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魔術士は求む者  作者: 土月 十日
ニ章 橙・六感・王の疾患
38/44

8 けれど亡失の重みは



 美味しいものというものは食べればどんな時でも幸せになる。

 そう言われて連れてこられた高級レストランで、その言葉が真実だと知った。

 美味しいものを食べれば幸せになる。何故なら、幸せになれない時は、何を食べても美味しいとは思えないからだ。

 舌打ちは正面。

 昨年のルームメイトが眉をひそめて僕を見ていた。

「悪かったな」

 ジャールが目を逸らして言った。

 気がつけば彼の前の料理は全て消えていて、ソースだけが皿に残っていた。

「悪かった、って、何が?」

「いや、なんというかな、難しいな。誰かが塞ぎ込んでいる時に、そいつを放っておいて一人にさせてやるか、外に連れ出して美味いもんでも食わせてやるか」

「そういうの、そのまま言うところがジャールのいいところだよね」

「話が早いとはよく言われるな」

 食事をおごってくれるジャールに申し訳ないので、皿に残った肉料理に手をつける。

 柔らかい噛みごたえ。鼻に抜ける香辛料に、上品なソースの味。

「やっぱり美味しいね」

 こんなに贅沢な嘘をつく日が来るとは思わなかった。

 ジャールは怒ったような、あるいは困ったような表情を浮かべて僕を睨んでいる。

「あまり悩むなとも俺には言えないさ。当事者でもなければ、事情を詳しく知ってるわけでもない。だが、お前は生きてるんだ。生きてる以上は前に進む必要があるんじゃないか?」

「一応、やることはやってるつもりなんだけどね」

「一応なんて言葉が出るなら自覚してるんだろ? お前、あの日からずっと酷い顔をしてるよ」

 ジャールの言うとおりだった。

 あれからずっと、フィユの件のことばかりを考えている。

 論文を読んでも講義を聞いても、それが身に入っている気はしなかった。集中力がまるでない。

「まあ、そうなんだけどさ、なかなかね」

 何の意味もない言葉が僕の口から呟かれた。

 それが呼び水になって、記憶が浮かび上がる。

「フィユの両親に会ってさ」

 僕が言うと、ジャールは相槌の代わりに目だけをこちらに向けた。

 静かに話を聞いてくれる姿勢に救われる。

 言葉を探して、選んで、続きを語る。

「お礼を言われたんだ。フィユが、僕のことを手紙に書いていたみたいで。おかげで楽しい生活を送れていたようですって。本当ならさ、恨むべきなのに。僕を助けるためにフィユは自殺したんだ。そのことをあの人達は知っていたはずなのに」

「そうか」

「母親と少し話をしたときに言われたんだ。フィユは、魔女となって王国に(つか)えることを良しとはしなかっただろうから、せめて僕が生きていられる選択をしたんじゃないか、って」

 喪服を来たフィユの母は娘に似て美しい人だった。

 葬儀場という場所でなければ見惚れていたかもしれない。

 複雑な表情からはその感情の全てを察することはできなかったが、彼女は微笑みのようなものを浮かべていた。

「魔女になることはきっと選ばなかったから、どうであろうと死を選んでいたって。その死が、誰かのためになったのだったら、それはきっと幸せなことだから、自分のことを責めないでほしいって」

 あの人は僕の手を握りながらそう言っていた。

 僕はその言葉を聞きながらひとつ不思議に思っている。

 どうして魔女になることを選ばないと言えるのだろうか。

 それを聞くことは躊躇われた。予想はつくからだ。

「僕はさ、知らない方がいいことなんて無い、なんて普段言ってるけど、フィユの過去にはずっと触れないようにしてた」

「気を遣ったんだろ?」

「そう自分でも思ってた。何か嫌なことだってのは流石に分かるから、聞かれたくないだろうし、話してくれるなら聞こう、ってくらいに。でも、知っておけば、フィユの自殺を防げたのかな」

