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魔術士は求む者  作者: 土月 十日
一章 赤・七選・塔の夜戦
14/44

12 そして、苦境

「うわあ」


 思わず声が出る。嘘だ。思わずではなく、気持ちを落ち着けるために声を出した。

 場所は何の芸もなく裏路地。建物に挟まれた日当たりの悪い道に僕と同世代の少年少女が四人倒れていて、その向こうでは同世代とは思えない小柄な少女が立っている。


 小さく肩を上下させるその少女こそが探していた人物だ。つまり、ミーティクル・ウィン・キャンディナ。


 彼女の服は(いく)箇所かが焦げていたり、切り裂かれたりしている。それは本人も同様だ。右手の指先から地に垂れる血は、二の腕の斬られた部分のものだろう。

 キャンディナはこちらを見ると同時に魔術式を展開し、僕の顔を認識するとすぐに破棄した。敵ではないと思ってくれたようだ。


 しかし、目を細めてこちらを観察する様子は穏やかなものではない。警戒している。

 キャンディナは硬い声で問うた。


「お仲間ですか?」


 誰の、とは聞く必要がない。僕とキャンディナの間で気絶している少年少女達だろう。上等な衣服からすると、全員貴族か。

 特にやましいことがないので素直に答える。


「いや、通りすがりかな」

「こんな人気(ひとけ)のない道を、ですか」

「用があってね」

「どこへ?」

「キャンディナさんに」


 一歩引かれる。

 魔力の気配が強くなった。うかつな発言だった。ずいぶん過敏になっている。

 両手を挙げて見せて、攻撃の意志がないことを示す。


「キャンディナさんがつけられてるって聞いてね。まあ、念のためにというか、暇つぶしというか」

「聞いた?」

「知り合いに」


 僕にすらこの態度なのだから、先日襲ったばかりのカリヴァのことは言わない方がいいだろう。余計な刺激になる。

 キャンディナは(いぶか)しんでいることを隠さない表情でこちらを睨む。

 この前助けたことでもう少し信頼されていると思っていたが、そうでもないようだ。僕が襲ってきてもおかしくないと考えている顔だ。それはつまり、僕の立ち位置を変えかねないほどの価値が、彼女を襲うことにはあるということかもしれない。

 さきほどの発言を反省して、できるだけ丁寧に敵でないことを示す。


「ここに来れたのは偶然だよ。だから、通りすがり。魔術の撃ち合いの気配に気づける範囲にいなかったら来られなかった」

「何のためにですか」

「まあ、危ないようなら加勢をしに、かな。必要は無かったみたいだけど。キャンディナさんの傷を減らすことくらいできたと思うから、間に合った方がよかったかもね」

「ですから、助けられる理由がないと言っているのです。この前の時もそうですが、何故あなたは私を助けようとするのですか」


 その理由にやけにこだわるな、と思った。

 助けてくれてありがとう、心配してくれてありがとう、それで済む話ではないか。そう思って欲しいわけではないし、要らない世話だと思われても、それはそれで正当な感情だが。けれどそれはあちらの感情。

