22 そして、試練
三〇階の試練を終えて、息を吐く。
試練の内容はジャールに聞いていたし、今の僕なら充分にできると思っていたけれど少し疲れた。
何よりこれから先のことが不安だ。
一度キャンディナから聞き出して、またジャールから教えてもらったことだが、塔の試練は三〇階から先はそれまでとは程度が違うらしい。
三〇階までは式の技術だけを試している。それはそれで僕なんかには大変な難しさだったが、三一階からは別のものが試される。
ルルティアは僕が六〇階以上までたどり着くことを無条件に信じていたみたいだが、正直なところは確信がない。けれど、自信がないわけでもない。
三一階から試されるのは、要は魔術式の使い方だ。ある問題が与えられた時に、それをどう解決するか。
目を閉じて数分休憩してから、次の階に進む。
まだキャンディナの精神支配下にある学生はいるはずだが、すでに彼らでは辿り着けない階数にまで来ている。警戒を緩めてもいいだろう。
三一階の試練はジャールに聞いていたものとは違った。そういう仕組みらしい。ここからは答えを先に知っていては試練にならないということだ。
入力できる魔力量と、出力したい現象が与えられ、それを実現するための魔術式を組んでいく。
新しく魔術式を作るのはどちらかと言えば得意分野だ。問題なく攻略できた。
それからしばらく同じような試練が続いた。
与えられる条件に周囲の環境や数的な処理が加わって組むべき魔術式は複雑になるが、どれもなんとか攻略することができた。うなり式の探査魔術や、他にいくつか独自の魔術式を作った経験が糧になっている。
そして四一階にたどり着くと、また少し変わった試験になる。
今度は少し具体的な事例が与えられる。今までは与えられていた条件を、問題を抽象化して自分で作らねばならなくなった。
「……痛っ」
四六階の試練を終えて歩き出した瞬間、頭痛が走った。その事を意識した瞬間、頭の疲労を急激に実感する。
集中が切れた。
疲れるのも当然だ。三〇階までの疲労も大きければ、そこから今まで思考を走らせ続けた時間も長い。
好機と見たのか空腹も存在を主張し始める。体内時計を信じるならすでに正午はとっくに過ぎている。
懐から用意しておいた飴を取り出して口に放り込んだ。くどいくらい甘いが、頭が回ればそれでいい。
五〇階の試練を達成して、壁によりかかった。
ひとりでいるせいもあるのか、意識がかすみそうな程眠い。
目を閉じればどこまでも落ちていけそうだ。
それに任せて落ちていく。
今は眠らないといけない。
* *
グラスを鳴らしたような音がシエトノでよく歌われる歌の旋律を奏でる。その音で目が覚めた。時限式の魔術はきっちり三時間で発動するようになっている。
冒険者時代に作った目覚まし魔術を使ったのは久しぶりだ。
「行くか」
頭はいくらかすっきりした。
五一階から先はひとつひとつを気をつけなければならない。
キャンディナの言葉を借りるならば、ここからは演習だ。五〇階まではただの練習で、基礎的な訓練をしていただけ。五一階からは魔術を使って問題を解決する総合力が問われるそうだ。それに少し楽しみでもある。
五一階の床に乗ると、失敗した時のような浮遊感に襲われる。空間転移だ。それも、ただの空間転移ではない。
転移先は、だだっぴろい草原だった。周囲の全てが地平線まで見渡せる、岩や木も無い草原。
こんなに広く豊かな草原が、誰の手にもついていないわけがない。つまり、これは現実ではない。
「これが、箱庭魔術か」
元いた場所とは位相が違う所に作られた、試練のためだけの空間。空間系の魔術としては最高峰、青の三角の賢者でも使用者が少ないという。世界を作るという意味では宗教で語られる神々の御業と変わらない所業だ。
感動していられる時間は短く、すぐに試練の内容が想起される。ある一定量以下の魔力量で、この草原の草を全て死滅させる、ということだそうだ。
五一階からはこうして具体的な課題を実現するために魔術式を組み立てることが試練となるらしい。
試されるのは分析力と発想力。
