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魔術士は求む者  作者: 土月 十日
一章 赤・七選・塔の夜戦
12/44

10 そして、入浴


 自室でひとり、空中に魔術式を描く。

 場所は眼前、形は正円だ。魔術的には何の意味もない。

 みぞおちの辺りから伸びる想像の腕で描いては消してその感覚を意識する。


 架空の腕を想像した先で式を描く感覚だけを捉えて、覚える。

 カワチャの言葉を借りれば、掴まり立ちを止めて一人で立つ練習。

 充分に感覚を記憶したら今度は意識だけでそれを描く。

 描くというよりは、転写するといった方が近いかもしれない。とにかく、形をなぞるのではなくそのままを構築する。

 できたのは正円にはほど遠い歪んた円。一か所を直そうとすると、別の場所が歪む。


「上手くいかないねえ」


 腰掛けていたベッドに倒れ込む。

 寝転がったまま、空中に式を練習する。今はとにかく数をやるべきだろう。最初に魔術を練習した時もそうだった。

 普段のやり方と、新しいやり方を交互に練習する。

 速さも正確さも普段の方が良いけれど、後者の方が将来性があるのだから仕方ない。


 と、入口の方で鍵を回す金属音。

 ジャールが大浴場から帰ってきたのだった。


「精が出るな」


 ちらりとこちらを見てジャールが言った。

 乾ききっていない赤毛の下の顔は、少し呆れた表情。


「そう? これくらいは、みんなやってるんじゃない?」

「部屋で練習するくらいならな。お前、飯も風呂も移動する時も練習するのはやり過ぎだ。さっき風呂で話してたんだが、お前のことが少し話題になった」

「んー、実力が足りてないからね。練習しとかないと」

「努力するのはいいことだ。が、風呂、もうすぐ終わるぞ。せっかくあるのに使わないのはもったいない」

「あれ、もうそんな時間?」


 ジャールが持ち込んだ時計を見れば、確かに予想以上に時が過ぎていた。

 大浴場は無料で使えるのだから、是非とも使いたい。毎日風呂に入れるなんて、シエトノにいた頃には考えられない贅沢だ。享受しない理由がない。

 急いで準備をする横で、ジャールは魔術書を開いた。それを見て思い出す。


「そうだ、今朝の話だけどさ」

「今朝?」

「それに載ってる魔術式の、ほら、なんで迂回させるのかって」


 ああ、とジャールが頷く。

 それは朝食の後にジャールに聞かれて二人で考えた謎だった。

 魔術式の一部が不自然に非効率な形を取っているのことにジャールが気付いたのだ。


「分かったのか?」

「思い付きだけど、拡張性じゃないかな。波の観測を制御に繋ぐ部分だったけど、他の干渉要素を組み込もうとすると、観測値を修正するような式がいるから」

「あー? あー、はいはい、なるほど」


 感心した表情でジャールが頷く。

 それから思い出したように眉をひそめる。


「しかし、それいるか? その度に最適な式にした方がいいと思うが」

「部分的な最適の集合と、全体で最適な集合は必ずしも一致しないって考え方もあるけど、まあ読み進めないと答えは分からないね。まあ、思いついたから話しただけ。

 それじゃあお風呂行ってくる」

「ごゆっくり」


 部屋を出た。

 無機質な廊下だが、塔に比べれば光源が白く、それだけで嬉しい。あの塔の中の青一色さ加減は、外に出てしばらくは目がおかしくなるくらいに異常性が強い。

 食堂や大浴場のある一階まで階段を降りていく。

 もう深夜と言っても良い時間。出歩いている人はあまり多くなかった。


「あっ」


 僕の呟きに、えっ、と声を返したのは子供みたいな体型の少女。

 階段を降りる僕の目の前に廊下から合流してきたキャンディナだった。

 振り返りながら見上げてくる青紫の瞳が驚きに開かれる。


「あ……と、カスタットさん。こんばんは」

「こんばんは、キャンディナさん」


 何の不幸か、出会ってしまった。僕への不幸ではなく、向こうへの。

 案の定気まずい沈黙のまま階段を降りていく。