 僕の言葉にジャールは目を伏せて、空になっている皿を睨んだ。

 その顔に尋ねる。

「フィユが王国に仕えない、魔女にならないって言うのには理由があるんだよね。それは、多分、フィユの過去の、王族が絡む何かが原因なんだろう?」

「面白くもない、ありがちで、下らない話だ。そして、勝手なこと言わせてもらえれば、フィユ・ウィン・シュヴァイツェルはお前にそれを知られたくないだろうと俺は思うよ」

「それでも知りたいと言ったら、教えてくれるかな」

 ジャールは深いため息を吐くと、給仕を呼んで皿を下げさせて、高い葡萄酒を頼んだ。

 ボトルがひとつにグラスはふたつ。

 給仕に注いでもらった中身を口にすると、ジャールが再びため息を吐く。

「まあ、あくまで噂話だ。その事件が起きたのは、シュヴァイツェル家の娘の金色の髪がまだ長く綺麗に編み込まれていた頃だった。まだ幼い可憐な少女だったその娘は、大の男達が口を開けて凝視してしまうほどに美しかったらしい」

 ジャールが再び酒に手をつける。

 素面では話していられないのだろうか。

 僕も礼儀として注がれたグラスを口につけて、唇を湿らせてからテーブルに戻す。

「社交場でもその少女は注目の的だった。少女に見合う年の少年から、すでに伴侶を持つ主人まで男という男が横目でその姿を追って、視線という視線を奪われた女達は嫉妬に睨みつけて。その場にいた全員があいつを見ていたそうだ。その場の主賓だった、第一王子フォーシアル殿下も例外じゃなかった」

 それからジャールの言葉から語られたのは、確かに面白くもなく、ありがちで、下らない話だった。

 ひとりの強欲な王族が、貴族の娘を手篭めにしたという話。

 歴史の上では何度もあったこと。

 特別なのは、その被害者が僕の知り合いであるということくらいだ。

「第一王子という身分は、つまりこの国で二番目に偉い人間といっても過言じゃない。シュヴァイツェル家は泣き寝入りどころか、それからも娘の体を献上し続けた。その体を陵辱する様子が見世物のようにされたこともあったそうだ」

 ジャールは他人事を語る口調の軽さだったが、眉に力が入っていた。話していて気分の良い話題でもない。

 聞いていても同じこと。

「どれくらいの期間それが続いたのかは知らないが、それを止めたのが第三王子のサイファール殿下だ。お前は会ったことがあるんだったな。けれど、止めたからってそれまでの時間が消えるわけじゃない。フィユの男性不信と、男みたいに短い髪はそれから始まって、ついに、死ぬまで続いたってことだ」

「理不尽だね」

「冒険者だったとは思えない言葉だな。世界はそもそもが、そうじゃないか」

 ジャールの言葉にどきりとする。

 そうだ。特別なことじゃない。

 貧困街にはその程度ありふれたことだ。もっと酷いことだってある。

 けれど、よくあることでは片付けられない。

「フィユってさ、多分、僕のことが好きだったよね」

 呟く。

 それを聞いてジャールは呆れたように口元を曲げる。

「気持ち悪いことを言う」

「多分だけどね。何となくそういう雰囲気があってさ」

「まあ当人にしか分からないが、そうかもな。そもそもあの男性嫌いが懐いているのが不思議だった」

「僕はさ、ほら、多分他の人よりも女性を性的な目で見ないからさ。見られたくないフィユとは相性がいいんだよ」

「そう言えば玉無しだったな、お前は」

 身も蓋もないジャールの言葉に思わず薄く笑ってしまう。

 罵倒の比喩ではなく、文字通りにだ。

 以前、右脚を凍傷で切断した時に、壊死したのは脚だけではなかったからだ。

 だから僕には性行為ができない。性欲だってほとんど無いと言えるくらいに薄い。そんな僕でも時々ぞくりとするほどだったのだから、フィユの男を惹きつける魅力というのは絶大なものだったのだろう。

 そういうように見られることを誰より忌避したはずの少女が、誰よりもその視線を引きつける。

 僕はその中ではおそらく格段にそれが少なかった。それが好意に繋がったのだと自分では思う。

「懐いてた、ってそうだね、それが的確かな。懐かれてたんだ。それでさ、人間、懐かれれば情もわく」

「情ね。好意じゃないのか」

「どうだったのかな。違うような気もするし、自覚してないのかもしれない」

「まあいいさ、それで?」

「そのフィユを追い詰めたのが僕だ。わざわざ王都に連れて行って、情報屋から逃げ道がないことを懇切丁寧に教えてもらって、おまけにまた僕が死にかける場面を見せてしまった」

