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魔術士は求む者  作者: 土月 十日
ニ章 橙・六感・王の疾患
37/44

7 けれど至愚なる意志だとて


 嫌な痛みが胸の中を這いずり回っている。

 何が起きている。

 何だというのだ。

 私の中の魔女とはいったい何だ。

 もう終わった話だと思っていたのに。

 ユギナの言葉がぐるぐると頭をめぐり、痛みを走らせる。

 気がつけばカスタットさんが心配そうにこちらを見ていた。

「フィユ?」

「大丈夫です」

 反射的に言葉を返す。

 大丈夫なのかそうでないのかは私にはもう分からない。

 夕陽に空が焼かれる時間帯、大通りを歩く人間は多い。その流れに紛れて私とカスタットさんが歩いている。

 ユギナはすでに去っていた。助けてくれたことには感謝しかないが、よく分からない人だ。

 二年ぶりの王都は相変わらず騒々しい。早くリヴァージュに帰りたい。

 斜め前を歩くカスタットさんが振り向く。

「少し休もうか。合流予定までは時間もあるし」

「私なら大丈夫です」

「や、僕も少し考えたいし、疲れた」

 そう言ってカスタットさんは近くの甘味処に向かう。

 言葉をそのまま受け取ることはできない。気を回してくれたのだ。

 私のせいで巻き込まれているというのに。

 優しい人だと思う。

 私も、ミーティクルも、無償で助けて。

 だから私は。

「どうかした?」

 カスタットさんが振り向いて首を傾げた。

 私は頭を振って、場違いな感情を追い出す。

 今はとにかくこの状況を何とかしなければならない。

「いえ、何でもないです」

 だから、私は笑顔を作って駆け寄った。




  * *




 甘味処に入るというのは緊張感のない行為だったがそんなものは些細な問題だ。

 はっきりと言ってしまえば、僕はもう詰んでいる。

 クリームをたっぷりのせた焼き菓子を頬張るフィユを眺めながら、思考は諦めの籠に閉じ込められたままだ。

 レオフカ家、守護六家に狙われているというのは始めは確定ではなかった。仮にそうだとしても、その原因を探れば突破口があると期待して王都に来た。

 しかし、ユギナの言葉を信じるなら、僕が狙われる原因はフィユを魔女にさせるため。それはつまり王国の国益のためだ。反対する勢力などいないだろうし、僕が逃げ続ければレオフカ家どころではなく、王国軍が僕を狙う。すでにエグザリという大物まで仕掛けて来ていた。

 抗いようなど無い。王国を相手に勝てると思えるほど、自惚れていない。

 高い紅茶を口に含む。香りの豊かな湯気が鼻をくすぐる。

 青の三角の塔をまだ登りきってもいないのが悔しい。

 思考は打開策を探すけれども、どこまで考えても殺される未来に行き着く。

 紅茶の入った杯を受け皿に置く時に何かおかしなものを見た。

 何だ。

 フィユの後ろ、奥の席に違和感。

 認識阻害の魔術。

 いや、魔術か? 魔力の気配はしない。けれど、見ているはずのそこを認識できない。

 何がいる?

 いるとすれば、もしかして。

 そう思った瞬間にそれはそこに現れた。いや、はじめからそこにいたのだ。ただ僕がそれをようやく認識した。 

 黄色いケープの少女。

 細い男と対面して、何かを食べるのに夢中になっている。

 あれがそうなのか?

 情報屋の言葉を思い出す。

 黄色いケープの少女が、横目で僕を見て口の端を上げた。

 対面の男を置いてこちらに近づき、フィユの隣に勝手に座る。

 異様な雰囲気に僕もフィユも何も言えない。

「こんにちは、って言うには微妙な時間だね」

 年相応の子供みたいな話し方で少女が口を開いた。

「君はぼくを見た。ぼくは、ぼくを見ようとするものにしか見えないのに。どこで誰に聞いたのかは知らないけれど、大したものだね」

 そんな効果の魔術は聞いたことがない。

 魔法か? 魔女だというのか。

 混乱するが気持ちを落ち着ける。

「嘘ですよね?」

 ひとまずそれを言った。

「嘘だよ」

 少女がにこりと笑う。

「聖銀貨一枚で売られるとは思わなかったな。なんて特価だろう。王都の金持ちはあの情報屋にこぞって聖銀貨を何十枚も差し出すだろうね。そしたらぼくは見つかって大忙しだ」

