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魔術士は求む者  作者: 土月 十日
一章 赤・七選・塔の夜戦
20/44

18 そして、不穏


 青の三角に入学して、すでに半年近くが経った。

 当然色々なことが起こったが特筆するとしたら到達階数の順位の変動だろう。

 赤の学年二一五人の中で、特に卓越した階数を記録する三人が既に七選に確定しているものとして見られている。


 一人は当然のことながらエルノイ・ウィン・ディアリルム。彼女の到達階数は二〇〇という、もはや笑える数字にまで数を増やしている。それも、三か月も前のことだ。それ以降数字に変動は無い。赤の学年の平均到達階数は、自分で計算をしたわけではないがおよそ一七階らしいことを考えれば彼女ばかりは何があっても七選に確定しているだろう。

 第二位、フェルター・ウィン・ビズリアス。彼は六八階だ。これも突出した数字だ。

 そのフェルターに唯一肉薄しているのが、六二階の、ミーティクル・ウィン・キャンディナだった。

 第四位以下が三〇位代で団子になっていることを考慮すれば、三人を纏めて卓越していると評していいはずだ。

 知り合いで言えば、ルルティアが三〇代の団子の中にいて、フィユは僕と同じ二四階だったはず。

 そして、もうひとり。


「ああ、ちくしょう! できるか!」


 隣の机でジャールがそう奇声をあげた。

 すでに今日の夕食を済ませた後の自室は、相変わらずジャール主導の掃除のおかげで綺麗なままだ。

 ただ、珍しく机の上が煩雑としていた。

 書籍やノートがいくつも広げられ、その状態が数日続いている。


「ジャール、うるさい」

「ああ、すまん」


 自分の状態に気づいたジャールは慌てて謝る。


「しかしなあ、意味が分からんぞ。空間跳躍ってのは、理屈でやるとこんなに難しいのか」

「他次元系はねえ」

「観測も操作も複雑すぎる」


 縦、横、高さのいわゆる三次元空間を貫く、他の次元要素は確かに難しい。

 そういうものがあるということすら、青の三角に来なければ知ることもなかっただろう。

 空間に関する縦横高さ以外の次元、物体と精神それぞれの質量という次元、あるいは確率密度の次元。

 異能感覚という才能の持ち主は理屈抜きでそれらの次元に何らかの関与ができる。例えばフェルターなら空間を四次元以上のものとして捉えることができ、キャンディナならば感覚質を魔術で操作する方法を直感的に知っている。

 ジャールが行っているのは、他次元に関与するための魔術式を理解することだ。


「何でお前はこんなのが理解できるんだよ」


 恨めしそうにジャールが僕を睨む。

 どうにも魔術式を理解することが僕には向いているらしく、その点では赤の学年でも上位に入ると自負している。

 式の意味くらいは、読み込めばなんとか理解できる。


「僕は何でジャールがそんなに魔術が上手いのか聞きたいけどね」

「そう言ってもなあ、式技術なんて本質じゃないだろ」

「あっはっは、今、敵をたくさん作ったよ」


 赤毛の同室、ジャール・カルノルはなんと堂々の第七位の到達階数にまで上り詰めていた。階数は三四。立派に七選争いのただなかに位置している。

 彼は、何と言っても式の技術が優れている。処理能力が高いのだろう。式の技術を試される三〇階までは難なく制覇してしまった。


「お前は相変わらず立体魔術式か」


 ジャールが首を後ろに倒しながら言った。集中力が切れたのだろう。地味に迷惑だが、会話につきあうことにする。


「どうにも苦手だよ。平面はだいぶ上手になったと思うんだけど」

「立体はなあ、現実には中々使わないうえに、確かにコツがいるわな」

「複層構造でも苦戦したくらいだからねえ」


 あ、駄目だ。僕も集中力が切れてしまった。

 首を回してこりをほぐす。


「あー、もう、才能が欲しい」

「金で買えたら糸目はつけねえのに」


 ジャールすら現実逃避に乗ってくるのだから、二人して疲れているのだろう。

 椅子から立ち上がると、ジャールが不思議そうに見てきた。


「どうした」

「気晴らしに食堂の魔力石補充してくる」


 安物のローブを羽織って外に出る。

 この辺りは夏も終えてもう涼しくなってきた。夜にはすこし肌寒いほど。

 魔力灯の青白い明かりに照らされた廊下を歩いて、それから階段を下る。何人かの同期生とすれ違ったが、特に会話はない。半年前の、キャンディナに加勢した一件の噂は充分に広まったようで、僕はあまり好まれない。今のところ、特に嫌がらせは行われていないのが幸いだ。

