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「父が病に倒れたのは、僕が十二の頃だった」
スィンと一緒にいたのはスィンの従者だという。その人と、後から来たスィンの仲間だという人たちで、私を襲った人たちを連れて行ってしまった。散らかった部屋も……飛び散った血も、綺麗にしてもらえた。
今はうちにスィンと二人だった。私たちは並んでソファに座る。スィンが暖かいミルクを入れてくれた。
「だから叔父が次の王になることになったんだけど、僕が邪魔だったんだろうね。いろいろと理由を付けて、城から追い出されたんだよ。王都に戻らなければいいということだったから、あちこち放浪した。そこで、君と出会ったんだ」
スィンが入れてくれたミルクは、指先から全身を温めてくれた。スィンの言葉と一緒に体の芯まで沁み込んでいく。私はこの心地良さを知っている。
「君は“水の申し子”だっただろう? 南のサウリアの“神の申し子”。四方の村に“神の申し子”はいるんだよ。北の火。東の地、西の風。いつの時代にもいるという訳じゃないけどね。それをあの王が」
その先は市場で聞いた。あの噂は本当だったんだ。王様が人買いをしている。しかも“神の申し子”だなんて。
「それ以外にもいろいろあるんだけど……。奴の悪政が続いているからね。誰かが止めなければいけない」
そう言うスィンの目はここを見てはいなかった。遠く見据えるその目は、城の玉座を映していた。
「スィン……」
私は思わず彼の服を掴んでいた。それならばスィンは。
スィンは優しく笑う。
「いい象徴だろう? 先王の子、次の王になるはずだった男」
スィンはそっと私の手を掴んで下ろした。
「僕自身の願いでもあるんだ。悪政を続けていては国が滅びる。……大丈夫、僕は死んだりしないよ。相打ちなんてしない。玉座が目的だからね」
私は何も言うことができなかった。
それは本当に心からの願いなんだろうか。王子として生まれて、追放されて、真っ直ぐに来れるものだろうか。
もしかしたら、スィンは私が思っているような人間ではないのかもしれない。私もスィンもきっと、黒いものを抱えている。
「今日は疲れただろう? もうおやすみ」
気付けばもう日付けが変わっていた。スィンはドアの方へ向かおうとする。私は思わず服の裾を引っ張っていた。
スィンは驚いた顔で振り返る。無意識だったから、私はしどろもどろになってしまった。
「その……。眠るまで、傍にいて?」
なんて大胆なことを言ってしまったんだろう。あの頃、怖い夢を見たときはスィンに手を繋いでもらっていた。あの頃と同じ感覚でつい言ってしまった。
「ごめん……! 冗談……」
「いいよ」
慌てる私にスィンは柔らかく微笑んでそう言った。
「え?」
「リッカが眠るまで、手を握っててあげる」
そう言って私の手を引いてベッドへ向かう。スィンは私をベッドに座らせて、自分はリビングの椅子を持ってきた。
「おやすみ」
スィンは椅子に座って手を握ってくれた。
あぁ、あの頃に戻ったみたいだ。子どもの頃の懐かしい記憶が蘇ってくる。スィンの隣はいつだって暖かくて、心地良かった。
さっきまでの不安は嘘みたいに消えて、私は静かに眠りについた。
だけど目を覚ましたとき、スィンの姿はどこにもなかった。