プロローグ
怒涛の三日間が過ぎて、その間のことはよく覚えていない。
なにせ、この大陸で最も難しいと言われる試験だ。頭も体も疲れきっている。
青の三角。
魔術研究の最高峰で、王国中の魔術士がそこに所属することを夢見る王立機関。
そこに所属していたという事実だけで、宮廷魔術士として引く手は数多。人生の成功が固く約束される。
「カスタット・ポゥ。冒険者、ですか」
白髪の老人が資料を見て呟いた。
僕の正面、高級そうな机の向こう側から、じろりとこちらを一瞥する。
何とも嫌な気分だ。緊張する。
部屋の中央にぽつんと置かれた簡素な椅子に僕は座っている。
正面には白髪の老人。その老人の左右には、他に四人の男が座っていた。
五人分の視線は部屋の中心で結ばれる。交点の居心地はとても悪い。
その視線に貫かれたように僕の心臓がチクチクと痛む。
「はい、水上都市シエトノを拠点に、三年間ほど活動していました」
できるだけ丁寧な口調で答えた。
貴族の息子に習った成果は出ているだろうか。
こちとら平民出身の冒険者。言葉遣いで悪い印象を取られてしまったら勿体無い。
青の三角に入学するための最終面接。
昨日までの試験で疲れているけれど、ここが頑張りどころ。
「珍しいですね。ここを卒業した後に冒険者になる変わり者は稀にいますが、その逆というのはほとんど聞いたことがありません」
白髪の面接官が言うとおり、あまり例に見ないことだろう。
青の三角に入学するためには莫大な学費が必要になる。その後の人生を暮らしていける金額を払ってまで入学しようとは、普通の冒険者なら思わない。
実際、周りの人にはずいぶん止められた。都市からそれだけの金額が消えてしまうのだから、当然かもしれないが。
紙をめくる音。
資料を見ながら、白髪の面接官が感心したような声を出した。
「試験の結果は……意外、と言っては失礼ですが、学科の成績が良いみたいですね。冒険者は実用的なノウハウの方が大事だと思いますが」
「ありがとうございます」
良い、というのはお世辞だろう。あるいは、冒険者にしては、という意味か。
学科試験は難しく、六割程しか合っている自信がない。特に、一般教養のような魔術に関係のないものは難しかった。王都の歴史など、シエノト生まれのシエノト育ちの身で知っているはずもない。
「あなたは、青の三角で何がしたいのですか?」
面接官が聞いた。
好々爺のような表情。
この数日の間で受験生から聞いた志望理由で一番多いのは、最先端の魔術を研究したいというもの。身も蓋も持たない者は、宮廷魔術士になる、家柄に箔をつける、と即物的な答えを正直に言っていた。
実際のところは、大半が即物的な理由なのだろう。青の三角という名前の価値はもう計り知れない。合格倍率が百倍を超えることがその価値を示している。
ただの百倍ではない。各地の天才と呼ばれる魔術士が集まって百倍なのだ。
無難な答えで乗りきれるほど優秀な結果を残せたとは思えない。
しかし、上手に嘘をつけるほど器用でもない。
用意していた答えを、正直な理由をできるだけ落ち着いて返す。
それを評価してもらえることを願うだけ。そういう賭けだ。
「青の三角の塔の完全制覇」
その言葉は室内にゆっくりと染みこんだ。
誰も何も言わない。数秒の沈黙。
その沈黙を破ったのは、左右の面接官から漏れた失笑だった。
顔が熱くなる。
正面に座る白髪の面接官だけは、静かな瞳で僕を見ていた。
「何故ですか?」
本質を見抜くような瞳に睨まれて、背筋に寒気が走る。
気の緩んでいた他の面接官もその雰囲気につられて真剣な顔に戻っていた。
用意していた言葉が出ない。
気圧されて、思考が回らない。
言葉に詰まってしまっている。
焦りが、言葉を弾き出した。
「興味があります」
半ば無意識の言葉だったが、面接官は少し口を曲げた。
どういう意味かは分からない。けれど、次に出た言葉にそれどころではなくなった。
「まあ、基準点は超えていますし、合格で」
そうして驚くほどさらりと、最難関試験に合格したことになった。