20 そして、急転
絵を描いている。
リヴァージュの中央広場は休日ということもあって賑わっていて、その喧騒を眺めるように少し離れた位置から蝋絵具を使って。
軽食を売る屋台や、歌や楽器を奏でる人達、はしゃぐ子供達や、時たま見回りをする都市衛兵。
動き回る彼ら彼女ら老若男女を、一枚の絵として写していく。
思考の映像処理力向上のために始めたことだが、今ではそれなりに楽しい趣味になってきた。
「へえ、上手いもんだな」
後ろから声をかけられた。
振り向くと、壮年の冒険者が感心したように絵を眺めていた。
リヴァージュに来て最初に出会った、最初に戦った男だ。名前はカリヴァ。
「どうも」
「おう、久しぶりだな。この前は助かった」
カリヴァが笑う。
しばらく前に会った時に、カリヴァの武具の加護の修理をしたことだろう。
冒険者をしていた頃から小遣い稼ぎにそうしたことをしていたので、大したことではない。
「後ろの人は、例のチームを組んでいる人?」
カリヴァの後ろで所在なさ気に僕の顔を見ていた女性に目を向ける。
こちらも冒険者だろう。背にした魔弓はずいぶん高価そうな物に見える。カリヴァは大げさにため息を吐いて首を振った。
「いいか、そういう時はな、恋人ですかって聞くもんだ」
「聞かなくていいし、あなたの認識は正しいわ」
カリヴァの冗談を冷たくあしらいながら、その女性の目が細められる。
値踏みされている。冒険者らしい、遠慮のない視線だ。
「あなたが噂のカスタットね。腕利きと聞いているわ」
「今は冒険者は休業中ですけどね」
「勝手に非公式な依頼を受けていたカリヴァを倒したんだってね。しかも青の三角に合格とはね。はっきり言えばお近づきになりたいから、こんなので良ければ仲良くしてあげて」
こんなの、と示すように女性はカリヴァの背中をどんと押した。
遠慮の無いように見えて、利益を生みそうな相手には当たり前のようにお世辞をつかってくる。まだ青の三角に入って半年だというのにこういう冒険者らしい空気は懐かしく感じる。
「しかしまた奇特な趣味をしてるんだな」
カリヴァが言った。動機を説明するのも面倒なので、曖昧に笑って誤魔化す。
それから絵を描きながら二人と話をした。冒険者ギルドや情報屋と縁が遠くなっているので、業界の事情にうとくならないよう者事情は気になるようで、主にそのあたりの情報交換だ。
「ほーん」 カリヴァが間の抜けた相槌をうつ。「その海底遺跡ってのはどのくらいの魔界なんだ?」
「場所によるね。新人冒険者の腕試しになっている場所もあれば、天元級が帰ってこなかった場所もある。魔界化が浅い場所でも、遺跡自体の罠とか防衛機構が一等級を何人も殺してる」
「防衛機構?」 女性の方が聞き返した。
「一般には古代兵器って呼ばれてるね。大抵鋼鉄でできていて、魔力とは別の動力で動く絡繰り。生体反応も魔力反応もないから感知が難しくて、おまけに強いやつなら一等階級くらいの脅威。
ま、その分金も手に入るから、冒険者が絶えないんだけどね」
「天元でいえば"神鳴りの弓"、"逆さ走り"、"蛍火"の三人、一等階級でも有名どころが多いわな」
懐かしい名前だ。シエトノにいたころは、彼ら彼女らのうわさ話は毎日のように聞いていた。
魔物の大型討伐依頼なんかを受注すると、遠目にでも見ることがあったが、あまりの実力差に圧倒されてしまった。あの感覚は、今思い出すとエルノイと対峙した時に似ている。
「天元級と言えばよ」
カリヴァが思い出したように言う。
「"炎撃の極み"のハルシュトムが、最近殺されたらしい。毒殺だそうだ」
その知らせには、少なからず衝撃を受けた。別に面識もないが、魔術士の冒険者としては頂点近くに君臨していた有名人だったからだ。
竜や大型魔物討伐を専門にしていたはずだが、殺されたのか。しかも、毒殺。
「毒殺って、どこの誰に」
「特に誰かに恨まれる立場でもないはずだが、問題はそこじゃない」
カリヴァの声が少し低くなった。
「毒物の方だ。仮にも天元級の魔術士が毒殺されたんだ。解毒系の魔術が効かないんだろう」
「毒殺って言われてるなら、毒物の方も検出されたわけ?」
「レシピ付きでな。毒呪士サールの署名がしてあるそうだ」
「うわ、最悪だね」
毒呪士サールとは、今世紀最悪の殺人者のひとりだ。
名前以外はいっさい不明。サールと言う名前も本名ではないだろう。
数年に一度、サールは新作の毒物で殺人を起こす。今回のように大物ひとりを狙うこともあれば、大量虐殺を行うこともある。
そしてその際使用した毒物のレシピが、サールの署名付きで出回り始めるのもいつものことだ。
サール自体の殺人も問題だが、出回ったレシピで派生して行われる殺人もしゃれにならない数になる。サールの動機が分からないため、最悪の愉快犯という評価を受けている。
「比較的簡単な合成方法らしくてな、材料の販売中止や、誰に販売したのかの情報を集めたりしている」