「それも、嘘ですね?」

「そうだよ。見つかりたくないなら、ぼくは誰にも見つけられない」

「それは魔法ですか?」

「魔術だよ」

 少女が微笑む。

 とても愛らしい、けれどどこか人間味のないぞっとする笑顔だ。

「君達の魔術とは違う魔術だけどね」

「違う魔術?」

「知りたいのはそんなことなの?」

 女の子の言葉に、何故か圧迫される。

 返す言葉が出てこない。

「高くついてもいいなら教えてあげるけど」

 少女が人差し指で空気をかき混ぜる。

「そんな余裕はあるの?」

 答えられない。

 その通りだった。そんなことは今は些事だ。

 賢しき鼠が僕を相手にしてくれている。これは対等ではない。僕は僕の能力を示さねばならない。

 思考が鈍いことに苛立つ。

 何を聞けばいい。

「あ、えと、フィユを魔女にしたくない有力者はいないですか?」

「唐突だね」

 戸惑うフィユの隣で、おかしそうに少女が笑う。

「この王国にはいないよ、そんなもの。魔女は王国と帝国の戦いの(かなめ)だ。そりゃあ、立場の近いユギナは君達に同情的だろうけど、それだって限度がある」

「王国には?」

「逆に帝国は嫌だろうね。あちらで対抗する魔女が見つからなければ一気に戦況が不利になる」

 それはそうだ。けれど、では帝国に寝返ったところで今度はあちらが魔女を求める。

 もしかしたら、と期待した質問だったが空振りに終わった。

「では、フィユを魔女にしない方法はありませんか。王国も諦めるような」

「簡単だよ、気づいてるんだろう?」

「できたらそれ以外で」

「じゃあ無理だね。魔女の発現は資質のある者の精神的なものが原因だ。生きている以上、精神は揺らぐからね、常に魔女になる可能性を抱えているようなもの」

「そもそも魔女の資質とやらが間違いだっている可能性は」

「あると思う?」

 少女がケープの端をつまみ、その指先を見ながらつまらなそうに言った。

 そうだ、そんな楽観的な考えをしている場合ではない。

「あの」

 と、声を出したのはフィユだった。

「その、魔女というのになってしまうと、私はどうなるのでしょうか」

「人ではなくなるよ。見た目は人だけどね。寿命がなくなって、老いなくなる。何より魔法が使える」

「どんな魔法なのでしょうか」

「それは君の【■■■■】によるね」

 少女が聞き取れもしない言葉を発した。

 フィユも戸惑いの表情。言語が違うというよりも、何と発声したのか認識できないような感覚。

「今、その、なんと?」

「意味が分かるようになったら、君はその時には魔女になっているのだろうね。そういう言葉だよ」

「はあ……えっと」

「けれど、どんな魔法でもそれは強力な力だ。王国は君を捕らえ、戦力として使う。それは君にとってどんな意味を持つのだろうね」

「意味って」

「王国に尽くすことを使命と考える魔女もいれば、それ以前の境遇よりはましだと考える魔女もいる。隷属されることを嫌悪する魔女もいるね。人でなくなったことを嘆く魔女も」

