向こうには、王国の最重要人物の一人。

「久しぶりだな、ええと、カスタットといったか?」

 第三王子サイファールが、ソファにもたれて微笑んだ。

 まとめられた金髪の下の精悍な顔は見る者を安心させるように穏やかだったが、瞳だけは心をざわつかせる圧力がこもっている。

 しばらく前のフィユとの会談に付き添った時にも見た顔だったが、やはり恐ろしい。

 同じ人間のはずだが、違う生き物なのではないかと錯覚する。

 サイファールの視線が僕から横へ滑る。

「それに、顔を合わせるのは本当に久しぶりだ、アテラ」

「どうも」

「相変わらずだな。俺以外に聞かれたら不敬になるからな、それだけ気をつけておけよ」

「それで、シュヴァイツェルの方はどうなったんだ?」

 まさか王子に対面しても態度を変えないとは思っておらず、心臓が痛いくらいに脈打った。

 涼し気な顔のアテラが信じられない。

 そもそも、この応接室に僕とアテラとサイファールの三人だけしかいないということがあり得ない。

 護衛もおかないということは、それだけ信頼を得ているということか。

 サイファールは楽しそうに小さく笑うと、右手の人差指を立てた。

「まず、カスタット、ひとつ約束だ。俺の言うことに従え」

「それは」

 口ごもる。

 フィユの前で死んでみせればいいのか、と嫌味のひとつも言ってやりたかったが、そんな度胸は持っていなかった。

「そうではない」

 サイファールの視線に射抜かれる。

「ここに来るのにアテラを頼ったのは正解だ。君は、君の生存がとても不安定な位置にあることを理解しているか? レオフカ家の娘の懇願と契約で君に干渉しないことになってはいるが、そんなものは簡単に反故にできる。契約の不履行を訴える人間などいないからだ。君は、王国の善意によって生かされているが、兄上あたりは君が王都にいることを知れば殺してフィユの魔女化を促すだろう。そうならないためにも、俺の庇護下にいるべきだ」