 僕に理由を聞かれても困る。以前言ったとおりに、知り合いが傷つくの気分が悪いと思っただけだ。


「それ、キャンディナさんが気にする必要がある?」

(いわ)れのない厚意は、明らかな悪意よりも怖いですよ」

「なるほど。でもなあ……」


 言っていることは分かるが、本当にたいした理由ではないのだ。

 それを納得してもらえるとは思えない。


「転んでる人がいたら手を差し伸べるし、襲われそうな人がいたら危ないって言ってあげるものじゃない? 人間ってさ」

「泥に汚れた手は取らない。振るわれる刃には近づかない。人間とはそういうものです」

「人間観の違いかな」

「経験量の違いです」


 冷たい声だった。

 キャンディナの手は取られずに、傍観された刃に傷ついたということか。

 貴族社会というものを僕は知らないし、そこで排斥されたというキャンディナ家の娘の立場など想像の及ぶ域にはない。

 では、どう言いくるめようか。少し考えてから話題を変えた。


「キャンディナさん、煙草(たばこ)は好き?」

「あまり得意ではありません」


 貴族の間では葉巻が流行っているらしいし、平民の間でも安い刻み煙草は酒に次ぐ嗜好品(しこうひん)だが、キャンディナはそうではないらしい。どちらでもかまわないが。

 そこから論を展開させる。


「けど、あれを買うために食事を削る人もいる。何故なら、煙草を吸うことが気持ちいいから。人助けも同じだよ。誰かを助けられれば気分がいい。

 全員がそうではなくても、そういう人がひとりもいないというのは極論だ」

「それは、そうですが……」


 理解はできたが納得はしていない、そんな表情だった。

 この場で納得させるのも難しいだろう。


「じゃあさ、あなたを助ければ酒の一杯でも(おご)ってもらえると思った。残念ながら自力で解決したから奢ってもらえない。残念。

 そういう話でいいさ」


 実際、四対一という不利をよく切り抜けられたものだ。前衛のいない魔術士同士の魔術戦は、ほとんど手数によって勝敗が決まる。数が四倍なら、戦力的には十六倍近く不利だろう。

 しかも状況から考えれば、キャンディナが仕掛けられる側であるのに。流石に試験の九位で、到達階数の第二位だ。

 キャンディナ自身の才覚でひとまず無事だったのだから、用は無くなった。

 来た道を戻ろうと振り返ると、キャンディナの呟くような声がかすかに聞こえた。


「二杯」


 振り向くと、キャンディナの瞳がこちらに向けられている。

 少し投げやりになった口調で、言葉を投げ捨てるように僕に言った。


「路地裏と、倉庫。二度助けられています。ですから、二杯です」



  * *



 人生に、これほどまずい酒があるとは思わなかった。

 酒が悪いのではない。雰囲気が悪いのだ。

 キャンディナを襲った四人と再会しないように少し離れた店に入って、昼食を頼んだ。キャンディナもお昼はまだだったので、一緒に食べることにした。

 奢ってもらう話だった酒も一緒に頼んで、僕としては女の子と酒と楽しい昼食になるはずだったのだが。


「適当に決めたけど、美味しいね、この店」

「そうですね」


 会話を続ける意思のない声音で返事をされて、言葉に詰まる。

 ずっとこの調子だ。

 対面で仏頂面のまま、黙々と食事を続ける。

 頼んだエールも喉を少しも通らない。


「あの、会話して欲しいな、なんて」

「あなたのことを好きにはなれない、と言いました」

「そういえば言ってたね」


 それからしばらく食器の鳴る音を耳で楽しみながら、少しも楽しくない時間を過ごした。

 何も悪いことをした覚えはないのに、何故こんなことになるのだろうか。

 店内は暖かみのある談笑に満ちているのに、何故ここには冬が訪れているのか。

 エールを飲み終えてテーブルにグラスを置くと、じっとキャンディナがこちらを見た。


「次は、何を飲みますか」

「ちょっと待ってね」


 この一杯目を飲み終えるのを待っていたような聞き方。

 料理もほとんど残っていないし、早く飲み終えられるように林檎酒を頼んだ。

 キャンディナはもう料理を食べ終えていて、というのも元々とても少ない量だったのだが、とにかく何をするでもなくじっと空いた皿を睨み、時折こちらに視線をやる。

 それがまた居心地が悪い。


「嫌われついでにひとつ聞きたいんだけどさ」


 キャンディナの伏せられていた青紫の瞳が、こちらに向けられた。

 特に何も言わないので質問を続ける。


「何で襲われるの? キャンディナ家の人の横領が露見したっていうのは聞いたんだけどさ。

 襲われる理由にはならないんじゃない?」


 少し立ち入った質問だと自覚していたが、もののついでだ。どうせ嫌われているのだし、という投げやりな気持ちもあった。

 しかし気になっているのは事実。面接のあった日にキャンディナを襲った貴族の娘は、とても有力な家だったはず。そんなところから襲われて、また今日四人に襲われて、いったいどんな事情があるというのだろうか。