 楽しそうに少女が笑い、フィユの皿に乗っていた菓子を取って口にする。

 フィユと少女が問答をしている間に少し気持ちが落ち着いた。賢しき鼠という存在に遭遇していることははっきり言って異常事態だが、現実は受け入れるほかに仕方がない。

 少しあつかましい質問をする。

「どうやったら僕は殺されず、フィユは魔女にならずに済むでしょうか?」

「それは情報屋にする質問じゃないね。けれど、方法のひとつは君も気づいているはずだよ」

「それは取れません」

「本当に?」

 少女の口の端についたクリームが持ち上がり、それを舌がなめとった。

 生地のカスに汚れたナイフを動かして、隣のフィユの首元に添える。

「この子を殺せば君は救われるのに」

 笑顔を隣の少女に奪われたかのようにフィユが青い顔をする。

 呆然とその唇が動く。

「わたしが死ねば?」

 舌打ちしたくなる気持ちを抑えて、少女を睨みつけたくなる気持ちを殺した。

 動揺してはいけない。冷静さを保たなければ。

 見透かしたように少女は笑う。

 フィユを殺す。

 僕が助かる方法としてはまず最初に浮かぶ手段だ。

 王国が僕を殺したがるのはフィユを魔女にしたいという理由だけ。彼女を殺せば、少なくともその理由は消える。

 そんなことは言われなくても分かっているし、分かっていることを少女は知っている。

 知っていてそれを言っているのだ。悪意のようなものすら感じてしまう。

 思考が無駄なところにいっている。今は時間を置くべきではない。

 微笑みを作る。

「そんなことはしないよ、フィユ」

「根拠もないのに?」

 悪魔の微笑みが僕を刺す。

 異様な雰囲気だ。見た目にはエルノイよりも更に若い。アンリと同じくらいだろうか。

 それくらいの少女が、怖い。

 見透かされているような感覚は、それこそエルノイに見られている時のよう。違うのは、根底にある感情か。エルノイには感じない、悪意のようなものの気配。

 言い返せない僕に少女は優しく、(ささや)くように言葉をつなげる。

「きちんと分かっているみたいだね。どう考えても、あなたが生き残るためにはこの可愛い女の子を殺すしかない」

「生きるために、殺せって?」

「それとも君は生かすために死ねるのかい? それはそれで素晴らしいことだと思うよ。ぼくは大好きだよ、そういうかっこいい、愚かなことは」

 少女はそう言うと手をテーブルについて立ち上がった。

「うん、まあ、そうだね、だいたい分かったよ。面白いことになるといいね」

 そう言って微笑む少女の視線がフィユに移る。

 目が合ったフィユが怯えた。

「全ては君次第だね。王都が舞台だとしたら、主演女優は君だよ」

 愛想に満ちた表情の少女の目を見て、背筋に鳥肌が立った。

 とても同じ人間には思えない瞳だ。

 人間らしい感情がうかがえない。見たことはないが、竜の目というものはこういうものかもしれない。

「ああ、そうだ、料金をもらってないや」

 席を離れて一歩のところで少女が振り返る。

 強烈な悪寒。

 先程よりもさらに、ずっと、怖い。

 何をしている?

「ぼくの魔術だよ」

 少女がにこりと微笑む。

「君達には、いつかぼくの質問に正直に答えてもらうことにしたからね、その準備」

 害はないから安心して。

 そう言い残して少女は今度こそ背を向けて歩き出し、現れた時と逆に認識の外へと消えていった。

 ぼくの魔術、と言った。そういうものがあるのか、あるいはただの嘘か。

 分からないことだらけ。

 分からないことだらけなのが、けれど、当然。

 僕の理解が及ぶのは、僕という人間の能力の範囲だけだ。

 状況から推測すれば呪術のようなものだろうか。

 呪術?

 また嫌な想像が繋がる。

 しかし今はそれどころではない。

 フィユの方を見れない。しかし、正面を見ないわけにはいかない。

 何でもない。先程のはあり得ない提案だと言い聞かせて平静を作る。

「大丈夫ですよ」

 何故かフィユは微笑んでいた。

「分かってます。カスタットさんは、そんなことをしません」

 無理をしているような表情ではなかった。

 けれど初めて見る微笑み方だ。

 何を考えている?