 一階に降りて食堂に入ると、まだ何人か客の姿があった。注文の受付は終わっているはずだが、店が閉まるまで談笑しているのだろう。


「あれ、カスタットさん。こんばんは」


 食器を運んでいたアンリがこちらに気づいて声をかけてきた。

 最近は人懐っこい笑顔を向けてくれるようになって、味方が少ないこの場所ではとても癒やされる存在だ。


「お食事は先程されてませんでした?」

「ちょっと、気分転換で。ついでに魔力石の補充もしとこうかな、と思いまして」


 厨房に入ると、食器や調理場を洗っている人間がたくさんいた。洗剤の独特の臭いがする。

 給仕長のイヨゴが奥の机からこちらに視線を向けて、軽く手をあげた。頭を下げておく。

 手始めに冷蔵保管庫から見ていく。

 天井にまで届くほど高い箱の裏側に回りこみ、保護板を外して機関部とでも言うべき箇所を露わにする。嵌めこまれた魔力石に魔力を注ぎながら、そこから、刻まれた魔術式で繋がった水晶のような素材の石に目を向けた。透明度の高い石の内部には、ひびのような白い筋が立体的に魔術式を描いている。式の内容も凄まじければ、式を刻んでいる方法も常識はずれだ。この仕事を手伝い始めた当初は式の意味すら分からなかった。極めて実用的だが、いっそ芸術的にも思えるほど高度だ。


 しかし、何度見ても見事だ。

 普通、空間を冷やす魔術具を考案するなら、最初に思いつくのは圧力を利用したやり方だ。物体は圧縮すれば温度を上げるのと同様に、膨張するときに温度が下がることを利用すれば、比較的単純な構造で物を冷やすという目的を叶えられる。

 いつだかにフィユが僕に放った凍結魔術を始め、戦闘用のものはそれとは原理が違う。その場で魔術式をいじることができるので、より精密な操作ができるからだ。つまり、熱の正体、物体を構成する粒子の運動を直接抑える方法だ。

