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魔術士は求む者  作者: 土月 十日
ニ章 橙・六感・王の疾患
33/44

3 けれど狡知がさりげなく



 白み始めた空を眺めながら走っている。

 身体は冒険者だった頃に比べれば酷くなまっている。元より後衛として大して鍛えてはいなかったが、青の三角での生活は油断するとすぐに筋力を落としてしまう。頭脳労働をしている間は座っていることが多いからだ。

 赤の学年の頃はこうして走っている余裕は無かったが、これから何年も青の三角で学ぶならばある程度の体力は必要だろう。それに、こうした単純な運動は頭の疲れを取ってくれる気がする。

 走りながら魔術式を展開して変形させる。あらかじめ決めた順序で変化させる式は、一年前とは比べ物にならないほど複雑で、速い。エルノイから植えつけられた式の技術だが、使いこなすにはまだ時間がかかる。半年以上訓練しているが未だに習熟した気がしない。

 橙の学年になってから、すでに四か月ほど経った。

 生活に大きな変化はない。研究手法について学び、先行研究を学び、賢者の講義を受け、研究室の雑用をこなす。それの繰り返しは変わり映えこそしないが、研究者としては珠玉の環境だ。

 青の三角の敷地を数周して汗をかいたところで宿り舎に戻ると、褐色の肌の少女が荷物を持って歩いているのが見えた。近づくと、その小柄な背中が振り返る。

「あ、おはようございますカスタットさん」

「おはようございます、アンリさん」

 青の三角で働いている東南出身の少女がにこりと笑顔で頭を下げた。と、その拍子に腰紐にかけていた布切れが落ちた。

 アンリの両手は荷物で塞がっているので布を拾ってやり、それを押し込むようにして腰紐にかけてやる。にこりとアンリが微笑んで、礼を言った。

 まだ早朝といえる時間だが、彼女はもっと早くから働いている。この時間に走っていれば彼女が働いている姿は必ず見かけた。

 並んで宿り舎の中へと歩いていると、少し先を歩くアンリがこちらを見上げた。

「ところで、さきほどあの人を見ましたよ」

「あの人?」

「ええと、カスタットさんと同じ年で、あの、小柄で、名前がええと、あれ? ええと」

 小柄な、ということで分かった。

「キャンディナさん?」

「あ、そうです! この時間に営業してる魔術具屋さんがあって、私もそこに行ってきたんですけど、ちょうど入れ違いに出ていくところでした」

「へえ、元気そうだった?」

「ええと、そうですねえ、ちらっと見ただけですけどなんだか明るくなってたような気がしますよ。ここにいた頃は少し近づきにくい雰囲気でしたから、一瞬よく似ている人かと思いました」

 ミーティクルは元気でやっているようだ。カリヴァや彼の仲間は直接話したり情報を集めた限りは有能で人格的に問題もなかったが、ミーティクルの世話役を彼らにお願いして正解だった。

 小柄な背中と栗色の髪を思い出す。アンリが僕を見て微笑んだ。

「嬉しそうですね」

「まあ、嬉しいですから」

「それは良かったです」

「魔力石の補充係は大丈夫そう?」

「はい、今年は二人も引き受けてくれましたし。カスタットさんのおかげです」

「僕の?」

「七選選抜者が引き受けていた仕事、ということが決め手になったそうですよ」

 アンリの言葉を、曖昧に笑って誤魔化す。正直に言えば、調理場の魔力石を補充するのは気晴らしになるとはいえ負担でしかなく、七選選抜を目指すならば引き受けないほうが得策だろう。だからこそ、同じ話を聞いたジャールは引き受けなかったのだ。