「カスタットさん、ありがとうございます。色々と」

「色々?」

「色々です。感謝してることはいっぱいありますから」

 綺麗な笑顔に、一瞬見惚れてしまった。

「フィユ?」

「カスタットさん、目を(つむ)ってください」

「目を閉じるの?」

「はい、お願いします」

 言われたとおりに目を閉じる。

 物音。

 フィユが動く気配。

 隣の席に移動してきた。

「フィユ?」

「まだですよ。それと、触りますね」

 宣言通りに柔らかい何かが頬の両側にそっと触れた。

 顔の輪郭を確かめるようにフィユの手が耳から顎をなぞる。

 ぞくりと背中が粟立つ。

「くすぐったいんだけど」

「もう終わりますから」

 その声が思っていたよりも近かったので驚く。

 鼻先に息がかかった。

 甘い匂い。

「フィユ?」

「カスタットさん、痩せましたね。駄目ですよちゃんと食べないと」

「え?」

「ミティは、あれで寂しがりですから、少しは気にかけてあげてくださいね」

 混乱しながらも、フィユの言葉を聞く。

 何だ?

 フィユは何を言っているのか。

 まるで、

「フィユ、何を?」

「ルルさんのこと、できたら許してあげてください」

 フィユの手が離れる。

 残していった言葉はまるで、遺言みたいだ。

 椅子から立ち上がる音。

 胸をかきむしるような嫌な感覚は、何かの予感だ。

 その予感に思考が追いつく。

 目を開いた瞬間、魔術式が視界に広がっていた。

「まだいいって言ってないのに」

 机の横に立ったフィユが空虚な笑みを浮かべる。

 黄金のように輝く魔術式は、いつか見た凍結の魔術。

 違うのはその精度と、その対象。

 ようやく理解する。遅い。自分の愚鈍さに腹が立つのは何度目だ。

「フィユ、それは駄目だ」

 口から無力な言葉。

 魔力を生成するが、それも遅い。

 瞬間生成量は才能で、その才能が僕にはない。

 そして、フィユには恵まれたそれがある。

 脆弱な箇所を指で狙って魔力弾を撃ち、式を砕く。

 しかし、砕けた式はすぐに繋がる。

 その程度の技術は、フィユはもう身につけている。

 凍結の魔術はフィユの華奢な体を凍らせるだろう。

 急激な凍結は体を内側から破壊する。おそらく死ぬ。僕の足が壊死したように。

 膨大な魔力の気配がフィユの体を循環する。

 フィユは泣き出しそうな目で微笑む。

「ありがとうございました」

 ささやきと共に魔術式に魔力が流れ、


 発動。


 余波だけで空気が凍ったように冷たい。

 フィユの周りの床や机が霜で白く染まっていく。

 ぞっとするほど美しい微笑みのままにフィユが凍る。

 周囲に舞った白い塵は雪だろうか。

 その雪と共に魔力が霧散していく。

 魔力は人の意志で制御される。ならば、その霧散が意味することは。

 店内は静寂。

 突然のことに誰も声を出せない。

 温度変化に何かが(きし)む音だけが散発的にはじける。

「馬鹿じゃないの?」

 呟く。

 この店で一番静かな存在になったフィユは、魅惑的な微笑みを浮かべたまま。

 全身にうっすらと霜をまとわせる姿は、神様の作った彫像のようだ。

 一瞬だった。

 いつこの決断をしたのか。

 あの黄色いケープの少女の言葉を聞いてからの短い間で?