「表面的な事情を見ればだろ? お前とフィユにはどうあがいても逃げ道はなかった。王国が望んだ以上、結末はフィユが死ぬか魔女になるかのどちらかだ。その親が言ったとおりにせめてお前が死なないようにあの女は望んだんだ」

「そうなんだよ。分かってる。魔女は王国に隷属することも知ってしまった。さっきの話からすれば、王族に近くなるその立場ではなく死を選んだのも理解できる」

「なら、どうしようもなかったんだよ」

 ジャールはそう言ってグラスに口をつけて、中身がなくなっていることに気づいた。

 葡萄酒を新しく注ぎ直すジャールを見ながら、彼の言うことが正しいのだと僕は思っていた。

 どうあってもフィユは助けられなかった。それは賢しき鼠すらそう保証したことだ。

「そうは言っても、なかなか飲み込めないよ」

 自分のグラスの中身を一気に(あお)って、酔いを回す。

 うだうだと悩んで情けないけれど、今はそんな気分だった。






   * *





 橙の学年。

 青の三角の二年目の学生として過ごしていれば日々は流れるように過ぎ去っていった。

 指導教員のチャイムや、その補佐のシンディアが推奨する論文を読み、研究室の雑用をこなす。

 アテラや他の上の学年の研究室生の研究の手伝いも何度かした。

 特にアテラは僕をこき使った。魔術式に一定の魔力を流した後の出力をまとめて、その傾向を調べる作業を何度も繰り返した。

 数学は独学で学んでいたが、さらに専門的なこともその作業のために勉強させられた。

 そうしたことをこなしている日々は忙しく、その忙しさがありがたかった。

 アテラはもしかして気を遣って研究を手伝わせてくれたのかと思ったが、多分逆で、それを大義名分に作業を押し付けてきたのだろう。

「お前のお陰で最近はよく眠れる」

 と、言って先に研究室から帰るアテラを見ていれば、とても気を遣ってくれているとは思えなかった。

 フィユを失っても、時間は止まらない。

 そうして、やがて忘れられていくのか。

 顔を見れば嫌でも思い出すはずなのに、ルルティアの姿は見かけない。

 僕を避けているのか、あるいはまだ青の三角に戻っていないのか。

 誰もいない研究室で、アサキの花から蜜を集める。

 黙って甘い香りに包まれていると、フィユと二人でこの作業をした時を思い出す。

 窓の外は暗い。時間はもう深夜だ。

 月明かりを移したように白い光を魔力灯が放っている。

 昼間にアテラに渡されたアサキの花を全て処理して、大きく伸びをした。

 媒介成分を溶かした溶液を決められた容器に移してから、窓を開ける。

 冬の直前の少し冷たい空気が部屋に吹き込む。

 満月から少し欠けた歪な円の月が、青の三角の塔の隣に浮かんでいた。

「今日は月が綺麗ですねえ」

 のんびりした声が背後から。

 驚いていないのはもう慣れたから。

 振り向くと、黒髪の少女が机に腰掛けて僕の後ろの空を眺めていた。

「こんばんは」

「いい夜ですねえ、カスタットさん。月が綺麗で。月明かりが魔力を持つのは、それが美しいからだ、と昔の誰かも言っています」

「レドウッドですよね」

「美しさが魔力を持つというなら、王国一の美しさを持つフィユさんが、優れた魔力量を持つのも納得ですね」

 エルノイ・ウィン・ディアリルムが子供のようにあどけない笑顔を作っていた。

 音もなく現れたことはもう驚くことではない。

 ただ、エルノイの口から意外な名前が出たことに驚いた。

「それで何の用?」

「冷たいですねえ。そんなに彼女の名前は重いのですか? そんなはずはないですよね、だって、カスタットさんとあの人の間には、何も無かったんですから。惜しむべき関係性では無かったはずです」

「そんなことは」

「無いと言えるならどうぞ。フィユさんは、貴方にとって何だったのですか?」

 返す言葉を探して、ついに見つからない。

 そんな僕を見てエルノイは肩をすくめてみせた。

「悩む必要がないのに悩むのは、悩みたいということ。フィユさんが大事だったから苦悩しているのではなく、苦悩することでフィユさんを大事だったと思いたいんですよね? 何故なら、あなたにとってフィユさんはどうでもよかったから。そのどうでもよかったフィユさんが、命を捨てて貴方を救った。この非対称が嫌なんでしょう?」