燃やし尽くすのは論題だ。魔力量が足りない。探査魔術を使ってこの空間の広さを調べると、思っていたよりも小さい、円柱状の空間だと分かる。地平線だと思っていたものは空間の端だったようだ。
上を見ると太陽が輝いている。熱と光を再現しているだけだろうが、地上から見れば本物と遜色ない。
太陽の光を集めて熱で草を殺すことを思いつく。光を集めるだけなら魔力もそれほどいらない。
実行する前に脳内で軽く試してみて特に問題は発生しなかった。
力学系魔術を空に使って、空気のレンズを作る。複雑な魔術式を実際に構築することは半年前にはできなかっただろう。今まで思いついていてもできなかった魔術が、今なら実現できる。
光をねじ曲げたので周囲が暗くなる。焦点となった範囲で草が急速に乾燥していき、発火するまえに効果範囲をずらす。消費した魔力量から計算すると、課題は充分に達成できる。
問題なく草を枯らし尽くすと、再び転移魔法の感覚。
青の三角の塔に戻っていた。
今までの階よりも疲労はするが、手応えはある。この形式なら躓くことはないはずだ。
五二階では夜空に浮かぶ星までの距離を求めさせられた。
五三階では海の底の岩を取ってこさせられた。
五四階では雨を降らさせて、五五階では音を拡散させずに届けさせられた。
これは確かに苦労しそうだ。魔術だけでなく、自然科学や幾何学の知識や発想が必要になる。日頃観察している赤の学生の様子からすると難しそうだ。ルルティアあたりは僕より頭が良いと思うけれど、魔術以外の知識が薄いし、問題解決のために魔術を組んだ経験も浅い。
六〇階の試練、船が受ける水の抵抗を半減させるという課題を達成して、次の階に進む。
残っていた飴を口に放りこんで、少し警戒を強めた。
もうキャンディナさんの到達階数に近い。どこにいてもおかしくない。
六一階の試練は、聞いている話では再び魔術式の技術をためされるらしい。
試練の間に入るが誰もいない。
試練の内容が書かれた文字を見て、首をひねる。
「式線構造?」
式線というのは、魔術式を描く時の線のことだ。その構造、というのは考慮したことがない。
言われて確かにそこに工夫の余地があることに気づいた。
覚悟を決めて黒い床に乗る。
一階と同じように魔術式が想起されるが、単純な構造だ。一瞬見としそうになるが、複雑であったことに気づく。式の線が一本ではない。二本一組をより合わせたような形が八組、それらがまとまって一本の線になっている。
慎重にそれを再現する。やったことはないが大丈夫だ。
おそらく基礎の基礎だ。魔術式を描く線をさらに複雑にするということを学ばせるために、魔術式は簡単で、線の構造だけが次々に違うものを求められる。
さきほどのより線を始め、筒型、二重筒型、蜂の巣型、三つ編み、四つ編み、さらにそれらを組み合わせた名前をつけられない複雑な形。
「……っ!」
慣れない作業に頭が熱くなってくる。冷ますように息を吸って、集中しなおす。
二四個目のそれをなんとか模倣すると、次の階への扉が開いた。
「……まずいかな、これ」
おそらく、次の階は式線の構造を複雑にして、さらに複雑な魔術式を構築することが課題になる。
数週間練習すればできるようになる自信はあるけれど今はまだ慣れていない。
廊下を進む。最後の飴を口に入れた。
青色にぼんやりと光る廊下を進む内に、その先から魔力の気配がすることに気づいた。塔の建材が魔力を吸収するため気づくのが遅れたが、少し肩の力が抜ける。
覚えがある魔力波長。
入学試験に合格したその日に出会った、同期の学生の波長。
試練の間の入り口で立ち止まる。黒い床を中心にして対称の位置に立っているのは、子供のような背丈の、栗色の髪の少女。
「こんばんは、キャンディナさん。また横槍に来たよ」
今度は加害者の立場になったミーティクル・ウィン・キャンディナが、僕をじっと睨んで魔力を生成し始めた。
* *
「色々と聞きたいことはありますが、私の邪魔をしに来たということですか?」
キャンディナが僕を睨む。
その後ろにはフェルターが座らされている。俯いて表情は見えないが微動だにしない。意識がないようだ。