「リヴァージュでも数件販売されたものがあるらしいわ」
女性が補足の言葉を継いで、それから意味ありげに僕を睨む。
「購入者は貴族風の少年少女。あなたと同じくらいの年恰好だそうよ」
「……なるほど」
この街で貴族の少年や少女といえば、十の内、八か九は青の三角の学生だ。
キャンディナのこともあり、平和な場所とは言えないあそこと毒物はあまり組み合わせたい要素ではない。
もちろん、別の用途に使用する可能性の方が高いけれど。
「まあ、どこの世界も油断はならないってな。気をつけるにこしたことはないだろ」
カリヴァはそう言って肩をすくめた。
* *
カリヴァ達が去ったあと、絵を描き終えたのは正午を過ぎてしばらくの時間だった。
完成した絵は欲しがった子供にあげてしまって、それからどこかで昼食をとろうと思い、店を探して街を歩いた。
都市の裕福さをしめすように整備された石畳の道を馬車が通るのでわきによける。避けた先は少し高そうな料理屋の店先で、入口から中の様子が見えた。そこに見知った顔を見つける。
つまらなそうな顔で食事を口に運んでいるのはミーティクル・ウィン・キャンディナだ。一人ではないようだが、対面する席は柱の陰になってよく見えない。
「うるさい! 知ったようなことを言わないで!」
目を離しかけた瞬間、キャンディナも怒鳴り声。彼女は卓に手をついて立ち上がると、対面する誰かを睨みつける。
「もう帰って……!」
震えるようなその声は店先にもかすかに聞こえた。
こうなってくると気になる。立ち止まって様子をうかがっていると、キャンディナは懐から財布を取り出して、いくらかを置いた。
それから何かを言ったようだが聞き取れない。
キャンディナはその席から踵を返して出口に向かってきた。
当然、そこにいる僕と目が合って存在に気づく。
「……は?」
「や、こんにちは」
背の低いキャンディナが見上げるように僕を睨む。
舌打ちの音。
何も言わずにキャンディナは横を通りすぎる。
それから彼女は迷うように街を歩き続けた。裏路地から大通りを渡り、大通りから細い路地へと入り込むことを早足で繰り返す。
高い建物に挟まれた暗い細路地で立ち止まると、キャンディナは深くため息を吐いた。
ゆっくりと振り向く。
「それで、どうして変質者の真似事を? それとも本物ですか?」
放たれていた雷撃魔術が顔の横で余韻を残していた。
静電気で逆立った産毛や髪の毛が肌を粟立たせる。
「偽物だったら洒落にならない威力じゃない?」
外したのではなく、直撃する進路だった。
咄嗟に受け流す障壁を張っていなければ意識くらいは失っていたかもしれない。ずいぶん苛立っているようだ。
キャンディナは表情を変えず、固い声で返す。
「ですから、今、尋ねています」
「まあ、後ろをずっと歩いてたんだから、偽物とも言いにくいかな」
「では問題ありませんね。とても、大変、大いに、目障りでした」
きつい物言いに愛想笑いを返す。
魔術を撃ってくる気配がないのが救いだ。
「何故追って来たんですか? 用があるなら話しかければいいことではありませんか?」
「取り立てて用もないんだけどさ。しいて言えば心配になったというか」
「別に心配される覚えなんてありませんけど」
「泣いてたくせに」
無表情を貫いていたキャンディナの顔が、かっと赤くなる。
そう。店を出る時に彼女は泣いていたのだ。
魔力が膨れ上がったキャンディナの前に雷撃魔術の式が浮かび、こちらの放った圧縮魔力に砕かれる。
キャンディナが顔をしかめる。
「関係ないでしょう、あなたには」
「関係ないよ、僕には。けど、それは心配になったことと関係ない」
「本当に、人の話を聞かない人ですね」
「それじゃあ、話を聞かせてくれないかな。誰と食事をしていたの?」
キャンディナはしばらく魔力を循環させてから、それを収めた。
険しい表情だ。一応、どちらか言えば味方なのだけれど。
囁くようにキャンディナが呟く。
「家の者です」
「家って、キャンディナ家?」
「そうです。様子を見に来ただけです」
「そんなふうには見えなかったけど」
何故キャンディナが怒鳴る必要があって、何故泣く理由があったのか。
しかし彼女はそれ以上答えない。話を変えよう。
「ところでさ、サールの新作の話は聞いた?」
「サール……? ああ、あの毒呪士のですか。一応、耳には入っています」
「この街の貴族が材料を買ったらしいよ。まあ、そのためとは限らないけどさ」
「……そうですか」
キャンディナは地面に視線を落としてしばらく黙り込んだ。
何を考えているのか分からない。
「カスタットさん」
彼女が僕の名を呼んだ。
いつの間にか僕の方を見ている。
「何かな」
「フィユのこと……お願いしてもいいですか?」
「どういう意味で?」
やはり答えずに、キャンディナはじっとこちらを睨む。
瞳はわずかに揺れている。その真意は掴めない。
「あの子、男性は苦手でも、あなたのことは信頼しているみたいですから」