 なにせ、嫌われている。嫌われているというのが言い過ぎにしても、苦手意識を持たれているのは態度と表情で分かる。


 僕は彼女の右後ろで階段を降りる。彼女が急いで降りれば追わない気だったけれど、上品に階段を降りる彼女を追い抜くことはできないので、その位置を保っている。

 貴族にしては少し安っぽい、それでも僕のものよりは高価なものだが、白いローブを来た華奢な背中と、胡桃色の長い髪、そしてつむじが視界に入る。

 その向こう側でどんな表情をしているのだろうか。

 ひとつ話題を思いついて、それを口にしてみた。


「到達階数表を見たんだけど、キャンディナさん凄いね。こっちなんてまだ七階なのに」


 塔の説明の講義があった翌日、つまり三日前から勤め舎に貼りだされた到達階数は順位順に数字と名前が書かれ、ミーティクル・ウィン・キャンディナの名前はその二番目に存在した。

 数字にして三四。僕の五倍弱だ。


 キャンディナの足が止まって、少し遅れて僕も止まる。同じ段に並んだ。

 俯いた横顔が見える。

 唇がわずかに開いて、瞳は階下の方を見つめる。

 嬉しそうな顔にはとても思えなかった。


「嫌味ですか?」


 下を睨んだまま口だけが動いた。

 とりあえず言葉の意味を探すが、見当たらない。


「どうすれば嫌味に聞こえるのかな」


 この言葉は嫌味だろう。

 口にして後悔する。

 しかし向こうはその点を気にした様子はなく、硬い声で返事をする。


「ディアリルム家の娘は一二五階です。私は、遥かに及ばない」


 エルノイ・ウィン・ディアリルムの階数は文字通り桁が違う。

 その事を気にしていたのだろうか。


「あれね、凄いよねえ」

「想定外でした。あれを私は……いえ、失礼しました。褒めていただき、ありがとうございます」


 キャンディナが再び階段を降りるので、それを追いかけるような形になった。この数分で見慣れた彼女のつむじが再び目に入る。

 すぐに隠したけれど、キャンディナは何かエルノイを気にする事情があるのだろう。


 この数日で大多数の学生はエルノイを別格のものとして扱っている。七選においても、残りの六つを奪えばいいという雰囲気だ。それは現実的な考えだと思うし、エルノイの魔術士としての格がはるかに上だということは僕も同意権だ。

 はっきり言えば、到達階数が二位としてもキャンディナより隔絶した格上である。

 しかし、別格という言葉で済ますことができないようだ。


 エルノイに追いつくことが不可能とは言い切れない。青の三角の教える技術、知識は他で得られるものとは質も量も違いすぎる。

 今日までの実力よりも、教えを吸収する資質こそが重要となる。もちろん、今日の実力は本人の才能によるものが大きいことは事実で、そこに大差はない。しかし、誤差が生じる程度の違いはあるはず。


「フィユが」


 階段を下りながらキャンディナが言った。


「フィユが、あなたのことを気にしていました。話を聞きましたが、思っていた以上のことしでかしたみたいですね」

「ひやっとしたよ。心も足も。ああ、足は無いんだけどね」

「改めて謝りたいと言っていました」

「いいよ、気にしなくて、って伝えておいて。反省はするようにともね。謝罪の気持ちは、キャンディナさんから伝えてもらえたから、それで充分だよ」

「……分かりました。ありがとうございます」


 階段を降りきって、キャンディナと道が別れた。

 あちらは女性用の大浴場の方だ。

 妙に緊張した。

 早く湯船につかろう。

 歩幅が少し広くなった。



  * *



 大浴場にはすでに人が少なかった。

 お湯につかっているのは僕ともうひとり。見ない顔だ。

 お互いに浴槽の端と端にいるので、湯気に遮られて顔はよく見えない。


 練習に展開した魔術式は相変わらず理想とはほど遠い。

 意識が精密さに追いついていない。架空の腕を使った擬似的な触覚に頼りすぎていた。円ひとつを描くにしても、それを想像して転写するのではなく、円を描く腕の動きを想像していたからだ。