「僕は、キャンディナさんにエルノイを殺そうとさせないし、フェルターを人質に何かを強制するようなことをさせない。それを邪魔と言うなら、その通り」
「安心してください。もちろん、私はエルノイを殺す気なので邪魔をしています」
「そっか、残念だよ」
八条の雷槍が顔の前で弾ける。速い。魔力障壁がぎりぎり間に合って、いない。左肘に痛み。
顔面狙いは陽動で、末端を狙ってきた雷撃を弾き損ねてかすった。
魔術式はほとんど視認できなかった。すでに消えている。
この半年で戦闘用の魔術がずいぶん上手くなった。エルノイを殺すことを最初から考えていたのか。
昔の僕なら受けることすらできなかった。
「やはり、実力を隠しいたんですね」 キャンディナが言う。「ここに来れるということは、そういうことですが」
「隠してたわけじゃないさ。使いたくなかったんだ、これは不平等に得た技術だから」
「不平等?」
「式技術を、エルノイに植えつけられたんだ。完全に再現できているわけじゃないけど、数割真似られるだけで三〇階を越えられた」
「馬鹿ですね、そんなこと気にせずに使えばいいのに」
キャンディナが口元を歪ませる。
「私は何でも使いますよ。赤の学生も、フェルターも」
「よく覚えたものだね、精神支配の魔術なんて。噂でしか聞いたことがないよ」
「便利ですよ。赤の学生を……私を殺そうとしていた者も意のままに操ることができて、多勢を使ってフェルターを捕らえることもできました」
「生きてるんだよね、彼は」
「精神支配には抵抗されたので、眠ってもらっています。私の魔術では、抵抗の式も組めない人しか操れませんから」
それが、魔術士として程度の低い者だけが失踪した理由か。
魔力を生成しながらキャンディナの様子を窺う。無表情な彼女の魔力は安定している。僕よりも量は多い。
「エルノイを殺して何になる、なんて言っても無駄なんだよね」
「青の三角内のことは治外法権ですからね。憲兵が入れないということは、公的に私を罰することはできません。青の三角で主席卒業をすれば私の地位はどこまでも高く伸ばせます。ディアリルム家の敵対派閥を味方にできれば、罪は全て消え去ります。ここはそういう国です。
エルノイが邪魔なんです。彼女がいる限り、主席は絶対に得られません。それくらい貴重な才能の持ち主です。ですから、殺します」
「それをさせたくないから、僕はここに来たよ」
「どこまでもお節介な人ですね」
魔力障壁を展開。お決まりの雷撃を弾く。
こちらが放った衝撃を込めた魔力弾も、あちらの魔力障壁に着弾して弾けた。
散った魔力に反応して、キャンディナの足元から地面を伸びる魔術式の線が強く輝いた。
悪寒。
横に跳びのくと同時に、足元に展開されていた魔術式から魔術の縄が伸びて宙を踊った。
キャンディナの死角となった右のポケットから銅貨を取り出し、力学魔術で弾きだす。
弓矢くらいの速度のそれはキャンディナの数歩前で静止した。高度な対物障壁だ。称賛すべきは反応速度。冒険者のような反応は貴族には不釣り合いなほど速い。
息をつく間もなく、キャンディナの眼前に魔術式。横なぎの雷撃魔術。反射的に魔力障壁を張って、直後横に跳ぶ。弾き返された銅貨が肩をかすめて背後の壁に当たる金属音。さらに雷撃が障壁に弾かれる。障壁に魔力を消費させられて貯める時間がない。
強い。速い。
エルノイの式技術の速度でなければとっくに追いつけていない。今はわずかにこちらが劣る程度。こちらが魔術式を実戦的に簡略化している分、実質的な速度で言えばむしろ上回っている。
互いに魔力障壁と対物障壁の魔術式は常時展開し、必要に応じてそちらに魔力を繋ぐように場が変化。
式展開から着弾まで一秒に満たない速度でせまる攻撃魔術に対して、最小限の魔力をどちらかに注ぐ。相手にはできるだけ魔力を損失するように工夫して攻撃魔術を放つ。
攻撃魔術の式がめまぐるしく構築されては変化、破棄、再生して相手へのフェイントをかける。見切らせなければ、防御の損失が大きくなる。
逆に読み切れば、障壁をつかわず最小限の魔力でかわすこともできる。その技術の引き出しはこちらの方が多いが、魔力量自体があちらが有利だ。