「別に、面白い事情ではありません」


 キャンディナがそう端的に言った。

 それで終わるかと思ったが、意外にも言葉は続けられた。


「金額が大きすぎ、関わった人間が多すぎたのです。

 横領の被害に遭ったことを知った貴族、横領に関係していた貴族、キャンディナ家と深く関わりのあった貴族。

 損をした人間が大勢います。得した人間も、わざわざ感謝することはないですから」

「敵ばっか増えたわけだ。けど、だからってあなたを襲うのはやり過ぎじゃない?」

「え?」 


 キャンディナは不思議そうに目を開くと、すぐに納得した。


「ああ、復讐や報復ではありませんよ。すでに力を失った相手に構うほど暇ではないでしょう。

 そうではなく、私が優秀な魔術士になることで、キャンディナ家を再興させないように襲ってきたわけです。

 その意味で、私を狙ってくるのは当然の選択と言えます」


 何でもないようにキャンディナが言った。

 とても重大なことのように思えるけれど、彼女にはそれが当たり前なのだろう。


「しかし、街中でよくやるね。憲兵でも呼ばれたら大変なのに」

「憲兵が介入するようになった時にあちらが有利ですから」

「ああ、なるほど」


 位の高い貴族ならば憲兵にいくらでも介入できる。

 社会的な権力を持ち込める状況になるなら、それはそれで望む所ということか。

 キャンディナが負った傷は致命傷ではなかった。深い切り傷は二の腕の部分だけで、焦げた跡や他の切断箇所は衣服の端だけだ。

 しかし致命傷ではないものの、致命傷になりえた攻撃の跡だ。少なくとも二の腕の傷の位置が悪ければ、失血死やどこかの神経を切断する危険もあっただろう。

 殺す気、いや、死んでも構わないくらいの姿勢だったのだろうか。

 届けられていた林檎酒を口にしながら、キャンディナの負傷した二の腕を見る。

 適切な処置は僕のものではない。冒険者でもない貴族の娘自身が施した、手慣れた治療だった。

 手慣れるほどに、負傷が身近だったということか。


「それなら、あんまり一人で出歩かない方がいいんじゃない?」


 じろりとキャンディナに睨まれる。

 余計なお世話ということだろう。

 気づかないふりをしてとぼけてみると、小さなため息を吐かれた。


「青の三角の敷地内は治外法権ですから。殺される可能性が充分にあります」

「あれ、新情報」


 治外法権という言葉を久しぶりに聞いた。

 僕のグラスを睨みながらキャンディナが説明してくれる。


「青の三角はあまりに巨大な価値を生み出しますから。都市に対してはもちろん、国に対しても融通が効くようですよ。

 憲兵による捜査など行わせないでしょうし、事故死として扱われるでしょう」

「つまり、殺されるかもしれない青の三角の内側と、憲兵騒動になれば不利な立場になる外側との二者択一?」

「再興など諦めて田舎に逃げるという選択肢もありますが、(おおむ)ねそういうことです。

 その上で、今日は最初の休みですからね。私を狙ってくる暇人も多いでしょうし、外なら殺される確率も低いと考えて。死ななければいくらでも他の方法はありますから」


 現実的で楽観的な思考は馴染み深いものがあった。

 シエトノの酒場で呑んだくれる連中の言い分や、あるいは組んだパーティの道中の会話で示されるような。つまり、冒険者らしい思考。


「それに、青の三角にいるとフィユが側に来てしまって危ないですから」

「男が苦手な人だっけ?」

「そうです。同室でして」

「いつも一緒にいるよね」

「あの子も味方が少ないですから。私としても、信用できる相手は貴重ですので」


 あまり愉快な状況ではないようだ。

 新しい知識ばかりで毎日が楽しい僕とは違う。

 小さな体に見合わない険しい表情にも納得がいく。

 林檎酒を飲むと、グラスが空になった。

 キャンディナの視線がグラスから僕の目に移る。


「それでは、失礼しますね」