 しかし微差であるのも事実。結局は本人次第だ。

「またまかない飯を食べに来てくださいね。みんな歓迎しますから」

 笑顔で手を振ってそう言うとアンリは食堂の方に去っていった。





 湯の張られていない大浴場で汗だけ流した後に部屋に戻り、ベッドに倒れ込む。

 橙の学年になり一人部屋になることが許されたのでジャールはもう別の部屋に住んでいる。今は僕一人だ。

 疲れているわけではないが妙に身体がだるい。

 目を閉じる。

 今日は講義はないが、読まなければいけない論文と関連する書籍がある。途中に休憩を挟まなければ午後には終わるはずだ。

 大まかな予定が頭の中で組み上がっていくのと対称的に、(まぶた)はずんと重く、意識の明瞭さは崩れていく。それを自覚しながらも、問題だと認識できない。

「カスタットさん、あの、大丈夫ですか?」

 その言葉が遠くから聞こえて、意識を取り戻したことに気づく。

 口から間抜けな音を出しながら体を起こすと、触れていた手が離れる。その手を辿っていくと、くすんだ金髪の見慣れた顔が不安げに僕を見ていた。

「あ、ルルティアさん?」

「大丈夫ですか? 気分が悪かったりとかは」

「え? 別に大丈夫だけど。それよりどうしてここに?」

 気づけばルルティアの後ろにはフィユも立っていた。心配そうにこちらを見ている。

 なんだ? 混乱しながらひとつの可能性が頭に浮かぶ。

 窓を見れば外はすでに暗くて見えない。ルルティアやフィユを照らすのは部屋に備えられた魔力灯だ。

「嘘、え、今」

「日が落ちてもうしばらく経ちます。研究室に来る予定のあなたが来ないということで、フィユさんが心配していました。一人で男子階に来るのはあれなので私も付き添いです」

「ごめん、ちょっと待って、僕も混乱してる。いや、心配させてごめん。大丈夫、何ともない、はず。朝ちょっと走った後にうっかり寝ちゃったのかな」

 少し信じられないけれど、状況を考えればそうなる。

 うっかりでないとすれば誰かの手で眠らされたか。しかし、部屋を荒らされた様子もないし、そもそもこの部屋には大した物はない。金貨一枚もあれば市場で揃えられるくらいだ。僕にも何かされた形跡はない。財布の中身も変わりはない。

 ふと気がつくと、ルルティアが何か魔術を使って僕を調べ始めた。

「ちょっと?」

「ちょうどいくつか精査の魔術を学んでいるので。腫瘍や細菌感染、それに呪い関連も感知対象ですよ」

「それは凄いけど。そういうのは事前に言ってほしいな」

「ええ、その、すみません」

 ルルティアの展開する魔術式には見慣れない箇所が多い。特に、呪い関連の部分だと思うが、まったく意味の分からない箇所もあった。

 呪いというものに関しては理解が浅いという自覚がある。まれに呪術を使う冒険者や魔物がいるため最低限の知識はあるが、これまでに二人と四種しか出会っておらず優先度が低かったからだ。

