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“水の申し子”だったのは過去の話だ。
スィンがあの村から旅立った後、私のスィンにまた会いたい気持ちはどんどん大きくなっていった。
許されることではない。私はそう思って、誰にも言わずにいた。
今となっては何が原因だったのかは分からないけれど。
それに最初に気付いたのは婆さまだった。
「リッカ……そなた宝玉が……」
“水の申し子”が最期を迎えるとき、その宝玉は黒く染まる。徐々に黒い染みが 侵食していって、完全に黒になったとき同時に力がなくなり死に至る。村に伝わる言い伝えにはそうあった。
私の宝玉には黒い染みができ始めていた。
婆さまも一度は反対した。いつ尽きるとも分からないこの命。親代わりに私を育てたんだ。村で静かに一生を終えてほしかったんだと思う。
それでも私は、この命が尽きる前にもう一度スィンに会いたかった。だから旅に出た。
婆さま、親不孝でごめんなさい……。
全てを話して、部屋には沈黙が落ちた。
「どうして、そんなにスィンにこだわるんだい?」
レストが口を開く。私は目を閉じた。瞼に映るのはスィンの笑顔だ。
「本当に、なんででしょうね。私の世界はあの村だけだったんです。あの地に水を湛え、水と共に生きてそして死んでいく。そう思っていました。世界の広さを教えてくれたのはただスィンだけだったんです。いろんなところを旅した彼が、世界の広さを教えてくれた。“水の申し子”として、世界を見たいと思うのは間違いだったかもしれないけど」
村のみんなには申し訳なかったと思う。力を失った“水の申し子”なんて必要ない。優しい人たちだからきっとそんなことは言わないだろう。でも自分が許せなかった。
せめて、水に困らないでいてほしいと願うのは、許されるだろうか。
レストは黙って話を聞いていた。エルもドールも何も言わずに私を見ている。
「間違いなんてことがあるもんか」
ぽつりとレストが呟いた。そして立ち上がると、私の前までやってきて膝を折った。
「“神の申し子”が自分の幸せを祈ったらいけないなんてことがあるはずがない。リッカ、生きたいと思った気持ちをそんなに粗末に扱っちゃ駄目だ」
レストは私に目線を合わせて、頬に触れた。
涙が、零れた。
私はただ、生きたかった。生きて、スィンと世界を見たかった。それだけだったんだ。
“水の申し子”として、それは望んではいけないことだと分かっていた。心のどこかで自分を責めていた。
レストの言葉ただひとつで、どれほど私の心が軽くなったか。涙と一緒に心のつかえが落ちていくようだった。
泣き続ける私を、レストは抱きしめて優しく頭を撫でてくれた。
「リッカに言ってないことがある」
レストは身を離して、まっすぐに私を見つめた。
「レスト!」
エルが叫ぶ。止めようとするエルに、レストは黙って首を振った。
「僕らは東のイルトから来た。“地の申し子”の恩恵で良質の土に恵まれて、陶器作りの盛んな町だ」
その土の良さで人形作りも盛んだという。
「イルトはサウリアと違って“神の申し子”を崇めていてね、“地の申し子”のおわす神殿がある。僕は“地の申し子”に仕える造詣人形師だった」
私は目を見開いた。まさか他の“神の申し子”の話をこんなところで聞くなんて。まさかレストが“神の申し子”と関わっていただなんて。
「リッカと十以上は違うけど、“地の申し子”も女性だよ。それはそれは美しいお方でね……。イルトを守り過ごしていた。それをある日、王が来て連れて行ってしまったんだ」
レストの瞳は静かに燃えていた。怒りに燃える目というものを、私は初めて見た。こんなレストの表情は初めてだった。
「どうして……?」
レストは蔑むように笑った。
「今の王は直系の王ではない。力が欲しいんだろうね。“神の申し子”の力はそれこそ神の力だ。四人集まれば凄まじいものになるだろう。……僕らは王の悪事を暴き、“地の申し子”を連れ戻すために、ここに来た」
なぜか、スィンの顔が浮かんだ。同じような話を聞いたことがあるような気がした。
「でも、どうやって……」
レストは笑っていたけど、その表情は陰りを帯びていた。私はなにか、ひやりとしたものを感じた。なにか良くないことが起きるような気がする。
「僕らだけじゃない」
そい言ってレストは暗い窓の外を見つめた。風がひとつ、窓を揺らした。
「時が来るのを、待っているんだ」