「サイファール様は僕を殺さないのですか?」

「一応はレオフカ家の娘との契約だからな。それが最後の手段にならない限りは殺さないさ」

 それが必要になれば殺す、というのは王族の鑑と言えるのだろうか。

 苦笑いを浮かべる余裕もなくただ頷くことが限界だった。

「うん、それでフィユ・ウィン・シュヴァイツェルの件だったか。身体的な修復は終わったと報告を受けているよ」

「やはり生きているんですね?」

「忙しいんだ、頭の悪いことを聞かないでくれ。それで、いったいどうしたいんだ? 意識を取り戻さないあれを見るなら許可はできるが」

「見させてもらえますか?」

 僕が言うと、サイファールは軽く頷いて軽く手を二回叩いた。

 部屋の扉が開いて、一人の女性が入ってくる。

 少し驚く。その人は腕や首など、肌の見える場所に全て包帯が巻かれていた。

 目元だけ避けて顔にも包帯が巻かれていたが、黒くただれた肌が包帯で隠しきれずに覗いている。

 何があったのだろうか。その女性は(うやうや)しく頭を下げて、サイファールに応対した。その声を聞いて驚く。

「お呼びですか、殿下」

 聞き間違いではない。

 それは、加速の魔女ユギナの声だった。




   * *




 サイファールと話がある、とアテラは応接室に残り、僕はユギナに案内されて王城を歩いていた。

 芸術的な細工が施された硝子(がらす)が昼の太陽光を通して様々な色に光っている。

 王都で一泊したとはいえ、急な出来事の連続でほとんど満足に眠れなかったため少し思考が鈍い。

 通路には僕ら以外に誰もおらず、僕はユギナの後姿をぼんやりと見ていた。彼女はローブを羽織っているため、包帯や火傷痕のようなただれは後ろからは見えなかった。

「君も変わった人だね、カスタット・ポゥ」

 こちらを振り返らずにユギナが言った。

「変わってますか?」

「過程はどうあれ、無事に切り抜けられたんだ。これ以上関わる必要はないはず」

「その節はおかげで助かりました」

「どういたしまして。おかげで私はこの有様だけどね」

 ユギナが片手を持ち上げる。袖がずり落ちて包帯に覆われた腕を見せた。振り向いた顔が火傷のような傷跡を歪ませて皮肉気に笑う。

 僕らを助けた時、エグザリ将軍はそれを背反行為だと言っていた。その罰なのだろうか。

「それは、じゃあ、僕らを助けたせいで」

「神雷の魔女にね、死なない程度にやられた。まったくさ、四人しかいない魔女だっていうんだからもっと大事に扱ってほしいよね」

「すみません」

「私の行動の結果だよ。意味のない謝罪だ。それに、これくらいはよくあることだ」

「そうなんですか?」

「魔女はね、少しでも従順でないとあの若作り婆にやられる。危険だから仕方がないことなんだけどね、それにしたって酷い罰だ」

 軽い口調でユギナが言う。

 見ているだけでも痛くなるような傷だが、ユギナは平気そうだ。

「痛覚が無いわけじゃないよ」

 思考を先回りするようにユギナが言った。

「痛いものは痛い。できるなら味わいたくない。でも、人間だった頃よりはいくらか平気」

「感覚が鈍くなる、ということですか?」

「似てるけど違うかな。感覚がね、遠くなるんだ」

 どういうことか、と尋ねるより先に目的の部屋に到着した。

 大きな扉の左右に立っていた衛兵が、ユギナの姿を見て無言で扉を開けた。

 広い部屋だ。

 奥には天井まで届く窓に、白い硝子がはめ込まれている。

 物の少ない部屋の中央には寝台がひとつ置かれていて、そばに椅子が並ぶ。

 その一つに座っていたくすんだ金髪の女性が振り向き、目を見開く。

 瞼の動きにつられるように口も開いた。

「カスタットさん、ですか」

「久しぶりだね、ルルティア」

「どうしてここに」

「色々苦労してくれたみたいだね、ありがとう。こんな言葉で済む程度じゃないと思うけど」