 (そら)んじるになめらかな言葉の繋がりが、痛いほど胸を刺す。

 ぼんやりと僕の中で揺蕩(たゆた)っていた感情が、導かれるままに輪郭を持ち始めていた。

 気づきたくなかった浅ましい思考。

 エルノイが微笑む。

「応える気もないのに好意を抱かせたこと。どうでもいいと思っていた相手に、命を捨てさせたこと。そんなことを自分がしたのだと思いたくないから、後になって彼女は大事だったと思っているように、私には見えますよ」

 そんなことは断じて思っていなかった。

 けれど、否定することもできなかった。

 頭に落ちてくるのは奇妙で不快な納得。

 僕はそうだったのかもしれないという最悪な自覚だ。

「そんなことを言うためにここへ?」

 かろうじてそう返す。

 これ以上その話をしたくはなかったし、エルノイがわざわざここに来た理由とも思えない。

「先ほどまで王都にいて帰ってきたら、見知った魔力を感じたので来ただけですよ。本当ならお茶のひとつでも淹れてもらおうと思ったのですけど。少し疲れていますから」

「王都に?」

「フォーシアルさんに呼ばれたら、断る方が後で面倒ですからねえ。まったく、王族というのは自分の考えが正しいと信じ切っているので厄介です」

 身近な知人のように出てきた第一王子の名前に驚く。

 エルノイならば王族とつながりがあっても不思議ではないが、最近その名前を聞いたばかりだ。

「私にはどうでもいいんですけどね、魔女が増えようが増えまいが」

 今度は聞き捨てできない台詞だった。

「それはどういう意味?」

「独り言ですよ。秘密らしいので教えられません。いつか、サイファールとの会談について教えてくれなかったことを私は覚えていますよぉ」

「エルノイさんにしては小さいことを言うね」

「あれ、いつの間に私の性格を知ったんですかあ?」

 心から不思議に思っています、とでも言いたげにエルノイは微笑んで首をかしげる。

 その通りで僕はエルノイについて何も知らない。

 けれどらしくないというのは本音だった。

「エルノイさん、もしかして疲れてる?」

 何というか、いつもの超然とした態度よりも少し人間臭い気がした。

 独り言の体で僕に何かを教えようとしていることくらい分かるが、そんな面倒な、何かに気を遣った態度がそもそもエルノイには似合わない。

 エルノイは心底うんざりだ、と表情を歪めた。

「ええ、疲れていますよ。言いませんでした?」

「言ってたね」

「私は、私以外の都合で動かされることが嫌いなんです。それをさせられたのだから疲れもしますし、無駄口を叩きたくもなります」

「その無駄口が、さっきの魔女が増えるだとかの話?」

「本当に気になりますか?」

 エルノイの問いは不思議な力がこもっていて、即答が躊躇(ためら)われた。

 気にならないわけがない。

 本当に?

 エルノイはつまり、関わる気があるのかと問うているのじゃないか?

 それは、けれど無関心ではいられないだろう。

 僕が口を開くのと同時に、エルノイが思考を先回る。

「魔女の件について貴方に危害が加わることはないですよ。そのためにルルティアさんが空回りの努力をしたんですから」

「さっきから話が飛びすぎてて意味が分からないんだけど」

「意味が分かるように話すのは当たり前ですか?」

「親切というんだ」

「親切を期待することは、親切からとても遠い行為ですね」

 にこにこと楽しそうな笑顔から容赦のない言葉。

 エルノイの真意など測れたものではないが、魔女のことについて、深入りするのかどうかを聞かれている。

 一時の感情ではなく、(れっき)とした理由があるのかどうかを。

「わざわざ僕にその話をするということはさ、それは多分、フィユに関することなんだよね」

「そうだとしたら?」

「そうだとしても、聞かせて」

「どうしてですか?」

「知らない方がいいことなんて、原理的には存在しないから」

 時が止まったかのような錯覚。

 エルノイがじっと僕の表情を観察して、僕はその視線が刃であるような気がして動けない。

「それは真理ですが、真意ではないですね」

「いつの間に僕の心情を知ったの?」

「どんな手段を使ったと思いますか」

 精神感応系の魔術という最悪な連想が浮かぶ。

 いつかはアテラが防いでくれていたが、今の僕にはエルノイがそれを使う瞬間にも気づけない。

 エルノイが微笑む。

「顔を見れば分かりますよ。それは子供の顔です」

「君が言うの?」

「あ、」

 そう言ってエルノイが消えた。

 しん、と研究室が静寂を思い出す。

 去っていった?