「ええと、この部分が呪を探査してるみたいだね。魔力波長じゃないんだ」

「呪を探査するには対象の魔力の流れを調べるか、呪を構成する魔術式を直接把握するかで、後者の方が正確ですからね」

「へえ」

 二箇所、そもそも効果が分からない機能部がある。記憶して後で調べておこう。

 そんなことを考えているとルルティアはふっと息を吐いた。

「異常はないですね。良かったと言いますか、異常もないのに寝坊をすることを嘆くべきですか」

「寝坊くらい誰だってするさ」

 肩をすくめてみせる。誰だってするものだが、自分がそれをしたことは今でも信じられない。しかし、ただの寝坊とした方が話はおさまる。

 ルルティアの後ろで少しホッとした様子のフィユに誤魔化すように笑ってみせた。

「本当に、心配させちゃってごめん。大丈夫だよ」

「いえ、それでしたら安心です」

「研究室の人は何か言っていた?」

「シンディアさんも心配していましたよ。アテラさんは、その、いつも通りでしたけど」

 アテラが心配していたらその方が気持ち悪いと、無愛想が崩れないあの顔を思い出す。

「それよりカスタットさん」 フィユが手を合わせて微笑む。「そういうことならお腹空いてません? 食堂はまだやっていますよ」

 都合よく空腹の虫が鳴るようなことは無かったが、朝から何も食べていないのは事実なのでフィユの提案に賛成した。

 食事時というにはもう遅い時間だったので、食堂に人は少ない。少ない人数の全員が赤の学年だ。

 青の三角の塔や講義についての情報交換を行う様子は懐かしいものがある。あちらからすると珍しいのだろう、僕達に向けられる視線もいくつかあった。

「カスタットさん、今朝ぶりですね」

 食堂の風景を眺めていると給仕服を来たアンリが小走りで近寄ってきた。

 ついさっき会ったような気がするが、寝ていた時間を考えれば半日以上の時間が開いている。

「メニューは何がまだ残ってます?」

「えー、だいたい全部大丈夫ですよ。(すずき)だけあと四人前だったはずですけど、三人でそんなには頼みませんよね」

 僕は鶏肉料理を頼み、フィユは貴族らしく牛肉のソテーを頼んだ。ルルティアはすでに食事を済ませていたらしく果物の盛り合わせだけを注文した。

 水の入ったグラスをテーブルに置くと、ルルティアがふっと息を吐く。

「四ヶ月経ちましたね。去年に比べて、あっという間だった気がします」

「そうだね。学んでいる量はむしろ増えてる気がするけど」

「カスタットさんは魔術式の基礎の方で大変でしたからね。私も、概算推定を身につけるのに苦労しました」

 一時期は伸び悩んだルルティアの塔の到達階数だが、最後には僕やジャールを抜いて第四位だ。ミーティクルが進級を辞退したため橙の学年では第三位の成績。

 才能という言葉だけで片付ける気はないが、それが無くて出せる数字でもない。一時期の伸び悩みも、貴族には慣れない思考の働かせ方のためどうしようもないものだ。

「ちょっと失礼します」

 料理が来るまでの間雑談をしていると、フィユがそう言って立ち去っていった。小用かなにかだろう。ということもこの一年で学んだ。

 フィユが去って行ったのでルルティアと二人きり。覚悟を決めてルルティアに視線を向けた。

「何か呪がかかっていた?」

「察しがいいのは可愛くないですよ」

「可愛いって柄じゃないよ」

 確かに、とルルティアが微笑む。こういう軽口を叩ける間柄になれたのは貴重なことだと思うが、推測はできれば外れていてほしかった。

 そもそも人に許可なく探査魔術を向けるような人物ではない。何か呪の気配を感じたからこそ、慌てて精査を行ったのだろう。食事を済ませているのにこの場に付き合ってくれているのも、そう思えば何か伝えたいことがあるからだと考えられる。

 ルルティアの顔から微笑みが消えて、困ったように眉が下がった。

「最近読んだ論文に出てきた手法の呪術です。発見が難しい、それ以上に呪術自体の難易度が難しいものです。少なくとも今の私では確実にはできません」

「効果は?」

「解析した限りではなんとも言えません。ただ、今日の原因だとは思います。いくらなんでも先程まで寝ているのは尋常ではありません」

 それはそうだろう。呪の効果だとすれば納得だ。

 だが、ルルティアでも際限が難しいという呪術を使っておいて、得られる効果が異常な睡魔では釣り合っていないようにも思える。何か、もっと深刻な効果がありそうだ。

「解呪はできそうかな」

「それは大丈夫。少し準備がいるので、後でやってあげます」

「手間をかけさせて申し訳ない」

「それより、呪をかけられる心当たりは?」

「去年ならともかく、今年は目立って誰かに敵対なんてしてないんだけどなあ」

 横領公爵の娘として排斥されていたミーティクルに味方していた昨年は、フェルターを始めとした多数の貴族に睨まれていた。しかし、彼女が冒険者となったことでその線は消える。