 できるのか、そんなことが。

 自分を殺す決断なんて。

「くそ」

 綺麗なままのフィユ。

 本当なら助けるための手段を考えなければならないはずなのに。

「最低だよ、フィユ。くそ、馬鹿野郎」

 命がまだあるかは分からない。

 凍っているという状態は少なくとも物を腐らせない。

 もしかしたらフィユを助ける手段があるかもしれないが、それは僕に分かることではない。

 どうせ、先程のフィユの魔力は探知されている。

 すぐにでも王国の人間がここに来るだろう。

 一度補足されれば逃げ切れるわけもない。

 奇跡的な釣り合いが崩れて、フィユの体が傾き始める。

 慌てて近寄ってその冷たい体を支えた。

 慎重に。

 冷たく固くなった皮膚は、押したら砕けてしまう気がした。

 触れた手が冷たすぎて痛みが走っているのに、どうしてか痛くない。

 ただ取り返しのつかない喪失感が胸の辺りでうごめいている。

「ちくしょう、馬鹿ばっかりだ」

 聞こえないだろう言葉を呟く。

 フィユの凍りついた瞳には生気が無く、宝石のように無機質な輝きを見せていた。





   * *





 静寂がありがたかった。

 馬の(ひづめ)が地面をたたく音と、馬車の車輪が回る音だけ。

 足元に設置された魔力灯が馬車の中を白く照らしていた。

 日も落ちてすでに夜の入口。人通りのない通りを進んでいるのか喧騒も聞こえない。

 貴族が乗るような馬車は、前と後ろに対面するように椅子が備えられていて、僕はその後ろ側に座っていた。

 手枷が重い。もちろん魔術式を阻害するものだが、今更抵抗する気はなかった。

 視線は手枷に刻まれた加護を追う。一流の刻紋士の刻んだものだろう。街の二流刻紋士だった僕のものよりも精緻だ。

 流石にレオフカ家の使うものだ。馬車も揺れが少なく、馬の歩みも一定で静か。

 世界が停まったような感覚だ。

 思考も、後悔も、じっと止まって動かない。

 動いてくれない。

 時を刻むような蹄の音を何度聞いただろうか。

 悪酔いに似た吐き気の原因は、自分の鈍さだ。

 止められたはずだった。

 フィユの魔力生成量は桁違いだけれど、魔術を使わせない方法ならいくらでもあった。

 魔術式の同化で、無力化することだってできたのだ。

 咄嗟にしたのは圧縮した魔力弾を撃つことだけ。

 反射で動いたのは二流の冒険者だった自分だ。

 思考が(のろ)かった。

 感情を察せられなかった。

 技術が未熟だった。

 自分が使えないから、フィユを殺させてしまった。

 冒険者の仲間が死ぬのとはわけが違う。

 危険を前提に組んだ人間が死ぬのは、悲しいことだが仕方のないことだ。

 死ぬ危険を(おか)すことで対価を得るから冒険者というのだから。

 フィユは違った。

 彼女は、つまりは、僕を救うために自分を殺すことを選んだ。

 仕方のない死ではない。

 自ら死ぬ道を選んだ大馬鹿野郎だ。

 それ以上の愚かな馬鹿が僕だ。

 駄目だ。

 らしくない。

 後悔は何の役にも立たないことを、知っているはずだ。

 感情に流されるのは子供のすることだと、エルノイなら笑えるのだろうか。

 長い移動が終わって馬車が止まった。

 連行されるがままに馬車を降りて大きな邸宅に入る。

 指示されるままに座る。

 音。

 声だ。

 誰かの声。

 顔を上げると、女性の顔があった。知っている顔だ。

「いい加減にちゃんとしてください、カスタットさん」

 黄色にくすんだ金髪に暗い表情が似合わない顔があった。

 ルルティア・ウィン・レオフカだ。

 僕を甘味処で捕縛してここまで連れてきた人物。

 そして僕を殺そうとしたレオフカ家の人間。

「ちゃんと、って言われてもね」

「フィユさんのことは残念でした」

「大事な魔女候補だったから?」

 自分で驚くほど棘のある口調になった。

 ルルティアは口元を引き結んでじっと僕を見た。

 そんな表情をしなくても、彼女が望んだことではないことくらい分かっている。

 それでも優しい言葉をかける気にはなれない。

 しばらく睨みあい、先に口を開いたのはルルティアだった。

「フィユさんに魔女の資質が無ければ、きっと、青の三角で一緒に楽しく過ごせたんでしょうね」

「君ら仲良かったみたいだしね」

「ミーティクルさんがいなくなって、フィユさんの周りの女性は私くらいでしたから。私も彼女のことが好きでした。少し臆病ですけど、素直で、人の痛みが分かる、素敵な人でした」