そう言うと、キャンディナは背を向けて去って行った。
今度は追いかけることはできない。拒絶の意志を感じる。
「フィユのことをお願い……?」
キャンディナの言葉を反芻する。
前後する言葉を推測する。
「私が死んだら、ってことか」
それはあまり愉快な考えではなかった。
* *
数日後のことだ。
大きな事件が起こった。
赤の学年の人間が、大勢行方をくらましたのだ。
「ミーティクルさんもいないようですね。それにフェルターも」
近づいてきたルルティアがそう告げた。
異変を確認するために赤の学年の学生は食堂に集まって、情報を整理している。
主だって指揮を取っているのは、一大勢力であるエルノイの派閥だ。派閥に属していない僕やルルティアは食堂の隅にいる。
ジャールは少し離れたところで友人と真面目な顔で話している。エルノイ達が集まっている場所からとぼとぼと歩いてくるフィユの姿が見えた。
「ミティのこと、報告してきました」
焦燥した顔でフィユが言った。
「何か分かった?」
「分かっているだけで四〇人以上が消えたみたいです。男女や、派閥に偏りもないようだ、とのことですが」
「だいたい二割か。派閥に偏りもないなら、キャンディナさんを狙った事件というわけでもないのかな」
ルルティアが首を振る。
「別々の件がひとつに見えているという可能性もあります」
「どちらにせよ情報が足りない」
「何だというんでしょうか、いったい」
ため息はルルティアのもの。状況が不明過ぎることも合わさって、つられてため息を吐きそうになる。
赤の学年でも第二位と三位であるキャンディナやフェルターまで失踪しているなら、何者かの誘拐等ではないということか。自分の意思でいなくなったとするなら、どういうことが考えられるだろうか。
すでに帰りたがっている学生も食堂には何人もいる。時間を無駄にしたくないのだろう。その気持ちは充分に分かる。
「まったく、何だというんですかねえ」
背後からの声に振り向くと、予想通りエルノイが立っていた。
黒髪のしたにはいつもどおりの余裕の微笑み。
「あなたには、分かっているのではありませんか?」
問うたのはルルティアだった。
エルノイはきょとんとした顔を少しだけ傾けた。
「予想は立てていますが、分かったとはいえないですね」
「どんな予想ですか?」
「二人の例外を除いて、いなくなったのは魔術士として程度が低い人達ですからねえ。この場合は、フェルターとミーティクル、その他大勢と三つにわけて考えてみるべきで、そうすればひとつの仮説が立てられます」
そもそもどうしてエルノイがここに来ているのか分からなかったが、話す内容は興味がわく。
気づけば僕やフィユやルルティアが、教師の言葉を待つようにエルノイに注目している。
「『あなたを殺せば私が一位になれる』、というのはいつかミーティクルさんが私に言った言葉です」
朝の勤め舎であったことだろうか。二人が対峙していた場面を思い出す。
それを聞いて、エルノイはたしか笑っていた。
「私にとってフェルターが大事な存在というのは少し調べれば分かることです。これは、つまり、果たし状というやつですね。フェルターは人質のつもりなのでしょう」
エルノイが楽しげに笑う。
フィユがかすかに後ずさりをする気配がした。
「まあ、あくまで予想ですけどねえ」
間延びした口調で言いながらエルノイの視線が入り口へ滑る。
慌ただしく食堂に入ってきたのは、赤の学年の学生だった。周囲を見回してエルノイの姿を見つけると同時に駆け寄ってくる。
「エルノイ様……!」
自然に様という敬称をつけられるエルノイは少し離れた位置に移動して話を聞き始めた。
何か紙を渡されたようで、それを見るとエルノイは微笑む。
それからこちらに振り向いた。
「私の予測は、よく当たりますねえ」
「なんて書いてあったの?」
「差し上げます」
エルノイは紙を僕に手渡した。
ルルティアとフィユもわきから覗く。
「『ビズリアス家の者はすでに手の内に。ディアリルム家の者もすぐに墓の中へ』」
読み上げると、エルノイが補足する。
「私の部屋の前に置いてあったそうです。まったく、楽しみなことをしてくれますね」
「どうする気?」
「それは私に尋ねることではありませんね。ですが……」
エルノイの視線がまっすぐ僕を貫いた。
黒い瞳からは感情が読み取れない。
「一日だけ待ちましょう。あちらも、それが限界でしょうし」
「待つ?」
「明日の夜には、私も行動を始めます。何をするにもそれが期限ということです」
楽しげにそう言うと、エルノイは自分の派閥の方へ去っていった。
しばらくしてからその言葉の意味に気づく。彼女がわざわざここに来た理由も。
キャンディナ家の問題に首をつっこむかもしれないのが、僕らしかいないのだ。
「ミティ……」
フィユがかすれた声で呟く。
「難しい問題になりましたね」
ルルティアがこちらを見ながら囁いた。