 今年度の四ヶ月はほとんどが勉強漬けで、何か恨まれるようなことをした覚えはない。

「細かい解析もしたいので後で私の研究室に来てください。場所は分かりますよね」

「三階の西端だよね。オルドリア研究室」

「そうです。このことはフィユさんには?」

「黙ったままでお願い。心配かけることもないでしょ」

 ルルティアはじっと僕を睨んでから頷いた。

 やがてフィユが戻ってきて、それを待っていたかのように料理が届く。

「いただきましょう」

 にこやかに微笑むフィユの顔を見て、やはりそれを心配させたくないな、と思った。

  



 合わせて六人分の視線が集中していた。

 オルドリア研究室を訪れると、先に待っていたルルティアを始め六人の学生が夜も遅くだというのに居合わせていた。

 全員が興味深げに探査や解析魔術を僕に向けている。

「んー、何ていうか、基本に忠実? 癖みたいなものは見えないねー」

「技術自体は高いよ。だいたいまだ一般には出回ってない手法だ」

「青の三角か、王国の特務隊か。学生だとして、まだ未熟だ。黄の学年以下か、あるいはそれを装ったか」

「ちょっとホウプ、魔力波が邪魔」

「すみません、けど、ずいぶん丁寧に隠匿されてません? 何が目的でしょうか」

「みなさん、その、効果の方は分かりますか?」

 口々に感想を告げていく研究室の面々にルルティアが尋ねる。

 数瞬の間の後にそれぞれが見解を告げた。

「まず導眠効果は分かりやすいよね。ホウプ、他には分かる?」

「すみません、ええと、呪からさらに呪を書き込もうとしているのは分かるんですが」

「勉強が足りないよー、その対象が他人、というか体に触れたものであることくらいは、あんたらの知識でも推測できる」

「遠隔操作を受け付けるための感受部と、自壊するための仕組みもある。他者に与える呪は、こういう場合は普通は複製だが」

「全く違いますね。ちょっと見覚えのない呪だ。本当に、初めて見る」

 それぞれの手元に展開された魔術式はほとんど理解できない。瞬間瞬間に変動していく魔術式を見ているだけで、上級生の実力が伺える。

 その中でルルティア以外に一人だけ知り合いがいた。ホウプ・ウィン・ジンコームという名の、同期の七選選抜者だ。昨年は会話をしたことはなかったが、流石に今年になってからは何度が話した。ジャールは昨年からある程度仲が良かったらしい。比較的に穏やかな人柄だというのが印象だ。

 茶褐色の髪の下で貴族らしくなく愛想のいい顔が、僕と目が合って微笑む。こんな形で対面する気恥ずかしさに僕も困りながら半端な笑顔を作る。

「一応、植え付けられていた呪の構成は控えておいたから、もう解呪していいよ」

 青の学年だという女性がそう告げた。隣の男性に紙を見せているが、一瞬見えただけでも複雑過ぎる幾何模様が見えた。手で書いていたら半日はかかりそうだ。転写魔術を使ったのだろうけど気配に気づかなかった。

「ジンコームとレオフカ、練習でやってみなー」

 黄の学年の男性がホウプとルルティアを見てにこりと笑顔を作る。

 勝手に練習台にされているが、他にあてもないので逆らうすべはない。ルルティアが申し訳なさそうな苦笑いを向けてきた。

 ホウプも近付いて目礼をする。

「すみません、けど、僕も彼女も叩き込まれてますし、できないことをさせる人達でもないですから」

「大丈夫、心配してません」

 青の三角の解析学をテーマにした研究室の人員ならば、解呪に関しては大陸でも有数の腕前だろう。ルルティアの思考力は尊敬しているし、ホウプも七選に選ばれた以上は充分な実力があるはず。

「はい、さっさとやるー。三分超えたら不合格だからね」

 その言葉に急かされるままにルルティアとホウプが魔術式を展開する。

 身を任せるように、深呼吸をして魔術抵抗力を下げていく。

「遠隔部分から消去します。ホウプさんは安定化をお願いしますね」

「分かりました」

 呪術に干渉する魔術式は見慣れないので二人の前に展開される魔術式はほとんど理解できない。これも勉強だろうと形を記憶しておく。

 わずかに、体に何か干渉されるような感覚。今は集中しているため気づけているが、普段の生活の最中なら気がつけない程度だ。

 身を任せるままにしていると、自然と思考は呪をかけてきた目的に向かう。効果については、この研究室は導眠効果と他者へ呪を感染させるものだと分析した。それは多分正解だ。それくらいには信頼している。

