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魔術士は求む者  作者: 土月 十日
一章 赤・七選・塔の夜戦
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2 そして、拉致


 その少女は、ミーティクル・ウィン・キャンディナと名乗った。


 僕たちは、小さな広場のベンチに並んで座っていた。住宅地にぽっかりと空いた空間の広場は中央が一段高くなっていて、ベンチは広場の端から中央の方を向いていた。

 街灯の明かりで互いの顔くらいは見ることができる。


 屋台で買ったパンは、僕は食べ終えていて、彼女はまだ半分ほど。

 ゆっくりと食べていく動作は確かに貴族の上品さを感じさせた。


「キャンディナさん、ひとつ聞きたいんだけど」


 キャンディナは視線だけをこちらに向けた。

 小さな動作で咀嚼しているので返事はない。


「どうしてわざわざあの人に着いて行ったの?」


 傍目にも友好的な雰囲気ではなかった。

 場所を変えるにしても、あんな路地裏に着いて行く理由は無い。

 キャンディナはパンを嚥下するとつまらなそうな表情で言った。


「寝ている時に襲われるのが一番怖いからです。だから、今晩は動けなくする必要がありました」

「だからって危険だったと思う。特に男の方」

「正直怖かった」 キャンディナが呟く。「貴族の仲間を連れてくると思っていたから。読み違えました」


 先ほどの状況を思い出したのか、パンを持つ両手が震えている。

 僕の視線から逃がすように、キャンディナは両手を膝の間、スカートの上に置いた。

 そちらを見ないようにするためにキャンディナの顔をじっと見た。

 地面の方を睨む瞳が強く視線を惹きつける。美人ではあるけれど、それとは無関係な引力があった。


「男の方に使ったのは変わった魔術だったね。式の感じからすると、精神干渉かな。使える人は初めて見た」

「カスタットさんはあの時どんな魔術だったのですか? 魔力だけは感じましたが、現象としてはよく分からなかったです」

「単純な原理なんだけどね。冒険者をやってた時によく使ってた」


 右手を挙げて指先に式を展開して見せようとすると、その手をキャンディナが掴んだ。

 柔らかくて温かい手が、意外なほど強く僕の手を握る。


「えっと……?」

「貴方、冒険者だったの?」

「い、一応」

「青の三角の合格者でもあるって言ってましたよね。だから、助けたと」

「一応、同期になるわけだしね」

「そう……」


 キャンディナの手が離れる。少し残念だ。

 もっと残念なのは、彼女の瞳が僕をまっすぐ睨んでいることだろう。


 綺麗な青紫色。夜の始まりか終わりを現すような色。

 その瞳が微かに揺れる。

 複雑な感情が現れていたが、一番濃い色は敵意だ。


 キャンディナは静かな動作で立ち上がる。

 背丈が小さいので、顔を見るのに見上げる苦労は必要なかった。


「カスタットさん、助けていただいたこと、屋台のパンを買っておいたいただいたことにはとても感謝しています」

「大した手間じゃないよ」


 パンの代金もすでにもらっている。

 キャンディナは僕の言葉は気にせずに、はっきりと言った。


「それでも、私は貴方のことを好きにはなれません」


 返す言葉が思いつかない。

 何故だろうか。

 冒険者であったことが理由なのか。


「理由は聞いていいのかな」

「私の個人的な理由です。貴方が悪いわけではありません。私が悪いだけです。

 どうか気にしないでください」


 そう言い残してキャンディナは背を向け、静かに去っていった。

 ひとりになると、夜の静寂さを強く感じる。


「帰り道、一緒なんだけどなあ」


 気を紛らわせるためにぼやいてみた。

 あんな別れをして、すぐに追いついても気まずい。


 しばらく月でも見ることにした。

 街灯のせいで星は見づらくても、月はよく見えた。

 光量の問題だろう。月は星よりも明るいからだ。


 月の満ち欠けで夜の明るさはずいぶん変わる。冒険者になってしばらくすると、その周期を把握するようになった。