 当然、魔術式の線の長さに比例して展開までの時間を長くなる。


 一瞬で転写する青の三角のやり方は一刻も早く習得しなければならない。

 学生の三割くらいはすでにこの方式を覚えている。有力な貴族の子弟は、この方式のことを知っている者が多いようだ。当然のような態度でジャールも使えることを告げた。

 上位勢は使えて当然と考えるべきだろう。


 不公平だと思わないでもない。しかし、街の冒険者で終わるはずだったのだから、それも仕方ないだろう。

 今こうして大きな風呂に入れるだけでもあり得ない幸運なのだ。

 式を作っては消していると、ため息が聞こえた。湯船の反対側につかっていた男の方だ。


「下手な式をやかましい」


 言葉はともかく、落ち着いた声だった。


「え、あ、すみません」

「ここまで真っ直ぐ式を伸ばしてみろ」

「え?」

「こんな風に、伸ばしてみろ」


 男は魔術式を僕の眼前まで伸ばした。伸ばしたと言うより、出現させた。始端と終端で構築される時間に差は無い。

 魔力を纏わせて発光させているので視認できるその式は、綺麗な直線だ。

 とりあえず、言われた通りにしてみる。


 式を想像して、転写する。

 意外に真っ直ぐな式を描くことができた。

 それを見て男が言った。


「式を描く技術は充分ではないけど悪くない。

 問題なのは頭の方。正確に脳裏に描けていないから、式が歪む。頭が勝手に補完している部分が誤魔化されずに出力されるからだ。

 何も見ずに絵を描くとか、目を閉じて、その瞬間まで見ていたものをできるだけ詳しく思い出すとか、そういう訓練が効果的だ」


 理に適った助言だった。

 頭の中で言葉を吟味すれば、その通りだと納得する。


「ありがとうございます」

「別にいい。ただ、俺がいる時は式の構築はやめてくれ。やかましくて(くつろ)げない」

「あの、もしかして赤の学年じゃない人ですか?」


 全員の顔や声を知っているわけではないが、見覚えのない黒髪に、聞き覚えのない声だ。

 湯気で顔がよく見えない男は湯から出ながら答える。


「橙の学年だ。一年先達だな。まあ頑張れ」


 男はさっさと浴室から出て行った。この空間にいるのはひとりになる。

 なるほど、橙の学年か。

 赤の学年より上は全員七選に選ばれているのだから、優秀なのだろう。


「七選か」


 呟く。口にすることで、気持ちを誤魔化したかった。

 是非にでも選ばれたい。

 青の三角の知識は一年では学びきれないし、塔の制覇はさらに時間がかかるだろう。

 しかし、現在の到達階は七階。順位で言えば八九。これからいくらでも伸びると思うが、それは他人も同じこと。


「厳しいなあ」


 目を閉じると、途端に睡魔がはしゃぎだす。

 日中の講義は一瞬も気を緩められないうえに、式の練習は集中力を消費する。あまりやり過ぎると、昼の講義に差し支えて、返って非効率だろう。


「……厳しいなあ」


 先行きに光は無い。

 瞼を閉じて息を抜いた。



  * *



 冷たい。

 冷たすぎる。

 うるさい声が耳元に。肩を叩かれる。


「カスタット様! カスタット様!」

「え? あ?」


 意識が覚醒する。

 見上げる視界の中央にあるのは褐色の肌の少女の顔。

 肩を叩いていたのはこの子か。確か、食堂の給仕をしていた子だ。


「大丈夫ですか?」

「大丈夫かな。えっと、アンリさん、でしたっけ」

「はい、アンリです。入浴時間が過ぎたので、掃除に来たのですけど」


 周りを見れば大浴場のままだ。湯船につかったまま眠ってしまっていたようだ。

 湯気はない。もう湯が水になっている。


「ごめん、寝ちゃったみたいです」

「いえ、私は大丈夫ですけど。その、カスタット様は大丈夫ですか? お湯、もう冷たいですけど」

「みたいですね。ちょっと体が冷えきってます」


 冷えきっていて体に力が入らない。


「すみません、上がるので」

「あ、はい。失礼しました。タオル持ってきますね」


 アンリが小走りに去っていく。

 力の入らない体を動かして、どうにか湯船を出る。

