23 そして、夜戦
キャンディナの瞳が青い光を反射する。
青一色の部屋に立っている彼女は、幽霊のようにも見えた。
栗色のはずの髪も、肌も、唇も、全てが青く照らされている。
その唇が動いて乾いた声を出す。
「私はキャンディナ家を再興しなければなりません。そのためにエルノイは邪魔です。では、彼女を殺そうと考えるのは自然なことですよね。あなただって冒険者だったなら、魔物や盗賊を殺しているはずです。あなたがたとえ殺していないとしても、周囲の同業者はそういうことをしているのでしょう?」
「そうだね」 僕は頷く。「殺した経験はあるよ。魔物も人も」
「では、何故止めるのですか?」
「どうして止めるんだと思う?」
言いながら体を起こす。倒されたままではいざというときに何もできない。
キャンディナは少し考えてから僕を睨んだ。
「倫理観ですか?」
「そんなんじゃないよ。経験、かな」
会話とは別の思考で打開する案を探し続ける。
体は満足に動かない。這って動くことぐらいはできるが、歩くのは難しい。
魔術式を阻害する縄は相当できがいい。今日のために練ってきたのか。構成する魔術式を見れば、洗練具合から努力の跡が見える。
この分では、魔術式は単純な直線を数本作ることが限界か。とても有効な魔術を構築する余裕はない。
「経験ですか?」
「そう、経験だよ。人殺しのね」
笑ってみせる。
あまり思い出したくことでも、語りたいことでもない。
「冒険者が一人前になるのは、齢の数だけ人を殺した時。そういう言葉がシエトノにあってさ」
殺人快楽者というわけではないが、荒事を請け負うことが多い以上そういうことも多々ある。
僕だって盗賊の類は何十人と殺してきた。その中には、死罪は重すぎるような相手だったいた。
「その言葉を借りるなら、僕は一人前だよ。六人前くらいあるかもね。それくらい殺した」
「それが経験ですか?」
「そうさ。さっきの言葉はね、あれは、新米冒険者を戒めるための言葉じゃないんだ。誰かを殺してしまった新米に対して、気に病ませないための励ましの言葉なんだ。冒険者はみんな殺してる、そういう世界なんだ、だからお前も当然のことをしたんだ、ってね。そういう気遣いがないと、普通は耐えられないんだよ、人が人を殺すっていうのは」
まったく平気な人間がいないわけではないが、そんなのは一割もいない。
誰かの人生をそこで終わらせることの重さは、素直に受け止めてしまえば耐えきれない。
「私は耐えられます」
「かもね」
キャンディナの口調が少し強くなる。
僕は話しながら縄の魔術式を必死に解析する。これが解けないことには、どうにもできない。
縄の魔術式を流れる魔力が少し乱れた。それはキャンディナの感情の乱れか。精神は魔力に干渉する。カワチャの言葉を思い出す。
「でもさ、耐えられるって言葉が出るなら、人を殺すことに嫌な感情がないわけじゃないんだよ」
エルノイならば、耐えるなんて言葉を使わないだろう。それが必要なら笑顔で人を殺すことができそうな人だ。
「それが本当にどうしようもないなら、僕はキャンディナさんの味方をするよ。あの時、フェルターを殺してもいいと僕は思ってた。まあ、力及ばすだったけどね」
「どうしようも、ないでしょう。エルノイは魔術士として天才です。あれを超えるなんて不可能です」
「思考が捉われてる。エルノイを超える必要があると思うのはどうして?」
「……それは、家を再興するために」
「ねえ」
言葉をさえぎる。
これが二度目の勝負所だ。
「キャンディナさんは……ミーティクルは、キャンディナ家の再興なんて本当はしたくないんじゃないの?」
縄の魔術式を流れる魔力が乱れる。
魔力が乱れて脆弱な箇所が生まれる。
キャンディナの魔術式質を真似て、式に余計な構造を足す。阻害されているため線を一本足すだけだが、短絡部分を作ることができた。
