26
遠くで怒号が聞こえた。
レストの家でエルとドールと私は、静かに窓の外を見つめていた。
レストたちは出かける前、私たちに決して家から出ないこと、でも万が一何かあったらすぐに逃げることを言い置いて行ってしまった。
本当は一緒に行きたかった。自分に何ができるわけでもないことは分かっている。でも、もし知らないところでスィンが死んでしまったら――。
そう思うと怖くて震えが止まらなかった。
「リッカ」
そんな私に気付いてか、エルがぎゅっと手を握ってきた。
「レストは……王子はきっと大丈夫だよ」
自分も不安だろうに、励ましてくれるエルの手は心強かった。
町の方にも城での騒ぎが伝わってきたらしい。俄かに騒がしくなってきた。
その時、通りから声がした。
「城が燃えてるぞー!」
その声に私たちははっとした。通りを人々が駆けていく。
「もっと水持ってこい!」
「駄目だ! 間に合わない!」
私はたまらず外に飛び出していた。
「リッカ!」
まだ城にはスィンが残っているだろう。
火の手はどこで上がったんだろう? スィンは? スィンは無事なの?
「リッカ、僕も行くよ」
玄関先で立ち止まっていた私の隣に、いつの間にかエルが並んでいた。私は城のある方角を見上げて、動くことができずにいた。ここからは見えないのに。
エルの手が私の手をぎゅっと掴む。
「レストもフーマもロッドも……王子もきっと、無事だよ」
エルは力強く頷いた。私は潤みそうになる目をぎゅっと瞑って、頭を振った。
「行こう、城へ!」
*
剣が弾かれた。クルクルと回ってそれは玉座の下に突き刺さる。
「万事休す、ですね」
スィンは床に倒れていた。王はスィンの目の前に切っ先を突きつけた。
スィンの剣が飛んだ衝撃で壇上の蝋燭が倒れた。それは玉座に燃え移る。
「おやまぁ……」
王はそれを一瞥すると、またすぐにスィンに視線を戻した。
「殺すなら殺せ……」
スィンは呻くように言った。その様子がおかしくてたまらないというように王は笑う。
「私は生け捕りというのが好きでしてねぇ」
それを聞いてスィンは鋭い目付きをさらに強めた。
「“神の申し子”たちもか……!?」
「彼女たちは別格ですよ。なにせ“神の申し子”だ。この国の礎となってもらいます」
「何をする気だ」
スィンは低く呟いた。王は笑みを深くする。
「四神の力は強大です。四人の“神の申し子”が集まれば世界をも征服することが可能でしょう。そうそう、南の小さな村に“水の申し子”がいたとか」
それを聞いてスィンの目は燃え上がった。彼女に手を出させるものか。
「うおぉぉぉ!!」
突きつけられた剣をいともせず立ち上がると、王を突き飛ばした。その拍子に頬が切れた。今さらこんな傷は大したことではないが。
王がよろめいた隙に玉座へ走る。剣は燃え盛る玉座の中だ。
スィンは燃えさかる炎の中から、剣を抜き取った。
「“水の申し子”があなたの地雷ですか」
すぐ後ろから声がした。
スィンがばっと振り返ると、目の前に剣が振り下ろされた。それを今しがた手にした剣で受け止める。熱さなど、今は感じない。高い金属音が響いた。
王は不敵な笑みを浮かべた。スィンは交わった刃を力で押し切り、間合いを取った。
「ではこの反乱が収まったら、存分に可愛がってさしあげましょうか」
「……お前のやり方は間違っている」
炎が広がっていく。二人の間には燃えさかる炎の音だけが響いている。
「四神を……“神の申し子”を手中に収めようなど、許されることではない! 神にでもなったつもりか!」
スィンの言葉にも王の表情は揺らがない。
「寝惚けたことを……。四神の力は強大です。これも国を強くするためには必要なことなんですよ」
「それが禁忌だと言っているんだ! 国を回って気付いた……。“神の申し子”は民と共に生きているんだ。暮らしに、心に根付いている……。それが国を強くしていることに、なぜ気付かない!」
「やはりあなたたちと私とじゃあ分かり合えないようですね」
王は剣を握り直して床を蹴った。一気に間合いが詰められ、キン、と甲高い音が響く。
金属音を立てて打ち合いが続く。スィンの顔には相変わらず汗は滲んでいるが、王の表情にも焦りが浮かび始めていた。
「それが分かっていたからここに来たんだ! 僕は……国を、大事な人を守る!」
その言葉と同時に王の剣をなぎ払った。
ひゅんひゅんと音を立てて剣は回り飛んでいく。そして入り口のそばの床に突き刺さった。
広間には静寂が落ちた。
倒れこんだ王の首元に、スィンは切っ先を突きつけていた。
「……殺すなら殺しなさい」
状況は逆転した。王はこの状況でも、不敵な笑みを浮かべている。
元々違う人間だったのだ。きっとスィンならこの状況で笑うことなどできない。
やっぱりこの叔父は、怖い。
「できることなら、一緒に国を守っていってほしかった」
心の底に、ひとつの希望があった。
たったひとりの肉親だから。いちばん近しい存在なのに、分かり合うことはできなかった。
スィンの表情が歪む。
そして剣を振り下ろした。
轟々と音を立てている。炎は謁見の間を飲み込もうとしていた。
スィンはさっきまで話していた叔父を見下ろしていた。肩は上下に動いている。
と、ガクッと膝を付いた。スィンも傷は深い。
「ちょ、っと……帰れなさそうだな……」
愛しい少女の名は声にならなかった。そうして意識を手放した。
炎だけがそれを見ていた。
*
城は赤々と燃えていた。反乱はもう鎮まっているのだろうか? 銃声は止んでいた。
街の人たちが次々に水を持ってきている。だけど燃え盛る火を消すには到底追い付いていなかった。
もっと水を。
雨を。
私は額の宝玉に触れた。
私の力がまだ残っているのなら。お願い、雨を――。
ポツリと音がした。またポツリポツリと音は続き、やがてそれは大粒の雨に変わった。
「雨だ!」
「天の恵みだ……」
「見ろ!」
「火が消えていく……!」
降り出した雨は激しさを増し、髪が顔に張り付いた。私はへたり込んで、城を見ていた。
祈りが、届いたのか。まだ力が残っていたんだ。私は隣に立つエルを見た。エルは微笑を浮かべている。
私も笑顔を浮かべようとした。
その時、額に激しい痛みが走った。痛みに視界が揺れる。
こっちに駆けて来る人の姿を視界の端に捉えて、私は倒れてしまった。
金の色が見えた気がした。