 思った以上に体がだるい。這いずるような動きになった。

 膝をついたまま魔術式を作る。新しいやり方でできた不完全なものを、昔のやり方で補填する。

 構築した魔術で体を温めていると、戻ってきたアンリが慌てた声を出した。


「カスタット様! 大丈夫ですか!」

「大丈夫ですよ。ちょっと体がダルいだけで」

「体拭きますからじっとしててください」


 アンリが丁寧に体を拭いていく。

 気恥ずかしいが、正直体が動かない。フィユの凍結魔術といい、低体温に縁がある。今日は僕のせいだが。

 右足が義足であることに驚かれると思ったがそんな様子は無かった。冒険者であったことを知っているので、事情を察してくれたのかもしれない。


「体、冷たすぎますね。あの、ちょうど温かい部屋があります。立てますか?」

「何とか、いや、ごめん、ちょっとだけ肩を貸して」

「お好きなだけどうぞ」


 できるだけ体重をかけないようにアンリの肩に手をかけて立ち上がる。

 アンリは言わなくても手を脇に回して支えてくれた。


「こちらです」


 アンリの進む先は出口とは逆の方の扉。

 中には掃除道具や、他に設備管理に必要そうなものが置かれていた。

 確かに少し温かい。

 僕から離れたアンリはどこからか鍵を取り出してさらに奥への扉を開けた。


「ちょっと汗ばむくらいですけど、今のカスタット様には丁度いいと思います」

「ありがとう」


 どうやら湯を作るための設備が置いてあるらしい。今は止まっているようだが、余熱で充分に暖かい。

 アンリが持ってきくれた椅子に座る。


「服と白湯(さゆ)を持ってきますね」


 また小走りでアンリが去っていく。

 いらない仕事を増やして申し訳ない事をしてしまった。

 右手を動かしてみるが、まだ充分には()かない。他人の手を動かしているような不自由感。

 普段は意識せずに動くものが、満足に動かない。

 式も同じことか。

 体が暖まれば動くように、慣れれば式も自在に描ける。


「いや、違うな」


 使ってこなかったものを使えるようにするのだ。

 左手で字を書けるようにするものだ。少しばかり式のほうが難しそうだが。

 その後、アンリが持ってきた白湯を飲み、服を着た。

 何の味もないただのお湯だが、体が温まる感覚が心地よい。


「すみません、お茶とか出せればいいんですけど」

「これだけで充分です。本当に。邪魔をして申し訳ない」

「いえ、風呂の掃除が最後ですから、何も迷惑じゃないですよ?」

「毎日遅くまで大変ですね」

「え? 私、奴隷ですから」


 当然ですよ、アンリはにこりと笑った。

 僕はあまり笑える気にはならなかった。


「カスタット様、いい人ですね」

「この場合、アンリさんの方がいい人だと思いますけど」

「いえ、食堂の手伝いを引き受けてくれたことです。正直に言うと、断られると思いました」


 魔力石の充填のことか。

 一昨日に最初の仕事をしたが、思った以上に魔力を消費した。

 見ることのできた魔術用品は興味深いものが多かったが。


「どうしてです?」

「どう考えても負担ですから。赤の学年の皆さんは、七選のために一年間とても忙しそうです。

 例えば掲示板で募集しても、希望者はいないと思います。

 あの、今さらですけど安請け合いしたとお思いでしたら、断ってくださっても大丈夫ですよ?」


 おずおずと、心配を表情に浮かべてアンリが言った。

 彼女の服がところどころ濡れているのは僕を運んだり、起こそうとしれくれた時のものだろう。

 風呂掃除が最後の仕事ということは、今回のことで睡眠時間も減ったはず。


「……アンリさん、ずるいところありますね」

「え? 何かしてしまったでしょうか?」

「いえ、何も。感謝しています。手伝いも、それほど苦ではないですから大丈夫ですよ」


 アンリを安心させるために微笑んでみせた。

 彼女はきょとんとしてから、曖昧に笑って首をかしげた。


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