設計上ありえない過剰な魔力が流れた箇所が崩れていく。同時に縄が消滅。頭の中で展開していた魔術式を、現実に再現する。
「っ、悪あがきを」
「するさ」
冒険者だったんだから、と口には出さない。
うんざりするほど早い雷撃魔術を展開しておいた電気誘導の魔術で背後の壁に逸らす。これなら魔力障壁よりも魔力が消費されない。
こちらが対応したと気付いた瞬間、雷撃が炎弾や力学系の攻撃に変わる。
それらには魔力障壁で対処しながら、ひとつずつ効率のいい魔術に対処を切り替えていく。
対雷撃用の電気誘導魔術の式と、弾丸系に対しては魔力膜を破って誘爆させるための高密魔力弾の魔術式、斬撃や衝撃の力学魔術を相殺する同系統の魔術式、それらを空中に展開したまま必要に応じて接続して魔力を流し込む。
あちらも攻守反転して同じように各種攻撃魔術の式を並列展開して、フェイントを混ぜながらそれぞれを起動させる。
僕もキャンディナも瞬間的な展開ができないわけではないが、これで思考に余裕ができる。
打開するための案がいくつか浮かぶが、そのために必要な魔力量を生成していたらキャンディナの魔術を数十は軽く受けることになる。
魔力が足りない。
それが全てだ。
魔術式の技術は総合してキャンディナが上で、戦闘においての魔術式の運用効率は僕の方が上。
それで押され気味になるのは、魔力生成量が違うからだ。僕が十の魔術を行う時間に、彼女は十五は魔術を放てる。
つまりはこれが実力だ。
記憶の隅に置いていた言葉が、ちりちりと存在を主張する。
「魔術が成るために必要なのは、式と魔力と、もうひとつだけです。もうひとつの正体と、それらに含まれていないものに気づけば、おそらくあなたの悩みのいくらかは解決するでしょう」
思考が、その言葉を記憶から掘り出した。
カワチャの言葉だ。そうだ、魔力不足についてカワチャの助言をもらったのだ。
魔術に必要なものは、何だ? 式と魔力と、もうひとつ。
意思、と考えて否定する。
そんなものが無くても、魔術は働く。刻紋した魔術式は、機械的にその効果を生じさせる。
式と魔力だけで充分じゃないのか?
式を魔力が流れることによって魔術が発動するカワチャが言っていたはずだ。
キャンディナが炎弾に注ぎかけた魔力の流れを変更して、雷撃魔術に魔力を流す。
その変化に応対が遅れた。
舌打ちする余裕もなく、魔力障壁を張って雷撃を弾く。
効率のいい魔力障壁を使わされた時点で一歩負けに近づいた。注意力が落ちている。あるいはキャンディナのフェイントが上手くなった。魔力の流れに滞りがないので、どうしても対処が遅れる。
思考に閃きが走る。
同時に、キャンディナの眼前、空いていた空間に新しい魔術式が描かれる。
細部まで読み取る時間は無い。発光だ。何故か複雑だが。
瞼では防げない。遮光魔術をこちらの目に作る。
あちらとこちらのの魔術が発動。
遮光魔術によって光が遮断される。向こうもこちらが見えないだろう。
動かしにくい足で地面を蹴って、左へ転がる。止まっていては何も見えないまま狙われる可能性がある。
悪寒。そうだ、青だ。
魔力障壁を全力で張ったのと同時に、それに雷撃が弾かれる。正確な狙いだ。僕の居場所を分かっている。射撃角度から向こうが動いた先と思われる場所に反撃の力学系魔術を撃ちこむが、おそらく防がれている。魔力障壁を使ってくれれば御の字だ。
遮光魔術を漏れてくる光が消えていく。相手の発光魔術が消えるか弱まった。それに合わせてこちらも遮光魔術を弱める。
右に移動したキャンディナが眉をひそめて僕を睨んでいた。あちらの勝負手だったのだろう。気づくのが遅れたらやられていた。
発光魔術による光から、青色を抜いていたのだ。その処理のために魔術式が複雑だった。
そして自分の目を保護する遮光魔術に、青色の光を透過させる。もともとこの塔内は青い光しかないのだからそれで見える景色に変わりはない。一方的にこちらの視界を塞ぐ良い手だ。
