『I wait for the bar』
私が彼を待つようになったのはいつの頃からだっただろう。
明かりを灯せばその小さな部屋にはたくさんの客人達が次々に訪れる。彼はその客の一人に過ぎなかった。いや、それは今でも変わりのない事実として私に降りかかってくる。彼は私の事なんか気にしてもくれないのだから。
初めのうちは彼の事を特別意識していた訳ではなかった。他の客達と同じ、その部屋を訪れては消えていく。それだけの存在。他の意地の悪い客達に比べれば、そのスマートさが目に付くくらい。だけど少しだけその部屋での時間を楽しいと思い始めた頃、彼は少し気になる存在になっていた。他の客達は適当に座らせているくせに、彼にだけはいつも同じ場所を用意する。なのに彼は来て欲しい時には来てくれなかったり、まだ来て欲しくない時に来たりして、私を惑わせる。なかなか来ない彼に焦れて、他の客でその席を埋めた時に限って、彼が入り口付近の窓に顔をのぞかせたりするのだ。だけど他の客達を上手く捌いて、来てほしいタイミングで彼が来てくれた時、一種の感動にも似た快感が私の最奥を貫いたのだ。
もう私は彼の事しか考えられなくなっていた。彼はすばらしい。客人達が全て彼なら良いのにとさえ思い始めていた。しかし現実はそうも言っていられない。だから私は、彼の為の席をより美しく装飾する事に固執した。余計な連中は全て彼が着座する時を演出するための駒でしかない。いびつな穴など作ってはならない。定石をふまえ、応用を利かせ、時に無理を通して、部屋の中が上限まで埋め尽くされる寸前になっても、私は動揺などしなかった。忙しく手を動かしながらも、頭の中では全体が把握できている。彼を導く為だけにこの部屋は存在しているのだと。彼さえ居れば安泰なのだと。恋とはとても呼べないものだっただろう。妄信といっても過言ではない。狂気と言って良いほどその時の私はそれに没頭していたのだ。
それは、そんな日々の事だった。
いつものように他の客達をある程度部屋に敷き詰め終えたところで彼がやって来る。自然と私は笑顔になっていた。手前の客を適当に端に寄せ、彼を定位置へと誘う。指先が震えそうになるのをこらえて。いつものようにいつもの場所へ、誘導できたと思っていた。気持ちのよい声を聞かせてくれて、また私に感動を与えてくれるのだと。そう思っていたのだ。
しかしそうはならなかった。いつまでたっても鳴らない声。まさかと我が目を疑う。指先の震えは止まらない。目を向けた先に彼は居た。いつもの席より一つずれた場所で、しかも突っ立ったままでいるのだ。彼自身も呆然としているのか、それとも私のミスを嘲笑っているのだろうか。
こんなミスははじめてだった。頭は混乱したまま、それでも次の客はやって来る。働かない頭を抱えたままで、私は彼等を誘導した。当然ミスも増えていく。不恰好な穴が出来、私の仕事を妨げる。それでもこれは自分の責任なのだ。次第に埋まっていく部屋の中。もう彼の事が邪魔だとさえ思えてきた。客足はどんどん早くなる。
目の前が真っ暗になるまで、私の頭と指が正常に働き始める事はなかった。
しばらくして、私はまた部屋の明かりを灯す。今度は同じミスはするまい。いや、同じようなミスをしても、今度こそ冷静な対応して見せるぞと。そして私は彼を待つ。細長い体型の彼を。このゲームの醍醐味でもある彼を。テト○スの長い棒を……。
<終わり>