「それでも、それは、そんなことは、関係なかったんだね」

「公務というものは個人の感情に流されていいものではありません」

 そうなのだろう。

 その理屈は分かる。

 兵士や官僚が個人の都合で動いていては、国を害することにもなる。

 百と一人を救うために百人を殺す決断をしなければならないのが国で、貴族だという。

 それはフィユから聞いた言葉だった。

「どうして、フィユは死を選んだのかな」

 呟く。

「貴方を助けたかったから、と私は思いますけど」

「自分を殺してまで?」

「貴方だって、昨年、ミーティクルさんのために危険を顧みなかったでしょう?」

「死ぬかもしれないのと、自分を殺すことはぜんぜん違う」

 一年前のことを思い出す。

 カリヴァやフェルター、それにミーティクル自身と戦うことを選んだ時、死ぬかもしれないとは思っていた。

 けれど、死んでもいいと思ったことは無い。

「死ぬかもしれなくても欲しい物があったから、僕は戦った。でも、自分を殺したらそれで終わりだ。何も手に入らない」

「強欲ですね」

「そういうふうに言うのかもね。フィユにも、できたらそうであって欲しかった」

「それこそ強欲ですよ。他人の気持ちをどうこうしようだなんて」

 ルルティアの声が虚しい。

 今更何をいったところで過去は変わらない。

 そう、終わったことだ。

 意味のない会話に思考がようやく動き出す。

「ミーティクル達はどうなった?」

 合流する予定だったことを思い出す。

 すでに捕まっている方が可能性は高いだろう。

「ミーティクルさんと、他に冒険者四人はすでに捕らえてこの屋敷の牢にいます」

「この屋敷って、そういえばここはどこ? レオフカ家?」

「やっぱり聞こえてなかったみたいですね。レオフカ家所有の邸宅のひとつです。牢といっても、出入りを制限しているだけなので、苦痛は与えていないつもりです。こうなった以上すぐに解放させましょう」

「お優しいことだね」

「貴方も同様です、カスタットさん」

 ルルティアが無機質な声で告げる。

「一連の出来事について、色々と知った事情、調べた真相があるようですが、それらに対して口を(つぐ)むのなら貴方の身の安全を保証しましょう」

「てっきり殺されるのかと思ってた」

「殺す価値が無くなりましたからね」

 フィユが死んだ以上はもう僕の存在など王国にはどうでもいいのだろう。

 それは分かる。

 しかし、平静な声のルルティアに苛立ちが抑えきれなかった。

(かもめ)の餌になっちまえ」

 呟いた言葉は懐かしい響きだった。

 ルルティアは黙って僕を睨んだまま、やがてふっと息を吐いた。

「明日か明後日にはフィユさんの葬儀が行われます。事情が事情ですので参列者は限られるでしょうが、貴方達が望むのなら話を通しておきます。それと今回の件に対して国から賠償金が払われます。冒険者達への依頼料や王都の滞在費などは充分に払えるでしょう」

「賠償? フィユを不当に追い詰めたって認めるの?」

「不幸な行き違いで貴方に攻撃を仕掛けたことに対してです。フィユさんは自殺ですから賠償するようなことはありません。そう処理されるでしょうし、そう受け取られるでしょう。自殺する理由には困らない人でしたから」

 ルルティアはそれだけ言うと立ち上がり、部屋を去っていった。

 最後の最後に、声音に寂しげな感情が混ざっていた。

 だから何だ。

 ルルティアが望んだことでないことくらい分かっている。

 王国の事情とやらも分かる。

 分からないのは、いったい誰を恨めばいいのかということだ。

 しばらくするとレオフカ家の人間が来て、僕の手枷を外し大金の入った袋を机に置いた。これが賠償金とやらなのだろう。

 受け取ってしまえば代わりに何かを捨ててしまう気がした。

 けれど、その何かは子供じみた感傷から作られていることも分かっていた。

 エルノイならばきっと迷わず受け取るのだろうな、となんとなく思う。

 少しの逡巡の後にその金を手に取った。

 カリヴァ達に払う金額をここから支払っても充分に余る。

 その残りはフィユへの弔慰金としよう。

 貴族の葬儀の常識は分からないが、これだけあれば少ないということはないはずだ。



 二日後、フィユ・ウィン・シュバイツェルの葬儀は密かに、しめやかに執り行われた。




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