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夜明けと共に目が覚めた。
私はさっと顔を洗って、水を台所に運ぶ。朝早く起きるのは習慣だったから、別に苦ではない。
「おはようございます、リッカ」
朝食ができあがる頃、エルが起きてくる。
「おはようエル」
レストはまだ、起きてこない。毎朝レストを起こしに行くのが日課になっていた。
「レスト、朝ですよ?」
この家に来て一週間経った。
私は基本的に家事をしている。この家は借家だそうだ。レストたちは人形芝居で各地を転々としているけど、この街には長く滞在するつもりで家を借りたという。
私はというと、人形芝居を手伝うことはできないから、必然的に家の雑務をこなすということになった。婆さまの家では私が料理をしていたから、それが役立っていた。“水の申し子”の力か、目分量でも正確に測ることは得意だった。
ちらりとソファに目を向けた。そこにはドールがゆったりと腰掛けている。目は開いているがぴくりとも動かない。
造詣人形は、ねじを巻いていないときは普通の人形のように動かないらしい。ねじを巻いたままでも支障はないみたいだから、巻いたままの人もいるみたいだけど、レストは自分たちと同じように夜は『眠らせて』いた。
ドールは本当に綺麗な顔をしている。腰まで伸びた銀髪は真っ直ぐで、青い瞳の上に並ぶまつげは長い。レストが作ったということだけど、レストはすごい人形師だなと思う。本物の人間みたいだ。
「おはよー」
ようやくレストが起きてきた。レストは寝起きは悪いけど、一度起きればすっきり目覚めるタイプらしい。
「あ、レスト。おはようございます」
「おはようレスト」
レストはねじまきを手にドールの元へ向かう。そしてドールの首の後ろにそれを差して巻き上げた。ドールがひとつ、瞬きをする。
「レスト、おはようございます」
「はい、おはようドール」
ドールは本当にレストに忠実だ。息子であるエルにはそこまでないけど、私には明らかに敵意を持っている。まぁ来たばかりだから仕方のない話だけど。造詣人形というのはこういうものなんだろうか?
「さてご飯にしようか」
レストとエルと私は食卓に着く。ドールも座っているけど、彼女は造詣人形だから食事を必要としない。黙って座っていた。その光景も大分慣れたものになっていた。
「うん、このスープもおいしいよ。リッカは料理上手だね」
レストがパンとスプーンを手にそう言った。
「料理は私の担当だったから、腕には自信があるんです」
私はにっこり笑ってそう言った。婆さまはもう歳だったからキッチンに立つのはもっぱら私だったのだ。
「レストのごはんはなんていうか……。いまいちだったから、リッカが来てくれて嬉しいです」
エルは言葉を選んだつもりみたいだけど、フォローになっていない。レストは苦笑しながらエルの頭を小突いた。
人形芝居は二日に一度、行っていた。そのお手伝いはできないから、私はいつもお客の一人として見ていた。
今日も何人か集まっている。ドールの踊りは人々を魅了していた。ふわりふわりと銀髪が舞う。
その姿からは辛辣な言葉が飛び出してくるとはとても思えない。私も最初はそんなこと思わなかったけど。いつか仲良くできる日が来るのだろうか……。
市場の騒ぎに気付いたのはその時だった。野菜売り場が立ち並ぶ一角。お客さんとお店の人が揉めているようだ。私はそっと近寄ってみた。
「だからね! これとこれじゃ量が違うんじゃないかって言ってんの!」
「そうは言われましても……。大きさの違いがありますし……」
どうやらトマトの量について揉めているらしい。一袋に入っている個数に文句を言っているようだった。
私はお客さんが手にした袋を見やる。確かに片方の袋の方が見かけの量が少ない。でも重さではたぶん一緒だ。
「おばさん、それ重さは一緒ですよ」
私はつい口を出してしまった。おばさんはじろりと私を睨む。
「なんだい横から……。証明できるのかい?」
「そうですね……。おじさん! 籠と紐と棒をお借りできますか?」
私はお店のおじさんにそう言った。おじさんは裏からごそごそと籠と紐と棒を取り出してくる。私はそれを受け取って、即席の秤を作った。
「乗せてみてください」
おばさんは半信半疑の表情で、両側の籠に一つずつ袋を置いた。棒は真っ直ぐで止まる。
「ほら、同じだったでしょう?」