 硬貨を卓上に置いて、キャンディナが立ち上がる。

 一貫してつれない態度だ。

 外は昼間。今日の残り時間はまだまだ長い。


「気をつけて」


 そう言うとキャンディナの動きが止まる。

 少しだけ目を見開いてこちらを見て、一度ゆっくり呼吸した。


「あなたも変わった人ですね」

「そう?」

「いえ、では失礼します」


 去っていく小さな背中は振り返ること無く店を出て行く。

 自然とため息が出た。

 軽く酔いが回ってきたが、あまり気持ちのいいものではなかった。



  * *



「いやあ、しかし美味かったなあ。調理法が違うのかねえ」


 部屋に戻るなりベッドに寝転がってジャールが言った。

 僕は買ってきたものを机の上に置いて、椅子に座る。


「魔術用品なら王国一だもんね。特殊な調理器具があっても不思議じゃないけど」

「いやあ美味かった美味かった。また行きたいものだ」

「僕はちょっと中々行けない値段だったけど」


 キャンディナと別れてしばらく後にジャールと合流して、二人で夕食を食べた。

 ジャールの奢りだというので入った店だったが、少し尋常でない値段の高級店だった。

 気軽に寄っていたら破産してしまう。

 商会繋がりで割り引いてもらったらしいが、それでもやはりジャールが金持ちだと思い知らされる。


「ところで、その袋の中身は何なんだ?」


 机の上に置いた袋を顎で示してジャールが聞いてきた。

 キャンディナと別れた後に購入したもので、それなりに大きな袋に入っている。夕食を食べている時にも聞かれたが、丁度料理が運ばれてきたので返事をしていなかった。


「画材だよ。筆とか絵の具とか」

「へえ、趣味なのか」

「趣味にしようかと思ってね。魔術式の練習になるって聞いたし」


 頭の中で正確に描けていないから式が歪む。それは絵を描くことで鍛えられるといったような話だ。

 大浴場で一年先達の男にされたその話をすると、ジャールは頷いて同意した。


「俺の家庭教師も似たようなことを言ってたな。絵は勧められなかったが。魔術式は一度に全体を正確に想像するようにって。

 というか、お前そういう訓練はしてこなかったのか」

「ジャールはやってたんだ」

「一応な。見たままに記憶する訓練は、幼い頃から」


 なるほど。

 上位の者はみんなやっていたのだろうか。

 青の三角の塔を七階より上へのぼるには、そうした技術が必要に思える。少なくとも、僕の今までのやり方の延長ではとてもできそうにない。


「逆に言えば、その点に伸びしろがあるんだから期待できるな」

「単純に出遅れてるだけだと思うけど」


 それからしばらくリバージュの街について話をしていると、扉がノックされる音がした。

 ジャールと顔を見合わせて、沈黙。先に動いたのはジャールで、彼は枕に顔をうずめて拒否の意思を示した。同世代の同性がしてもまったく可愛くない動作だ。

 舌打ちをしてやって、それから扉の方に向かう。

 扉を開けると、知った顔がふたつ。

 もう一度ノックをしようと思ったのか右手を胸の前に上げたルルティアと目が合う。


「夜分に申し訳ありません」

「それは別にいいけど」


 茶色ががった金髪の下の表情は少し戸惑ったものだ。

 ひとまずそちらを気にしないことにして、彼女の後ろに立った少女の方に視線を向ける。

 ルルティアのものと違って、純粋な黄金色の金髪が短く切り揃えられている。

 フィユ・ウィン・シュバイツェルは怯えた表情と震える声で僕に尋ねる。


「あ、あの、遅くに、ごめんなさい。ミティを、いえ、あの、ミーティクルを知りませんか? ミーティクル・ウィン・キャンディナです。

 まだ部屋に帰ってきていなくて、その、えっと、ずっと探してるんですが」


 歯切れの悪い言葉だったが、嫌な予感をさせるには充分な内容だった。


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