16 そして、圧倒
都市から離れた荒れ地で、月光に反射するように魔術式がぼんやりと光り、その何倍の光量で炎や雷撃の魔術が輝く。
足を止めての魔術の撃ち合い。
遮蔽物のない場所で向かい合えば、そうなるのが当然だ。
こちらは僕とキャンディナの二人。あちらはフェルターひとりだけ。
当然、数が多いほうが押している。キャンディナは僕が期待する以上に魔術の腕が良いし、僕は僕でこと魔術戦に関しては貴族よりも慣れている。
フェルターの多種多様な魔術を、できるだけ効率よく迎撃する。一般的に攻撃魔術はそれぞれに変質した魔力を膜のような結界で覆った魔力弾を放つことで、狙った場所に効果を発揮させる。それは、逆に言えば結界さえ破壊してしまえばその内に収まっていた魔術はその場で周囲に効果を及ぼして消え、ここまで届かない。
フェルターの魔術式から結界部分の構成を読み取って、それを破壊するような魔力弾を生成し、放つ。こちらとあちらの中間で暴発したフェルターの魔術は威力は高いが、届かなければ意味がない。
反対にフェルターは、キャンディナの放つ魔術に対して対魔障壁で防ぐのが限界のようだ。魔力を全て弾く汎用性のある防御手段だが、消費魔力の効率はあまりよくない。キャンディナが十の魔力で放った魔術を弾くのに、少なくとも十と五の魔力を込めなければならない。
互いに放つ魔術が互いに防がれて場は拮抗しているように見えるが、消費している魔力はフェルターの方が多い。このまま時間をかければ問題なく勝てるはず。瞬間的に生成できる魔力量には個人差があるが、魔力の大元である生命力は同じ人間であるなら大差ない以上、生成できる魔力量の総量にも当然大差は生じない。
「意外と、このままいけますか」
キャンディナが呟く。
彼女の防御も僕が担当しているため、距離は近い。その声も充分に聞こえた。
「こんなに粘られることこそ意外だね」
こちらは二人だが、僕は防御、キャンディナは攻撃に専念できるため実質的な負担はフェルターの半分以下だ。
それでもなお拮抗する。個人の実力で言えば僕やキャンディナよりもフェルターの方が上か。
「疲れは大丈夫?」
キャンディナに問う。唯一心配なのが、昼間から戦い通しのキャンディナの疲労だ。
「お陰さまで魔力は大丈夫です」
必要になると思い持ってきた魔力石から、すでにキャンディナは魔力を補給している。しかし、魔力量は大丈夫でも魔力を流す経絡の疲労はすぐに回復しないだろう。自らで生成したわけでない魔力を流すことは、余計に経絡に負担をかける。
すでに痛みが走っているはずだが、キャンディナの声にその色は無い。
「しかし、そろそろ終わらせましょう。少し負担をかけます」
このまま地道にフェルターの魔力を削り取った方が安全だと思ったが、それくらいキャンディナも分かっているだろう。
持久戦に耐えられないくらいに痛むのか。彼女の判断に従った方がいいか。
「少しにしてね」
そう返事をするとキャンディナの攻撃が止まり、並行展開していた魔術式に魔力を注ぐ。
こちらの攻撃が止まった分、フェルターからの攻撃が苛烈になるが、迎撃を諦めて対魔障壁を張ることでどうにか防ぐ。大量の魔術が障壁に当たり、弾かれる。大雨に叩かれる傘を持っている気分だ。ただし、濡れたらそれで終わりだが。
視界の先、フェルターの前で月光に輝く対魔障壁が解除される。劣勢にあってもフェルターは、最初のままの面倒くさそうな表情を崩さない。何か並行展開している魔術式があるが、複雑で読み取れない。余計な式を足して情報を隠蔽している。小技までそつがない。
「いきます」
小さくキャンディナが呟いて、巨大な魔術を撃った。大量の魔力を保有した魔力弾はさきほどまで僕が迎撃に使用していたものによく似ていて、その効果も似たものだろう。
フェルターの前に再び対魔障壁が張られて、着弾した瞬間に障壁が震えて砕けた。
キャンディナの放った魔術は対・対魔障壁の魔術。対魔障壁以上に燃費は悪いが、障壁を砕くという効果の価値は大きい。
そして、その後を追うように放たれていた不可視の魔力弾、キャンディナの本命がフェルターに当たるはず。
「え?」
か細い声と、どさりという音が隣から。
瞳だけ動かすと足元にキャンディナが倒れている。気づけば背後に魔力の気配。