「カスタットさんを介して誰かに呪いをかけたかったと考えるのが自然ですよね」

 ルルティアが僕の思考を先回りするように呟いた。そう言われると、たしかにそれが自然な考えだと思える。たどり着くまでの時間の差は、思考の速度の差なのだろう。

「そうだとしたら、その誰かよりも僕に呪を植えることの方が簡単で、しかも僕からならばその誰かに呪を植えるのが簡単だと、少なくともそう判断する人間の仕業ということですよね」

 考えを整理しながらそう呟くと、ホウプが頷いた。

「さきほどポゥさんにやっていただいたように、呪のかけやすさは魔術抵抗力によります。魔術抵抗力は精神的に落ち着いている時に特に下がります。眠っている時などは特にそうですよね」

「呪術者は」 ルルティアがホウプの言葉に続ける。「カスタットさんが相手なら警戒心が安らぐような相手に呪をかけたかった、と、そういうことでしょうか」

「可能性は高いというか、それならばこの状況は妥当ですね」

 ホウプが慎重に頷く。僕にも特に異論はない。

 そして心臓が嫌な予感を訴えていた。

 僕に対して警戒心が薄くなる、つまり、親交のある人間は限られる。それも、僕なんかを経由させるということは、その相手と親しい人間は珍しい可能性が高い。

 故郷であるシエトノには数人。しかし、シエトノに帰る予定もない今の僕を狙うのは迂遠(うえん)な計画だ。今僕の身近にいる相手こそが妥当。

 今は冒険者をしているミーティクル・ウィン・キャンディナか。

 あるいは、フィユ・ウィン・シュバイツェル。

 昨年のこともあり、この二人とは特別に親交が深いと言える。

 僕を昏睡させて触れさせるなら、フィユが狙いだというのだろうか。研究室も同じで、その目的には適っている。実際、フィユが心配した結果、彼女とルルティアが訪れたのだから。

「そう言えば、ルルティアさんは僕の身体に触れたような気がするけど、呪は」

「念のために防護魔術は張っていたので、弾いたようです」

 微弱だったので気が付きませんでしたが、と付け加えながらルルティアが肩をすくめる。

 呪いというのはそういうものだ。魔術抵抗力の高い人間にはまず通じないし、防護魔術を使える人間ならばかんたんに防ぐことができる。

 例外として竜の呪という強制力の強いものがあることは知識として知っているが、基本的には呪いは相手の油断をつくものだ。代わりに効果は多種に渡り、また強いものが多い。

 如才ないルルティアはきちんと防いでくれたが、もしフィユ一人だったなら危なかったのではないか。そう思っていると、ルルティアがこちらをじっと見ていることに気づいた。

 そしてさりげなく囁くように言う。

「後で、確認しに行きますね」

 何を、とは問わなかった。フィユに呪がかかっていないかだろう。ルルティアならフィユが危ないのではないかということを察するはず。

 そのことを具体的に言わないのは、情報を隠すためか。理由は分からないが、ルルティアが誤魔化して伝えてきているのをわざわざ言い直す必要もない。

「しかし、不気味だなあ」

 全ての感想をその言葉に詰めて呟いた。




「しかし、不思議ね」

 グラスから口を離して、ミティが微笑んだ。

 栗色の長い髪の下の小さな顔は、昨年の時に比べて陰がない。そのことがとても嬉しい。

「不思議って?」

「何の因果なのか、こうして冒険者をやっていることが」

 もう一度グラスに口を付けたミティの出で立ちは、昨年とは違っている。見慣れない戦闘用の加護が施された衣服に、護身用の短剣は腰に、その隣には丈夫そうなポーチが吊り下がっている。衣服はまだ綺麗だが、短剣の鞘やポーチは切り傷や焦げ跡で傷んでいる。長袖で隠れているが、腕についた傷跡もさきほどちらりと覗いた。