 ルルティアがいなければ僕は王国によって為す術もなく殺されていただろう。

 彼女の立場で考えれば、信じられないくらい優しいことをしてくれていたのだ。

 ルルティアは静かに首を振る。

「私は、礼を言われるより、責めてほしかったです」

 その発言の裏の心情を考えて、僕は何も言えなかった。

 弱々しい声に、やつれた顔。

 僕も酷い顔だとジャールに言われていたが、それ以上に酷い顔だ。

 追及することもできずに、話題を変える。

「フィユは生きてたんだね」

 寝台に近づくと、フィユが安らかに眠っている姿が見えた。

 死んでいるようにも見えるが、呼吸による胸の上下が確認できる。

 彼女の陶器のような肌はとても凍傷を負ったようには見えない。

「最初は酷いものでした。皮膚表面が腐って、生きているのが信じられないくらい」

 ルルティアが呟く。

 王国でも最高位の治癒技術を持つ者達が集まったことはエルノイに聞いていた。

「死なせた方が良かったのか、とずっと考えています」

 ルルティアがフィユの頬にそっと触れた。

「人の死は悲しいことです。けれど、死ぬより辛いこともあります」

「おいおいおい、そういう事を言ったらだめだろ。自殺は罪だ、つまりそいつは罪人だ」

 朗々とした声が部屋に響いだ。

 振り向くと、見知らぬ男が大仰に両手を広げながら近づいてくる。

 鮮やかな色彩の派手な衣服。服に負けないくらいに鮮やかな金髪は短く刈り上げられて不敵な笑顔を浮かべる顔がよく見えた。

 ルルティアが立ち上がり礼をする。

 小さく僕の名を囁いたので、慌てて僕もそれに従った。

「いいっていいって、お前らに興味ないし。とりあえずどっか行ってろ」

 蝿でも払うようにその男が手を振った。

「では、殿下、失礼いたします」

 ルルティアが再び頭を深く下げて、僕の手を引いて出口に向かった。

 緊張しているのか僕の手首を掴む力が強い。

 横顔を見ても、怯えるように目が開き、瞳が小刻みに震えていた。

「あー、ちょっと待て、お前、見覚えがないな」

 男の声に振り返る。

 山羊のような不気味な瞳が僕に向けられていた。

「名乗れ」

 正直に答えるか迷う。

 僕の名前は王城の中ではあまり安全なものではないだろう。サイファールが安全を保証してくれているが、彼と同等以上の権限を持っている人物が指示すれば殺される。

 男は首を傾げて僕を指差す。その指に嵌められた指輪が輝いた。

「いやいや、何の権利があって迷ってるんだ?」

 白い光が見えた。

 激痛。

 意識が一瞬途絶えた。

 視界がおかしい。右の半分が床だ。

 倒れていることに気づく。頭の痛みは倒れた時のものか。

 触覚が戻り、石の床の冷たさと、痙攣する体を自覚する。

 聴覚が戻り、ルルティアの悲痛な声に気づいた。

「殿下、申し訳ありません! この者は王城に慣れていないのです、どうかご容赦を」

「殿下、この者の身の安全は第三王子であるサイファール殿下によって保証されています。危害を加えるためには議会か国王陛下の許可が必要となりますが」

 続く声はユギナのものだ。

 いつもよりも早口なのは余裕が無いからだろうか、と考えることができた。

 意識がしっかりと戻りつつある。

 体の状態を考えれば、雷撃魔術か。魔術を使った様子がなかったのは、指輪の刻紋による魔術だからか。

 近づく足は殿下と呼ばれている男のものか。

 サイファールではないため、第一王子か第二王子。

 浮いた足が動けない僕の頭を踏みつける。

 ごり、と嫌な音で頭蓋が軋む。

「あの愚弟がどうしたって? お前ら誰に向かって偉そうな口を叩いてんの?」

「フォーシアル殿下、どうかご容赦を。その者は(くだん)のカスタット・ポゥでございます。平民故に礼節に疎いのです、決して殿下を愚弄する意図があったわけではありません」