キャンディナを抱いてその場から跳ぶ。
遅れた右足に強い衝撃。しかし膝が曲がる方向で、どうにか勢いを殺せた。逆なら骨か筋を痛めていた。
背後にあったのは空間跳躍の出口。入り口はおそらくフェルターの目の前だろう。こじ開けたような空間の裂け目は役目を終えたとばかりに閉じる。
抱いたキャンディナからは力が感じられない。フェルターに放った精神感応系の魔術を、空間跳躍の魔術で背後から食らわされたのだろう。追撃の力学系魔術をかわすことができただけ良かった。
「意外だな、カスタット」
フェルターは最初の位置に立ったままでこちらを眺めていた。
追撃しないことが不思議だけれど、されれば困るので会話に応じる。
「意外に弱かった?」
「ん? まあ、思ったよりはな。誘爆させるのは上手かったが、式が遅い。が、それじゃねえよ。
何でいまその女を庇った? そいつ自身の大技をくらって戦闘不能だったのは分かるだろ。優先するのは戦えるお前の体じゃねえのか」
正論だ。もっと言えば、跳躍航路がつながっているのだからこちらから魔術を撃ちこめば良かった。その選択肢が思いつかなかったわけではない。しかし結果論でもある。その理屈は、撃たれた魔術がせいぜい骨折程度の威力だったから言えることだ。死にかねない威力だったなら、意識のないキャンディナを守るのは当然の選択だ。
浮かぶのは相手への疑問。
ここへ連れられて最初の一撃もそうだったが、フェルター致命傷にならないように手加減をしている。魔術戦をしている時は、死にかねない威力を何発も撃っていたのだから、実力が足りていないわけではなく、わざとだろう。
「ねえ、フェルター。あんたは本当はキャンディナに手を出したくないんじゃ」
フェルターに良心というか、それにちかいものがあるなら説得の糸口になるかもしれない。
しかし彼の瞳は揺るがない。
「そりゃそうだろ」
こともなげにフェルターが言った。
「人を殺せばそれなりに誰かに恨まれる。そんな余計なリスクを買いたい馬鹿がどこにいる」
「じゃあ、どうにか妥協点を探れないかな」
「無理だ。その女は家を再興させたい。俺たちはさせたくない。どちらかしかない要素で、意見が違うんだからな。
殺す気はないが、両手両足くらいは奪う気だぜ? 脳みそを削ってやってもいいが」
フェルターの言葉はどう聞いても本心で、期待していた妥協点など初めから無かったことを知らされた。
正しく冷たい彼の論理から、キャンディナの無事は引き出せない。
「それを置いて去るならお前に手は出さないが、まあ今更そんなことはしないよな」
本気で勧告してくれているのならだまし討ちのようなものもできるが、この調子では無理だろう。
そして状況は非常に悪い。正直に言えば見捨てたいくらいには。
せめてフェルターが近づいてくれれば何かできることもあるが、僕を警戒しているのか距離を保ったまま。この距離での魔術戦はキャンディナがいてようやく拮抗していた。ひとりでは勝ちようもない。
何から何まで、隙がない相手だ。
「とりあえずやってみようか」
微笑みが引きつっていないかが心配だった。
* *
「で、どーすんだ」
うんざりしたようにフェルターが言う。
粘ったものだと自分では思う。消費した魔力は僕の方が少ない。
しかし、生成できる魔力量が違う。僕が十の魔力でフェルターの十五を防ぐことができても、三〇の魔力で魔術を撃たれたら対処しきれない。
実際には、魔力生成の速度は三倍以上の差がある。
小細工なしでは一分ももたなかった。
だから、本当によく粘ったものだ。
限界以上の出力で酷使した魔力経絡が激痛を走らせている。運動神経系にも影響が出ているのか、体の末端で痙攣が収まらない。
座り込んだまま胸を張って、背後に庇ったキャンディナを隠す。もちろん無駄だ。
「いやいや、見くびってたなあ」
わざわざ会話してくれるのだから、引き延ばす。
口にするのは嘘ではなかったけれど。
荒事に慣れているつもりで、どうにかなると思っていたけれどこの有様だ。
「天才ってのはいるもんだね。ひとつくらい通ると思ったけど」
土埃で隠した位置からの不可視の魔術や、力学系の魔術で弾いた礫。他にも、魔術戦に慣れていない相手に通じそうな手法はいくつも試したけれどどれも通じなかった。