 当然、こちらの方が魔力の損失が少ない。ただし観測結果と連携した魔術式を構築しなければいけないため、物に刻む魔術式、いわゆる刻紋で実現は不可能なはずだった。

 それが目の前で可能になっている。

 刻んだ魔術式で適時魔術式自身を描き換えていくなんて発想も、それを実現する技術も、気後れするほど高みにある。 

 他にいくつかの魔術具に魔力を補充していく。

 最後の魔術具に魔力を注ぎ終えると心地よい疲労感。厨房で消費する一週間分の魔力を個人で生成するのはそれなりに疲れる。

 伸びをしているとアンリが傍に近づいていたことに気づいた。


「どうしました?」

「あの、これ、よければどうぞ」


 アンリが手に持った皿には一口ほどの大きさに切られた果物が盛られていた。

 薄く霜を(まと)っている、凍らせてあるようだ。


「余った果物は凍らせて、食堂のみんなで食べてるんです。そのまま捨てるのももったいないですから」

「僕もいいんですか」

「カスタットさんも食堂のみんな、ですよ」


 アンリが微笑む。

 周囲を見れば、和やかな雰囲気でこちらを見ていた。


「あれ、僕けっこう人気者ですか?」

阿呆(あほう)」 給仕のひとりが笑う。「ま、いつもより比較的マシだがな」


 青の三角には莫大な入学金を払わなければいけないので、貴族を始め金持ちが多い。

 鼻持ちならない態度の者が多かったとは予想できるので、とりたてて僕の人格が優れているわけではないだろう。

 凍りついた果実を手にとって口に含む。甘さと冷たさが心地よい。

 アンリも嬉しそうに食べながら、不意にこちらに視線を向けた。


「ところで」 そう言ってからアンリが果実を飲み込む。「この前、ディアリルムさんと少し話しましたよ」

「ディアリルムって、エルノイ・ウィン・ディアリルム?」

「はい。良い方ですね」


 微笑むアンリに対して、曖昧な表情を返す。

 確かにエルノイは人当たりがよく、派閥に捕らわれない行動原理は気持ちがいい。だが、良い人というには少し迷うところがある。

 何というか、振り切れているのだ。誰かを救った笑顔のままで、他の誰かを殺しても不思議ではない。


「魔術のことはよく分からないですけど、すごい天才なんですってね」

「まあ、それは誰も否定出来ないですね」

「赤の学年の方があんなふうにまとまって行動するのは初めてだそうです」


 エルノイ派と呼ばれる派閥のことだ。

 彼女のものに自然と集まった人間は赤の学年の半数近く。まさに一大勢力だ。

 食堂で集まって食事をするためにその大きさは毎日目にすることになる。


「カスタットさんはあのお食事会に参加しないんですか?」

「楽しそうですけどねえ」


 答えをぼかして肩をすくめた。

 参加しない理由は簡単で、七選を目指すには邪魔でしかないからだ。

 あれは、エルノイの真意は分からないが、参加する人間からすると人脈作りが主な目的で、来年からは青の三角にいない者達には有用だろうけれど、会話をする時間があるなら思考にふけるのが魔術士として向上する道だ。