おばさんは騒ぎ立てたことがバツが悪かったのか、ぶつぶつ言いながらも二袋とも買って帰っていった。お店のおじさんと二人でそれを見送る。
「お嬢ちゃん、よく分かったなぁ」
「ふふ、こういうの得意なんです」
お店のおじさんの感心した声に、私は笑みを浮かべた。“水の申し子”としての力がこんなところで役立った。
「お嬢ちゃん、もし良かったらうちで働かないかい? 俺は野菜を作るのは得意だが、計ったり売ったりっていうのがどうも苦手でなぁ。お嬢ちゃんみたいな可愛い子がいたら助かるよ」
願ってもいない申し出だった。
「という訳なんだけど……」
とりあえずはレスト達に確認しておいた方がいいだろうということで、また明日返事することにして私は一旦家に帰った。
夕食の席で私は話を切り出した。
「いいじゃないか。リッカそんな特技があったんだなぁ」
私は曖昧に笑った。“水の申し子”であることは秘密だ。
「……市場で働き始めたら、リッカはこの家を出ていっちゃうんですか?」
エルがぽつりと呟いた。
「そうなっちゃうかな。いつまでもお世話になる訳にはいかないし……」
数日過ごしただけだけど、この人たちのことは好きになっていた。出て行くのは少し淋しいけど、仕方がないだろう。
「そうなると淋しいなぁ。リッカさえ良ければここにいてもいいけど」
「レスト!」
ドールはレストに非難の声を上げた。ドールが私に敵意を向けてくるのはもう慣れっこになっていた。
「まぁ次の町に行くまでだけどな。リッカのごはんはおいしいし、これまでどおり家のことをやってもらえると助かるよ」
「でも、迷惑じゃないですか……?」
私はおずおずと尋ねた。
「まさか。まぁドールがこの調子で良ければ、だけど」
ドールはむすっとした表情でそっぽを向いた。主人の言葉には逆らえないのだろう。私は苦笑いした。
「私で良ければですけど、こちらこそよろしくお願いします!」
そうして私は頭を下げた。
*
市場はいろんな人が行き交う。初めて来たときは眩暈を起こしかけた私も、一ヶ月もたてば慣れっこになっていた。
そして市場では多くの情報もまた行き交うことを知った。お客さんからいろんな話を聞いたが、あの人に関する情報は得られなかった。
市場でお店のおじさん――ガンさんの野菜を売る日々が続いた。
やってみるとこれが意外におもしろい。接客なんて初めてやったけど、私は人と話すのが性に合っているみたいだ。そういえばサウリアのオアシスでも、村の人と話すのは好きだった。
ガンさんも人と話すのは苦手だと言ってはいたが、その野菜はなかなか人気だった。ガンさんの瑞々しい野菜は毎日たくさんのお客さんが買っていった。
「来週の例大祭中はお休みでいいから。ゆっくり見ておいで」
ある日のこと、ガンさんからそう言われた。
「なんですか? 例大祭って」
私は首を傾げる。
「あぁそうか、リッカちゃんは知らんのか。王都ではこの時期、収穫祭と王様の生誕祭を兼ねてお祭りをやるんだ。すごいぞー! 街全体が祭り一色に染まるんだ」
私の村にはそんな大きなお祭りなんてなかったから、想像が付かなかった。収穫祭はるにはあったけど、みんなでごちそうを持ち寄るくらいだった。
普段からいろんなもので溢れている王都だ。例大祭になんてなったらどうなるんだろう? 私の胸は高鳴った。
「王様もね、どうなのかしら」
店先には常連のおばさんが来ていた。
「おう、いらっしゃい」
「いらっしゃいませ」
おばさんは玉ねぎを手にしながら続ける。
「いろいろきな臭い話も聞くじゃない? 王子を追い出したとか、美しい娘を買ってるとか」
「そうなんですか?」
初めて聞く話に、私は目を見開いた。まさかそんなことがあるなんて……。
「実際のところは分からんよ。まぁ俺としちゃあ、こうやって野菜売ってお飯食えるようにしてくれりゃあ充分さ」
「まったく……。暢気なもんねぇ」
おばさんは人参とパプリカを買って帰っていった。
「今の話、本当なんですか?」
私はガンさんに尋ねる。王子を追い出したとか人買いとか、なんだか信じられないような話だ。
「あくまで噂さ。今の王様は先代の弟だそうで、王子は先代のお子。そりゃいろんな噂が湧くわな」
私にはピンとこない話だった。それはきっと私が恵まれた環境で生きてきた証拠だろう。婆さまは血の繋がらない私を愛してくれた。村の人たちだって優しかった。
「豊かな街に見えるけどね。新王になってから不平不満も多い」
王様はどんな人なんだろう?
私は城を仰ぎ見た。