まったく、冒険者として生きてきた年月は何だったのか。
舌打ちの音。発信源はフェルターだった。
「天才はいるが、俺じゃないな」
「謙虚だね、貴族とは思えないや」
「で、どーすんだ」
再びの問い。
今度は力学的魔術を添えていた。
衝撃と共に軽石を踏み砕いたような音。砕けたのは、僕の右肩。
呼気が漏れる。呻きが漏れる。
フェルターは冷たく僕を見下ろしたまま。
高揚や、あるいは嫌悪の感情くらい見せてくれ。状況は悪化するまま打開策は出ない。
「まあ、負けは認めるよ。見事に、綺麗に、負けた」
痛みに嫌な咳が出るが、とにかく言葉を紡ぐ。
すでに思考は、いつキャンディナを見捨てるかを考え始めている。当然だとは思うが、しかし、嫌な気分だ。
好かれていないらしいけれど、こちらからは好感を抱いている。
情けないけれど頼むしかない。
「どうにかならないかな。キャンディナさんが家を再興したってさ、その時はつまり、キャンディナさんが国にとって有益な魔術士になっているってことでしょ? 王国貴族なら、優秀な人材の出現は喜ぶべきだよ」
「その通りだな。それで?」
「それで……」
そう、その通りだ。しかし、それだけ。
家や派閥単位の利益を求めるからキャンディナは狙われているし、フェルター達は行動している。
理想論よりも生々しい現実があるから、こうして痛い思いをしているのだ。
それで、に続く言葉が無ければ説得という体裁を保つこともできない。
笑ってみせる。口角を引き上げて、目を細めて。
その動作に力は入らない。
「……それで、可哀想じゃんか。そう、可哀想だよ。才能があって、努力もして、挑戦してるのにさ。それも、あんた達みたいに立派な家柄の人がさ。みっともないよ」
説得ではない。懇願でもない。ただの感情の吐露だ。
こんな言葉しか出ないことに苛立つ。
フェルターの表情は変わらない。
「その通りだ。それで?」
フェルターの眼前で力学系の魔術式が光る。
先ほどの手加減したものではない。残酷なまでに洗練された、切断の魔術式だ。
殺すつもりだろうか。そうかもしれない。元冒険者などを殺しても、復讐に来るような面倒な関係者はいないだろう。あるいは、四肢のどこかを切断するか。
キャンディナにはそうすると言っていた。
おそらく、僕一人がここから逃げれば見逃される。
フェルターが僕を眺める。
その視線は、問いかけている。
それで、どうするんだ?
僕は、どうするんだ?
動けない。思考が空転する。
同時に、都市の方から魔力の気配。
速い。
すでにフェルターの魔術式は砕かれた。
フェルターが驚いた顔で魔力弾の飛来した方を見る。
つられて僕もそちらへ顔を向けるが何もない。
「はいはーい、おしまいですよお」
無邪気な声は僕とフェルターの中間。
月明かりの下で、子供のように笑っている女性は肩の前で両手を広げていた。
ひらひらとはしゃぐように両手が動く。夜風が流すのは、僕と同じ黒い髪。
エルノイだ。
エルノイ・ウィン・ディアリルム。
場違いなほど明るいいつも通りの雰囲気を纏ったまま、エルノイがそこに立っていた。
「エルノイ……!」
低い声で呪うように言ったのはフェルターだ。
表情を歪めてエルノイを睨んでいる。
それを受けて、しかし呼ばれた側は不敵に微笑む。
「はい、エルノイですよお」
「いったい何の用だ」
「決まってるじゃないですか。フェルターを止めにきたんですよお。君に、今、加勢は必要じゃないでしょう?」
エルノイは親しげな口調だ。
旧知の仲なのだろうか。
そして、事態は好転したようだ。
「これは仕事だ。ビズリアス家の息子としてやらないといけないことなんだ」
「相変わらず固いですねえ。でも、駄目です。私が禁止します。こんなみっともないこと君にして欲しくないですからね。私の望みだと言えばあなたの家族も納得するでしょう?」
フェルターは答えずに舌打ちした。否定する言葉が無かったのだろう。
それからエルノイはこちらを振り向くと、微笑みながら両手を胸の前で打ち合わせた。
「フェルターはもう関わらせませんよお。確かに、みっともないですからねえ。あなた、良いことを言ってくれましたよ。止めようかなあ、放っておこうかなあって悩んでたんですけど、それで決心できました」
「……ここの様子を見ていたってこと?」