総合して、押されていた。
最大限の量の魔力を生成し続けているが、余剰魔力は減り続けている。じり貧で、このままなら負ける。
そのことに相手が気付く前に防御の一手を放棄して勝負にでる。
雷撃が肩に直撃して体が跳ねる。加護を込めた外套を越えて、肌が焦げた匂いもする。
意識だけは飛ばさない。組んだ三つの魔術式は、僕の魔術戦での切り札。
ひとつは遮光魔術。
もうひとつは発光魔術。
最後に本命の攻撃魔術だ。
三つの魔術式の発光を遮光魔術式で隠し、発光魔術で雷撃魔術式を偽装する。
視認頼りの魔術戦では、これはまず騙される。
発動。
意識を保てるかが勝負だったのだ。
これで勝ち。
放たれた攻撃魔術がキャンディナの意識を奪う、ことなく対物障壁に弾かれた。
「は?」
間抜けな声が漏れる。
足は逃げ出すために動こうとするが、しびれてもつれる。
わずかな余剰魔力で魔力障壁を展開。それを貫いた雷撃がさらに着弾。体が跳ねる。
激痛が走り意識が霞む、が、先ほどよりはましか。
「……今のは、際どかったですね。防いだ自分を褒めたくなります」
こちらが無力化できたと確信したのか、キャンディナがそう言った。
甘い、と考えたこちらが甘かった。言葉に意識を取られてしまった。
魔術でできた縄が蛇のように僕の脚に巻き付いて地面に縫い付けている。魔術式を阻害する効果のおまけつき。
「むしろ、なんで防げたのか聞きたいね」
「あなたが馬鹿だからです」
キャンディナが蔑むように言った。
ゆっくりとこちらに近づく。
「私は馬鹿じゃありませんから、あなたが防御を放棄して勝負に出たことに気づきます。注意深く様子を見れば、あなたの魔術式が一瞬おかしな挙動をしたことに気づきます。とすれば、行われるのは魔術式の隠蔽です。
では何の魔術を隠したか。連想は簡単です。あなたは私を助ける際に二度、それを使っている。
つまりは、音響魔術なんでしょう。指向性を持たせた」
「ご明察」
苦笑いが出る。
まったく、失敗した。キャンディナを甘く見ていた。二度見せてはいたが、その正体に気づかれているとは思わなかった。
あの魔術は奇襲にこそ価値がある。正体がばれているなら対物障壁で充分に防げる魔術だ。
「どうやって指向性を持たせたのか、素直に感心します。私には思いつきません」
「大したことじゃないよ」
苦笑しながら活路を探す。
少しでも時間が欲しい。会話に付き合ってくれるなら御の字だ。
「超高音の波は直進性が高いってことに気づいて、後はそのうなりで音波を再現すればいいって思い付いただけ。
秒間二〇〇回の振動と、二〇二回の振動を合わせれば秒間二回振動する低い音を作れる。後はそれで、人の三半規管に効果的な音域を作るだけ」
「大したことだと思いますよ。少なくとも私には思いつきません」
足を縛る縄を外したいが上手くいかない。こうした魔術構成物は魔力を過剰に注げば壊れるのが常識だが、そのための魔力が僕には足りない。
「それにしても」 キャンディナが言う。「よくここまでたどり着きましたね。式技術をエルノイに教わったとしても、それで到達できるのは三〇階まで。そこからはまた違うことを試されるものですが」
向こうから会話をしてくれるならありがたいことだ。
遠慮なくそれに付き合いながら打開策を考える。
「要は、問題を魔術式に置き換えることができるか、その全体図を細部まで考えることができるか、だからね。描く技術を試されてた三〇階までの方が難しかったくらいだよ」
「……羨ましいです」
キャンディナが微笑む。
「私は、三〇階までが一番簡単でした。そういう能力が無いんでしょうね。与えられた式を作るのは得意でも、自分で考えるのは苦手です。
これは、どちらかといえば下の仕事です。私が目指すのは社会の上位の地位なのに、です」
「それは、でも、これから身につければ」
「それだけじゃありません」
キャンディナが首を振る。
それから泣きそうな顔で僕を見た。
「ねえ、カスタットさん。エルノイを殺そうとするのはそんなに悪い事ですか?」
痛々しい声は塔の壁に吸収されて、一切反響しなかった。