やみくもに張った魔力障壁による消費は大きいが、向こうも余分な魔術で魔力を消費している。
転がったまま床に手を触れる。塔の内部を流れる魔力を感じた。
閃いた案は、実行可能か。
「魔術に必要なのは、魔力と、式と、もうひとつ」
互いに様子をうかがう状況。体を巡回する魔力が生成された分だけ量を増やしていく。
無意識に口が動いていた。キャンディは意図を推理するように目を細めた。
答えは、つまり、
「流れ、だよ」
水だけでは水車は回らない。
流れることが必要な要素だ。
そして、そこに含まれていないもの。常識としてそこにあるものだと考えていたもの。
魔力が僕を介すということ。
青の三角の塔は、数十人の人間を転移させて、箱庭魔術や精神感応魔術を自動で行う。それくらいに魔力が流れている。
精神は魔力に干渉する。
「何を……!」
キャンディナの攻撃魔術を魔力障壁で弾く。
他の防御魔術式を全て破棄。そこに意識を裂く余裕はない。
塔の内部の魔力を探る。僕の魔力が小川だとするなら、それは濁流のような量だ。
その魔力に干渉しようと意識を向けた途端に、激しい流れに意識が持っていかれそうになる。
全部はとても無理だ。もっと少なく、一割でも多い、一分で充分だ。
魔術式を繋いで、川から水を引くように魔力を誘導する。
途端に魔術式が壊れる。魔力量に対して式が耐えきれない。
「あなた、いったい何をしてる!」
キャンディナが放った複数の攻撃魔術を魔力障壁で弾く。
これで魔力が枯渇した。あちらはまだ残っているはず。
最後の機会だ。
今度は魔術式の式線構造を変える。正六角形の線を七本固めて、周囲に巻き付けるようにもう一本の式を構築する。
強化した式をもう一度塔の内部に繋ぐ。
来た。
魔力石を使うよりも、ずっと異質な感覚。魔力に特徴がついている。
魔力を誘引した式線を、別に構築した魔術式に繋ぐ。
流れを制御する余裕はない。する必要もこの際ない。
式を魔力が流れれば、魔術は発動する。
「っ!」
壊れそうな式をなんとか維持する。
発動。魔力が衝撃波に変換され、キャンディナの対物障壁を貫く。
キャンディナが悲鳴を置き去りに吹き飛んだ。
壁に叩き付けられたキャンディナが崩れ落ちる。
まずい。
強すぎた。
魔術式を破棄してキャンディナに近づく。
「ごめん! キャンディナさん、大丈夫!?」
ぴくりとも動かない。
顔は栗色の髪に隠れている。
治療系の魔術が脳裏に浮かぶ。
膝を地面につけてキャンディナさんに手を伸ばす。
肩に手を触れた瞬間、彼女の腕が跳ね上がる。指先には魔術式。
手首を掴んで逸らさせる。横に振った顔を掠めて雷撃が後ろに抜けた。左頬が痙攣して引きつる。
「……っ!」
その光景を睨みつけたキャンディナが咳き込む。
当たり前だ、壁に叩き付けられて、よく今まで我慢できたと感心すらする。
咳に混ざった水っぽい音と、口の端を汚す濃い色を見て血の気がひいた。
「ちょっと、大丈夫?」
「だい、じょうぶなわけ、ないじゃないですか」
震える声だった。
掴んた左腕から力が抜けていく。
うつむいた顔は髪に隠れて表情は見えない。
「痛い、です。痛くて、苦しいです」
「ごめんね」
「ごめんじゃありません。痛いですよ、ほんとに、痛いです」
声は水分を含んで、揺れている。
細い腕に、小さな体。
少し前まであんなに厄介な相手だったのに、今はこんなに弱々しい。
静まった試練の部屋なら、うつむいたままのキャンディナの、か細い声がよく聞こえる。
「何ですか、最後の。ずるいですよ。あんなの」
「そうかも」
「だいたい、何で、ここまで来れるんですか。それもずるいです」
「うん」
「ずるいですよ。全部。カスタットさんは、ずるいです」
キャンディナさんの左腕をゆっくり下ろして、離した。
魔術を撃つ気配はもうない。両手をついてキャンディナさんは体を起こした。
乱れた髪の下の瞳は、青い光をその水気で反射している。
血に汚れた口元は青い照明の下では黒く見える。