「ああ、やっぱりこいつが。これを殺せばあれは魔女化してくれるのかね」

 頭を踏みつける足にさらに体重がかかる。

 これがフォーシアルか。

 国王家の長兄。

「意識を失っているため、意味はないでしょう」

 ユギナが否定する。

 それはそうだ。当然の理屈。

「じゃあ殺すのは勿体無いか、ほら、邪魔だ」

 フォーシアルの足が離れて、ゆっくりと引かれる。

 解放されたと思った瞬間、足が振り切られる。

 体を咄嗟に動かして衝撃を殺す。ほとんど動かない体にできたのはそれだけで、それでも僕の体は浮いた。

 数回転をしてようやく止まる。

 蹴られた腹部が痛いけれど、それを言う勇気はない。うめき声も抑えていた。

 とりあえずこれで死ぬことはない。

「あれ、お前いま安心した?」

 視界の端でファーシアルが再び指を僕に向けていた。

 雷撃魔術が来る。

 笑うフォーシアルの歯が見えた。

 楽しげな瞳の開かれた瞳孔は山羊のように(いびつ)だ。

「なんか腹立つなー、死んどくか?」

 白光。

 浮遊感。

 景色が変わり、誰かが僕を抱いていた。

「あれ、ユギナ、お前そういうことするの?」

 声は後ろから。

 麻痺したままの体をどうにか動かして振り向くと、フォーシアルが顔を歪ませていた。

 その向こうにルルティアの姿と、その少し前の床から白い煙が上がっていた。あそこから瞬時に移動させられたのか。加速の魔法か。

「サイファール殿下に、この者の身を守るための魔法の使用を許可されています。抗議がありましたらそちらにお願いいたします」

「もう興が削がれた。失せろ。早くご主人様に股でも開いてろ」

 痛み。

 僕の右肩がユギナに強く掴まれていた。

「ああ、今の汚えお前じゃ、あの悪趣味も相手してくれねえか」

「では失礼致します」

 包帯の隙間から作ったような無表情をのぞかせて、ユギナが僕を引き連れて出口に向かう。

 僕は足を必死に動かしながら、高鳴る心臓を沈めようと呼吸に集中した。

 これが第一王子のフォーシアルか。

 噂に聞く通りに怖い人物だ。

 指輪の効果だと思うが、雷撃は予兆が見えなかった。そのくせ、威力も強い。あの大きさの魔術具としてはあり得ない強さだ。だいたい宝石は魔力石じゃなかった。どこで魔力を生成したのだ。

 無事に部屋を出て、医務室に連れて行かれた。

 治癒士に体のしびれを取ってもらい、動くようになった両手の握力を確かめる。

「あれが第一王子です」

 一緒に来ていたルルティアが呟く。

 口元が引きむすばれ、深いシワが眉根に寄っていた。

「しばらくあの部屋には行かないほうがいいでしょう」

「危なそうだもんね」

「いえ、不愉快なものを見ることになります」

 吐き捨てる言い方でルルティアが呟いた。





  * *





「ああ、それは災難だったな」

 王城の近くの宿で、アテラがそう言った。

 作りのしっかりしたベッドには真っ白なシーツが引かれ、明るい魔力灯の光を反射している。高級な宿だ。アテラが料金を支払ってくれなければ泊まる気がしない。

 昨日も泊まったが、意外と金持ちなのだろうか。

 夕食も近くの店で奢ってもらった。

「噂通りというか、噂以上というか」

「フォーシアルは分かりやすい王族だからな。サイファールやクロリアも本質は大して変わらない」

「本質?」

「王族ってやつはみんな同じ病気にかかっている。その病気にかかっていなきゃ王族としてなんて動けないのも事実だが」

「どんな病気なんです」

「自分の考えは必ず正しい、という錯覚だ」

 アテラが鼻を鳴らして笑う。

 相変わらず不敬な態度だ。

 それから水差しから水をグラスに注いで飲むと、話を続けた。

「多少穏やかに見えるあの二人も、それは元々がそういう性格なだけで、自分が間違っているだなんて露程にも思わないだろうよ。それが正しいと思えば、誰を犠牲にすることも厭わない。フィユを魔女にすることも、お前を犠牲にすることもな」

「アテラさんは、王族の方とどういう繋がりなんです?」

「俺の六感については話したと思うが、それに関わって少しだけサイファールに恩を売った。同時に売られもしたが。大したことじゃないが、この六感は特殊だからな、俺を頼らざるを得なかったわけだ。以来、懇意にしている」

「希少価値があるわけですね」

「話していなかったが、お前にも六感の兆しはあるぞ?」

 驚きの言葉が出る。

 目が大きく開いてしまった。

「僕にですか?」

「もともと、お前がチャイム研究室に配属されたのは俺がいるからだ。六感の扱い方については青の三角でも詳しい方だからな、もちろん専門の賢者には敵わないが」

「聞いた覚えがないんですが」

「話した覚えもない。が、兆しがあるだけだ。それを使えるようになるかは別問題で、俺はお前が使えるようになった時に助言をしてやれとだけ言われている」

「六感って言っても色々あると思いますけど」

「察しが悪いな。俺と似てるものに決まってるだろ」

「つまり、概念界とやらを観測できるということですか」

「そうだな。どういう形になるかは俺にも分からないが」

「すいません、形って何です?」

「あー、つまり、どういう風に認識されるかだ。俺なんかは音に近いものとして認識する。実際に音がしてるわけじゃないから耳を塞いでも意味はないが、とにかく色々なものを音に近いものとして認識する。例えば魔女の資質なんかは、硝子の器を鳴らしたような音がする。六感は、同じものを認識するにも感じ方が人それぞれで、温感だったり、視覚に干渉してきたり、色々な例がある」