 部屋のどこを見てもあの黒髪の少女がいない。

 あんな些細なひとことで?

 取り返しのつかないことをしてしまったのだろうか。

「駄目ですよお、私、童顔なの気にしてるんですから」

 振り返るとエルノイが窓に腰掛けていた。

 驚きながら、その不機嫌そうな顔に返す。

「そういうの気にしないと思ってた」

「カスタットさん達は人のことを感情のない化物みたいに思ってますよね」

「気をつけるよ」

「フィユさんの魔女を発現させる計画に参加させられています」

 言葉の意味を理解するのに数秒が必要だった。

「あり得ない」

「いえ、カスタットさんなら気づけていますよ」

「だけど」

 その「だけど」に、続く言葉が見つからない。

 死んだはずだと言うには、僕はフィユの死を確かめていない。

 葬儀までしたはずだと言っても、それはフィユの死を確定させない。

 棺に入る死体を見たのだと言っても、僕はそれが精巧な人形ではないと否定できない。

「蘇生にはですね、私や、ラクアレキやアリベスの研究所の賢者、貴方の畑のリポールさんも呼ばれてましたよ」

 リポール・ドースミス。治癒士として天元級認定を受けた唯一の冒険者。

 東の果てを本拠地とするのに、その存在と名前がシエトノにまで伝わる有名人まで参加していた。

 エルノイが不機嫌そうだった顔を微笑ませる

「面白い話をいくつか聞けました」

「蘇生と言ったけど」

「さて、カスタットさん。お茶も出ないし、私は帰りますね」

「え、ちょっと待って」

 待って、と言った時にはすでにエルノイは消えていた。

「くれないよね」

 またすぐに現れるんじゃないかと期待しながらしばらく待ってみたが、ついにエルノイは戻ってこなかった。

 ずいぶん疲れた。

 頭が重い。

 夜風で頭を冷やしながら、先程の会話を反芻(はんすう)する。

 思い返してみて感じるのは、今夜のエルノイはやはり不自然だった。

 回りくどいのだ。

 エルノイの真意が読めないのはいつものことだが、彼女の会話はその目的が明確だ。

 つまり、僕をどこに導きたいのかが。

 それが今回は曖昧だ。

 どうしてだろうか。

 エルノイも迷っていたのだろうか。

 そう想像して、おかしくなる。

 エルノイが迷うのか?