「知ってますか? 私、小さい頃からなりたかったものがあるんです」
「何になりたかったの?」
「冒険者です」
恥ずかしそうな、照れくさそうな微笑みをキャンディナは浮かべた。
「かっこいいじゃないですか。面倒な人間関係もなくて、貴族社会のしがらみとか、家族の都合とかもなんにもなくて、自由で。自分じゃないものは全部関係ない。運と、実力が全て。縛られない。生きるために働いて、遊ぶために働いて。貴族の方がずっと豊かな生活ができるって分かってても、私は、憧れてたんです、冒険者に」
涙は溜まっているのに流れる様子は無い。
それが、彼女の意地のように思える。
「だから、カスタットさんはずるいんです。私が憧れてる冒険者をやっていて、私が憧れた冒険者のままで、私の世界に入ってきて。ずるいじゃないですか。自分のやりたいようにやって、自分のやりたいようにできて、そんな姿見たら、私、惨めじゃないですか」
華奢な肩が震えている。
声も体も泣いているのに、涙だけはせき止められていた。
「やりたくなくても、やらなきゃ駄目なんです。キャンディナ家は、どんなに好きじゃなくても、私の家です。だから、ずっと、勉強して、魔術の才能があると分かったらその訓練をして、家を元の姿に戻すための方法も考えて、でも、それにはエルノイが邪魔で」
「さらに、僕が邪魔になった」
「そうですよ。お節介ばかり、ずっと、最初に会った日も、今日も。なんでですか、味方をするなら、最後までしてくれてもいいじゃないですか。今のカスタットさんとなら、エルノイだって勝てるかもしれません。勝手に助けておいて、なんで、助けてくれないんですか」
「言ったじゃない。自分で。家の再興は、やらないといけないけれど、やりたいわけじゃないって。そんなことのために誰かを殺そうとするのは、見過ごせないよ。お節介なんだ、実は」
「違いますよ。だって、私の欲求は、優先されるべきじゃありません」
「違うよ。欲求は、何より優先されるべきだ」
わけが分からないという顔で、キャンディナは首を振る。
貴族の世界は、僕には分からない。けれど、彼女は多分、ずっと欲求を押し込めてきた。
家の再興という彼女には何の責任もない重荷を押し付けられて。
キャンディナの腕を取って引き寄せる。
困惑する体は、軽い。美容などではない。やつれているからだ。
できるだけ優しく、その体を抱きしめた。柔らかくて、薄い体だった。
「あ、あの、カスタットさん?」
「やっぱりさ、おかしいよ。だって、それじゃあ、誰がキャンディナさんを一番大事するの? 自分が自分を大事にしないでどうするのさ」
キャンディナさんの息が肩に当たる。
顔は見えないかわりに、つむじが見えた。
「エルノイのことだけじゃないよ。キャンディナさん、自分の人生を自分のために使ってないよ。小さい頃から冒険者になりたかったんだよね」
「……うん」
「自由に憧れてたんだよね」
「……そうだよ」
「家から解放されたい?」
僕の腕を、キャンディナが強く握った。
顔を押し付けられた首元に、熱い液体が触れる。
「されたいよ。もう嫌だよ。もう、疲れたよ」
嗚咽のような声。彼女らしくない、けれど、本当は一番彼女らしい声なのだろう。
その背中を軽くたたく。
「いいよ、解放されていいんだよ。嫌だって言ったって、休んだって」
「そういうこと、言わないでくださいよ」
それからしばらくキャンディナは泣き続けた。僕はその背中を、あやすようにずっと叩いた。
子供みたいな泣き方は、彼女が泣き慣れていないことを想像させた。泣かない子だったわけではないだろう。泣かない子であることを求められただけだ。
泣き声がやがて寝息に変わった。
小さな子供みたいな寝顔だった。
「おやすみなさい」
小さく呟く。
少し痛んでいる髪をそっと撫でた。
そこで足音に気づく。
「すっかりいい雰囲気ですねえ」
子供がからかうように、にんまりとエルノイが笑っていた。