「へえ、面白いですね」

 そんなことは知らなかった。

 六感、僕は異能感覚という言葉で覚えていたが、それを持っている人物は何人か知っている。

 エルノイやフェルターなど空間跳躍を使える人間はまず間違いなく持っているし、ミーティクルも意識界を観測できる六感を持っているという。シエトノの冒険者の中には、力の流れを認識できるものや、構造の脆い部分を把握できる珍しい人間もいた。

「ところで、どうして僕も自覚してない六感の存在が分かるんですか?」

「それが分かる六感の持ち主がいたんだろ。俺もなんとなくなら分かる。賢者の誰かが分かっても不思議じゃない」

「六感ですか、空間跳躍が使えたら便利そうですね」

「中には、六感無しで空間跳躍を使いこなすような奴もいるけどな」

「そんな人がいるんですか」

「カワチャ・ミヨイツムとかな。去年、世話になったんだろ?」

 驚きの事実だった。





   * *





 王城の客室に泊まって何日になるだろうか。

 フィユの件の関係者ということで王城に半ば監禁され続けている。

 レオフカ家の邸宅に帰るのも嫌だったのでありがたいと言えばありがたいことだったが、いつまでこうしているのだろうか。

 青の三角での勉学は楽しかった。

 赤の学年の時は七戦に何とか残ろうと必死だったが、努力が楽しいものだとあの時に初めて知った。

 人を騙し、疑い、貶め、殺すための技術ばかり身につけさせられていた。

 カスタットを殺す演技に使ったことくらいだろうか、あの技術を持っていてよかったと思ったのは。

 フィユの魔女を発現するまで協力することを引き換えに、カスタットの命だけは奪わないという約束を守るために、あの演技は必要だった。

 持ってきていた呪術の論文の上を視線が無意味に滑っていく。難しい内容でもないはずなのに集中できていない。

 いっそのこと寝てしまおうか、と考えて、この数日はそれで寝られたためしがないことを思い出す。

 割り切れない。

 フィユは友人だった。

 けれど、王国は彼女の犠牲を必要とした。それこそが正しいのだと結論を下した。

 それが間違っているとは言えない。立場も、理屈も。

 ただ納得だけがついてこない。

 レオフカ家との契約もそうだ。

 私が何もしなくても、フィユは捕まっていただろう。その途中でカスタットは殺されていた。

 私の行いでカスタットだけは救えたのだ。どう考えても私の行いは正しかった。

 けれど、納得などできない。後悔ばかりが胸の底から湧き出てくる。

 いっそのことカスタット達と王国に逆らい、死んでしまえば楽だった。

 それでも、その行いが正しいとも思えない。

 フィユの魔女化が成功すれば、何万人もの人間が救われるだろう。あのサイファール殿下もそれが正しいと判断したのだ。

 なら、悩む必要もないのに。

 ノックの音がしていたことに、ふと気づいた。いつからだろうか。

「あれ、いませんか?」

「すみません、います。あの、どちら様でしょうか」

 口にしてから、相手の声に聞き覚えがあることに気づいた。

 そのことを告げる前に相手が名乗った。

「ユギナです。少し、お時間よろしいでしょうか」

 唯一面識のある魔女を部屋に招き入れて、椅子に座らせる。私は小さな机を挟んでベッドに座った。

 ユギナ。元は平民の出らしいが、父称は知らない。私にとっては、青の三角の先達でもある人物だ。

 王国所属の魔女として、一年の大半を北方戦線で過ごしている人物だ。

 王族直属であり、立場としてはあちらが上なのだが、守護六家だからか敬語を使ってくれている。

「それで、どうされましたか? 私などにできることなら何でもしますが」

「では、世間話に付き合っていただけますか」

「それは構いませんが」

 日が沈んでしばらくが経つ。世間話をするには少し夜の深い時間帯だ。

「今日、あなたの学友が来ていましたね」