 そんな人間らしい機能が彼女にあるのか。

「ああ、くそ、わけが分からない」

 分かることから考えるしかないということは、僕も分かっていた。

 窓を閉めて研究室を出る。

 先程まで少し眠かったが、それはどこかに消えている。

 魔力灯の照らす廊下から階段を上り、オルドリア研究室に向かった。





  * *





 風の冷たさが、私を罰しているように思えて心地よかった。

 王城の城壁の途中で、王都を眺めながら冷えていく自分の体を観測していた。

 手や歯が小刻みに震えて、体温が奪われていく感覚は本能的に逃げ出したくなる。

 夜風で、これだ。

 自分の体を凍死させようなんてことが人にできるのだろうか。

「女の身には冷えるだろう、ルルティア」

 聞き覚えのある声に振り向くと、見覚えのある男が立っていた。

 鍛え込まれた体格に刈り込まれた金色の髪。

 何よりも本人の厳格さがそのまま浮き彫りになった顔は、昔の面影を残したままだ。

「お久しぶりです、エグザリ将軍」

「噂は聞いていたが対面するのは何年ぶりだろうな。あの窓から見かけて毛布を持ってきたが、必要はないか?」

「お気持ちだけ頂きます。少し体を冷やしたい気分です。ご厚意を無下にしてしまい申し訳ありませんが」

「ならいいさ。別に、お前を口説きに来たわけじゃない」

 エグザリはそう言うと、私から少し離れた位置で城壁に背を預けた。

 それを横目にしながら私は王都の風景の方に体を向ける。

「お前には辛い役目だったな」

 低い声でエグザリが呟く。

 いえ、と私は首を振る。

「国のために尽くしているのは貴方も同じです」

「同じ守護六家でもレオフカ家は国の暗い影を請け負うんだ、同じというわけにはいかんさ」

「三家を負う貴方と同じに語ることこそ、許されませんよ」

 扇のニルゴイグ家に生まれながら、剣のアルフォンス家で戦闘術を学び、盾のジゼ家の訓練を受けた、守護六家の傑作がエグザリだ。エグザリ以外にそのような人物がいないのは、その壮絶な鍛錬量に普通は耐えられないから。私生活の全てを捧げて、それでも壊れるか壊れないかを賭けるしかない境遇に、エグザリは自ら進み出たと聞く。

 どんな愛国者にも、そんなことができるとは思えない。

 少なくとも私にできることではない。

 エグザリを横目で見ると、彼は真上の星を見ていた。

「量の問題ではないさ。その質と、本人の資質の差異だ。人の死を悲しんでしまうお前には向かない仕事だし、だからこそレオフカ家はお前の青の三角へ行きたいという意志を認めたんだ」 

 気づけばエグザリの瞳が私に向けられていた。

 レオフカ家の人間が十五歳を超えて関連機関に所属しないという異例が許されたのは、私が向いていなかったから。

 それは知っている。道具を見る目で私を見ていた父が、私をその視界に認めなくなった日から。

 人の死を悲しいと思うのは、私の家では異端な感性だった。

「エグザリ将軍も今回の件に関わったそうですね」

 尋ねるとエグザリは小さく頷いた。

「サイファール殿下に頼まれてな。加速の魔女に邪魔立てをされたが」

「殺さないように気を遣ってもらったのでしょうか」

「悪いがそれは俺を買いかぶってるよ。背後から仕掛けて、本気で逃げられた。元冒険者だけあって勘がよかった。加速の魔女の加勢も早かったからな」

「サイファール殿下はどうしてエグザリ将軍に御下命を? フォーシアル殿下がレオフカ家をすでに動かしていましたが」

「フォーシアル殿下の令のもとに確保した魔女とそうでない魔女では、手の届きやすさが違うからな。フォーシアル殿下の御病気はおそらく不治だ。魔女になったシュヴァイツェル家の美しい少女に望むことは変わらない。以前と同じように、サイファール殿下はそれを気になさったのだろう」

 フィユ・ウィン・シュヴァイツェルを襲った悲劇。

 不幸な誤解への賠償金としてシュヴァイツェル家にいくらか払われたそうだが、それもサイファール殿下の口添えが無ければ行われないまま、今も、あるいはフィユが自殺をするまでフォーシアルの陵辱は続いていただろう。

 自然と眉をひそめてしまう。

「私は、あの場でフィユさんを殺した方が良かったのでしょうか」

 呟きにエグザリは黙っていてくれた。

「魔女を発現してしまえば、フィユさんは王国の所有物となってしまいます。第一王子や、第二王子が望めばいくらでもあの地獄を再びフィユさんは味わうでしょう。フィユさんが自殺を選んだのもそれが大きな理由で、私はそれを察していたのに」

 死を確実にしないまま王国に引き渡してしまった。

 そして今も、フィユさんの蘇生作業に立ち会っている。

「しかしそれをすれば今度はあの少年が殺される」

 エグザリが淡々と告げた。

「王国の、それも魔女に関わることに抵抗することへの見せしめとして、何より約束を違えたお前への罰として」

 その通りだ。

 だから私は動けなかった。

 望まない道しかない分かれ道を、無理矢理に選ばされた。

「大きな力を持つものが望む通りに物事は動く。それは、この王国では、個人に逆らえるものじゃない」

 エグザリが肩越しに王都の方を眺めて言った。

「与えられた状況で最善を尽くす。人間にできることは結局はそれだけだ」

 死ぬ前には部屋に戻れよ、と言い残してエグザリが去っていく。

 私は再び夜風に吹きさらされて、ひとり考える。

 与えられたこの状況で、私の最善とはいったい何なのだろうか。



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