 七選に漏れたときに大きな損失なるが、今はそれを考えてもしかたがない。


「まあ、正直ああ固まって注文されると、少し迷惑なんですけどね」


 純粋な顔で、アンリは即物的な愚痴を吐いた。



  * *



 休み明け、歓喜の日の(つと)()は混雑している。

 慣習的に新しく開講される講義の情報が公開されることが多く、また安息日である愛の日にレドウッドの塔に上るものが多いため、その記録の更新を見に来るからだ。


「では、刻紋学応用、魔術式基礎の四、観測魔術基礎の三つを新しく履修登録します。間違いありませんか?」

「お願いします」


 確認の問いに頷くと、受付の向こう側に座る事務員の人が手元で何かの処理をした。

 そのまま視線をこちらに向けずに、別の問いを加える。


「ニ単位分、履修限界を超えてしまいますが」

「大丈夫です」

「履修限界を超えた状態で落第評価を受けると罰則金が生じます。気をつけてくださいね」


 事務員は律儀に同じことを説明する。もう何度も聞いたので分かっているが、罰則金のことを考えると万が一にも落第評価を受けるわけにはいかない。

 無意味に履修をして定員を埋めることで他者を妨害する手を防ぐための手段だとは分かるが、急な病気にでもなったら大変だ。


「お金無いのによくやりますね」


 右を見ると、ルルティアがこちらを見て微笑んでいた。

 金色の髪が乱れている。顔にも疲労の色が見えた。


「少しは睡眠時間増やしたら?」


 ルルティアはこの半年でずいぶん痩せた。無茶な量の勉強と修練をしているようだ。

 本人の希望で最近は敬語を使わなくなり、ジャールの次に仲が良い相手だから、このところの様子は少し心配になる。


「どうせ眠れないので、無為に過ごすよりはマシかと思いまして」

「んー、寝た方がいいと思うけど。それに、食べた方が」

「この際、健康よりも優先すべきことが多いんです。それより、刻紋学応用と観測魔術基礎の二つは一緒の履修ですね、またよろしくお願いします」


 疲れた顔でルルティアが微笑む。

 手続きが終わったので二人で掲示板の方へ向かう。

 そこに書かれた到達階数がルルティアを焦らせる原因のひとつだと分かっているので近づきたくなかったが、ルルティアが先導する形だったため防げなかった。

 ルルティアの入学試験の準備は十位で、現在の到達階数は十二位だった。わずかな変化とも言えるが、下がったことは事実。伸び悩んでいるというのが話した時に感じる印象だ。

 赤の学年の学生の群れにまみれながら掲示板にたどり着くと、見知った背中をふたつ見つける。

 小柄な背中を流れる栗色の髪と、その髪の頂点の高さに肩が位置する短い金髪の少女。

 栗色の髪がルルティアと同じかそれ以上に傷んでいるのが、見ていて気分がよくない。


「ミーティクルさん、フィユさん、おはようございます」


 ルルティアが声をかけた二人が振り向く。


「ルルティアさん、とカスタットさん」 とキャンディナが軽く会釈をして、

「ルルさん、おはようございます。カスタットさんも」 とフィユが微笑んだ。


 僕も簡単に挨拶をかわして、掲示板の方を見る。

 見るべきは上位陣だ。大きな変動は無い。フィユの階数がひとつ上がって二五階になっていた。

 男嫌いのフィユと、滅多に掲示板を見ないキャンディナの二人が珍しくここに来ていると思ったら、フィユの順位を確認しにきたのだろう。


「フィユさん、一階増えましたね」


 目聡く気づいたルルティアがそう言うと、フィユが微笑む。

 その横で、キャンディナはじっと掲示板の上位を睨んでいた。燦然と輝くエルノイの二〇〇階の数字。

 憎しみのようなものすらこもった表情は見なかったことにして、周囲を見ていると、少し騒然とし始めた。


「エルノイだ」 誰かが言った。

「エルノイ様だ」 誰かが陶酔していた。


 人の海が割れて、道ができる。凱旋する将軍のように人を引き連れてその道を歩くのは、言葉通りにエルノイだ。

 僕よりも少しだけ低い背丈と、同じ黒髪。無邪気な童女のように隣の者に笑いかけながら、悠然と歩いてくる。

 人がいないことで作られた道の途中に位置していたので、僕達は移動する。そうして人の壁に紛れたところで、ひとり足りないことに気づいた。

 キャンディナが移動することなく突っ立ったまま、エルノイに対峙していた。

 エルノイの一団は、先頭を歩く主が立ち止まったことで静止する。親の仇でも睨むようなキャンディナの視線を、不思議そうにエルノイが受け止める。

 小柄で、日頃の無茶な努力で髪や肌がぼろぼろのキャンディナと、背が高く髪も肌も美容的に整ったエルノイ。対照的な光景だった。

 無言のまま、じれったい時間が過ぎる。

 エルノイの取り巻きはキャンディナを訝しげに睨むが、エルノイ自身の表情は楽しげに何が起こるのかと期待している。


「……それで、どうされました?」


 静寂を破ったのは、エルノイだった。

 特に意図したわけではないのだろうが、自然と上から見下す雰囲気がある。


「別に、立っているだけですが。どかなければならない規則でもあります?」

「あはは、その通りですねえ」


 棘のあるキャンディナの言葉を、エルノイが飲み込んだ。

 すでに格の違いが見えてしまった気がする。

 エルノイは微笑んだまま、傍から見ていてもぞっとするほど圧力のある視線をキャンディナに向けて、笑った。


「ですが、それだけですか。それだけなら、私は構いませんが」


 キャンディナが歯を食いしばったのが、頬の動きで分かった。

 瞬間的にキャンディナの魔力が高まって場が緊張する。していないのは、おそらくエルノイだけ。

 取り巻きを置いて無造作に歩みを進める。通りすぎようとするエルノイに、キャンディナの表情が強張る。


「待って」


 キャンディナが硬い声で言った。

 エルノイが立ち止まって、微笑む横顔が見える。

 キャンディナの口が動いて何かを言ったが、小さくて聞こえない。エルノイの微笑みが深く変化する。


「楽しみにしていますよ」


 エルノイはそう言い残して、キャンディナの横を過ぎ去った。

 取り巻き達も慌ててそれに倣う。

 人の道が崩れていき、キャンディナが見えなくなる。


「ミティ……」


 不安そうにフィユが呟いた声が聞こえた。




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