 痛々しい、と思うべきなのかもしれないが、彼女の表情を見ればそんなことは言えない。昨年の時のほうがよほど見ていられなかった。

 他人(わたし)を気遣ってくれている時以外は、まるで人形のようだったミティ。同じ部屋になったばかりの頃は彼女のことが怖くて仕方がなかった。

 青の三角をやめた彼女とこうして夕食を食べているのも当時なら予想もできない不思議なことだ。

「冒険者としてはどうなの? うまくいってる?」

「それなりに、かな。来月には二等階級になることも決まってる」

「よく分からないけど、それは凄いの?」

 冒険者の世界は私には分からない。

 ミティは困ったように首を傾けてから、視線を逸らした。

「あの人が冒険者の頃の階級」

「カスタットさんですか?」

「そう」

 何とも言えない顔でミティが頷いた。そう言えば、カスタットさんの話をする時は、昨年の彼女も人間らしい表情を浮かべていた。

 あの頃は文句ばかり言っていたが、今はどうだろうか。彼の話は聞きたがるくせに、あまりミティからカスタットさんについての言葉を聞かない。

 そのことを指摘できるほど私は優しくなかった。

 テーブルの上には上級都市リヴァージュの中でも高価なレストランの豪華な食事が並ぶ。冒険者としての収入を聞くと少し躊躇してしまう店だ。一度、もっと安い店でも構わないと伝えたことがあるが、笑って首を横に振られた。安い店にあなたを連れて行ったら、何をされるか分からないでしょ、とのことだ。

 今も、周囲の席や店員の男性から私に向けられる視線に気が付かないわけじゃない。時折ミティが鋭い視線を向けて牽制してくれていることには礼を言いたいくらいだ。言っても、本人は偶然だととぼけるのだろうが。

「貴女の方はどうなの? チャイムさんの研究室だったよね」

「ずうっと勉強。自分で研究内容を決めるまではずっとそうみたい」

「決まらないの?」

「いくつか思いついたものあるんだけど、どれももう研究済み。なかなか新しいことって思いつかないよ」

 橙の学年では一年間自分の研究が見つからないことも珍しくないとは聞いているけれど、不安になる。フェルター・ウィン・ビスリアスやルルティアさんはもう研究を始めているようだし、エルノイに至っては担当の賢者と共同で何かの最先端研究を進めているという噂も聞いている。

 自分で何かを考えるというのは、正直に言えば苦手だ。これでも七選に選ばれているので人並み以上にはその能力はあると思うが、あまり好きではない。好きでない以上、青の三角の水準では不得意と分類される程度だろう。

「あれだけの天才達が何百年も研究だけしているんだから、新しいことといっても難しそうね。あの人はどうなの?」

「カスタットさんもまだ自分の研究は決めてないみたいだけど、私よりずっと意欲的に取り組んでる。元々、研究がしたかったわけじゃないみたいだけど、向いてるのかな」

 何日か前に夜まで寝ていた以外には、毎日朝から晩まで資料を読み、賢者や先輩と話し込んだりしている。

 いつか会話した時に、真理の塔の完全制覇が目的だと言っていたので、研究をするために青の三角に入学したわけではないはずなのに、熱意に私と差がある。反省すべき点だ。

「そうなの? じゃあどうして」

「んー、直接聞いてみて」

 隠すことでも無いような気がしたが、勝手に話すのも気が引けた。

 それに、そのことに関してはミティよりもカスタットさんのことを知っていられる。くだらない優越感だが、心地よくないと言えば嘘になる。

 それがどういう感情なのか。

 私は知っている。

 グラスに入った炭酸水を飲み込む。口の中が軽く焼かれるような感覚で、少し脂の濃い料理の後味と苦い感情を溶かす。

 楽しそうに近況を伝えるミティの笑顔は見て嬉しくなるのは嘘じゃない。

 それでも、溶けきれずに残る苦い感情がその存在を主張し続けていた。



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