 今は満ちていく途中で、あと四日で満月だ。

 潜入や闇討ちには不適で、それらを警戒する方は楽だ。


 月光に含まれる魔力が魔術式に反応して発光するので、僕ら魔術を使う人間はそのことに注意しなければいけない。

 どうして月の光には魔力が含まれるのかは分からない。昔、本腰を入れて調べたことがあるけれどそれらしい答えは得られなかった。

 綺麗な物には魔力が宿る、という大賢者レドウッドの言葉を見つけたが、多分冗談のようなものだろう。それか、何かの比喩か。


 とりとめのない思考が浮かんでは消える。

 キャンディナの態度は気になるが、考えても分かりそうにない。なら、考えてもしかたがない。


 少し体が冷えてきたところで立ち上がった。

 もう充分待っただろう。


 不意に出てしまった大きなくしゃみに反応したのか、どこかで犬が吼えた。



  * *



 街灯の光があるせいか、夜になっても人通りは多い。

 酒臭い空気は嫌だけれど、楽しそうな雰囲気は嫌いじゃない。


 だから気づくのが遅れた。

 つけられている。


 すでに大通りを宿の方向に抜けている。

 くまなく調べたわけではないが、この方向には宿は他に無かったはず。

 今まいたところで遅い。


 大通りからは外れていて人通りはない。多少の荒事があっても巻き込む心配は必要ないだろう

 背後の気配は、こちらが気づいたことに気づいたのか、今はもう感じ取れない。

 魔力を少しだけ練り、指先に魔術式を描きながら振り向いた。


 視界に入ったのは剣の切っ先。振り向いた顔の前で静止していた。


「っ!」


 魔力をさらに練った瞬間切っ先が眉間に刺さる。

 式を破棄して魔力を霧散させると剣が引いていく。


「……こんばんは」


 強がって、平静を装う。 


「ところで、痛いんだけど」

「人の仕事の邪魔をするからそうなる」


 低い声はさきほど、キャンディナと相対していた冒険者だった。

 太い腕を辿って見ていくと、たくましい肩、そしてその上の無精髭の濃い顔と目が合う。


「邪魔? あの、人違いじゃ?」

「気配がしたから警戒はしていたんだがな。あの魔術はなんだ。警戒していてなお不意をつかれた」


 誤魔化せそうにはない。向こうは確信を持っている。

 姿は見せていないはずだが、魔力波長を掴まれたのだろうか。


「それを聞きに?」

「聞かせてもらえるなら、聞いてみたいものだが」

「聞きたいなら、結構安値で聞かせてあげるよ?」


 微笑んでみせると、向こうも楽しそうに笑った。

 余裕のある態度はあまり嬉しくない。話が通じるけれど、それ以上に自信とそれに見合う実力が示される。

 剣は微動だにせず、僕の目の前に切っ先を置いたまま。目がジンジンとしてくる。

 男は笑った表情のまま口を動かした。


「いくらだ?」

「僕と、あのキャンディナ家の子の安全」

「それは少し高いな。特に、あの貴族のお嬢さんの方が」


 僕ひとりならば見逃してくれる。

 当然だろう。邪魔立てはしたが、本来は無関係なのだから。


「いやいや、お得だよ。あの魔術は凄い秘密なんだから」

「お前ひとり分では売れないか」

「売れないね。商談は不成立かな?」

「の、ようだ」

「それじゃあ、そろそろ本題を聞こうか」


 何故僕をつけてきたのか。

 殺す気ならもう死んでいるし、適度に傷を負わせることもしていない。


「警告だ」


 そう言った瞬間、男の腕と剣がぶれて消えた。

 遅れて風が抜け、切れた僕の前髪が流されていく。

 見えなかった。

 振り切られた剣は、すでに鞘に収められている。


「次に邪魔をすればお前も斬る。明日は巻き込まれないよう気をつけることだ」

「なるほど……気をつけることにするよ」


 背筋が粟立っている。

 無理矢理に肩をすくめて見せた。

 男は鼻で笑う。


「阿呆貴族のわがままを満足させるだけだ。殺しはしないさ。嫌な記憶にはなるだろうが。

 他人が命をかけることではないだろうよ」


 そう言い残して男は去っていった。

 充分離れるまで見送ってから、深く息を吐く。

 緊張と恐怖を、早く体から抜きたかった。



  * *

 