「え? それ以外に考えられますか?」
不思議そうにエルノイが首をかしげる。
最初にフェルターの式を砕いた魔力弾は、はるか先の都市から放たれたはず。そこからこの場の声まで聞き分けるほど詳細な探索魔術ができるとは思えない。
そもそも、そんな距離で魔力弾を目標に当てることも、その速度も、全て考えられない現象だ。
「じゃあ、私達は帰りますね。また会うことがあればいずれ」
幻だったかのようにエルノイが消える。フェルターも消えていた。
空間跳躍の魔術だろう。確信が持てないのは、早すぎて魔術式を捉えることすら出来なかったから。
フェルターや、青の三角の塔の機能や、あるいは以前の知り合いが使う空間跳躍の魔術では、かならず微調整のために式が数秒は継続して描かれていた。しかしエルノイにはその時間も無かった。
その技術も、当たり前のように空間跳躍の魔術が使える事実も、背筋を冷たくさせる異常だ。
「……はっ」
笑いが漏れた。
笑うしかなかった。
砕かれた肩が、ようやく燃えるような痛みを発し始めた。
痛い。痛みに合わせて視界が明滅する。意識がふらつくのは、痛みのせいだけではない。
何だったんだ、今日の戦いは。
冷静に思い返せば、フェルターは最初から最後まで手加減をしたままだった。そのフェルターを、エルノイは何の労も無く制止した。
僕の能力なんて、何ひとつ影響していない。
なるほど。
「悔しいなあ」
魔術士として、それなりに優秀なつもりだった。それでも遥かに及ばない天才がいることも、その距離も知っていたつもりだった。
しかし、その距離を見せつけられ、その長大さを実感させられるのは、思っていたよりも、キツい。
どうしようもない苛立ちと不安。
肩の痛みのせいで精神が不安定だ。ようやく自覚する。
深呼吸をしようとすると肺に痛みが走るので、呼吸を静かに戻す。まったくぼろぼろだ。
もう駄目だ。
疲れた。
魔術は使いすぎたし、緊張はし通しだ。
意識が霞む。
思考が重い。
ふっと浮遊感。
同時に落ちていく。
暗転。
途絶えた意識を起こしたのは、明るさだ。
気絶したことを自覚しながら目を開けると、明け始めた空の紫色が目に入る。
その空を背景に、少女の顔がはっきりと見える。東の方を見ているのだろう、空と同じ色の瞳に光が反射している。
綺麗だ。
何がだ? 今、何を綺麗だと思った?
意識が覚醒してきて、その少女がキャンディナだということを思い出す。
位置関係からすると、僕の頭の下にあるのは彼女の膝か。
キャンディナはまっすぐ空の方を睨んだままで、僕が目覚めたことに気づいていない。
その唇が小さく動く。
モウ、イヤダ?
「キャンディナさん」
「うえぇっ!?」
仰け反るようにキャンディナさんが驚いた。間抜けな悲鳴が少しおかしい。
起き上がろうとすると、上からキャンディナさんが押さえつけてきた。
「動かないほうがいいです。痛覚は麻痺させてますけど、傷を治すことはできていません」
「おかげでよく眠れたよ」
「安眠用ではないです。というか、麻酔ではないですから、導眠効果はありません」
「激痛で起きなくて済んだってこと」
近接戦闘士と違って、体の状態を確かめることにはなれていない。右肩は多分砕かれたままだろうが、他の状態は分からない。大人しく寝ていた方がいいだろう。
ところどころ不慣れな様子の手当がしてあるのはキャンディナさんか。
「私が目を覚ますと……」
キャンディナさんが呟く。
視線は東の空に向けられていた。
「あなたは瀕死の状態で倒れて、フェルターはいませんでした。私は、おそらく私の放った精神系の魔術をそのまま返されたのでしょう? その後、いったい何があったのです?」
「エルノイ……」
その名前を言った途端にキャンディナさんの表情が固まる。
やはり適当に取り繕うべきだっただろうか。しかし、つくべき嘘も思いつかない。
「彼女が僕らを救って、フェルターを止めて、去った。それだけ」
「……そう、ですか」
あの黒髪の天才に対して、何か複雑な感情をキャンディナが抱いていることは知っている。
頬の辺りが動いたのはその下で歯を食いしばっているからか。
「無様ですね、私は、どこまでも」
慰めの言葉なんて思いつかなかったし、言う気も起きない。
僕もだよ、と心のなかで呟いた。