 こちらの戸惑いを気にせずにユギナが言った。

 頷いて答える。

「カスタットさんですね」

「あなたの努力で今回の件から遠ざかったのだと思っていましたが」

「エルノイから聞いたのでしょう、妙に気に入られているようですし」

「あの鬼才児にですか。それは災難なのか幸運なのか」

「私は遠慮したい境遇ですね」

 天才だろうと、あのわけの分からない性格に関わるのは少し怖い。

 赤の学年の頃、エルノイはたくさんの人間を従えていたが彼らは恐怖を感じなかったのだろうか。

 そもそも何故エルノイはあんなに取り巻きを作っていたのか。自然にできたのだろうか。作為的にだとしたら、一体何のために? あそこにいて七選に選ばれたのはフェルターくらいだ。

 思考がそれていることに気づく。

 ユギナは何のために来たのか。

「フィユ・ウィン・シュヴァイツェルの意識に変化がありました」

 少し驚く。

 意識界を見られる人間がフィユを看ていることが知っていたが、しばらく変化はないと聞いていた。

「カスタットさんが来たからでしょうか」

「真実は誰にも分かりませんが、そう受け取る人間は多いでしょう」

「影響力がありますね」

「そう、正直に言えば軽率な行動としか思えません。私が黒焦げになったかいが無い」

「その件は本当にありがとうございました」

「未練ですかね、私の時は誰も助けてくれなかった」

 ユギナの包帯の間に覗く瞳が伏せられた。

 この人が魔女になった時の詳しいことは知らないが、今と似たような状況だったのだろう。

 当時は魔女保有数で帝国に劣っていたのだから今よりも苦しい境遇だったのかもしれない。

 王国に逆らった魔女は、神雷の魔女に罰せられると知った上で彼女はカスタット達を救ってくれた。

「まあ、とにかく、カスタットに少し気をつけておいた方がいいですね。昼の時もファーシアル殿下が言っていましたが、仮に彼が殺されたとしても、誰も苦情は言えません。あなたの契約も、レオフカ家とサイファール殿下の厚意で成り立っているだけですから」

「ありがとうございます」

「私にできるのはこれくらいです。王政に本格的に逆らう気など起きません。そういう意味では、断絶の魔女を尊敬しますね」

 かつて王国に反旗を翻して、当時の国王を殺した魔女の逸話は、王国中枢にいるものなら誰でも知っている。

 ユギナの意見には同意だ。国に逆らうことなど考えられない。

「私達は」

 しばらくの沈黙を破ってユギナが不意に呟いた。

「何が正しいかを常に迷っています。今回の件でも、ひとりの少女を犠牲にして大勢を救うことは正しいのか、自分達だけで判断をつけられないでしょう。行動できているのは、つまりは、王国が方針を示しているから、王族が自らの判断を正しいものとして国民に押し付けているから」

「ある意味では、王族の傲慢ですね」

「ですが、だからこそ私達は行動できる。責任を必ず上の者に押し付けることができますから。私は、魔女としてたくさんの人間を直接的にも間接的にも殺しましたが、全ては指示されてのことです。神雷の魔女という逃げ道を塞ぐ存在もいます。それでも罪悪感を拭うことはできません。では、王族である彼らはどうなんでしょうね」

 ユギナの言葉は衝撃的だった。

 王族の気持ちなど考えたこともない。

 彼らはそういう存在なのだと思考を停止させていた。

 その決定一つで大勢の人間が救われ、あるいは虐げられる。確かにそれは重い責任だ。

「人の機構上、負担をかけ続けた先にある結果は二つです」

 ユギナが冷たい声で言った。

「強靭に鍛えられるか、病み壊れるか。果たして、今の王族はどちらなのでしょうか」

 ぞっとするような声音。

 私は、この人が一人で一軍に値するという魔女だということを改めて思い出していた。


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