 宿に戻ると笑顔の女将が出迎えた。

 ぼんやりとした弱い光の魔力灯に照らされた室内は薄暗い。


「あら、カスタットさん。ここ、どうしたの?」


 女将は自分の目と目の間を指差して言った。

 先ほど、冒険者の男に剣を刺された箇所だ。


「人助けなんてするもんじゃないですね」

「そうかい? いいことじゃないか」


 人の好い笑顔を向けられると、こちらも思わず笑ってしまう。

 それから水とタオルを借りて簡単に傷を拭いた。


「あ、そうそう」


 女将が思い出したように言った。


「もうひとりね、受かった子がいるんだよ。少し前に帰って来たんだけどね」

「キャンディナさんですか?」

「そうそう。知ってたのかい」

「まあ偶然にも」

「いい()だよお。こんなところに泊まるのは、なにか訳ありなんだろうけどさ」

「こんなところって自分で言うんですね」

「安さだけが取り柄だからね。あんたも助かってるだろう?」

「とっても」


 笑ってみせると、女将も楽しそうに笑った。

 傷を拭き終わったので魔術で軽く止血だけしておく。

 それを見た女将が感心したように言う。


「へえ、流石に手馴れてるもんだねえ」

「そうですか?」

「青の三角を受けに来るような子は、派手な魔術は上手なんだけどね。そういう実用的なのを身につけてる子は珍しいよ」

「へえ。派手なっていうと?」

「炎とか光とか雷とかね、見て分かりやすいものさ」

「そういうのは魔力の量がものを言いますからね。使えるくらい魔力量があるなら、そっちばかり覚えるのは自然ですよ」

「あんたは違うのかい?」


 女将が不思議そうに問うた。

 確かに僕は違う。魔力量がそれほどないこともそうだが、置かれた立場が違う。


「冒険者でしたからね。必要になるものから覚えてます。地味なものばかりですけど」

「それで受かるんだから大したもんだねえ」


 水とタオルの礼を言って部屋に戻った。

 廊下でキャンディナに会うかもしれないから緊張したけれど、そんなことは無かった。

 疲れていたのですぐにベッドに横になる。


 相変わらずカビ臭い。この数日で慣れてきてはいるが、寝始めだけは気になってしまう。

 とっとと寝てしまおうと思ったけれど、嫌な予感がして眠れない。


 隣の部屋にいるはずのキャンディナは、今夜襲われないように路地裏にまで着いて行った。確実に行動不能にするために。

 その判断は理に適っている。明日からは青の三角の敷地内に入るので安全だから、危険なのは今夜だ。寝ずの警戒をしても、寝ていない事自体が大きな隙になる。


 彼女の使用した雷撃魔術は強力で、一晩は動けないというのも妥当な判断。

 しかし、あの冒険者は意識を取り戻していた。雷撃に耐性のある装備をしていたのか、痺れを治療する薬か魔術符を持っていたのか。手段は分からないが、僕に警告できるほどに回復していたのは確か。


 そして、あの冒険者は僕に、明日は気をつけろというようなことを言った。


 あれは今夜から意識を外させるための言葉だったのではないか。

 僕がキャンディナとほとんど無関係であることなど向こうは知らないだろう。


 あれほど腕が立つ冒険者を雇うのだから、宿くらい調べているだろう。

 今夜襲ってこない理由が思いつかなかった。


 ベッドから起き上がる。


 薄暗い廊下に出て、隣の部屋の扉をノックした。

 返事はない。少し早いが、寝ていてもおかしくない時間ではある。

 しかし、そう簡単に寝られる心境ではないだろう。


「キャンディナさん。僕。カスタット。話だけ聞いて欲しいんだけど」


 呼びかけてみるが返事はない。

 警戒しているのなら当然だろう。向こうからしたら、少し話したことがあるだけの男なのだから。


「さっき、路地裏でキャンディナさんが気絶させた冒険者にあったよ。どうやったかは知らないけど、回復していた。

 それで、警告されたんだ。キャンディナさんを助けないようにって」


 もし中で寝ているのなら間抜けな行動だけれど、語りかけておく。


「今夜から明日、多分もう一度以上襲われると思う。

 それで、これは本当に偶然なんだけど、僕は隣の部屋を借りてるんだ。

 だから、大声を出してくれれば駆け付けられる。それか、部屋を交換してみるのも手かもしれない」


 返ってくる言葉はない。

 しかし、言うべきことは言った。


「それじゃあ、本当に気をつけて。あの人、さっきは不意をつけたけど、ずいぶん腕が良いから」


 二等階級の冒険者でも上位か、あるいはそれ以上だろう。


 部屋に戻ろうと思った時、錆びた金属が擦れる音がして、扉が開いた。

 開いた隙間から、キャンディナが僕を見上げていた。

 寝巻きや部屋着ではなく、外で会った時の格好のままだった。


「なんで心配してくれるんですか?」


 キャンディナは訝しげに僕を睨んで言った。


「あれ? こういう時、普通しない? 心配」

「私は貴方が好きじゃないと言いました」

「別に好かれているから心配するわけじゃないよ」


 キャンディナは少し目を大きく開いて僕の顔を見た。

 薄暗い照明の下でも瞳の青紫色がはっきり分かる。


「何も出ませんよ? 私の家は貧乏ですから」

「見返りが欲しくて心配するわけでもないよ」


 真剣な口調に、思わず苦笑まじりの返事になってしまう。

 キャンディナは胡散臭そうな表情で僕を睨む。


「じゃあ、何が欲しいんですか?」

「だからね、そういうことじゃなくてさ。嫌いな奴でもなければ、知り合いが不幸な目に遭うのは嬉しくないから」

「けれど、私は貴方のことを好きじゃないと、嫌いだと言いませんでしたか?」

「嫌われたからって嫌いになってたら、人生がギスギスしちゃうよ」


 少しおどけて言ってみせたけれど、キャンディナの表情は緩まない。

 貴族社会は人間関係が荒廃していると聞く。誰と交友を持つかが生活に直結するのだから、それも当然だろう。

 商売敵と仲良くできる商人は少ない。冒険者だって、似た役職で友好関係を結べる人間は少ない。


「まあ、損得だけが全てじゃないというか」


 付け加えるとキャンディナが目を見開いた。

 尋常じゃない驚き方。


 同時に頭に衝撃が走り、痛みが意識を遠ざける。

 まずい。


 すでに床に倒れているのを、頬に当たる絨毯の感触で気づく。

 遅れて視界が九〇度回転していることに気づく。

 その意識は高速で遠くなっていく。


「邪魔ではないから斬らないがな。寝ていてもらうぞ」


 男物の靴が視界に映る。

 上から告げられる言葉は、先ほどの冒険者のものだった。


 男の靴をどうにか掴んだ所で、意識が消えていった。


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